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枯渇する泉
53.魔物
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「やあ、昨日はどうだった? 何かあった?」
「……何がですか?」
「何がって。カイネと同じ天幕で寝起きしたんだろう?」
二日目の行軍。昼もほど近く、そろそろ馬を休ませるのも兼ねて休憩を取るか、という話題が出た。森の中、適度に開けた場所で、荷台に積んでいた堅めのパンをもそもそと食べていると、殿下が嬉しそうな顔をして開口一番セクハラをかましてきた。表情に苦い色が浮かぶのを抑えきれない。
「何かって……家族ですよ。何もありません」
「そう? でも騎士団内は君の噂で持ちきりだ。あのカイネ様が、女性を自身の天幕に招くなんて、なんてね」
カイネは、どうやら軍勢の指揮を執っているようで、私の傍には居ない。殿下の言葉を聞かれなくて良かった、と少しだけ安堵しながら私は首を振った。
「本当に――何もありません。私のことを心配してくれただけです。初めての行軍ですから」
「そう? そうかな。僕はそう思わないけど。カイネは君に執着してるよ。いやあ、面白いよね。楽しいな。君、これからも騎士団兵舎に遊びに来てくれたら良いのに。その度にカイネをからかえる」
殿下は軽い口調で言葉を続けると、私の傍でパンを口にする。食べているものは、ほとんど私と同じものだった。
恐れ多くも、皇位継承権第一位の人であるというのに、食事は変わらないのか、なんて思いながらじっと見つめる。殿下はすぐに私の視線に気付いて、それからパンを軽く振った。
「食事が同じなのがそんなに不思議?」
「それは……、ええと、はい。もっと何か、殿下は違うものを食べるのかと」
「最初はね、僕専用に色々と用意されていたんだよね。でもまあ、途中から止めたんだ。僕だけのために料理を用意するのも手間だろう? そんなもの用意している暇があれば、団員には他のことをしてもらいたいしね」
言いながら、殿下は固いパンをむしる。スープも配られているので、食事の際は固いパンをスープに浸し、柔らかくしてから食べるのが普通のようだ。
魔法がある世界といえど、食料は魔法で生み出せるわけではない。運ぶにしても、魔法で物を運ぶ方法は今のところまだ上手く行っていないらしく、人に頼るところが大きい。そんな背景があるからこそ、殿下は自身のために物を一つ多く運ばせるのではなく、他と同じものを口にすることで荷を減らそうと考えたのだろう。
「固いパン、最初は食べられなくてさ。本当、どうやって食べたら良いんだと思ったんだけど、君はそうでもないみたいだね。きちんと食べ方を知ってる」
「褒め……て、くださってます、よね?」
「褒めてるよ。食べられない、って騒ぐような子どもじゃないんだな、って。良いことだ」
それって貶している感じではないだろうか。というか、そんなことで騒ぐような子どもだと思われているのだろうか。
「カイネがわざわざ天幕に呼んだくらいだから、もしかして実の所箱入りで、カイネに泣きついているんじゃないかと思ったけれど」
「そんなことはしません」
「そうみたいだね。うん、助かるよ。今後も行軍の手伝いに呼び出されることも多いだろうし、その時はよろしくね」
殿下は嬉しそうに微笑んで、それからスープに口をつける。少し塩のきいたスープは、全体的に薄味である。物資が限られているから仕方無い。南部に着いたら、恐らくきちんとした食事を口にすることになるだろう、と思う。
「行軍の手伝い、……そんなに多くなるんですか?」
「そうだね。それはもう。多くなると思う。――父上が、そう仕向けているからね」
「仕向けて……?」
殿下は私をじっと見る。そうしてから、「うん、この話はここでおしまい」とだけ続けた。
「ごめんね。僕はまだ君のことを信用していないんだ。だから、次、話すとしたら――君が僕の信用に足るかどうか、がわかってから、かな」
「どういうことなんですか……」
「言ったとおりだよ。ねえ、カイネのこと、好きだろう、君」
殿下は囁くように、それでいて、意思を確認するように言葉を口にする。
カイネのこと。もちろん、好きだ。
「もちろん。好きです。家族ですから」
「そう。僕もね、好きだよ。星の子の関係で比べられることが多いけれど、カイネのことは好敵手と思っている」
てらいのない言葉だった。だからこそ、本心であることがなんとなくわかる。――陛下は、ミュートス家に対して悪印象を強く持っているようだが、どうにも、殿下はそうではない――のかもしれない。
今の所、推測の域を出ないけれど。
頭の中で思考を巡らせつつ、私は「兄様が聞いたら、喜ぶと思います」と続ける。殿下は息を吐くように言葉を続け、「そう思う?」と少しだけからかうように言葉を続けた。私は何度も頷きながら、「後で兄様に言ってみます」と続ける。
「やめてよ、変に思われそう」
「そんなことは無いような――」
きっとカイネに伝えたら、殿下にそう思われていることを変に思うことはないだろう。多分だけれど、ちょっと嬉しく思ったり、しそうな気がする。
ぼんやり、カイネのことを頭の中に思い浮かべる。瞬間、――和やかな空気をつんざくような、音が響いた。
慌てて耳を塞ぐ。沢山の獣の声を、混ぜ合わせたかのような、そんな音だった。
「な、何!?」
「――魔物だ!」
誰かが叫ぶ。
魔物。紡がれた言葉を頭の中で繰り返して、慌てて手を振り、杖を呼び出した。手になじむそれを握り絞めながら、周辺へ視線を向ける。
おのおの、休憩時間を楽しんでいたであろう騎士団員がすぐに臨戦態勢を取るのが見えた。殿下の代わりに指揮を執っていたカイネが「殿下! メル!」と駆け寄ってくる。
「兄様、魔物って――」
「メルは私の傍に。殿下、魔物が出た以上、混乱を防ぐために指揮を執ってください」
「僕が? 僕よりカイネの方が指揮は得意だろう? それに魔物といっても、あの感じなら小物だろう」
殿下が僅かに眉根を寄せる。カイネが僅かに顎を引き、それからすぐに「――どうか。皆、あなたの指揮を待っています」とだけ続けた。有無を言わせない口調である。
「わかったよ。皆、陣形を展開し、魔物に備えよ!」
殿下が軽く首を振り、それからすぐに剣を掲げるように持った。散り散りになっていた騎士団員がすぐに揃い、殿下を中心にして陣形を整える。
丸く、円のような陣形――方円陣、である。隊が区画毎に四つに分かれており、どこからの敵にもすぐに対処が出来る。カイネが私を背において、それから鞘から剣を引き抜いた。
サーベルのような、片手剣だ。持ち手の部分に僅かな意匠が組み込まれていて、宝石が柄の部分に埋め込まれているのが見える。多分、魔法石だろう。
魔法を使う時に必要とされる杖としての機能と、接近戦での剣としての機能を併せ持っているように見える。
四方八方から、獣の呻き声が耳朶を打つ。変に反響していて、どこから音がするのか、全然わからない。
魔物。元々、南部の泉が枯渇してから魔物による被害が出ているという話だし、もしかしたら道中会うかもしれない、とは思っていたけれど、こんなに早く遭遇することになるなんて。
狩猟祭以降、魔物と会う機会はほとんど無いと言っても良いくらいだった。魔法や剣の練習は日々積み重ねるべく続けているが、実戦でそれがしっかり出せるかどうかは、――ちょっとだけ、自信が無い。
意識をせずに居ると呼吸が少しだけ速くなる。杖をぎゅうっと握り絞めていると、カイネがちら、と流し目でこちらを見て、それから「大丈夫だよ」と言葉を続ける。
「何があっても、兄様が守ってあげるからね」
「兄様――」
喉の奥がぎゅうっと萎む。カイネは私の傍に居て、私を守ってくれようとしている。だから多分、私を安心させるように声をかけてくれたのだろう。
ああ、でも、そうじゃない。私が――私が、カイネを守らなければならないのだ。
ぎゅうっと杖を握る。
「私が――私が、守る。守りたい。兄様を!」
魔力を杖に通わせる。呻くような声がそこかしこに反響して、不意に途切れた。地面を蹴る蹄の音が耳朶を打つ。木々の梢が重なるように軋み、葉を擦りながら音を出す。
自信はない。けれど、積み重ねてきた努力は、私を裏切らないはずだ。
木々の影を縫って、何かが――大きな黒い影が、いくつか飛び出す。魔物の群れのようだ。四足歩行のそれらが、勢いよく人々を狙って跳躍するのを眺めて、私は手を伸ばした。杖を振るって、風の魔法を繰り出す。
跳躍した魔物に、その魔法が当たる。くの字に彼らの体が折り曲がり、地面に叩きつけられた。だが、直ぐに体勢を取り直し、こちらに進んでくる。
魔法。魔法を。風ではいけない。炎はここでするには燃える要素が多すぎて危ない。なら残るは土か、水だ。
土で狙い撃ちをしよう。そう考えてすぐに杖を振るう。会敵が始まったのもあって、剣を振るう音が少し遠くから聞こえた。
魔法で練り上げられた、拳の大きさの石を飛ばす。その内いくつかがあたり、魔物が地面に倒れるのが見えた。良かった、とほっとするのも束の間、すぐに後続の魔物たちが、倒れ伏した仲間を踏みしめて私たちの所へやってくる。
大きさは、おおよそ大型の犬くらいだろうか。それが跳躍をした。避ける、という選択肢は無い。すぐに結界を張った、瞬間。
カイネがかまえていた剣を、軽く振り落とした。剣の先が、魔物に向けられる。まるで獲物を指し示すような、そんな仕草だった。
カイネの剣、その柄に取り付けられた魔法石が軽く光り、瞬く間に魔物が地面に縫い止められる。その体の中心を貫くように、光の刃が刺さっているのが見えた。
――カイネの、魔法だ。
魔物は、まだ生きていた。自身の体を縫い止める光の刃からもがきながら逃れようとする。血液が地面に黒く滲み、広がっていくのが見えた。その頭上に、体を突き刺す光の刃と同じものが、いくつも――いくつも浮かび上がる。
「終わり」
カイネが静かに囁く。瞬間、光の刃が魔物の体を貫く。何度も何度も。――惨殺、といっても、過言では無いほどに。ほどなくして、魔物は動かなくなった。
カイネが剣の先を下げて、周囲を伺う。魔物と会敵している騎士団員たちは、傷を負いながらも方円陣を崩すことなく、持ち場で剣を振るっている。
カイネはその場に居る魔物を追うように視線を動かして、それからもう一度剣を構えた。顔の前で、騎士が宣誓をするように――。
瞬間、空中におびただしい数の光の刃が現れて、それらが散り散りになっている魔物を一つずつ、丹念に、潰すように貫いていく。危機に瀕して逃げ出した魔物をも、その光の刃は見逃さなかった。
すぐに周囲が静かになる。殿下が「さすが」と言いながらカイネの肩を軽く叩いた。
魔物の声は、もう、聞こえない。殿下は剣を地面に突き刺すと、そのままゆっくりと目を瞑る。カイネと同じく、殿下の剣も、杖としての役割を担っているのだろう。はめ込まれた魔法石が軽く光り、周囲の濁った空気を弾くように、殿下の剣から風が波状のように生まれ、消えていった。
「消えたな。――危機は去った! おのおの、身を休めるように」
「メル、大丈夫だった?」
直ぐにカイネが剣を鞘に戻し、私を見る。私は慌てて首を頷かせて、それから、カイネによって壊滅させられたといっても過言ではない魔物へ視線を向けた。
なんというか、ご愁傷様、と言う言葉しか出てこない。人や農地を襲い、荒らす魔物たちには、あまり同情をする気持ちは湧いてこないけれど、それでも。
「だ、大丈夫。その、……兄様って……強いんだね」
「ふふ。凄いでしょう? 実は強いんだよ」
いや、知ってはいたけれど。まさかここまでとは。
「それに杖も……剣と併用している?」
「よく気付いたね。凄いなあメルは。そう。杖と剣を持っていたんだけれど、毎回持ちかえるのが大変だから。少し工夫をして、新しい剣を作ったんだよ。どうかな?」
サーベルの意匠を、カイネの指先が撫でる。私は小さく頷いて、それから「すごい、似合ってると思う」と言葉を続けた。
「兄様って凄いんだなあ……」
「そんなに言われると照れちゃうな。ありがとう、メル。でも、メルも凄かったじゃないか」
兄様に比べると全然、何も出来なかった気がする。思わず小さく笑うと、カイネは私の手を握った。そうして、「初めて魔物と会敵して、あんな風に頑張って魔法を出せるなんて――凄いよ」と、優しげに笑う。
「メルは強いね。兄様は鼻が高いよ。メルが許してくれるなら、持ち上げて騎士団の皆に自慢したいくらい」
「そ、それだけはやめて」
「そう? そっか。うん、ねえ、メル。守ってくれてありがとう」
カイネは私を見つめる。とろけそうなくらい、甘い色を滲ませた瞳だった。私は小さく頷いて返す。
……あれを守った、と言って良いのかは、ちょっとわからないけれど。まあでも、カイネが喜んでくれているなら、それでいいか。
ただ、もう少し魔法の練習は必要かもしれない。色々な魔法を学んでおくことで、実戦でも戦略の幅をきかせることが出来る。もっと頑張ろう、と心の中で決意しながら、私はカイネの両手を、そっと握るようにもう片方の手を重ねた。
「……何がですか?」
「何がって。カイネと同じ天幕で寝起きしたんだろう?」
二日目の行軍。昼もほど近く、そろそろ馬を休ませるのも兼ねて休憩を取るか、という話題が出た。森の中、適度に開けた場所で、荷台に積んでいた堅めのパンをもそもそと食べていると、殿下が嬉しそうな顔をして開口一番セクハラをかましてきた。表情に苦い色が浮かぶのを抑えきれない。
「何かって……家族ですよ。何もありません」
「そう? でも騎士団内は君の噂で持ちきりだ。あのカイネ様が、女性を自身の天幕に招くなんて、なんてね」
カイネは、どうやら軍勢の指揮を執っているようで、私の傍には居ない。殿下の言葉を聞かれなくて良かった、と少しだけ安堵しながら私は首を振った。
「本当に――何もありません。私のことを心配してくれただけです。初めての行軍ですから」
「そう? そうかな。僕はそう思わないけど。カイネは君に執着してるよ。いやあ、面白いよね。楽しいな。君、これからも騎士団兵舎に遊びに来てくれたら良いのに。その度にカイネをからかえる」
殿下は軽い口調で言葉を続けると、私の傍でパンを口にする。食べているものは、ほとんど私と同じものだった。
恐れ多くも、皇位継承権第一位の人であるというのに、食事は変わらないのか、なんて思いながらじっと見つめる。殿下はすぐに私の視線に気付いて、それからパンを軽く振った。
「食事が同じなのがそんなに不思議?」
「それは……、ええと、はい。もっと何か、殿下は違うものを食べるのかと」
「最初はね、僕専用に色々と用意されていたんだよね。でもまあ、途中から止めたんだ。僕だけのために料理を用意するのも手間だろう? そんなもの用意している暇があれば、団員には他のことをしてもらいたいしね」
言いながら、殿下は固いパンをむしる。スープも配られているので、食事の際は固いパンをスープに浸し、柔らかくしてから食べるのが普通のようだ。
魔法がある世界といえど、食料は魔法で生み出せるわけではない。運ぶにしても、魔法で物を運ぶ方法は今のところまだ上手く行っていないらしく、人に頼るところが大きい。そんな背景があるからこそ、殿下は自身のために物を一つ多く運ばせるのではなく、他と同じものを口にすることで荷を減らそうと考えたのだろう。
「固いパン、最初は食べられなくてさ。本当、どうやって食べたら良いんだと思ったんだけど、君はそうでもないみたいだね。きちんと食べ方を知ってる」
「褒め……て、くださってます、よね?」
「褒めてるよ。食べられない、って騒ぐような子どもじゃないんだな、って。良いことだ」
それって貶している感じではないだろうか。というか、そんなことで騒ぐような子どもだと思われているのだろうか。
「カイネがわざわざ天幕に呼んだくらいだから、もしかして実の所箱入りで、カイネに泣きついているんじゃないかと思ったけれど」
「そんなことはしません」
「そうみたいだね。うん、助かるよ。今後も行軍の手伝いに呼び出されることも多いだろうし、その時はよろしくね」
殿下は嬉しそうに微笑んで、それからスープに口をつける。少し塩のきいたスープは、全体的に薄味である。物資が限られているから仕方無い。南部に着いたら、恐らくきちんとした食事を口にすることになるだろう、と思う。
「行軍の手伝い、……そんなに多くなるんですか?」
「そうだね。それはもう。多くなると思う。――父上が、そう仕向けているからね」
「仕向けて……?」
殿下は私をじっと見る。そうしてから、「うん、この話はここでおしまい」とだけ続けた。
「ごめんね。僕はまだ君のことを信用していないんだ。だから、次、話すとしたら――君が僕の信用に足るかどうか、がわかってから、かな」
「どういうことなんですか……」
「言ったとおりだよ。ねえ、カイネのこと、好きだろう、君」
殿下は囁くように、それでいて、意思を確認するように言葉を口にする。
カイネのこと。もちろん、好きだ。
「もちろん。好きです。家族ですから」
「そう。僕もね、好きだよ。星の子の関係で比べられることが多いけれど、カイネのことは好敵手と思っている」
てらいのない言葉だった。だからこそ、本心であることがなんとなくわかる。――陛下は、ミュートス家に対して悪印象を強く持っているようだが、どうにも、殿下はそうではない――のかもしれない。
今の所、推測の域を出ないけれど。
頭の中で思考を巡らせつつ、私は「兄様が聞いたら、喜ぶと思います」と続ける。殿下は息を吐くように言葉を続け、「そう思う?」と少しだけからかうように言葉を続けた。私は何度も頷きながら、「後で兄様に言ってみます」と続ける。
「やめてよ、変に思われそう」
「そんなことは無いような――」
きっとカイネに伝えたら、殿下にそう思われていることを変に思うことはないだろう。多分だけれど、ちょっと嬉しく思ったり、しそうな気がする。
ぼんやり、カイネのことを頭の中に思い浮かべる。瞬間、――和やかな空気をつんざくような、音が響いた。
慌てて耳を塞ぐ。沢山の獣の声を、混ぜ合わせたかのような、そんな音だった。
「な、何!?」
「――魔物だ!」
誰かが叫ぶ。
魔物。紡がれた言葉を頭の中で繰り返して、慌てて手を振り、杖を呼び出した。手になじむそれを握り絞めながら、周辺へ視線を向ける。
おのおの、休憩時間を楽しんでいたであろう騎士団員がすぐに臨戦態勢を取るのが見えた。殿下の代わりに指揮を執っていたカイネが「殿下! メル!」と駆け寄ってくる。
「兄様、魔物って――」
「メルは私の傍に。殿下、魔物が出た以上、混乱を防ぐために指揮を執ってください」
「僕が? 僕よりカイネの方が指揮は得意だろう? それに魔物といっても、あの感じなら小物だろう」
殿下が僅かに眉根を寄せる。カイネが僅かに顎を引き、それからすぐに「――どうか。皆、あなたの指揮を待っています」とだけ続けた。有無を言わせない口調である。
「わかったよ。皆、陣形を展開し、魔物に備えよ!」
殿下が軽く首を振り、それからすぐに剣を掲げるように持った。散り散りになっていた騎士団員がすぐに揃い、殿下を中心にして陣形を整える。
丸く、円のような陣形――方円陣、である。隊が区画毎に四つに分かれており、どこからの敵にもすぐに対処が出来る。カイネが私を背において、それから鞘から剣を引き抜いた。
サーベルのような、片手剣だ。持ち手の部分に僅かな意匠が組み込まれていて、宝石が柄の部分に埋め込まれているのが見える。多分、魔法石だろう。
魔法を使う時に必要とされる杖としての機能と、接近戦での剣としての機能を併せ持っているように見える。
四方八方から、獣の呻き声が耳朶を打つ。変に反響していて、どこから音がするのか、全然わからない。
魔物。元々、南部の泉が枯渇してから魔物による被害が出ているという話だし、もしかしたら道中会うかもしれない、とは思っていたけれど、こんなに早く遭遇することになるなんて。
狩猟祭以降、魔物と会う機会はほとんど無いと言っても良いくらいだった。魔法や剣の練習は日々積み重ねるべく続けているが、実戦でそれがしっかり出せるかどうかは、――ちょっとだけ、自信が無い。
意識をせずに居ると呼吸が少しだけ速くなる。杖をぎゅうっと握り絞めていると、カイネがちら、と流し目でこちらを見て、それから「大丈夫だよ」と言葉を続ける。
「何があっても、兄様が守ってあげるからね」
「兄様――」
喉の奥がぎゅうっと萎む。カイネは私の傍に居て、私を守ってくれようとしている。だから多分、私を安心させるように声をかけてくれたのだろう。
ああ、でも、そうじゃない。私が――私が、カイネを守らなければならないのだ。
ぎゅうっと杖を握る。
「私が――私が、守る。守りたい。兄様を!」
魔力を杖に通わせる。呻くような声がそこかしこに反響して、不意に途切れた。地面を蹴る蹄の音が耳朶を打つ。木々の梢が重なるように軋み、葉を擦りながら音を出す。
自信はない。けれど、積み重ねてきた努力は、私を裏切らないはずだ。
木々の影を縫って、何かが――大きな黒い影が、いくつか飛び出す。魔物の群れのようだ。四足歩行のそれらが、勢いよく人々を狙って跳躍するのを眺めて、私は手を伸ばした。杖を振るって、風の魔法を繰り出す。
跳躍した魔物に、その魔法が当たる。くの字に彼らの体が折り曲がり、地面に叩きつけられた。だが、直ぐに体勢を取り直し、こちらに進んでくる。
魔法。魔法を。風ではいけない。炎はここでするには燃える要素が多すぎて危ない。なら残るは土か、水だ。
土で狙い撃ちをしよう。そう考えてすぐに杖を振るう。会敵が始まったのもあって、剣を振るう音が少し遠くから聞こえた。
魔法で練り上げられた、拳の大きさの石を飛ばす。その内いくつかがあたり、魔物が地面に倒れるのが見えた。良かった、とほっとするのも束の間、すぐに後続の魔物たちが、倒れ伏した仲間を踏みしめて私たちの所へやってくる。
大きさは、おおよそ大型の犬くらいだろうか。それが跳躍をした。避ける、という選択肢は無い。すぐに結界を張った、瞬間。
カイネがかまえていた剣を、軽く振り落とした。剣の先が、魔物に向けられる。まるで獲物を指し示すような、そんな仕草だった。
カイネの剣、その柄に取り付けられた魔法石が軽く光り、瞬く間に魔物が地面に縫い止められる。その体の中心を貫くように、光の刃が刺さっているのが見えた。
――カイネの、魔法だ。
魔物は、まだ生きていた。自身の体を縫い止める光の刃からもがきながら逃れようとする。血液が地面に黒く滲み、広がっていくのが見えた。その頭上に、体を突き刺す光の刃と同じものが、いくつも――いくつも浮かび上がる。
「終わり」
カイネが静かに囁く。瞬間、光の刃が魔物の体を貫く。何度も何度も。――惨殺、といっても、過言では無いほどに。ほどなくして、魔物は動かなくなった。
カイネが剣の先を下げて、周囲を伺う。魔物と会敵している騎士団員たちは、傷を負いながらも方円陣を崩すことなく、持ち場で剣を振るっている。
カイネはその場に居る魔物を追うように視線を動かして、それからもう一度剣を構えた。顔の前で、騎士が宣誓をするように――。
瞬間、空中におびただしい数の光の刃が現れて、それらが散り散りになっている魔物を一つずつ、丹念に、潰すように貫いていく。危機に瀕して逃げ出した魔物をも、その光の刃は見逃さなかった。
すぐに周囲が静かになる。殿下が「さすが」と言いながらカイネの肩を軽く叩いた。
魔物の声は、もう、聞こえない。殿下は剣を地面に突き刺すと、そのままゆっくりと目を瞑る。カイネと同じく、殿下の剣も、杖としての役割を担っているのだろう。はめ込まれた魔法石が軽く光り、周囲の濁った空気を弾くように、殿下の剣から風が波状のように生まれ、消えていった。
「消えたな。――危機は去った! おのおの、身を休めるように」
「メル、大丈夫だった?」
直ぐにカイネが剣を鞘に戻し、私を見る。私は慌てて首を頷かせて、それから、カイネによって壊滅させられたといっても過言ではない魔物へ視線を向けた。
なんというか、ご愁傷様、と言う言葉しか出てこない。人や農地を襲い、荒らす魔物たちには、あまり同情をする気持ちは湧いてこないけれど、それでも。
「だ、大丈夫。その、……兄様って……強いんだね」
「ふふ。凄いでしょう? 実は強いんだよ」
いや、知ってはいたけれど。まさかここまでとは。
「それに杖も……剣と併用している?」
「よく気付いたね。凄いなあメルは。そう。杖と剣を持っていたんだけれど、毎回持ちかえるのが大変だから。少し工夫をして、新しい剣を作ったんだよ。どうかな?」
サーベルの意匠を、カイネの指先が撫でる。私は小さく頷いて、それから「すごい、似合ってると思う」と言葉を続けた。
「兄様って凄いんだなあ……」
「そんなに言われると照れちゃうな。ありがとう、メル。でも、メルも凄かったじゃないか」
兄様に比べると全然、何も出来なかった気がする。思わず小さく笑うと、カイネは私の手を握った。そうして、「初めて魔物と会敵して、あんな風に頑張って魔法を出せるなんて――凄いよ」と、優しげに笑う。
「メルは強いね。兄様は鼻が高いよ。メルが許してくれるなら、持ち上げて騎士団の皆に自慢したいくらい」
「そ、それだけはやめて」
「そう? そっか。うん、ねえ、メル。守ってくれてありがとう」
カイネは私を見つめる。とろけそうなくらい、甘い色を滲ませた瞳だった。私は小さく頷いて返す。
……あれを守った、と言って良いのかは、ちょっとわからないけれど。まあでも、カイネが喜んでくれているなら、それでいいか。
ただ、もう少し魔法の練習は必要かもしれない。色々な魔法を学んでおくことで、実戦でも戦略の幅をきかせることが出来る。もっと頑張ろう、と心の中で決意しながら、私はカイネの両手を、そっと握るようにもう片方の手を重ねた。
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