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第五章 未来を掴む
28. 強くなりたい
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どんなに悲しくても、いつしか涙は枯れ果てるものらしい。
泣き疲れた俺は、レナートに連れられて懐かしい自室へと向かった。家具の配置は俺が家を出た時のままになっている。
ベッドに倒れ込んだ俺のところに、レナートが冷えた水で絞った手巾を持ってきてくれた。ありがたく受け取って、目元に当てる。ひやりとした感覚が心地いい。顔の火照りが取れていくにつれて、荒れていた心も鎮まっていった。
「レモネード、飲もうぜ」
レナートは俺の部屋から出ると、飲み物を携えてすぐに戻ってきた。お盆の上にはレモネードが二杯のっている。
「乾杯」
俺が冗談めかして言うと、レナートが涙ぐんだ。
「どうして? どうして別れるだなんてことになったわけ」
「俺の愛が重すぎたみたい。アレス様に尽くそうとすればするほど、アレス様に負担をかけていた……」
「なんだよ、それ! アレス様もアルファなら、重たい愛のひとつやふたつ、受け止めてくれよ! フィーランのこと、愛してたんだろ」
「愛ってなんだろうな、レナート。俺、分からなくなっちゃったよ」
レモネードを飲んで、俺は喉を潤した。甘さと酸味が程よくブレンドされた味に癒される。
「フィーラン。おまえ、交音器を持っていたよな? あれってアレス様と直通なんだろう。発信してみたら」
「……アレス様はたぶん、俺よりも傷ついている。そっとしておいてあげたい」
「自分からフッておいて傷ついてるって。勝手な男だな! フィーラン、おまえにはもっといい相手がいる! アレス様みたいな大馬鹿野郎に囚われて、気落ちする必要はないぞ」
レナートが頬を薔薇色に染めて、熱弁した。俺はレナートが自分の代わりに怒ってくれたことが嬉しかった。レナートにそっと抱きつく。
「ありがとう、レナート。俺、なんとかやり直せそうだ」
「無理するなよ? ゆっくり持ち直せばいいんだからな?」
「うん」
離縁されたことはショックだけど、それで俺の人生が終わるわけじゃない。レナートと両親が俺のことを案じてくれている。
立ち直って、みんなに元気な姿を見せたい。
アレス様。
あなたのことが大好きでした。でも俺たちは永遠に交わることがない平行線だったようですね。
アレス様と過ごした時間は俺の宝物です。でも、数々の思い出は胸の一番奥底にしまって、もう振り返らないようにします。俺はアレス様にとって、過去の人間だから。
俺は空になったレモネードのグラスを厨房に運んだ。
なじみの料理人が驚いたように俺の顔を凝視した。
「フィーラン坊っちゃま……?」
「出戻りってやつだよ。今日からまたよろしくね」
俺はつとめて明るい声を上げた。
◆◆◆
野菜のクリームスープを口に含むと、懐かしい味が舌に広がった。
俺を育ててくれたノヴィス領の料理人の味だ。野菜の甘みを引き出す絶妙なバランスで作られている。
テーブルの上には他にも美味しそうな料理が並んでいる。俺はウズラのパイを平らげた。
「どんなに悲しくても、お腹は減るんだな」
俺は苦笑した。
食堂に集まったお父様とお母様、そしてレナートがホッとした表情になった。アレス様と別れた俺を、家族は優しく受け入れてくれた。
辺境の守護者たるガルヴァーン家と姻戚でなくなったという事実は、わがアレクシス家にとって痛手である。政治に疎い俺でも分かる。でも、お父様から叱責が飛んでくることはなかった。
お母様が俺に言った。
「フィーラン。おかわりはしなくても大丈夫なの?」
「充分です」
「遠慮はしないでね。ここはあなたの家なのですから」
「そうだぜ、フィーラン。僕たちを頼ってくれ」
「ありがとう、レナート……」
食後のお茶を楽しんでいると、レナートが「あっ」と大声を出した。レナートの白い手がボトムスのポケットに伸びる。何やら振動音が聞こえる。
「交音器?」
「うん。メイユーズ様からの贈り物」
レナートはお父様とお母様に一礼をすると、席を立った。そして、早足で食堂から出て行った。
「はい、レナートです。メイユーズ様、元気だった? いま? 大丈夫だよ。食後のお茶を飲んでいたところ」
廊下からレナートの弾んだ声が聞こえてくる。
お父様が微笑む。
「結婚する前からあの調子では、いざ一緒になったらどうなってしまうんだろうな」
メイユーズ様とレナートの結婚式は一ヶ月後に迫っている。
俺はお茶を飲み干した。
「お父様、お母様。俺、王都に出ます。そして、働き口を見つけて自活します」
「フィーラン、何を言っているの」
「そうだ。ずっとこの屋敷にいればいいだろう」
「レナートの新婚生活の邪魔をしたくないんです。それに……俺はもう他の誰かのところに嫁ぐ気はありません」
お父様はしばし沈黙したあと、立ち上がった。
「私の書斎に来い」
「承知しました」
俺はお父様と共に食堂を出た。
書斎に着くと、お父様は引き出しから書類を取り出した。
「王立音楽学院で教授補佐官を募集しているらしい」
「そうなんですか!? ぜひエントリーしたいです」
「採用人数は若干名。身分は関係ない。どれだけ音楽に精通しているかが問われるようだ」
「どんなに厳しい試験でも構いません。俺、挑戦したいです」
それまで険しい表情をしていたお父様だったが、俺の熱意が伝わったのか、口元を緩めた。
「フィーラン、強くなったな。昔のおまえはレナートの陰に隠れて、己を出すということがなかった」
「俺、新しい自分になりたいんです」
「……アレス殿とのことは残念だった。焦らず心の傷を癒すがいい」
「もう大丈夫です。泣くだけ泣きましたから」
お父様が書斎の椅子から立ち上がり、俺の肩を抱いた。
「よくぞ言った。その調子で、フィーランが望む未来を勝ち取るがいい」
「はい!」
恋の終わりはすべての終わりじゃない。
人生は続いていくんだ。
俺はお父様から手渡された、王立音楽学院の教授補佐採用試験の募集要項に目を通した。
楽典のペーパーテストと、歌曲の実技試験が行われるらしい。試験の日程は再来月に組まれている。レナートの結婚式が終わったあとになる。
レナートの結婚式ではお祝いの歌を披露したい。試験勉強と同時進行で練習することになるが、レナートのためならば苦労のうちに入らない。
俺の心は燃えていた。
こんなにも胸が熱いのは、アレス様に振られたことによる傷が発火しているだけかもしれない。でも、前に進みたいというエネルギーが次々と湧いてくるのだった。
変わらなきゃ。
これから先も人生を続けていくために。新たな未来を掴むために。
「お父様、ありがとうございます」
「あまり無理はするなよ」
「ご心配なく!」
書斎を飛び出した俺は、自室で早速、楽典の勉強を始めた。
泣き疲れた俺は、レナートに連れられて懐かしい自室へと向かった。家具の配置は俺が家を出た時のままになっている。
ベッドに倒れ込んだ俺のところに、レナートが冷えた水で絞った手巾を持ってきてくれた。ありがたく受け取って、目元に当てる。ひやりとした感覚が心地いい。顔の火照りが取れていくにつれて、荒れていた心も鎮まっていった。
「レモネード、飲もうぜ」
レナートは俺の部屋から出ると、飲み物を携えてすぐに戻ってきた。お盆の上にはレモネードが二杯のっている。
「乾杯」
俺が冗談めかして言うと、レナートが涙ぐんだ。
「どうして? どうして別れるだなんてことになったわけ」
「俺の愛が重すぎたみたい。アレス様に尽くそうとすればするほど、アレス様に負担をかけていた……」
「なんだよ、それ! アレス様もアルファなら、重たい愛のひとつやふたつ、受け止めてくれよ! フィーランのこと、愛してたんだろ」
「愛ってなんだろうな、レナート。俺、分からなくなっちゃったよ」
レモネードを飲んで、俺は喉を潤した。甘さと酸味が程よくブレンドされた味に癒される。
「フィーラン。おまえ、交音器を持っていたよな? あれってアレス様と直通なんだろう。発信してみたら」
「……アレス様はたぶん、俺よりも傷ついている。そっとしておいてあげたい」
「自分からフッておいて傷ついてるって。勝手な男だな! フィーラン、おまえにはもっといい相手がいる! アレス様みたいな大馬鹿野郎に囚われて、気落ちする必要はないぞ」
レナートが頬を薔薇色に染めて、熱弁した。俺はレナートが自分の代わりに怒ってくれたことが嬉しかった。レナートにそっと抱きつく。
「ありがとう、レナート。俺、なんとかやり直せそうだ」
「無理するなよ? ゆっくり持ち直せばいいんだからな?」
「うん」
離縁されたことはショックだけど、それで俺の人生が終わるわけじゃない。レナートと両親が俺のことを案じてくれている。
立ち直って、みんなに元気な姿を見せたい。
アレス様。
あなたのことが大好きでした。でも俺たちは永遠に交わることがない平行線だったようですね。
アレス様と過ごした時間は俺の宝物です。でも、数々の思い出は胸の一番奥底にしまって、もう振り返らないようにします。俺はアレス様にとって、過去の人間だから。
俺は空になったレモネードのグラスを厨房に運んだ。
なじみの料理人が驚いたように俺の顔を凝視した。
「フィーラン坊っちゃま……?」
「出戻りってやつだよ。今日からまたよろしくね」
俺はつとめて明るい声を上げた。
◆◆◆
野菜のクリームスープを口に含むと、懐かしい味が舌に広がった。
俺を育ててくれたノヴィス領の料理人の味だ。野菜の甘みを引き出す絶妙なバランスで作られている。
テーブルの上には他にも美味しそうな料理が並んでいる。俺はウズラのパイを平らげた。
「どんなに悲しくても、お腹は減るんだな」
俺は苦笑した。
食堂に集まったお父様とお母様、そしてレナートがホッとした表情になった。アレス様と別れた俺を、家族は優しく受け入れてくれた。
辺境の守護者たるガルヴァーン家と姻戚でなくなったという事実は、わがアレクシス家にとって痛手である。政治に疎い俺でも分かる。でも、お父様から叱責が飛んでくることはなかった。
お母様が俺に言った。
「フィーラン。おかわりはしなくても大丈夫なの?」
「充分です」
「遠慮はしないでね。ここはあなたの家なのですから」
「そうだぜ、フィーラン。僕たちを頼ってくれ」
「ありがとう、レナート……」
食後のお茶を楽しんでいると、レナートが「あっ」と大声を出した。レナートの白い手がボトムスのポケットに伸びる。何やら振動音が聞こえる。
「交音器?」
「うん。メイユーズ様からの贈り物」
レナートはお父様とお母様に一礼をすると、席を立った。そして、早足で食堂から出て行った。
「はい、レナートです。メイユーズ様、元気だった? いま? 大丈夫だよ。食後のお茶を飲んでいたところ」
廊下からレナートの弾んだ声が聞こえてくる。
お父様が微笑む。
「結婚する前からあの調子では、いざ一緒になったらどうなってしまうんだろうな」
メイユーズ様とレナートの結婚式は一ヶ月後に迫っている。
俺はお茶を飲み干した。
「お父様、お母様。俺、王都に出ます。そして、働き口を見つけて自活します」
「フィーラン、何を言っているの」
「そうだ。ずっとこの屋敷にいればいいだろう」
「レナートの新婚生活の邪魔をしたくないんです。それに……俺はもう他の誰かのところに嫁ぐ気はありません」
お父様はしばし沈黙したあと、立ち上がった。
「私の書斎に来い」
「承知しました」
俺はお父様と共に食堂を出た。
書斎に着くと、お父様は引き出しから書類を取り出した。
「王立音楽学院で教授補佐官を募集しているらしい」
「そうなんですか!? ぜひエントリーしたいです」
「採用人数は若干名。身分は関係ない。どれだけ音楽に精通しているかが問われるようだ」
「どんなに厳しい試験でも構いません。俺、挑戦したいです」
それまで険しい表情をしていたお父様だったが、俺の熱意が伝わったのか、口元を緩めた。
「フィーラン、強くなったな。昔のおまえはレナートの陰に隠れて、己を出すということがなかった」
「俺、新しい自分になりたいんです」
「……アレス殿とのことは残念だった。焦らず心の傷を癒すがいい」
「もう大丈夫です。泣くだけ泣きましたから」
お父様が書斎の椅子から立ち上がり、俺の肩を抱いた。
「よくぞ言った。その調子で、フィーランが望む未来を勝ち取るがいい」
「はい!」
恋の終わりはすべての終わりじゃない。
人生は続いていくんだ。
俺はお父様から手渡された、王立音楽学院の教授補佐採用試験の募集要項に目を通した。
楽典のペーパーテストと、歌曲の実技試験が行われるらしい。試験の日程は再来月に組まれている。レナートの結婚式が終わったあとになる。
レナートの結婚式ではお祝いの歌を披露したい。試験勉強と同時進行で練習することになるが、レナートのためならば苦労のうちに入らない。
俺の心は燃えていた。
こんなにも胸が熱いのは、アレス様に振られたことによる傷が発火しているだけかもしれない。でも、前に進みたいというエネルギーが次々と湧いてくるのだった。
変わらなきゃ。
これから先も人生を続けていくために。新たな未来を掴むために。
「お父様、ありがとうございます」
「あまり無理はするなよ」
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書斎を飛び出した俺は、自室で早速、楽典の勉強を始めた。
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