忘却の彼方

ひろろみ

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五歳編

五十五話 襲撃⑤ (肇)

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 響子の悲鳴が響き渡った。少年、少女達の胸から顕現した鎖が響子の胸を貫き、地面に描かれた幾何学模様が呼応するように輝き始めた。身体の動きだけではなく、魔術までも封じられた響子には、どうすることもできなかった。

 「そのまま精霊を引き摺り出せ。最後まで気を抜くな」

 「はい……」

 「了解で……す」

 「わかり……ました」

 「はぁ……はぁ……」

 響子の胸を貫いた鎖が強制的に引き戻されていった。四人の少年、少女達も苦しそうにしていた。だが、彼らにはどうしても叶えたい夢があった。世界をひっくり返すという夢だ。夢のためならば、この程度の苦痛は耐えてみせる。

 少年、少女達の覚悟は本物だった。平和な世の中をつくるため、必ずや儀式を成功させてみせる。少年、少女達は雄叫びを上げながら、氣を全力で解放した。まるで鎖で綱引きをしているようだった。油断すると身体ごと持っていかれそうだった。響子は状況を素早く察知し、鎖を引き千切ろうとする。

 しかし、鎖は予想以上に強固で引き千切ることはできなかった。時間を掛ければ掛けるほど身体中の氣を吸われ、魔術を扱うことが困難になっていった。唖然と固まっていた香苗が慌てて響子のもとに近寄ろうとする。

 「響子様っ……」

 「香苗、こちらに来てはいけないわ。私の中にいる精霊を強制的に引き摺り出そうとしているみたい……クッ……このままでは……」

 「なッ……今すぐに鎖を断ち切ります。しばらくお待ち下さい。№2と№3は早急に鎖を引き千切って。時間がないわ」

 香苗は慌てながらもゴレームに鎖を引き千切るように指示をする。二体のゴーレムが鎖に触れ、力の限りに引っ張った。ゴレームの腕力ならば簡単に鎖を引き千切れると思い込んでいた香苗は、予想外の展開に混乱する。鎖は引き千切れるどころか、ゴーレムの手足に絡みつき、氣を吸い取り始めたのだ。

 「香苗、この鎖は氣を吸い込んでいるみたいよ。ゴーレムと貴方の氣を吸収しているわ。早急にゴーレムを消しなさい。じゃないと貴方にまで危険が及ぶわ」

 「しかし、それでは響子様が……」

 「良いから。指示に従って」

 「……分かりました」

 香苗は完全に冷静さを失っていた。慌ててゴーレムを消し、響子のもとに駆け寄った。響子は苦しそうな表情を浮かべ、鎖を力一杯に握っていた。響子の身体の中で精霊がドクンと反応したのが分かった。不味い。このままでは精霊が外に出てしまう。

 「クッ……このままでは精霊が出てしまう。契約が強制的に上書きされているみたい。こんなこと初めてだわ。精霊が反応するなんて……」

 「なっ……どうすれば……」

 香苗は辺りを見渡しながら思考を巡らせる。完全にパニックに陥り、思考が纏まらなかった。豪雨が降り注ぎ、暴風が吹き荒れ、気温も下がり、正常な判断ができなかった。鎖に触れると氣を吸われ、危険な魔術だということが理解できた。

 「仕方ありません。術者を殺すしか選択肢がありません」

 「駄目よ。あの子達はまだ子供なのよ?」

 「響子様、そんなことを言っている場合ではありません」

 香苗が術者である少年のもとに、慌てながらも駆け寄った。素早く接近すると、拳を振り落とした。しかし、肇が拳を受け止め、暴風が香苗に襲い掛かった。冷静さを失った香苗に躱せるはずもなく、勢いのままに吹き飛ばされた。

 「邪魔をしないで」

 「邪魔をしているのは貴様らだ」

 香苗は肇を睨み付けながら、大きな声を上げる。怒気を含んだ物言いだが、肇は相手にしていなかった。肇は四人の少年、少女達の身体の周りに風の結界を纏わせると、戦闘態勢を取った。あと少しで精霊を顕現させることができる。

 「きゃぁぁああぁ……」

 その時、響子が悲鳴を上げた。鎖が引き戻され、響子の身体から精霊が引き摺り出された。その姿は美しかった。大きな翼を広げ、咆哮を上げる精霊に目を奪われた。上半身は人間の女性の姿を象り、下半身は鱗で覆われていた。その姿はお伽話に出てくる人魚そのもの。翼の生えた人魚を目の前に、肇は興奮が治まらなかった。

 「人魚……風祭家の精霊は酉だと思い込んでいたが、人魚だったのか……」

 「不味いわ。不完全な状態で顕現してしまったわ……あなた達、何てことを……」

 「あれで不完全だと?信じられん。凄まじい氣で溢れている」

 精霊の苦しそうな咆哮が響き渡り、辺りは静寂に包まれた。周囲で抗争を続けていた肇の部下も宗家の従者も手を止め、精霊を見入っていた。透き通るような白い肌に、腰まで伸びた藍色の髪の毛。この世のものとは思えないほどに美しかった。

 しかし、その表情は怒りに染まっていた。大きな瞳は鋭さを増し、精霊の身体から溢れんばかりの氣が満ち溢れていた。精霊が殺気立っていることが一目で理解できた。無闇に刺激すると暴走しかねない。さすがの肇も状況が良くないことを悟った。

 「精霊よ。私の言葉が理解できるか?我々の主と契約をして欲しい」

 精霊とは敵対する訳にはいかない。啓二と契約して貰うため、穏便に済ませたいのが本音だ。だが、精霊は興奮状態にあり、会話もできない状態だった。怒りに身を任せたような咆哮を繰り返し、周囲の人間に威嚇を繰り返していた。

 「円華。私の身体に戻りなさい。いきなりのことでビックリしてしまったのでしょう?怒らなくて良いわ。落ち着いて。私はここにいるわ」

 響子は精霊の円華に向かって、懸命に語り掛けた。だが、意識が混乱しているのか、響子の声にも反応を示さなかった。その時だった。円華の怒りに呼応するように地面から水が噴出し、大きな津波となって周囲の人間を丸ごと呑み込んだ。

 「くっ……まどかっ……落ち着きなさい」

 「これほどとは……」

 さすがの肇も驚きを隠せなかった。咄嗟の判断で風を纏い、空に逃げ果せた。お蔭で肇は難を逃れたが、肇の部下と宗家の者は一撃で全滅した。その場に残されたのは響子と香苗と肇の三人だけだった。人間が扱う魔術など幼稚に思える一撃だった。

 「最悪の結果だな……」

 辺りは水浸しになり、巨大なクレーターが湖のようになっていた。円華は未だに咆哮を繰り返し、危険な状態だ。肇の部下は全員が死に、儀式も中途半端な状態のまま終わってしまった。本来ならば精霊との契約を、一時的に上書きすることで手懐けるつもりだった。だが、精霊の逆鱗に触れたのか、儀式を続けることが困難になった。

 「これでは精霊を手懐けることは不可能だ」

 「あなた達の行いの結果よ。精霊だって生きているの。思考して生きているの。感情だってある。人間と大差はないのよ。あなた達が行った儀式は精霊を物として扱う行為なの。円華が抗うのも無理はないわ。こうなってしまった円華は誰にも止められない。きっと気が済むまで暴れるわ」

 「ならば力で屈服させるまで。貴様らに恨みはない。去れ」

 「円華は私のパートナーよ。このまま放置できないわ」

 「なら貴様から殺す。手加減はできないぞ?」

 「初めから殺すことが目的なのでしょう?」

 「勿論だ」

 肇は空中から急降下しながら響子に接近すると、拳の連打を繰り出した。響子もやられてばかりではない。肇の拳に合わせるように自らの拳を連打せる。拳と拳がぶつかり合った衝撃は凄まじく、空間が何度も揺らいだ。響子を女性と侮ってはいけない。細い身体をしているが、肇と互角に渡り合っていた。

 肇が蹴りを繰り出すと、響子も蹴りを繰り出した。両者の足が交差し、轟音が鳴り響いた。肉弾戦では互角。一歩も譲れない攻防が続いた。このままでは無駄な時間を浪費するだけだ。肇は響子から距離を取り、魔術を繰り出した。 
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