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【第二話:氷血辺境伯と“ジギタリスの間”】
しおりを挟む「カナン、おはよう」
「ユージーン! おはよ……うひゃぁっ!?」
部屋に入ってくるなり、ユージーンは僕の肩を抱き寄せて頭に顔を埋めた。
彼と出逢って、はじめてのヒートを迎えた二日目。
病室を訪れたユージーンは、グレーの三つ揃えを着ていた。
朝の早い時間だけど、すでにあの研ぎ澄まされた美貌が輝いていて眩しい。
「朝食はもう食べた?」
「はい」
ずっと気にかけてくれているのはありがたいものの、一つ気になっていたことを質問してみた。
「あの、僕にばかり構っていただいて、大丈夫なんですか? お仕事とか」
「暇な職業だからだいじょうぶ」
溶けるような笑顔で返された。ホントだろうか。
「髪、少し切ったんだ。さっぱりしていいね」
「わっ」
つむじのところから『ちゅっ』と可愛らしい音がして、急に恥ずかしくなる。
ユージーンはいつも落ち着いていて、表情は真顔か微笑するかのどちらかだ。そんなふうなのに、こういうことをしてくるからよく分からなかった。
「看護師さんに切ってもらったんです。先のほうが絡まったりしちゃってたので」
「うん。よく似合う」
どういうつもりなのか訊こうと思いながら、いつも機会を逃してしまう。今日も先に話を振られてしまったから、この件についてはなあなあになった。
「朝ごはんは何が出た?」
「えっと、まだ本調子じゃないからって、トマトリゾットを出してもらったんですけど……ベーコンがすごく美味しかったです」
ユージーンは少し体を離して、僕の髪を撫でながら言った。
「そうか。まあ、もうすぐ普通の食事にありつけるようになるだろうから辛抱して。ベーコンが好きなの?」
「なんでも好きですよ。でも、あんな分厚いお肉初めて食べたから、感動して」
奴隷用の粗食に慣れていると、一人前のお皿にごろごろ肉が入ってるのは衝撃的だった。ほかほかのお米も、熟した甘いトマトも最高だった。
ユージーンは僕の髪から頬に手を滑らせる。
「そんなに喜んでもらえると嬉しいな」
指が僕の唇に触れる。少しどきりとしたけど、ユージーンの表情は変わらない。
「だいぶ血色がよくなったね」
「あなたのおかげで。お医者さんから、ここのお部屋代を払ってくれたのはユージーンだって聞いたんだけど……いいんですか?」
「気にしないで」
僕に与えられた病室は、とても安い部屋には思えなかった。広々とした個室で、清潔な柔らかいベッド。
赤の他人の僕にこんなに気前よくお金を出してくれるこの人は、何者なんだろうか。
「あなたは、何をしている人なんですか?」
すり、と唇を撫でられる。
透けるようなまつ毛の下で、緑の目がじっとそこを見つめているように見えた。
長い沈黙を挟んで、単語で答えが返ってくる。
「辺境伯」
「えっ!?」
辺境伯。文字通り、国の辺境を司るひとのことだ。
とんでもなく偉い人だ。うちの国にも居たから、どんな存在かは知ってる。
「う、嘘っ!? だって、まだすごく若いのに」
「父が早死にだったので、数年前に位を受け継いだんだ。管轄地は国境付近だから、この病院の代表も一応僕になっている」
だからこんな破格の待遇を用意できたんだ……!
なにも知らなかったことが急に畏れ多くなって、とっさに体を離そうとした。
が、強い力で抱き寄せられて背中に腕が回される。
「あの、申し訳ありません……! 僕、何も知らなくて。僕なんかがっ」
「僕があえて言わなかっただけ。カナンはそのままでいていいよ」
ふわっと甘い香りに包まれる。ユージーンの体はぽかぽかしてあったかい。
僕はこの熱と匂いに弱くて、こわばっていた体が弛んでいった。
「あまり階級なんか気にされると、お願いがしづらくなっちゃうから」
「お願いって……?」
背中を包んでいた手が後頭部に回される。そこを何度も優しく撫でながら、ユージーンはぽつりと呟いた。
「君は可愛い」
「そ、そんなことは……奴隷館でもCランクでしたから」
「下種どもの見る目のなさなんて知らないよ。君は初めて会ったときから美しかった。この黒い髪も、撫でるとつるつるしてて気持ちがいいんだ」
この人、言う相手間違ってない……?
ユージーンは、まるで愛を囁くように……とろけるような低音を、僕の耳に注ぎ込む。
「君の肌も、声も……出逢ったときからずっと惹きつけられている。磨けばおそろしいほど綺麗になるんだろうな。アルファはみんな君の虜になって、口説こうとするだろう」
冷たい指が耳たぶを軽く摘み、柔らかくもてあそぶ。くすぐったさと、何か違う別の感覚がこみ上げてきそうになって、ぐっと息を詰めた。
「でもそのときにも……この耳が聴くのは、僕の言葉だけであってほしいな。一番はじめに君を見つけたのは僕なんだから」
耳に湿った感触があって、唇で挟まれたんだと分かった。
「ぁ……っ♡」
ぞくっとして、肩が震えた。でもこの震えは、領主様の客に触られたときとは違う。心を握り潰される感じじゃなく、花びらでそっと撫でられているようだった。
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