まれぼし菓子店

夕雪えい

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番外 ホットコーヒーでひと息ついて

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「木森さん!ちょっとだけお時間ある日、ありませんか?」

 すっかりまれぼし菓子店の常連になったいつもの顔から声をかけられて、木森希はかたまった。ホワイトデーの少し前のことである。
 ホワイトデーとなるといつも繁忙を極めているこの店と木森の様子を見てくれての質問だろう。
 彼女の要件もまさにホワイトデーに関することなのだと検討がついた。
 即答できないでいると、相手の顔は少し陰って、心配そうに首を傾げた。その様は小動物を思わせる。

「忙しいですよね。無理にとは言えないんだけど……」
「……いや、大丈夫だ」
 慌てて、これまたかたまりかけている頭を働かせる。
 ホワイトデー周辺は難しいが、その後ならまた仕事は平常運転になる。すぐに日付を告げる。

「ホワイトデーの後なら……、週末の夜なら」
「おやすみなんですか?」
「早上がりなんだ。店の前に来てくれれば……いるんで」
「わかりました!じゃあ週末の夜。いつもくらいの時間に来ますね!」
「……おう」
 どこまでも明るく彼女は約束を結んでいった。


 ことの始まりはバレンタインデー。
 木森は彼女にチョコレートアソートを渡した……それも手作りの。なかなかの力作だったと思う。
 重い男だなと作った後に思ったが、彼女の方はというとあまり気にしないで嬉しそうに受け取ってくれた。
 それが嬉しいような悲しいような、複雑な気持ちでもあったが……。つくづく面倒くさい男だと我ながら思う。

 ともあれ、渡して一応の満足を得たのだが、彼女はと言うと、そこでちゃんと好意を返してくれるタイプの人間なのだ。
 気にしなくても良い、といったものの、おかえしを用意してくれているらしい。
 悪いような嬉しいような。これまた複雑な気持ちなのである。

 自分の作るお菓子を食べて、本当に幸せそうな顔をしてくれる彼女。
 悩んだ時には真摯に付き合ってくれて、木森がひとりではまりがちな泥沼から抜け出す手伝いをしてくれたこともある。
 決して話しかけやすいタイプとは言えない強面の木森にも、彼女は臆さないで話しかけてくる。今では他愛ない話もするようになった。
 そんなことで、と思われるかもしれないが、そういう存在は木森にとって十分すぎるほど特別なものだった。

「……はあ。……変な感じにならねえといいけど」

 今の関係は居心地が良い。
 ただもう一歩先に進めたら。
 バレンタインの試みは、彼にしてみれば思い切ったものだった。
 それだけに関係性がもしや崩れてしまわないだろうか、という心配は、今も背中の辺りをうろついている。
 ホワイトデーまでの仕事の忙しさに助けられる形になって、あまり考えずに済んだのは幸いだったかもしれない。


 ついに、今日は約束の日。
 春の陽気が夜になっても続いていたので、木森は店の外のベンチで彼女がやってくるのを待っていた。
 そわそわしている姿を見て、手嶌も星原も何も聞かずに察してくれたようである。約束の時間の少し前に、テイクアウト用のカップに入れたホットコーヒーを二つ、渡してくれた。

 そして……。

「木森さん!こんばんは!おまたせしましたか?」
「いや、全然」
「良かった!隣、座っても大丈夫ですか?」
「……おう」
 もちろんと言いかけたのだけれど、なんだか気恥ずかしくなって押し殺し、目を逸らしてしまった。
 いかん、このままではいつもの調子だと思っていると、彼女の方から口を開いてくれた。

「こないだは素敵なバレンタインのチョコ、ありがとうございました。おかえし、色々悩んだんですけど……」
「いいって言ったのに」
「いえ、気持ちですので!とっといてください!わたしのチョイスを!それでですね……」
 と言いさして、彼女はカバンをあさり、綺麗に包装されたあまり大きくはない箱を手渡してくれた。

「これ。木森さんならこれかなと思って選んでみました」
「……開けてみてもいいか?」
「もちろん!どうぞどうぞ」

 なんだろう。彼女が悩んで選んでくれたものとなると、心臓が高鳴るのを感じる木森である。
 慎重に包装紙をあけていき、箱のフタをあけると、中にあったのは綺麗なボールペンだった。
 ボディはブラッシュドメタルで、シンプルながらも高級感のある感じ。すらりとして機能的で、飽きがこなさそうな、一言で言うととても良い品物のように見えた。

「初めはお菓子にしようか迷ったんですけど、まれぼし菓子店ほど好きなお菓子屋さんはなかなかなくて。それで、木森さん、よくノート書いているからボールペンなら役に立つかなって思って」
「……」
「……び、微妙でした?」
「……いや」

 やっぱりちゃんと見ていてくれたことが嬉しくて、不覚にも目の奥が熱くなりそうになっていた。
 木森は器用な方ではない。教わったことも、思いつきもノートに書いて手を動かし、またノートを書いて改め、手を動かし。その繰り返しと練習で今日までやってきた。そんな部分を見落とさずに見ていてもらえた気がしたのだ。

 早くお礼を言わなくてはいけないのにと、焦りつつ、ペンを大事にしまい、深呼吸してやっと言葉をつむぎ出す。

「……ありがとう。すごく、良いものだ」
「!良かった!木森さんにはすごくお世話になっているし、喜んでほしかったので、嬉しいです!」
「……ああ、」

 感謝の気持ちも、好意も、上手く言葉にならないのがもどかしい。
 彼女の笑顔から伝わってくる気持ちが心底ありがたく、また、眩しくもある。
 軽く目を逸らした拍子に、ふと手元のコーヒーのことを思い出す。

「……これ。飲むといい」
「あ、コーヒー用意してくれてたんですか?ありがとうございます。いただきます」
「……おう」

 少し前に用意してもらったホットコーヒーは、苦味も酸味も落ち着いた心地よいもので、そしてちょっとだけ温くなっていた。
 しばらく沈黙が流れる。けれどそれは、決して気まずい沈黙ではなかった。

「木森さん、さりげなく優しいですよね」
「……そうか?」
 不器用なだけだと思うが、とは言わなかったが。
「このコーヒーもそうですし。それにわたしの方……お客さんの方を向いてお菓子を作ってくれている気がするんです。それって優しいなって」
「そうか」
 目指していることだった。だから、そう出来ているなら、何より嬉しいことだった。

「好きですよ」
「……!?」
「木森さんのそういうとこ、わたしは」
「げほっ!ごほっ!」
 ホットコーヒーを吹きそうになって何とかこらえたら盛大にむせた。
 彼女の唐突なところにいつもしてやられてしまう。
「あっ、すみません!?」
「げほっ……大丈夫だ」
 情けない姿を見せたと思うと、顔に血が上って来て、そっぽを向くしかなくなってしまうのだ。

「……木森さん、来年もまたこうしてコーヒー飲みましょうね」

 その時の彼女がどんな顔をしていたかは、見えなかった。
 ただ木森は、今度は出来るだけしっかりした口調で答えた。

「おう。あんたなら歓迎だよ。次は菓子も、作ってやる」
「……えへへ。宜しくお願いします」

 春の夜。咲き始めているいくらかの花が、月明かりの下で揺れている。
 二人はそのまましばらく、少し温くなったコーヒーをすすりながら、朧月夜のコーヒータイムを楽しんでいるようだった。
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