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5章 婚礼の儀へ

5-3 婚礼の儀

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 あまり進んでいる実感のなかった婚礼の儀の準備が、ここへ来て着々と進行している。ライラの作るドレスはほぼ完成し、あとは体型に合わせた微調整を行うのみだ。会場となる儀礼場の装飾も済み、そこで当日の流れも確認した。城全体が祝事の雰囲気でふんわりと浮かれている。

 ちくちく、ちくちく。

 シルヴァンの目を盗んで、フィリスは準備の合間に針を刺していた。自分の髪色に似た生地の隅に、スカートを履いた女性のシルエットを白で、角の生えた男性のシルエットを黒で描いている。手を取り合った二人の図は、もちろんフィリスとシルヴァンのイメージだ。
 聖女と魔王が手を取り合う。それができるのだから、人間と魔人が手を取り合うこともできるはずだ。諍いを続けるのではなく、対話によって見つかる落とし所があるかもしれない。考えてみる価値はあるのではないかと、そう伝えてみたい。
 そんな願いを込めた刺繍も、婚礼の儀の前日には出来上がった。

「シルヴァン様……今日の夜、お時間はありますか?」

 夕飯を食べながら、フィリスはそう切り出した。いよいよ明日が婚礼の儀である。あのハンカチは、その前に渡しておきたかった。

「ある。俺もお前に、そう声をかけようと思っていたのだ。一度自室へ寄ってからお前の部屋へ行くから、待っていてくれ」
「はい、わかりました」

 言われた通りに、フィリスは自室で待つ。リサが気を利かせたのか、今はひとりだ。鏡台の上に綺麗に畳んだハンカチを置き、刺繍をぼんやり眺めているとやがてノックの音がした。

「どうぞ」
「入るぞ」

 静かに入ってきたのはシルヴァンである。

「ふむ……ライラの部屋がここまで綺麗になったか。リサはさすがだな」

 興味深そうに辺りを眺めるシルヴァンを見て、この部屋に彼が入るのは初めてであることに気づいた。
 会うのはいつも食堂、ごく稀に執務室であった。こうして自分の部屋にシルヴァンが居るのを見ると、何だか不思議な気持ちになる。
 シルヴァンはゆったりとした動作で部屋に入り、寝台の端に腰掛けてこちらを見た。椅子の座面のほうが高いので、フィリスから見ると少し見下ろす位置である。こんな高さから彼を見たのも初めてだ。何気ないひとつひとつのことが妙に意識され、どぎまぎした気持ちになる。

「お前の用件から聞こうか」

 シルヴァンの声掛けで、フィリスははっとして動き始める。鏡台に置いた、畳んだハンカチ。それを両手で持ち、シルヴァンへと届ける。

「婚礼の儀の記念に……これを、お渡ししたくって」
「……手巾か?」
「はい。ライラさんが、明日の婚礼の儀では胸元にこれを飾ってもいいだろうと仰ったので、今日お渡ししたかったんです。先日サディロ街に行ったのは、この布と糸を買うためでした」
「布と糸……この色は、お前の髪によく似ている」
「ネフィリア王国では、大切な人には自分の色を送る習慣があるんです」

 フィリスはそれを、戦場の騎士達から学んでいた。彼らの恋人や妻から届く贈り物には、彼女の瞳の色や髪の色が取り入れられていた。それを大切そうに扱う騎士達の姿を覚えていたのである。

「そうか……これは、お前の代わりなのだな」

 シルヴァンは、広げたハンカチをそっと畳んだ。その優しい手つきに、自分が大切に扱われているような感じがして、フィリスの胸はきゅんとする。

「それで、その刺繍は……」
「俺からもお前に、贈るものがある」

 間が合わず、シルヴァンと言葉が重なる。刺繍に込めた願いを伝えたかったフィリスだが、胸元からシルヴァンが取り出した美しい作りの小箱に目を引かれ、用意してきた台詞を続けるタイミングを逃してしまった。
 ころんとした作りの小箱が、シルヴァンの手によって開かれる。中にきらめく小さな宝石に、フィリスは見覚えがあった。

「これって……」
「以前お前から預かったものだ」

 白い輝きの、小さな涙型の宝石。ペンダントとして加工されていたそれが、今はこの小箱の中にある。

「俺はここに懺悔する。『婚礼の儀に必要だ』と言ってこの宝石を預かったが、あれは嘘だった。何か強い力を放つこれを脅威に感じた故に、お前を城に置くにあたって奪い取ったのだ」
「……そうだったんですね」

 嘘、という言葉にフィリスの胸がちりりと震える。

「疑って悪かった。これはお前に返す」

 シルヴァンの指先がそっと宝石を摘み、ゆっくり引き上げる。それは指輪だった。白く輝く宝石が、黒く美しい輪に嵌められている。

「指輪……」
「婚礼の儀では、婚姻を示す指輪を着けることになっている。お前には、これを着けてほしいと思ったのだが……どうだろうか」
「この台座は、何でできているんですか?」
「俺の角を削って作らせた」
「角を……?」

 フィリスは驚き、シルヴァンの角をまじまじと見つめる。長い角に、変化があるようには見えなかった。

「もう角は戻ったぞ。……折角の記念だからな。お前のものと俺のものを、取り合わせて作りたいと」
「ああ……嬉しいです」

 フィリスが刺繍に自分とシルヴァンを縫い込んだのも、同じ理由である。やり方は違えど、同じことを考えていた。そんなことに喜びを覚える。

「嬉しいか? それなら良かった。あの時の嘘を、嘘のままにしておきたくなかったからな。婚礼の儀に必要なものに仕上げて返したくて、今日になってしまった」

 シルヴァンの自然な微笑みを見つめるフィリスの胸は、途端に痛む。
 婚礼の儀にいるから寄越せという、今思えば大したことのない嘘をすらシルヴァンは気にして、こうして形にして返してくれたのだ。ならば自分は? 嘘を、嘘のままにしているのではないか。

「手を貸してくれ。……ふむ、ぴったりだな」

 シルヴァンに左手を取られ、黒くひんやりとした指輪が薬指に通される。シルヴァンとフィリスの結びつきを示す、黒と白の指輪。
 指輪のサイズを確かめ、満足そうな声と共に顔を上げるシルヴァン。目が合うと、彼は不思議そうに首を傾けた。

「どうした? ……何の顔だ、それは」
「嬉しいんです」
 
 嬉しいから、辛い。こんなに素敵なことをしてくれるシルヴァンを相手に、フィリスはまだ、最初の嘘を嘘のままにしている。愛していると言った、あれは嘘だったと。いっそ打ち明けてしまいたい衝動、シルヴァンに失望されることへの恐怖、罪悪感。ぐるぐる渦巻く感情が、フィリスの表情を引き攣らせる。

「嬉しくって、何だかうまく笑えなくて」
「そんなことがあるのか。難儀な奴だな」
「はい……」

 そしてまた、誤魔化すために嘘を重ねる。
 フィリスは、左手を大切に胸元へ引き寄せた。指輪ひとつ分の重みが愛おしい。シルヴァンの気持ちが嬉しいという、ただそれだけを純粋に伝えたかった。
 全てを正直に打ち明ける勇気は、まだフィリスにはなくて。

「また明日。ゆっくり休め、フィリス」
「あ……おやすみなさい」

 刺繍に込めた願いには触れられぬまま、シルヴァンを見送ってしまうのだった。

***

 婚礼の儀には、城中の者が集まる。儀礼場はいっぱいになり、中には見たことのない者もいた。
 フィリスは淡いクリーム色のドレスを、シルヴァンは宵闇色の衣装を着ている。いずれもライラが作ったものだ。ここだけの話、着飾ったシルヴァンは目を見張るほどに美しく、視界に入る度にフィリスの胸はどきんと跳ねた。

「おめでとうございますう、フィリス様」
「ありがとうございます、リサさん……美味しそうですね、それ」
「とーっても美味しいですう。毎晩これが出たらいいのにい」

 挨拶に来たリサは、肉串を頬張っている。
 婚礼の儀、という名で何となく荘厳な儀式をイメージしていたが、実際はお披露目会という雰囲気だった。最初にひと言ずつ挨拶をした後は、各自が美味しい料理に舌鼓を打ちつつ、隙を見て言葉を交わし合う。

「いやあ、めでたい! 乾杯致しましょう、シルヴァン様!」
「お前と乾杯するのはもう五度目だぞ」
「はっは! また参ります。めでたい席ですから、全力で祝わねば」

 シルヴァンのところにも、入れ替わり立ち替わり大勢が挨拶に来る。皆彼の幸福を喜ぶ表情をしており、彼がいかに慕われているかがよくわかる。
 やはり彼は、優しくて良い王なのだ。人間と手を取り合い戦いが終われば、魔人達も大手を振って外へ出られる。彼らにとっても良いことなのだから、シルヴァンも検討してくれると思う。

(……だけど、もう少し)

 フィリスはそれを後回しにする。今そんな話をして、この幸福に水を差すことになったら悲しい。
 聖女としての使命より、フィリスとしての願いを。今ここにいるのは、「聖女フィリス」ではなくただのフィリスであった。
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