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第一章 出会い
02. 恋の芽生え
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大広間の隣にあるホールには、飲み物と軽食が用意されていた。
俺は壁際に立ち、よく冷えたレモネードで喉を潤した。
室内を観察する。
男女だけでなく、男性同士のペアもいた。見るからにオメガだと分かる、可憐で華奢な青年が屈強な青年と指を絡め合っている。眺めているだけで、ふたりのあいだに流れる濃密な空気に当てられてしまいそうだ。
「フィーラン・アレクシスくんだね」
不意に耳元で囁かれて、俺はビクッと肩をこわばらせた。知らない男性の声色はなんだかねっとりしていて不気味である。
俺の隣に張り付いているのは、蛇を思わせる狡猾そうな顔立ちの男性だった。お父様の政敵だろうか?
社交の基本は敬して遠ざけるということだ。露骨に嫌そうな表情をしてはならない。
俺は作り笑いを浮かべた。
「はい、フィーランは俺ですが……」
「僕はイルギノ。ラグナ侯爵家の嫡男だ。先ほどのきみの歌声、素晴らしかったよ」
「ありがとうございます」
「……ベッドでは、きみはどんな声で啼くのかな?」
そわりと手の甲を撫でられて、怖気が走った。この人、俺をそういう目で見てるのか? レナートと違って性的魅力がないことに悩んできたけど、こんなセクハラ発言をされても嬉しくない。
「俺はそういった会話には不慣れですので。他の方をあたってください」
「分かっていないなぁ。僕はね、きみみたいにしっかりと男らしい体格をしたオメガちゃんが好きなのさ。しかもきみは王の御前で歌を披露するほど度胸があるときている。……前も後ろもべろべろに舐めてあげたくなる」
「ひっ」
イルギノ様が俺の手首を掴んだ。手汗で湿っている。不快極まりない。でも、ラグナ侯爵家といえば、わがノヴィス伯爵家よりも家格が上だ。これ以上お父様の政敵を増やすわけにはいかない。
「怖い? じゃあ、お薬をあげようか。一滴垂らしただけで効くから。天国に連れて行ってもらえるよ」
イルギノ様が俺のグラスに、蓋が開いている謎の小瓶を近づけた。香りだけでクラクラしてくる。もしかしてヒート誘発剤が入っているのか?
謎の小瓶から滴り落ちたピンク色の雫が、レモネードと混ざり合った。
冗談じゃない。王城でヒートを起こしたりしたら一大事だ。
それ以上に、俺はイルギノ様のやり口に腹が立った。立場の弱いオメガを食い物にしようとするだなんて許せない。
「さあ、飲んで」
「そんなに俺と寝たかったら、薬に頼らないで自力で魅了してみやがれ!」
俺が啖呵を切ると、イルギノ様がポカンと口を開けた。
「きみさあ。僕に向かってなんて言ったか分かってる?」
「ええ。充分に」
「……地味顔の男オメガなんて誰にも相手にしてもらえないだろうに。哀れな子だね」
「哀れなのは貴殿の方です」
会話に割って入ってきたのは、精悍な顔立ちの青年だった。イルギノ様よりも上背があって、体つきも立派である。年の頃は俺よりも三、四歳ほど上であろうか。
青年は白い手袋を外した。
まさかイルギノ様に決闘を申し込むのか? 俺が焦っていると、青年の手の甲に聖紋が浮かんだ。
「水の神よ、私に力を」
青年が聖句を唱えた瞬間、ホールの室温が一気に冷えた。そして、イルギノ様が怪しい液体を垂らしたレモネードがグラスごと凍りついた。
「これはヒート誘発剤が入っていると思われる危険物です。処分してください」
給仕係にそう命じると、青年は俺の顔を覗き込んだ。北の海を思わせる黒に近い藍色の瞳が心配そうに揺れている。
「助けに入るのが遅くなってすみません。私はアレス・ガルヴァーン。ゼガルド辺境伯の嫡男です」
「はっ! 異国相手に武器を振り回すことしかできない蛮族が。アルファとオメガの神聖な出会いの邪魔をしてくるんじゃない!」
イルギノ様が憎々しげに声を絞り出した。
しかし、アレス様は眉ひとつ動かさなかった。
「神聖な出会い? ヒート誘発剤がオメガの方にとってどんな意味を持つのかご存知ないのですか?」
「オメガなんてのは、僕みたいに地位とルックスがいいアルファに抱かれたくてアソコをびしょびしょに濡らしている淫獣だ! ちょっとつまんだぐらいで罪には問われない!」
「救いのないお方だ……」
アレス様は再び魔法を発動させた。氷でできた鎖が現れ、イルギノ様の手首を戒める。
「衛兵よ。イルギノ様は少々飲みすぎてしまったようだ。別室をご用意して差し上げろ」
「承知いたしました」
「……ゼガルド辺境伯の小倅め! 覚えていろ……っ!」
「私も忘れませんよ。世の中にはあなたのような悪党がいるということを」
イルギノ様は衛兵ふたりに連れられて、ホールから出ていった。
俺はアレス様に向かって深々と頭を下げた。
「申し訳ありません! 俺のせいで、侯爵家に睨まれることになってしまって……」
「お気になさらず。イルギノ様の素行については、侯爵家も手を焼いているそうですよ。それよりも、ご気分が悪くはありませんか? 怪しい薬を嗅がされたようなので」
「そうですね、ちょっと外の空気が吸いたいかも……」
「では、バルコニーに参りましょう」
アレス様が遠慮がちな手つきで俺の肩に触れた。
互いの顔が近くなる。
この人、結構まつ毛が長いんだなと思った瞬間、俺は花園にいざなわれたような心地になった。アレス様がそばにいると、ものすごくいい香りがする。甘いけれども、しつこくない。ネロリのような匂いだ。
もしかして、アレス様は俺の運命の番? いや、まさか……。
俺は壁際に立ち、よく冷えたレモネードで喉を潤した。
室内を観察する。
男女だけでなく、男性同士のペアもいた。見るからにオメガだと分かる、可憐で華奢な青年が屈強な青年と指を絡め合っている。眺めているだけで、ふたりのあいだに流れる濃密な空気に当てられてしまいそうだ。
「フィーラン・アレクシスくんだね」
不意に耳元で囁かれて、俺はビクッと肩をこわばらせた。知らない男性の声色はなんだかねっとりしていて不気味である。
俺の隣に張り付いているのは、蛇を思わせる狡猾そうな顔立ちの男性だった。お父様の政敵だろうか?
社交の基本は敬して遠ざけるということだ。露骨に嫌そうな表情をしてはならない。
俺は作り笑いを浮かべた。
「はい、フィーランは俺ですが……」
「僕はイルギノ。ラグナ侯爵家の嫡男だ。先ほどのきみの歌声、素晴らしかったよ」
「ありがとうございます」
「……ベッドでは、きみはどんな声で啼くのかな?」
そわりと手の甲を撫でられて、怖気が走った。この人、俺をそういう目で見てるのか? レナートと違って性的魅力がないことに悩んできたけど、こんなセクハラ発言をされても嬉しくない。
「俺はそういった会話には不慣れですので。他の方をあたってください」
「分かっていないなぁ。僕はね、きみみたいにしっかりと男らしい体格をしたオメガちゃんが好きなのさ。しかもきみは王の御前で歌を披露するほど度胸があるときている。……前も後ろもべろべろに舐めてあげたくなる」
「ひっ」
イルギノ様が俺の手首を掴んだ。手汗で湿っている。不快極まりない。でも、ラグナ侯爵家といえば、わがノヴィス伯爵家よりも家格が上だ。これ以上お父様の政敵を増やすわけにはいかない。
「怖い? じゃあ、お薬をあげようか。一滴垂らしただけで効くから。天国に連れて行ってもらえるよ」
イルギノ様が俺のグラスに、蓋が開いている謎の小瓶を近づけた。香りだけでクラクラしてくる。もしかしてヒート誘発剤が入っているのか?
謎の小瓶から滴り落ちたピンク色の雫が、レモネードと混ざり合った。
冗談じゃない。王城でヒートを起こしたりしたら一大事だ。
それ以上に、俺はイルギノ様のやり口に腹が立った。立場の弱いオメガを食い物にしようとするだなんて許せない。
「さあ、飲んで」
「そんなに俺と寝たかったら、薬に頼らないで自力で魅了してみやがれ!」
俺が啖呵を切ると、イルギノ様がポカンと口を開けた。
「きみさあ。僕に向かってなんて言ったか分かってる?」
「ええ。充分に」
「……地味顔の男オメガなんて誰にも相手にしてもらえないだろうに。哀れな子だね」
「哀れなのは貴殿の方です」
会話に割って入ってきたのは、精悍な顔立ちの青年だった。イルギノ様よりも上背があって、体つきも立派である。年の頃は俺よりも三、四歳ほど上であろうか。
青年は白い手袋を外した。
まさかイルギノ様に決闘を申し込むのか? 俺が焦っていると、青年の手の甲に聖紋が浮かんだ。
「水の神よ、私に力を」
青年が聖句を唱えた瞬間、ホールの室温が一気に冷えた。そして、イルギノ様が怪しい液体を垂らしたレモネードがグラスごと凍りついた。
「これはヒート誘発剤が入っていると思われる危険物です。処分してください」
給仕係にそう命じると、青年は俺の顔を覗き込んだ。北の海を思わせる黒に近い藍色の瞳が心配そうに揺れている。
「助けに入るのが遅くなってすみません。私はアレス・ガルヴァーン。ゼガルド辺境伯の嫡男です」
「はっ! 異国相手に武器を振り回すことしかできない蛮族が。アルファとオメガの神聖な出会いの邪魔をしてくるんじゃない!」
イルギノ様が憎々しげに声を絞り出した。
しかし、アレス様は眉ひとつ動かさなかった。
「神聖な出会い? ヒート誘発剤がオメガの方にとってどんな意味を持つのかご存知ないのですか?」
「オメガなんてのは、僕みたいに地位とルックスがいいアルファに抱かれたくてアソコをびしょびしょに濡らしている淫獣だ! ちょっとつまんだぐらいで罪には問われない!」
「救いのないお方だ……」
アレス様は再び魔法を発動させた。氷でできた鎖が現れ、イルギノ様の手首を戒める。
「衛兵よ。イルギノ様は少々飲みすぎてしまったようだ。別室をご用意して差し上げろ」
「承知いたしました」
「……ゼガルド辺境伯の小倅め! 覚えていろ……っ!」
「私も忘れませんよ。世の中にはあなたのような悪党がいるということを」
イルギノ様は衛兵ふたりに連れられて、ホールから出ていった。
俺はアレス様に向かって深々と頭を下げた。
「申し訳ありません! 俺のせいで、侯爵家に睨まれることになってしまって……」
「お気になさらず。イルギノ様の素行については、侯爵家も手を焼いているそうですよ。それよりも、ご気分が悪くはありませんか? 怪しい薬を嗅がされたようなので」
「そうですね、ちょっと外の空気が吸いたいかも……」
「では、バルコニーに参りましょう」
アレス様が遠慮がちな手つきで俺の肩に触れた。
互いの顔が近くなる。
この人、結構まつ毛が長いんだなと思った瞬間、俺は花園にいざなわれたような心地になった。アレス様がそばにいると、ものすごくいい香りがする。甘いけれども、しつこくない。ネロリのような匂いだ。
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