致死量の愛と泡沫に

藤香いつき

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Chap.2 嘘吐きセイレーン

Chap.2 Sec.17

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 天井の高いエントランスホールには、窓から夕暮れの赤い陽がしていた。
 灰色の着物に黒いボトムスを合わせたサクラの長躯ちょうくに、うっすらとが掛かっている。
 先にサクラと合流していたイシャンには、すでに指示が出ていた。
 
——お前はティアの横についてくれるか? 私はメルウィンの横に。
 
 遅れて集まったティアとメルウィンは、どちらも青い顔をしていた。
 
「なに? どういうこと? これってロン君が仕掛けた壮大なドッキリ?」

 軽口をたたこうとするティアの頬は引きつっている。サクラとイシャンの無言の目に、「嘘だよね? 今なら怒らないから、早めにネタばらししてよ……」語尾は震えるようにかすれた。
 メルウィンは硬い表情で、小さく口を開いた。
 
「モーターホームが、襲われたの……?」
「ああ、そうらしい」
 
 サクラの肯定に、深刻な顔つきでメルウィンはぎゅっと右手を握った。
 それを目の端に捉えながら、ティアは思い出したように周りを見回し、
 
「ね、アリスちゃんは? どこにいるの?」
なら外へ逃がした」
「えっ!? 連絡のひと、逃げたら仲間をやる! みたいな物騒なこと言ってたよねっ? そんなことして大丈夫なのっ?」
「さあな」
「ちょっとサクラさん! 勝手なことして何かあったらどうするのっ?」
「……おそらく、見せしめに誰かは攻撃を受けるだろう。結果としては私かイシャンが受けることになる。お前は自分の身だけ護るよう行動すればいい」
「どういうことっ? 僕ぜんぜん分かってないよ?」
 
 動揺するティアから目を外して、サクラはメルウィンに向いた。
 
「メルウィン、お前も自分のことだけ護ればいい。訓練を覚えているね?」
「——うん、僕は、誰かを護れるほど強くないから……攻撃されそうな場合は、自分の身を最優先に対応する。サクラさんは、それを前提にしてくれて大丈夫」
「ああ、信頼しているよ」

 強くうなずくメルウィンは、覚悟のともった目をしていた。
 状況が状況だというのに、落ち着きはらった面々に囲まれて、
 
「いやいやなんでそんな感じなのっ? たぶん今からハウスジャックされるんだけど! ミサイルとか戦闘ロボットとか並べなくていいのっ!?」

 恐慌をきたしたティアに、サクラは目を投げることなく「武力で対抗するなら人質が解放されてからだな」独り言の音量で返した。その目はすでに外のドアへと向いていて、サクラの視線に応えるように——そのドアは開いた。
 
 心の準備など何も整っていないティアが、小さく息をむ。
 滑り開いたドアから現れたのは、薄い色の髪をライトグリーンに染めた青年と——
 
「ロキくんっ……」
 
 メルウィンの悲鳴は、喉に張りついて響かなかった。目にしたその姿に、ティアも声をなくしていた。
 
 全身に刻まれた、赤い切り傷。
 派手な服装は何色だったのか分からなくなるほど流血が染みて、切り裂かれた布地から今もなお細く血が流れている。顔には打撲の赤黒いあとが残り、切れた唇の端に血がにじんでいる。明らかな暴行の跡が見られる姿で、意識を半分なくしているような状態のロキが、後ろ手に拘束された状態でホールへと放り投げられた。
 床に打ちつけられた身体は、衝撃に小さくうめいた。
 ティアの青白い顔が、いっそう血の気をなくしていく。
 
「うわ、ほんとに城だ」
 
 ライトグリーンの髪をした青年が、高い天井を見上げ、あきれたように笑った。
 ロキを引きずってきた別の青年ふたりも、背後で半笑いを浮かべてエントランスホールを見渡した。
 3人それぞれ。見た者を圧倒するハウスの内部に気を取られたが、ほとんど同時に、中央階段下に並んだ4人の姿に目を合わせた。
 
 さっと流した目で、すぐに理解する。
 
「——あんたが電話のヤツ?」
 
 メルウィン、サクラ、イシャン、ティアの順に並んでいたが、サクラは階段に対してほぼ中央にあたる位置にいた。
 問いかけたのは、ライトグリーンの髪をした青年。シンプルなインナーに黒のジャケットを羽織っていて、年齢は近しい。手脚は細く長い。笑う顔は爽やかで、一見すると優しげな好青年だが、手にしたハンドガンの照準はロキかられることがない。
 
「ああ、通信で応対したのは私だ」
「あんたが……てことは、そっちがイシャンで、反対は料理のメルウィン?」
 
 順番にたどる目は、反応を眺めて答えを得ると薄っぺらに笑った。
 
「初めまして? 俺、ロキくんの友人のテオドー……あぁ、セトくんの友人でもあるんで? 兄弟のあんたたちに歓迎してもらおっかなぁーと思って遊びにきました」
 
 へらっとした顔の下から、ロキが「てめェなんか知らねェよ……」喉につかえる声で悪態を吐き出し、聞き取った彼——テオドーが、笑った顔のままロキの肩口を踏みつぶし、

「嘘つけよ」
 
 一瞬だけ笑顔を消したが、「……俺ら対バンした仲だよ? ボーカル仲間でしょ?」取り戻すように薄い笑顔を浮かべた。
 
 異様な空気に、ティアは相手の心を読む余裕すらもてなかった。暴力を前にした心臓はドクドクと激しくなり、思考は恐怖に駆られていく。
 
 も、こんな思いをしたのだろうか。
 自分が見逃したせいで、イシャンから受けた行為は——どれほど痛かったのか。

 目の前で起こっている暴行に、忘れたくても忘れられない遠い過去と、数ヶ月前の過ちが重なった。遠い過去よりも、新しい記憶のほうが罪の意識をあおり立て、全身の意識を奪われたように動けない。
 貧血を起こしたのか視界がくらくなり、いま自分がまっすぐに立てているのかも分からない。
 
「——テディ、おちついて?」
 
 夕焼け色の世界に、透きとおった甘い声が鳴った。
 ドアの外に見えていたモーターホームから、ひらりとこちらへ。低く赤い陽光を背負った金の髪は、燃えあがるようにして燦然さんぜんと輝いた。
 
「マガリー……?」
 
 ぽつりともれたのは、メルウィンの声だろう。それ以外に驚きはなく、慣れたことのようにその事実を受け止めていた。
 紫のジャケットに黒の短いスカート。寒さなど気にならないようなスラリとした脚は軽やかに歩いて、テオドーの隣までやってくると腕に手を絡めた。
 
「ロキは、殺しちゃだめなんでしょ? あんまり痛いことしたら死んじゃうよ?」
「こんなんで死なないよ。俺もっと酷い拷問ごうもん見たことあるし……ここ、治療もできるんだろ?」
「それって認証がいるかも。私のときはアリアが……ほら、あのダークブロンドのひとが、薬を出す手続きをしてくれたから」
「そーなの? 置いてきちゃったよ?」

 ロキの肩から足をどけたテオドーは、サクラに目を流した。
 
「——あれ? もうひとりってどこ?」
「ハウスにいる人間は、ここにいる者だけだ」
「は? もうひとり記憶喪失の女がいるだろ?」
「あれなら出て行ったよ」
「いつ?」
「さあ……いつだっただろうね?」
 
 サクラの無感動な声に、テオドーが顔をしかめてマガリーを振り返り、
 
「女、出てったの?」
 
 問いかける奥から、サクラの深い青の眼が、マガリーを捉えた。
 その鋭さにびくりと身をすくませたマガリーは……
 
「……ええ、そう。たしか私が出ていく前には……いなかったわ。ごめんなさい、いつ居なくなったか……覚えてないの。ここに関係のないひとだったみたいだし……どうでもいいでしょ?」
「いや、そういうの先にちゃんと言ってくれない? その女なら自由にしていーよって、俺みんなに言っちゃったんだけど?」
「ご、ごめんなさいっ……知らなかったから……」
「あーあ、どうすんの? 俺みんなを裏切ることになるじゃん……」
「それは……私が、ちゃんとするから……」

 マガリーの揺れる目を見下ろすテオドーは、冷めた顔つきを、急に笑顔に戻した。ハンドガンを握る手で、マガリーの身体を優しく抱きしめ、
 
「バカだなー、怒ってないって。ロキらに薬飲ませただけでえらいよ。ありがと、マガリー」
 
 腕のなか赤く染まる頬を遠目に、ティアは同情とやるせなさから吐き気を覚えていた。

 ——洗脳。
 脅しのためのハンドガンをわざわざ外して、さも彼女のほうが大切だと言わんばかりに——演出した。
 
 ふと、軽蔑けいべつの心が顔に出ていたティアに、テオドーが目を投げる。ぶつかった視線からティアが過剰に反応したのを、その目はのがさなかった。
 
「——なんだ、怖がってるヤツもちゃんといるんだ?」
 
 安心したように親しみをこめて、
 
「怖がってるくせに、あんた今、俺のこと汚いもん見るみたいな目ぇした?」

 ははっと軽く笑うテオドーに、ティアは青ざめた顔を返すだけ。唇は開けずにいる。
 
「……あんた、だろ? ヴァシリエフの人間だったんだ。……じゃあさ、心が読めるっていうあんたらの宗教って……やっぱ嘘だったの?」
「………………」
「あれ? しゃべれない? 声なくなっちゃった?」

 イシャンの目が、隣のティアをうかがうように流れた。ティアの横顔は蒼白として動かず、唇は青い。肩は小さく戦慄わなないている。
 恐怖と、嫌悪と——トラウマが、ティアの思考をからめ捕っていた。
 
「……マガリーのミス、あんたに責任とってもらおっかな? こんなに頑張ったマガリーが辛い思いするなんて可哀想だし。……な、どう思う?」
 
 腕のなかに向けていとしげな声をかけるテオドーに、マガリーは「えっ……?」戸惑いを浮かべて目を合わせた。
 
「……どうするの?」
「あ……えっと……」
「マガリーが責任とるの? 俺以外と寝たいの?」
「そんなことっ……」
「じゃあ、あっちに責任とってもらえばいい?」
「う……うん、そうして……」

 理屈が破綻はたんしていることさえも分からない。異常な関係性にメルウィンとイシャンは困惑していたが、サクラだけは興味深げに眺めていた。

「……正しい判断だね」
 
 甘く笑ったテオドーが、ハンドガンの銃口をティアへと合わせて、
 
 ——脳を突き抜けるような銃声が、ホールへと響き渡った。
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