海の向こうの永遠の夏

文月みつか

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第2章 永遠の夏

23.修学旅行といえば

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「絶対にのぞかないでね」
「はいはい、わかったって」

 まるで興味なさそうに、というか迷惑そうに海が言う。

 まだちょっと、本当にちょびっとだけ幽霊が怖かったので、お風呂に入っているあいだはせめて誰かに1階にいてほしくて、海には食堂で待機してもらうことにした。

 浴室はうちのお風呂と比べてそんなに広くはなかったけど、石のタイルの床と木の浴槽で、ちょっとした温泉旅行気分になれた。

 そしてさっき砂浜でかいた汗を流してすっきりしたところに、やつは現れた。

「イヤーーー!!!」

 一目散に脱衣所に逃げこみ、浴室の戸をバチンと閉める。

「はあ、はあ」

 心臓がバックバクに脈打っている。
 もう、なんでこんなところに出るのさ!?
 ドンドン、とドアがノックされる。

「おーい、大丈夫か?」
「だ、だ、大丈夫!」
「本当に出たのか、幽霊」

 とっさにバスタオルをつかんで体に巻きつける。

「大丈夫だってば! 今開けたら殺すからね!」

 ブツブツと何か文句を言いながら海は脱衣所の扉から遠ざかっていった。
 ふう、と息をついてからなるべく急いで服を着て、脱衣所から出た。

「で、何があったわけ?」

 海がじとーっとした目で見てくる。

「出たんだよ、ゲジゲジが……」

 黒くて、無数の足を持ったそいつは、わさわさと蛇行しながら石の壁を這い上り……思い出すだけでゾッとする。

「なんだ、そんなことか」
「なんだ、じゃないよ! こっちは無防備なのに。丸腰で出くわしたときの心細さ、わかる!?」
「うーん、たしかに。いやかも」
「かもじゃないって! あーもう、ゆったり湯舟につかろうと思ってたのに」
「わかったから、ちょっと落ち着けよ。肩、はだけてるし」
「えっ」

 慌てて浴衣を整える。しかも、流したばかりで水分をたっぷり含んだ長い髪が、浴衣を濡らして透けそうになっていた。ったく、踏んだり蹴ったりだよ今日は……。

「髪乾かしてくる!!」

 飛び上がって2階へかけあがるあたしを、海はぽかんとして眺めていた。



 信じられないことに、海はあのお風呂でたっぷり30分は湯舟につかっていたらしい。アレと遭遇するのが怖くないのか聞いたら、「別に死ぬわけじゃないし」だって。死ぬかと思ったよ、あたしは。
 それから「じゃ、おやすみ」と言ってさっさと部屋に引き上げようとする海の腕をつかんだ。

「ちょい待ち」
「……なんだよ」
「せっかく旅館に泊まるんだから、夜は枕投げとか恋バナとかしなきゃダメでしょ」
「俺にとっては普段通りの家なんだけど」
「あたしにとってはスペシャルなの」
「なんでもかんでも定番のノリに持っていこうとするの、疲れないか?」
「ぜんぜん。すごく楽しい」
「……ここに来た理由、覚えてる?」
「最高の夏休みバカンスを過ごすためだよ」
「えっと、俺のために青春を取り戻すとか言ってなかったっけ?」
「うそうそ、覚えてるよもちろん」

 わあ、今思い出した!!

「眠いんだけどな」

 もう、おじいさんじゃないんだから。若者よ、夜更かせ!

「お願い! 枕投げがいやならトランプもあるからさぁ」

「わかったから裾を引っ張るな、服が伸びる」と海がしぶしぶ了承する。

 というわけで、海の部屋にお菓子とジュースを持ち込み、ババ抜き大会が始まった。

「それにしても、住んでるにしては殺風景な部屋だね」

 そろったハートとクラブの7を捨てる。

「寝泊まりするだけだからな。服とか、欲しいと思ったものは勝手に出現するし」

 海がスペードとダイヤのキングを捨てる。

「楽ちんだね。でもそういうことじゃなくて、お気に入りの家具とか雑貨を置きたくならないのかなって」

 今度はスペードとクラブの3がそろった。

「趣味のない人間なんでね」

 海がダイヤとハートの4を捨てる。

「つまんない……」

 クラブとダイヤのジャックがそろったところで、あたしは手札を投げ出した。

「悪かったな、つまらないやつで」

 海も手札を全部床に投げ出した。

「海のことじゃなくて、ババ抜きのことだよ。2人でやってもずっとババの在り処わかるし、手札はやたらそろうから面倒だし」
「やりたいって言ったのはそっちだろ」
「だってさぁ、海は知ってるゲームないって言うんだもん。説明するの面倒くさいじゃん」
「引きこもりほどトランプと縁がないものはないからな」

 わぁーと畳の上に広がったトランプを混ぜてかき集める。このあと神経衰弱もやってみたけど、海が強すぎて3連敗してしまった。

「か、勝てない……!!」

 やけになってジンジャーエールを一気飲みする。

「千夏が弱すぎるんだよ」
「暗記科目って苦手なんだよね」
「それ、暗記科目以外が得意な人間が言うセリフだろ」
「いじわるな言い方だなあ!」

 バリッとポテチをかじる。破片が畳に散って海がいやそうな顔をしたので、あたしも眉間にしわを寄せながらそれを拾ってゴミ箱に捨てた。

「……トランプはもういいや。恋バナでもする?」
「引きこもりほど恋バナと縁がないものはない」
「だよね、ごめん」
「謝られてもいやだけどな。話聞くだけならいいけど」
「えー、なんであたしが」
「言い出したのそっちだろ。3回も負けたんだから、罰ゲームで」

 うう……トランプなんてやるんじゃなかった。

「えーと、それじゃあ……」

 あたしは何を話そうかと、それらしい記憶を探る。

「小6のときだったかな、同じクラスの男の子に告白されたんだけど……」
「マジかよ。どんなやつ?」
「あたしの机にバッタをけしかけたり、ノートに勝手に『ジャイアン』とか落書きしてくるような子」
「おう、わかりやすいやつだな……で、返事はしたのか?」
「もちろん、ノーだよ。どうせまたからかってるんだと思って、グーパンして逃げ帰った」
「あーあ、かわいそうに」

 海がわざとらしく肩をすくめる。

「まさかグーで返されるとは思わなかっただろうな、その子も。しかも逃げたのか」
「だって、小6だよ? そろそろ力では男の子にかなわないなって悟るころじゃん。やり返される前に逃げなくちゃ」
「もっと話を聞いてやればよかったのに」
「だってさぁ……」

 あたしも動揺してたんだよ。

「で、そのあとは? 同じクラスだったんだろ?」
「うん。二度といたずらしてこなくなって、せいせいしたよ」
「気の毒に」
「なんであっちの肩持つの?」

 あたしは腹が立ってきて、「恋バナ終了!」と叫んだ。

「あと2回分残ってるけど」
「えー、もう十分でしょ」
「小学生のころの話だし、内容的に大したことなかったから」
「もう、ひどいなぁ……だいたい、あたしが恋愛経験豊富なタイプに見える?」
「それもそうか」と失礼な相づちをする海。
「じゃあ今気になってる人とか、いねえの?」
「今?……別にいないけど」
「ほら、自転車屋の兄ちゃんとか」
「えっ、達緒たつおさんのこと?」

 意外なところに話がとんだ。

「小さいころはときどき遊んでもらってたけど、最近はあんまり。あ、でもこの前サイクルたけだのバイトで久しぶりに会ったっけ。気のいいお兄さんって感じで、そんなふうには考えたことなかったなあ」
「へえ……」

 何よ、その疑り深い目つきは。
 そういやあたしが海のことを話すと、万里もよくそんな目をしていたっけ。

「たしかに、危ないところを助けてもらったりはしたけど……え、なに、もしかして焼きもち焼いてるの?」
「そんなわけないだろ」

 鼻で笑われた……むかつく。

「達緒さんはね、自転車であちこち旅して回ってるんだって。そんなふうな生き方も憧れるよね」
「そうだな……」
「あたしなんか、進学したいのか就職したいのかもよくわかんない。飽きっぽい性格だから、テキトーな道選んでも途中で投げ出しそうだし。ちゃんとやりたいことがあって努力してる人はすごいと思う。でも、決まった夢はないけど目の前の試験とか頑張れる人もすごいと思う。適度に力を抜いて、のらりくらりと生きてる人も、それはそれですごい。なんていうかな、自分以外の人はみんなすごくて、自分だけが取り残されているような、そんな感覚になるんだよね、最近」

 グラスの氷が溶けて、カランと鳴った。

「だから、だからね。海がいなくなっちゃうかもって思ったら、すごく怖くなったの。みんながあたしを置いていくのに、海もいなくなるなんて、耐えられないと思って」

 おかしいな。恋バナしてたはずなのに、鼻水が出てきそう。

「ごめん。海のこと助け出すんだとか言ってたけど、本当は自分のためだったの。ごめんなさい」
「泣くなよ……」

 どこからか出てきたティッシュの箱を、海が差し出す。

「わかってたよ、そんなこと。俺だって千夏をこんなところに引きとめておくのはよくないと思ってたんだ。本当なら、こんな不自然な世界からとっとと追い出すべきだった。でもできなかったんだよ。俺も怖かったから。たったひとりで消えてくのが」

 凪のように穏やかだった海の声が、最後だけちょっと震えた。
 なんだ、海も怖かったのか。
 あたしたちはなんて強がりで、不器用なんだろう。

「じゃあ、お互い様だね」
「まあ、そういうこと」

 勢いよくふーんと鼻をかんで、ゴミ箱に投げ入れた。

「それで、あと1回分罰ゲームが残ってるけど」
「……うそでしょ!? せっかくいい話ができたとおもったのに、まだやるの?」
「千夏に恋バナが無理だっていうことがよくわかったから、代わりに俺が……」
「えっ、海の初恋の話、とか!?」
「怖い話をしてあげよう。夏といえば怪談、だろ?」

 部屋の四隅に突然、「ぼうっ」と音を立ててろうそくが出現した。

「いや、そういうのいらない……」

 ていうか、海の不思議な力ってこういう演出もできるんだ。すっごい、無駄遣い。

「これはある男が、ひとりで温泉旅館に泊まったときの話だ。その旅館は海の近くにあり、年のいった女将が一人で切り盛りしていた。その日は男のほかに客はおらず……」
「マジで、お願いだから止めてぇ」

 さっきとは違う意味で泣きそうになりながら耳をふさいだ。

「久々の客だと女将は喜び……男は豪華な料理と広々とした温泉に満足し……女将のすすめで夜の海へ散歩に……海上には無数の海ボタル、空には無数の星々が輝く幻想的な世界……その向こうに、ぞっとするほど美しい若い女が……男は靴のまま海へと入り……」

 耳をふさいでいるのに、指のすき間から漏れ聞こえてくる。
 知らない! あたしは何も聞いてないから!

「……おぼれかけて……たまたま通りかかった人に助けられ……しかしそんな宿は存在せず……気になって夜も眠れず……再びかの地へ……」

 ふっとろうそくが消えた。

「以来、その海岸にはときどき海を眺める男の幻が見えるという」

 ああ、もう……海のバカやろう……。

「どう? 怖い話なんて、初めてしたんだけど」

 海はどこかすっきりとして、憑き物が落ちたような顔をしていた。

「べ、別に。ずっと耳ふさいでたし。全然怖くなかった」
「あ、そう。残念だな。さて、そろそろ寝るか。千夏も自分の部屋に戻れよ。コップとかの片づけは大サービスで俺がやっておくから」
「ちょ、ちょっと、これでお開きなんて、あんまりじゃない? 片付けはあたしがやるから、もう少し起きてようよ……そうだ、夏休みの宿題持ってきたんだ。今やるから、付き合ってよ」
「いやぁ、もう眠いし。高校行ってない俺が手伝えることは何もないだろう。悪いけど、ひとりで頑張ってくれ」
「わかった。手伝わなくていい。何もしなくていいから、この部屋のすみっこを使わせて」
「明るい部屋だと眠れないんだよな」
「真っ暗でいいよ! 問題なんて読んでも読まなくてもどっちみちわかんないし!!」
「……よくわかった。俺には怖い話をする才能がある」
「こんな最悪なタイミングで新しい自分を発見しないで!」

 この世界にいるのが海だけじゃなかったら、気絶するほど力をこめてぶん殴ってやったのに!!



 布団は思ったよりも清潔感があって、かすかに樟脳のにおいがした。

「ねー、もう寝た?」

 となりの布団で背を向けて横になっている海に話しかけてみる。

「……そんなにすぐ寝れねえよ」

 向こうを向いたまま海が答えた。

 結局、ひとりじゃ怖くてどうしようもなかったので、海の部屋におじゃましている。
 六畳の部屋に2組の布団を敷いたら、床の面積がほとんどなくなった。
 せっせと布団を敷きはじめたあたしに、「高校生にもなって同部屋はまずいだろ」と文句を言われたけれど、それもこれも夜中に怪談話なんかした海が悪い。

「宿題はどうしたんだよ」
「あきらめた。今さらあがいたって成績に大した影響はないし」
「潔いな。悪い意味で」
「本当のことだから……ねえ、あの天井のしみ、人の顔に見えない?」
「気にするな。眠れなくなる」

 不思議だなあ。海と並んで寝てるなんて。

「今日、楽しかった?」

 ちょっと間をおいて、「うん」と返事が聞こえる。

「明日、いったん家に帰るね。思ったより時間のずれがあるみたいだから」
「……おう」
「でもまたすぐ来るから。勝手にいなくならないでね」
「………」
「海、もう寝た?」

 すーすーと規則正しい寝息が聞こえる。でもなんとなく、うそっぽかった。答えるのが面倒くさくなったのかもしれない。

 眠りにつく前に一度、枕元のスマホの画面を確認した。夏休み最後の日が終わろうとしていた。

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