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しおりを挟む「君の個人的な関心でぶしつけな質問をするな。不愉快だ」
「は。失礼いたしました」
おじいさんは息を呑んで青ざめると、深々と頭を垂れた。少し薄くなったつむじが見えるくらいに……まっすぐ伸びた肩が細かく震えている。
「申し訳、ございませんでした」
「謝る相手が違うのでは?」
おじいさんはハッとして僕のほうを見上げ、また深々と頭を下げた。
「カナン様。この愚輩が大変失礼いたしました」
「え!? そんな、僕は全然っ」
慌てて下げられた頭を起こそうとすると、ユージーンの腕にそっと阻まれた。無言で首を振られ、僕が黙ると、彼はその下げっぱなしの頭に言う。
「この子は君たちが用意した『器』とは違う。彼には最大限の敬意をもって接するように」
「はい。重々承知いたしました」
――『器』……?
ユージーンがそう口にしたとき、そこにありったけの憎悪が込められているように聞こえた。
「ロウ。君は僕の信念を少しは理解していると思っていたんだがな」
ロウ、と呼ばれたおじいさんを見下すユージーンの瞳には明らかな侮蔑の色が滲んでいて、声はとげとげしい。
周りの人たちはその威圧感に気圧されて黙り込んでしまい、それがさらに今すぐ逃げ出したい空気を作り出していた。
『氷血辺境伯』のあだ名は伊達じゃない。
「くれぐれも履き違えないで。僕は君たちの思惑に沿って動いたわけじゃない」
「存じております。この度は旦那様のご期待を裏切り、誠に……」
その後の言葉は続かない。ロウの声はブルブルに震えていた。
ちょっとかわいそうかもしれない。
「ユージーン」
邪魔にならないか様子を窺いながら、ユージーンの服の袖をそっと引いた。
「性別のことなら、僕は大丈夫だよ。気にしてないから」
氷柱みたいに鋭い横顔がわずかにこちらを向く。目の奥でぎらぎら燃えていた青い炎が、少し鎮まった……ように見えた。
「もういい。下がれ」
「は」
まだ顔を伏せたままでいるロウを下がらせて、ユージーンは僕に向き直った。
「すまなかった、カナン。みっともないところを見せたね」
「いいえ……僕は本当に、まったく気にしてないですから」
ユージーンはしばらく黙り、それから気を取り直したように微笑んだ。
「出鼻をくじかれてしまったけど――ここが君の新しいすみかだ。君が快適に過ごせるよう尽力するから、気を張らずゆっくり過ごしてほしい」
温かくて大きな体に抱き締められる。ちゅっと素早くおでこにキスを落とされた。
「それでは、僕は所用があるので出かけてくるよ。夕食までには戻るから、そのときにまた会おう」
それだけ言い残すと、ユージーンは僕を離し、屋敷を出ていった。
残された僕はあちこち見渡しながらそわそわする。
――ここが、僕の新しい家。
豪華な内装ときらびやかな照明に、大勢の使用人たち。
元いた世界とは何もかもかけ離れていた。
「それではカナン様、お部屋にご案内いたしますわ」
ぽーっと見惚れていると、頃合いを見計らったようにメイドさんが声をかけてきた。赤い髪を高い位置で二つ結びにした女の子だ。
「あ、ありがとうございます」
「いいえ、滅相もございません。さあ、二階に参りましょう」
階段を昇っている途中でメイドさんの自己紹介をしてもらった。彼女はクレアといって、ここに勤め始めて四年になるらしい。
「わたしは孤児院で生まれ育ったのですが、十二歳のときにそこへ慰問に来られた旦那様……と言ってもそのときはまだ坊ちゃんでしたけど、あの方に雇っていただいたんです。もうすぐ院を出なければいけなかったので、とてもありがたかったんですよ」
「僕と同じですね」
首を傾げるクレアに、僕はここへ来るまでの経緯を簡単に説明した。
「……まあ」
北斗のことは伏せておいたけど、奴隷館でのことや国境で撃たれた話だけでもユスラ人の彼女には衝撃的なようだった。
「あの人は、そんな僕を救ってくれた。ユージーンは性別とか身分に関係なく弱ってる人を助けてくれる、優しい人なんですね」
「えっ? えー……まあ」
てっきりクレアも同意してくれると思ったのに、なぜか妙に歯切れの悪い返事が返ってきた。
「クレアさん?」
「あ、いえ。なんでもございませんことよ。そうですわ、旦那様はとーってもお優しいお方です! いたらんことを喋ったらシメられちまうからな……げほっ! ごほっ!」
「クレアさん!?」
激しく咳き込みだした彼女の背中をそっと擦ると、苦笑いしながら大丈夫です、と制された。
「ちょっと持病が出てしまいました、失礼。それはさておき、カナン様にはあの方がそういう風にお見えになっているのですね」
「はい。こまめにお見舞いに来てくれたり、行き場のない僕をこのお屋敷で雇ってくれたり、感謝してもしきれないです。それに……オメガを対等に扱ってくれる人なんて、初めて会いました」
正面階段から二階に上がって、右側に向かう。
突き当りを左に曲がり、しばらくしてもう一度左に曲がると、奥のほうに通路があった。
「あの通路の先に『ジギタリスの間』がございます。そちらがカナン様の私室でございますよ」
案内をしてくれてから、クレアは急に足を止めた。つられて僕も立ち止まると、じっと顔を見つめられる。
「旦那様は、カナン様を溺愛しておられますのね。わたし、あの方があんなふうに笑うところ初めて見ました」
「え……?」
丸い目をくりくりと瞬かせるクレアに戸惑う。
「それってどういう……ユージーンさんって、どんな方なんですか? 病院の先生たちにも似たことを言われたんですけど」
クレアは困ったように笑って、人差し指を顎に当てた。
「そんな質問をされたのは初めてですわ。このあたりの誰もが、あの人を氷血辺境伯と呼ぶんですもの」
「その氷血って」
「冷血漢。そのままの意味ですよ、それをほんの少しばかり濁しただけです」
彼女はあっさりとそう言った。
「や、雇い主のことをそんな風に言っていいの?」
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