勇者と冥王のママは暁を魔王様と

蛮野晩

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勇者と冥王のママは暁を魔王様と

第六章・世界に二人きり7

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 静かすぎる夜。
 不思議なものですね。静かすぎると、かえって眠りが浅くなるのでしょうか。
 ふっと意識が浮上しました。
 人の気配が動いている気がしたのです。
 重たい瞼を僅かに開けると、視界に映るのは薄ぼんやりとした光景。
 窓から月明かりが差して空き家の中はぼんやりと薄暗い。
 がらんっとした空き家の中でごそごそと動く人影が見えました。イスラです。
 イスラは物音を立てないように静かに出掛ける支度をしていました。
 私に背中を向けて服を着ているイスラ。片腕なので大変そうですね。こんな夜更けに、そんな体で、いったい何をしているのですか。
 私は堪らずにイスラに呼びかける。

「何をしているのですか、イスラ」
「わっ、ブレイラ?!」

 イスラがハッとして振り返りました。
 慌てるイスラをじっと見つめます。

「まだ暗いですよ? こんな夜更けに何をしているのです」
「えっと、その、眠れなくて……散歩に」
「そうですか。では私も一緒に行きます」
「えっ……」

 イスラは動揺するけれど、それには気付かない振りをして私も起き上がりました。
 手早く着替えて散歩の準備です。イスラと夜の散歩ができるなんて素敵ですね。

「じ、時間も遅いし、ブレイラは休んでいた方がいいんじゃないのか」
「私と一緒では不都合ですか?」
「そんな訳じゃないけど……」
「それなら構いませんね」

 当然のように言って出掛ける支度を続けました。
 背後のイスラが少し困った顔をしているのは気付いていました。何か言いたげに私を見ていますよね、でも聞きたくないので聞いてあげません。

「さあ準備ができました。今夜はとても月が明るいですから、夜の散歩には丁度良いですね」

 私は笑いかけて、イスラの右手と手を繋ぎます。
 イスラは少し困惑しながらも観念したようでした。
 二人で空き家を出て、夜の森を散歩します。
 思ったとおり今夜は静かな夜ですね。
 街の喧騒も届かないここは、まるで現実から切り取られたような静寂に包まれています。
 夜空の月と星が静かな地上を照らしている。美しい夜です。この時間がこのまま続けば良いのです。
 森を吹き抜ける夜風を感じながら隣のイスラを見つめ、優しく目を細めました。

「夜風が気持ちいいですね。静かな夜です」
「…………」

 私はとても気分が良いのに、イスラは私に頷いただけで黙り込んでしまっています。
 何かを考え込むように歩いていて私は無意識に目を据わらせてしまう。イスラが何を考えているかなんて、考えたくありません。だって人形のような顔をしています。
 しばらく山の小道を歩いていると川辺に出ました。
 山の緩やかな傾斜を流れる小川。水面に夜空の月が映ってゆらゆら揺れています。

「ブレイラ、少し休もう」

 川辺に手頃な岩を見つけてイスラが座るように促してくれました。
 ゆっくり座ると、イスラが優しく目を細めて私を見つめている。

「疲れてないか? 水を汲んでくる」

 イスラが川に足を向けましたが、「ダメです」イスラの手を掴んで引き止めました。

「疲れていません、水もいりません。だから、あなたも隣に座ってください」
「分かった」

 私が体をずらすとイスラが隣に座ってくれました。
 隣にあるイスラの右腕に両手を添えます。
 イスラは思い詰めたような、鋭い面差しで水面の月を見つめていました。
 私がイスラの横顔を見つめていると、視線に気付いたイスラが振り返ってくれます。
 私を見つめる時、鋭さが消えて優しさが帯びる。それは私を慕ってくれるもので、私のなかで愛おしさが無限に積もっていく。
 幼少時は甘えたいと訴える瞳だったのに、今は大切だと伝えてくれる瞳です。どちらも私の好きな瞳。
 私はその瞳をずっと見ていたいから、だから。

「あなた、浮かない顔をしていますね」

 イスラの右腕に手を添えたまま、もう片方の手をイスラの頬に伸ばしました。
 近い距離でじっとイスラの顔を見つめる。困惑した顔になるイスラを見つめ、憂えるように目を細めます。

「可哀想に、昼間のことを思い出しているのですね。でも、自分を責めてはいけません。あなたはもう充分戦いました。もう解放されても良いのです。勇者だからと、戦うことはないのですよ」
「ブレイラ……」

 イスラは何かを言いかけて、でも言葉が出てこなくて、思い詰めた顔で視線を落とす。
 迷っているのですね。勇者の呪縛があなたを苦しめているのですね。

「昼間のあなたは人形のような顔をしていました。人間の為に戦うだけの人形です」

 私はそこで言葉を切ると、イスラの右手をぎゅっと握りしめました。
 イスラを見つめて、私が最も恐れていることを打ち明けます。

「イスラ、よく聞きなさい。勇者は死ぬのです。たとえ神格の存在であったとしても、勇者は死ぬのですよっ……」
「ブレイラ……?」

 イスラがはっとしたような顔になります。
 私は頷いて、イスラにゆっくりと語り掛ける。

「その昔、いにしえの時代の勇者はクラーケンに飲み込まれて死にました。他にも戦いに敗れて死んだ勇者も、謀略に嵌まって殺された勇者もいます。勇者は死ぬのです。どれだけ強大な力を持っていても、怪我をして、傷付いて、死ぬのです……!」

 私の視界が涙で滲み、声が震えてしまう。
 ある国は王が国を捨てました。民を先導して西へ連れていきました。多くの人が故郷を捨てて、ある街は、村は、空っぽになりました。
 今、多くの人間が西に向かっています。きっと西で大勢の人間が死ぬでしょう。
 でも、それがなんだというのです。


「イスラ、私はね、あなたが可愛いのです」


 私はイスラをまっすぐに見つめました。
 私はあなたに強い勇者であってほしいと思っていました。勇者の宿命を受け止められる強い勇者に。でもそれは人間の為に犠牲になれということではないのです。
 私の大切なあなたが、勇者という呪縛に囚われ、都合よく戦うだけの人形になることは許せません、絶対にっ。

「あなたが可愛いのですよ、イスラ」

 イスラを見つめて、そっと言葉を紡ぎました。
 あなたが勇者として人間の為に犠牲になるのではないかと思った瞬間、どうしようもなく怖くなりました。目を閉じると、血の海に倒れていたあなたの姿が浮かんで呼吸が止まりそうになる。
 だから、離してあげません。私は人間からあなたを取り上げたいのです。
 私はイスラの頬を指で撫でて、横髪を耳へと梳いて、そのまま手を頭へ持っていく。触れていたくて、離したくなくて、私の胸にイスラの顔を引き寄せて抱きしめました。
 ぎゅっと強く抱きしめて、イスラの黒髪に頬を埋めます。私はイスラが可愛くて可愛くて仕方ないのです。
 突然の言葉と抱擁にイスラは驚いたようでした。でも、右手をおずおずと私の背中に回してくれます。抱きしめ返されて私は安堵の息をつく。分かってくれたのですね。もうイスラが人間の為に戦うことはないのですね。

「ブレイラ」
「なんでしょうか」

 私は胸に抱いたイスラの黒髪を撫でながら聞き返しました。
 幼い子どもを宥めるように、守るように、愛おしむように、何度も何度も撫でてあげます。
 そうしながらイスラの言葉を待ちました。でも。


「ブレイラは、俺を可哀想だと思っているんだな」


 その言葉に、雷に打たれたような衝撃が走りました。
 一瞬で強張った私をイスラがじっと見つめる。そしてイスラは責めるでもなく、嘆くでもなく、ただ私をまっすぐに見つめて言葉を続けます。

「ブレイラは勘違いをしている。たしかに歴代勇者の中には不幸な最期を迎えた勇者も多い。でも、俺は歴代と同じじゃない。俺にはブレイラがいるから」
「…………わたし……?」

 意味が分かりませんでした。
 でもイスラは照れ臭そうな顔になって、小さく笑って、当然のように話してくれます。

「だって、ブレイラは俺が大好きだろ。四界の全部が俺を裏切っても、敵になったとしても、ブレイラだけは俺を裏切らない。絶対に俺の味方だ。ブレイラは俺のこと大好きだからな」

 イスラがなんの疑いもなく、当然のように言いました。
 そう語るイスラは迷いを吹っ切ったような、勇者の呪縛を断ち切ったような、そんな顔をしている。一切の迷いを感じさせないそれに私は混乱してしまう。

「イスラ……? な、なにを言っているのです。あなたは、」
「――――俺は勇者だ。俺はブレイラの子で、勇者なんだ」

 イスラがはっきりとした口調で言いました。
 そしてイスラが教えてくれます。

「俺もずっと分からなかった。なんで皆は俺を勇者だって思うんだろう、なんの為に戦うんだろう、どうして俺は勇者なんだろうって。……守ってきた人間に裏切られて、今まで当然だと思ってたことが分からなくなったんだ。だからブレイラが嫌なら、俺は本当に勇者をやめても良かった。それでブレイラが安心してくれるなら本気で勇者をやめようと思った。俺はブレイラがいてくれるだけで嬉しいから……。でもブレイラが俺に言っただろう。俺が信じることをやめたら俺を信じている自分はどうすればいいんだって、そう言っただろ。だから俺は戦える。何度裏切られても、誰も俺を傷付けることはできない」
「イスラ、それはっ……」

 言葉が出てこない。
 それは、私が以前イスラに語って聞かせたことでした。
 私はイスラが大好きで、可愛くて可愛くて仕方ありません。私のすべてを捧げるほどに愛しています。
 だから私はイスラを離したくありません。傷付いてほしくありません。それなのに、それなのにイスラは私がイスラを信じているから傷付かないというのです。

「人間が勇者に求めるのは、不可能を可能にする人智を超えた力か、奇跡か、他の世界の王と渡り合うことか。それだけの為に俺を勇者として崇めて利用するのかと悩んだ。でも、そんなのどうでもいいって気付いたんだ。どのみち俺はすべてを持っている。俺は強いからな」

 イスラは当然のように言うと、私を見つめたまま誓うように言葉を紡ぐ。

「俺にとって大事なのは、人間が俺をどう思っているかじゃなかった。ブレイラが俺を大好きだってことだけだ。何があってもブレイラは俺を大好きだから、俺は何があっても勇者でいられるんだ」

 イスラが強い眼差しで言いました。
 何ものにも屈しない、勇者の瞳。
 イスラは人形の糸を断ち切り、宿命ではなく自分の意志で勇者であろうとしているのです。
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