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勇者と冥王のママは暁を魔王様と
第六章・世界に二人きり5
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「……ふざけた真似しやがって」
アベルが吐き捨てた。
教団の目的は人間界の統一。それは人間界の秩序を根底から覆すことで、人間界の一国である海洋王国モルカナ国王のアベルは他人事ではない。
しかも今、人間界に勇者は不在。……最悪だった。
「勇者はいつ戻るんだ」
アベルがぎろりとハウストを睨む。
人間側からすれば、魔界の王妃が勇者を惑わして攫ったようなものだ。
はっきり言ってめちゃくちゃである。いくら親子関係でも、勇者が魔界の王妃に攫われるなど聞いたことがない。
「さあな」
「さあなってなんだっ。勇者を攫ったのはあんたの妃だろ!」
「そうだ、俺の妃だ。そして勇者は俺の息子。俺が今回のことで、人間に何も感じていないと思っているのか」
ハウストの底知れぬ憤怒を孕んだ声。
室内が一瞬にして張り詰めて、アベルは焦っていた自分に気が付いた。
「っ……、……悪かった。そうだったな……」
アベルがソファの背凭れに背中を預け、天井を見上げて息を吐く。
アベルや人間にとってイスラは勇者。人間界の安定の為に絶対に必要な存在である。
だがブレイラやハウストにとっては息子なのだ。
しかもハウストは複雑で、息子でありながら同格の王という存在。
王としてイスラを扱わなければならないが、親として庇護したい気持ちもあるのだ。
そしてそれはブレイラに関してもそうだ。今回のことは魔界の王妃として許されたものではない。王妃であることを放棄したに等しいだけでなく、勇者を攫うなど言語道断だ。
「気持ちは分かるが、いつまでもこの状況を続けることは不可能だ。魔王よ、君も分かっているだろう」
フェリクトールが淡々とした口調で言った。
フェリクトールの言葉は正しく、現状を冷静に見つめたものだ。
「……分かっている。いつまで猶予を与えるかも決めている」
そう、現在ブレイラとイスラに与えている猶予には期限があった。もしイスラが息子でなければ即刻ブレイラを取り戻している。
だからハウストは現在の状況を【王妃が息子を連れて人間界に休暇に行った】という扱いにしている。その扱いでなければ、魔界は王妃を取り戻すために勇者討伐に立たねばならなくなるからだ。
しかし、猶予という誤魔化しはいつまでも続けられるものではない。
ハウストは思案し、おもむろに立ち上がった。
執務室の窓を開け放つと、ハウストの影から大型猛禽類の魔鳥が姿をみせる。
それはブレイラが一人旅中のイスラに手紙を届ける時の魔鳥。各世界を区切っている強力な結界を突破できる魔王の鳥である。
魔鳥はハウストの頭上を二回ほど旋回してひと鳴きすると、大きな翼を広げて人間界の方向へ飛んでいった。
そう、人間界の方へ……。
魔鳥を見送ったハウストがゆっくりと三人を振り返る。
するとフェリクトールは心底呆れたといわんばかりの平らな目でハウストを見ていた。
「…………魔王よ、今なにをした」
「見ての通りだ。必要になるかもしれないだろう」
ハウストは当然のように答えた。堂々と、迷いなく、当然のように。
まるで開き直りのようなそれにフェリクトールの目が据わっていく。
「…………。聞きたくないが、それは誰が必要になるんだ」
「そんなのブ」
「もういい、聞きたくない」
フェリクトールが即座に遮った。名前を全部言わせたくなかったのだ。
フェリクトールは苛々と顔を引き攣らせてハウストを睨む。
「魔王よ、いい加減にしたまえ。一度くらい王妃をきつく叱ったらどうだ。今回のことを君は王妃と子息の休暇として処理するつもりかもしれないが、それを実行するこっちの身にもなりたまえ。魔王が決めたことに異を唱える者はいないが、王妃に甘すぎると皆が思っているだろうね」
くどくどくどくどとフェリクトールの説教。
アベルもうんうんと頷いてフェリクトールの味方をしている。
「そうだそうだ、一回くらいブレイラにガツンと言え。どう考えても甘すぎだろ」
妙な意見の一致を見せた二人にハウストが眉間に皺を刻む。この二人は意外と良識人なのだ。さすが魔界の名宰相と一国の王である。常識がなければ務まらない。
ハウストは大いに反論したかったが、自分もブレイラを甘やかしている自覚がないわけではなかった。
だがこの男だけは違った。
「おい、魔鳥だけで大丈夫なのか? ブレイラに何かあったらどうするんだ」
当然のように追加要請するジェノキス。
こんな時だけこの男と意見が一致してしまうことにハウストは頭を抱えたのだった……。
――――人間界。
イスラがブレイラとともに魔界を出てから五日が経過していた。
この五日間、ブレイラと二人で過ごす時間は楽しかった。
成長してから人間界を一人旅することが多かったイスラだが、ブレイラとの旅は今までと違ったものだ。
好奇心のままに進む一人旅は自由で心が躍るものだが、ブレイラとの旅はどこか懐かしい気持ちが込み上げてくる。そう、まだブレイラと二人だけで暮らしていた時の気持ちだ。
でも、あの幼い時と今では違う。
幼い時はブレイラに甘えたい気持ちでいっぱいだった。独占している充足感に満たされて、どんなに貧しくてもブレイラと二人でいることが一番楽しくて幸せだった。あまりにも親子二人の状況が幸せで、ハウストとブレイラが結婚して三人になると知った時は受け入れ難いものを感じたくらいだ。
そして成長した今、またブレイラと二人きりで人間界を旅している。今は守りたいという気持ちの方が断然大きい。幼い頃は求める気持ちの方が大きかったのに、今は不思議と与えたい気持ちの方が大きいのだ。
「イスラ、こちらに来てください! 面白い物を見せてあげます!」
ブレイラが手を振っている。
早くこちらに来てくださいと手招きするブレイラは市場の露店の前にいた。
今、イスラとブレイラがいるのは、海沿いにある国の港町である。街には多くの商人や旅人が行き交って、港沿いにある市場も大勢の人々で活気に沸いていた。
イスラが側まで行くと、ブレイラが勿体ぶった顔で待っていた。手の平に宝箱のような小箱を乗せている。
「見てください。これ、なんだと思いますか?」
「……箱だろ?」
「では蓋を開けてみてください」
「いいけど……」
いったい何だと思いつつ箱を開けて、「わっ」と思わず声がでる。
開けた途端、小さなぬいぐるみが飛び出してきたのだ。幼い子どもが喜びそうな仕掛けと、ふわふわの柔らかなぬいぐるみである。
「ふふふ、驚きましたか? この国の赤ん坊や幼い子どもは、こういうおもちゃで遊ぶそうですよ」
宝箱の正体は子どもの仕掛けおもちゃだった。
露店には他にも幾つかのおもちゃが並んでいてブレイラは楽しそうに見つめている。
「欲しいのか?」
「そういう訳ではありません。ただ、街にはいろんな物があるのだと思って。……私、知らなかったんです。ごめんなさい、イスラ」
ブレイラが切なげに目を伏せた。
でもそれは見間違えかと思うほど僅かな間で、ブレイラはまた楽しそうな顔になる。
「次はあちらに行ってみましょう。大きな広場があるそうですよ?」
そう言ってブレイラはイスラの右手を両手で包む。
ぐいぐいと引っ張られてイスラは苦笑しながらもついていく。
旅が始まってから、ブレイラがいつになくはしゃいでいるように見えた。なにかとイスラを構って甘やかそうとするのだ。たしかにイスラは片腕の状態で不便もあるが、それでも少し度が過ぎているのではと思うほど構いたがる。
この港町に入る前は山や森で野宿していたが、その時もブレイラはイスラを構い倒してずっと側にいようとした。
動物の狩りに行こうとしたら『私も一緒に行かせてください』と張りきってついてきたり、イスラが昼時にうたた寝してしまったら『よく眠っていましたね』と膝枕されていることも珍しくなかった。ブレイラは嬉しそうに目を細めてイスラの頭を撫でていたのだ。
イスラとしてはさすがに驚く。嬉しくないわけではないし、決して厭うている訳ではないが、……少し恥ずかしい。さすがにゼロスのように全力で甘えることはできない。
でもそれが続くにつれて、ちょっと構い過ぎではないかと違和感のようなものを覚えた。
ブレイラは元々世話焼きな性格をしているし、今の状況的に少しでも離れると不安になってしまうのかと思った。だがそれだけではない気がする。時折、ブレイラは後悔を滲ませたような切なげな顔をするのだ。
アベルが吐き捨てた。
教団の目的は人間界の統一。それは人間界の秩序を根底から覆すことで、人間界の一国である海洋王国モルカナ国王のアベルは他人事ではない。
しかも今、人間界に勇者は不在。……最悪だった。
「勇者はいつ戻るんだ」
アベルがぎろりとハウストを睨む。
人間側からすれば、魔界の王妃が勇者を惑わして攫ったようなものだ。
はっきり言ってめちゃくちゃである。いくら親子関係でも、勇者が魔界の王妃に攫われるなど聞いたことがない。
「さあな」
「さあなってなんだっ。勇者を攫ったのはあんたの妃だろ!」
「そうだ、俺の妃だ。そして勇者は俺の息子。俺が今回のことで、人間に何も感じていないと思っているのか」
ハウストの底知れぬ憤怒を孕んだ声。
室内が一瞬にして張り詰めて、アベルは焦っていた自分に気が付いた。
「っ……、……悪かった。そうだったな……」
アベルがソファの背凭れに背中を預け、天井を見上げて息を吐く。
アベルや人間にとってイスラは勇者。人間界の安定の為に絶対に必要な存在である。
だがブレイラやハウストにとっては息子なのだ。
しかもハウストは複雑で、息子でありながら同格の王という存在。
王としてイスラを扱わなければならないが、親として庇護したい気持ちもあるのだ。
そしてそれはブレイラに関してもそうだ。今回のことは魔界の王妃として許されたものではない。王妃であることを放棄したに等しいだけでなく、勇者を攫うなど言語道断だ。
「気持ちは分かるが、いつまでもこの状況を続けることは不可能だ。魔王よ、君も分かっているだろう」
フェリクトールが淡々とした口調で言った。
フェリクトールの言葉は正しく、現状を冷静に見つめたものだ。
「……分かっている。いつまで猶予を与えるかも決めている」
そう、現在ブレイラとイスラに与えている猶予には期限があった。もしイスラが息子でなければ即刻ブレイラを取り戻している。
だからハウストは現在の状況を【王妃が息子を連れて人間界に休暇に行った】という扱いにしている。その扱いでなければ、魔界は王妃を取り戻すために勇者討伐に立たねばならなくなるからだ。
しかし、猶予という誤魔化しはいつまでも続けられるものではない。
ハウストは思案し、おもむろに立ち上がった。
執務室の窓を開け放つと、ハウストの影から大型猛禽類の魔鳥が姿をみせる。
それはブレイラが一人旅中のイスラに手紙を届ける時の魔鳥。各世界を区切っている強力な結界を突破できる魔王の鳥である。
魔鳥はハウストの頭上を二回ほど旋回してひと鳴きすると、大きな翼を広げて人間界の方向へ飛んでいった。
そう、人間界の方へ……。
魔鳥を見送ったハウストがゆっくりと三人を振り返る。
するとフェリクトールは心底呆れたといわんばかりの平らな目でハウストを見ていた。
「…………魔王よ、今なにをした」
「見ての通りだ。必要になるかもしれないだろう」
ハウストは当然のように答えた。堂々と、迷いなく、当然のように。
まるで開き直りのようなそれにフェリクトールの目が据わっていく。
「…………。聞きたくないが、それは誰が必要になるんだ」
「そんなのブ」
「もういい、聞きたくない」
フェリクトールが即座に遮った。名前を全部言わせたくなかったのだ。
フェリクトールは苛々と顔を引き攣らせてハウストを睨む。
「魔王よ、いい加減にしたまえ。一度くらい王妃をきつく叱ったらどうだ。今回のことを君は王妃と子息の休暇として処理するつもりかもしれないが、それを実行するこっちの身にもなりたまえ。魔王が決めたことに異を唱える者はいないが、王妃に甘すぎると皆が思っているだろうね」
くどくどくどくどとフェリクトールの説教。
アベルもうんうんと頷いてフェリクトールの味方をしている。
「そうだそうだ、一回くらいブレイラにガツンと言え。どう考えても甘すぎだろ」
妙な意見の一致を見せた二人にハウストが眉間に皺を刻む。この二人は意外と良識人なのだ。さすが魔界の名宰相と一国の王である。常識がなければ務まらない。
ハウストは大いに反論したかったが、自分もブレイラを甘やかしている自覚がないわけではなかった。
だがこの男だけは違った。
「おい、魔鳥だけで大丈夫なのか? ブレイラに何かあったらどうするんだ」
当然のように追加要請するジェノキス。
こんな時だけこの男と意見が一致してしまうことにハウストは頭を抱えたのだった……。
――――人間界。
イスラがブレイラとともに魔界を出てから五日が経過していた。
この五日間、ブレイラと二人で過ごす時間は楽しかった。
成長してから人間界を一人旅することが多かったイスラだが、ブレイラとの旅は今までと違ったものだ。
好奇心のままに進む一人旅は自由で心が躍るものだが、ブレイラとの旅はどこか懐かしい気持ちが込み上げてくる。そう、まだブレイラと二人だけで暮らしていた時の気持ちだ。
でも、あの幼い時と今では違う。
幼い時はブレイラに甘えたい気持ちでいっぱいだった。独占している充足感に満たされて、どんなに貧しくてもブレイラと二人でいることが一番楽しくて幸せだった。あまりにも親子二人の状況が幸せで、ハウストとブレイラが結婚して三人になると知った時は受け入れ難いものを感じたくらいだ。
そして成長した今、またブレイラと二人きりで人間界を旅している。今は守りたいという気持ちの方が断然大きい。幼い頃は求める気持ちの方が大きかったのに、今は不思議と与えたい気持ちの方が大きいのだ。
「イスラ、こちらに来てください! 面白い物を見せてあげます!」
ブレイラが手を振っている。
早くこちらに来てくださいと手招きするブレイラは市場の露店の前にいた。
今、イスラとブレイラがいるのは、海沿いにある国の港町である。街には多くの商人や旅人が行き交って、港沿いにある市場も大勢の人々で活気に沸いていた。
イスラが側まで行くと、ブレイラが勿体ぶった顔で待っていた。手の平に宝箱のような小箱を乗せている。
「見てください。これ、なんだと思いますか?」
「……箱だろ?」
「では蓋を開けてみてください」
「いいけど……」
いったい何だと思いつつ箱を開けて、「わっ」と思わず声がでる。
開けた途端、小さなぬいぐるみが飛び出してきたのだ。幼い子どもが喜びそうな仕掛けと、ふわふわの柔らかなぬいぐるみである。
「ふふふ、驚きましたか? この国の赤ん坊や幼い子どもは、こういうおもちゃで遊ぶそうですよ」
宝箱の正体は子どもの仕掛けおもちゃだった。
露店には他にも幾つかのおもちゃが並んでいてブレイラは楽しそうに見つめている。
「欲しいのか?」
「そういう訳ではありません。ただ、街にはいろんな物があるのだと思って。……私、知らなかったんです。ごめんなさい、イスラ」
ブレイラが切なげに目を伏せた。
でもそれは見間違えかと思うほど僅かな間で、ブレイラはまた楽しそうな顔になる。
「次はあちらに行ってみましょう。大きな広場があるそうですよ?」
そう言ってブレイラはイスラの右手を両手で包む。
ぐいぐいと引っ張られてイスラは苦笑しながらもついていく。
旅が始まってから、ブレイラがいつになくはしゃいでいるように見えた。なにかとイスラを構って甘やかそうとするのだ。たしかにイスラは片腕の状態で不便もあるが、それでも少し度が過ぎているのではと思うほど構いたがる。
この港町に入る前は山や森で野宿していたが、その時もブレイラはイスラを構い倒してずっと側にいようとした。
動物の狩りに行こうとしたら『私も一緒に行かせてください』と張りきってついてきたり、イスラが昼時にうたた寝してしまったら『よく眠っていましたね』と膝枕されていることも珍しくなかった。ブレイラは嬉しそうに目を細めてイスラの頭を撫でていたのだ。
イスラとしてはさすがに驚く。嬉しくないわけではないし、決して厭うている訳ではないが、……少し恥ずかしい。さすがにゼロスのように全力で甘えることはできない。
でもそれが続くにつれて、ちょっと構い過ぎではないかと違和感のようなものを覚えた。
ブレイラは元々世話焼きな性格をしているし、今の状況的に少しでも離れると不安になってしまうのかと思った。だがそれだけではない気がする。時折、ブレイラは後悔を滲ませたような切なげな顔をするのだ。
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