氷血辺境伯の溺愛オメガ

ちんすこう

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「いひゃいっ!」
「『仕方ない』なんて、二度と言ってはいけない」

 ちょっとびっくりしたけど、一瞬鈍痛がしただけですぐにほっぺは解放された。引っ張られた頬をさすりながら見上げると、ユージーンはまっすぐに僕を見つめ返してくる。

「君は自分がされてきたことに、怒る権利がある」
「怒る……権利?」

 おうむ返しに訊ねると、ユージーンは深く頷いた。

「この国では、オメガ性だからって誰かにへりくだらなくていい。過剰に謙遜しなくてもいい。我々はみな対等だ。ひどい仕打ちを受ける運命を『わきまえる』必要なんてない」
「ちょっと、むずかしい、です」

 正直に言うと、ユージーンは意表を突かれた顔をした。

「そうか。そうだな。君はまだ幼いんだった」

 大きな手が髪に触れ、撫でてくる。

「今、全部を理解しなくてもいい。ただ一つだけ覚えておいて。
 カナン――君の価値は、君自身が決めるんだ」

 ユージーンの言葉は、すっと僕の胸に入ってきて深く沈みこんでいった。
 今までずっと、誰かに首輪を繋がれて管理されてきた人生だ。急に突き放されても、権利とか自由とか言われても、実感が湧かない。
 でも、領主様に刷り込まれてきた『オメガとしての振る舞い方』よりも、ユージーンの語る言葉のほうが心にしみこむ感じがした。

「さあ、検診はおしまいだ。体を洗っておいで。湯に浸かると最初は傷が沁みるだろうけど、すぐ楽になる」





 更衣室の奥に装飾を凝らした白い扉があって、そこを開くと大理石の床でできたバスルームが広がっていた。ルームというより、ここだけでお屋敷みたいだけど。

「うわぁ、おっきい!」

 もくもくと蒸気が立ちこめた浴場は、長方形のお風呂を中心にゆったりとした造りになっていた。
 壁も床も乳白色で、お風呂のお湯も似た色をしている。
 奴隷館にいたころはまともに入浴することなんてなかったから、抑えきれないくらいの興奮がこみあげてきた。

「ほ、本当に入っていいんですか? 僕が!」

 貸してもらったタオルを腰に巻き、横を向く。服を着たままのユージーンが笑って頷いた。

「もちろん。ゆっくり体を休めておいで」

 優しく背中を押され、お風呂のそばまで歩く。

「中に入る前に、そこの桶を使って軽く流すといいよ」

 浴槽の手前に木桶が置いてあった。これを使って体にお湯をかけるのがマナーらしい。
 えっと……。
 ぎこちない動作でお湯をすくって、首からかけてみる。あたたかい。気持ちいい。
 ……けど、頭はどうするんだろう。顔も洗うべき?

「えっと……えと……」

 もたもたしていると、いつの間にか隣に来ていたユージーンが別の桶で僕の肩にお湯をかけてくれた。

「あ……ありがとう、ございます」
「ううん。僕がしたいだけだから、気にしないで」

 ぱしゃ、ぱしゃ。
 綺麗な水が――ダチュラにいた頃なら間違いなく飲み水にしていただろう透き通ったお湯が、僕の体を滑って白い床に広がっていく。

「湯加減はどう。熱くない?」
「大丈夫です。気持ちいい……」

 本当は冷えきった肌には焼けつきそうな温度だったけれど、これ以上わがままを言いたくなくて首を縦に振った。
 ユージーンは唇を緩めて、桶に湯を掬い、僕にかける動作を繰り返した。水が跳ねて自分の服が濡れるのも構わずに。
 広い浴場には僕と彼の二人きりで、水が床を打つ音だけが響く。
 大きな手は優しく、壊れ物に触れるように僕の体を撫でた。人にこんな風に触られたことがなかったから、なんだかお腹の内側がふわふわ浮いてるみたいな気分になる。
 心地良くて立ったまま寝てしまいそうだった僕に、気遣わしげな声が言った。

「直接触れてしまってすまないね。君の肌はまだ過敏な状態だから、布でこすると傷んでしまいそうで」
「そんな、全然いいです! 僕こそこんなことまでしていただいて、ありがとうございます」

 変な空気。お互いが相手に遠慮して、気を遣ってる。まるで僕とこの人が対等みたいに。
 優しい指に洗われるうちに、軽く拭ったくらいじゃ落ちなかった垢も浮かんで取れて、下からもともとの白い肌が現れてきた。
 こんなに汚れていたんだと思うと……しかもそれをユージーンの手で洗われていると思ったら、恥ずかしくて顔が熱くなる。

「ごめんなさい。僕、き、きたなくて」
「ん? カナンの体がちゃんと生きてる証拠だろう。なにも恥じることはないよ。――それに」

 ざぱ、と背中やお腹にお湯がかけられる。
 肩をぬぐっていたユージーンの手が、僕の胸にかぶさった。

「――ほら。肌が薄く赤くなって……綺麗だ」




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