手を振る朝

サンズイモドル

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4章 「手を振る朝」

明日と昨日

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 光が迷いながらそっと差し込んで、神殿の空気が変わった。
 暗闇の端が、わずかに白み始める。朝日が頭を出す前の、最も深く、最も静かな明るさ。仄かな光の帯が、床に差し込んだ。

「まだ明けないで」

 遥は手で光を遮ろうとする。溢れた涙が、仄光にきらめいた。

「明日もいつか、昨日になるよ」

 央が、光と闇の境界線に半歩入り、言った。
 遥はこめかみに手を当て、小さく頷く。過去に囚われたままでは、朝は来ない。

 遥と央が頷きあう。
 遥は迷いを断ち切り、扉へ向かう。そして、思い切って最後の鍵を差し込んだ。

 鍵を回す。ガチャリ、と重い音がした。

『全ての鍵が揃いました。扉が開かれます』

 ラドガストの声が消えると、神殿は完全な静寂に包まれた。扉が音を立てて開く。
 扉の奥は、出口へと続く階段だった。その先から、眩いばかりの朝焼けの光が差し込む。

「……ここを出よう」
「そうだね」

 央が階段を上り始める。途中で振り返った。

「聡。またね」
「うん、またね」

 それは、今生の別れを理解した上での挨拶だった。

「外で待ってる」

 遥に笑顔を向けた後、央は悲痛な表情になり、一気に階段を上り、光の中へ消えた。
 晶が央を追いかける。彼も途中で振り返った。

「ほんとに大丈夫か?」
「優しいって、最初からわかってたよ。……かばちゃんと幸せになってね」
「……またな」
「またね」

 遥は笑って、立ち上がる。晶も笑顔を返し、階段を登り切り、神殿を出ていった。

 神殿には、遥と聡だけが残された。

「遥」

 聡が階段を上るように促す。

「……うん」
「夜が明けた」

 差し込む朝日が強くなる。聡は光を避け、陽が届かない場所へ移動した。

「遥はもう、大丈夫」

 遥が聡に駆け寄り、手を握ろうとする。
 だが、その手は空を切った。聡の体をすり抜ける。

「え? どうしたの?」

 触れられない。聡はそこにいるのに、感触がない。

「……っ」

 昇り始めた朝日が聡の足元を照らす。彼は苦しみに顔を歪め、日陰へ逃げた。

「どうして触れないの?」

 聡は何も言わずに笑顔を向け、更に遥から離れる。

「ラドガスト。何があったの? 黙秘権ないんでしょ? この神殿」
『聡さんは神殿から出られません』
「どうして?」

 リリリリリン!

 再び、スマホの着信音が鳴り響く。あの時、聞こえなかった音。現実に引き戻す、容赦のない音。

『応答すれば、全てがわかります』

 遥はスマホを取り出す。

「音、聞こえる?」

 聡が尋ねる。

「うん。聞こえる」

 遥は聡の顔を見つめる。応答ボタンを押そうとするが、指が震えて押せない。このボタンを押せば、夢が終わる。

『覚悟はできましたか?』

 遥は意を決して、応答ボタンを押した。
 スピーカーから、事務的な男性の声が流れ出す。現実の声だった。

『守屋遥さんのお電話でしょうか。杉並警察署交通課の樋口と申します。夜分突然のお電話で失礼いたします』

 樋口と名乗る警察官は、淡々と事実を告げる。

『本日未明、環八道路沿いにおいて交通事故が発生しました。ご同居人の相羽聡様が事故に巻き込まれ、お怪我をされたようです。現在救急搬送先の病院で処置が行われております。つきましては、大変お辛い状況で恐縮ですが、ご来署いただけますか?』

 電話が切れる。
 神殿の静寂が、耳に痛い。夢は現実を避けるための引き算だ。
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