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1、オープニング

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 満天の星が輝く夜。
 地上には断罪の炎が赤く燃えて、黒い煙を吐いていた。
 

「あの炎に焼かれるのね」
 
 ランヴェール公爵夫人、ディリートは小さく呟く。
 
「残酷な処刑方法だこと。美しくないわ。長く苦しむのも、嫌ね」

 白く滑らかな肌。宝石のような紫水晶の瞳。
 珍しいストロベリーブロンドの髪は風に乱れて、炎の明かりに妖艶な艶を魅せている。
 断罪される悪逆の夫人は、取り乱す様子がなかった。その美しさと気高い姿に、誰もが目を奪われていた。
 
「ディリート。お前の名は歴史に残るであろう。皇族を何人も暗殺した稀代の悪女として」
 
 小声で語りかけるのは、即位したての若き皇帝イゼキウスだ。

「厄介だったランヴェール公爵も排除できる。よくやってくれたぞ。……老ゼクセン公爵がしつこくお前の助命を嘆願してきたのは意外であった」

 イゼキウスの赤毛が夜風に揺れる。緑色の瞳は高揚しているように見える。感情をすぐ表に出す男だ。皇族としては望ましくない性質だが、ディリートはイゼキウスのそんなところを気に入っている。

 イゼキウスは、哀れな人だった。
 先代の皇帝と玉座を奪い合った皇妹の子で、母から「次の玉座を狙え」と言い聞かされて育ったのだ。
 この国で継承権を持つためには、火属性と水属性を備えていないといけない。だが、イゼキウスには水属性がなかった。
 ゆえに、イゼキウスと彼を支持する陣営の者は必死で真実を隠した。希少な水属性の魔力を持つディリートも、自身の魔法で偽装工作を手伝い、彼の秘密を隠してあげた。そしてイゼキウスは継承争いに勝利したのである。

「お役に立てて光栄です。イゼキウス陛下」
 ディリートは小声で皇帝に別れを告げた。今生の別れである。

(いいじゃない。長く生きていたいとも思わないわ)
 ディリートは人生を振り返る。
 
 義理の母や妹が中心となっていた実家は、母を亡くしたディリートにとって、ひとりだけ異物が紛れ込んでしまったような肩身の狭さがあった。
 実家が所属していた派閥が敵対派閥と手を結び派閥を拡大し結束を強めるというので、ディリートは敵対派閥の高位貴族の家に政略結婚させられた。
 夫は血の通わぬ無機質な人形めいた男だった。夫婦の関係は冷え切っていた。
 
 誰との関係も、うまくいかない。そんなディリートに、イゼキウスは優しくしてくれた。
 彼の瞳には得体の知れない寂しさのような感情が揺れていた。イゼキウスは「お前の気持ち、わかるぞ」と寄り添ってくれて、自分の心の傷や弱点をさらけ出してくれた。
 だから、ディリートはイゼキウスに味方したくなったのだった。

 無数の視線が注がれている。けれど、イゼキウスの森色の瞳を見ていると、世界に二人だけになったみたいな気分だ。
 ディリートは言葉を紡いだ。
 
「水の魔力を持つ者を多数輩出している権勢名家……第一皇子派筆頭だったゼクセン公爵は私にとって母方の祖父にあたります。これまで縁遠く話したこともありませんでしたし、気に留められていないと思っていましたが、私に好意的な方だったようですね。私が自らの意思で罪を犯したこと。助命嘆願には感謝していること。過去を水に流し、これからは新皇帝を支えてほしいこと……それらを手紙として書いておきましたので、ご活用ください」

 嘘で固められた低い継承権をよすがに、薄い氷の上で戦うような劣勢からの競争を強いられていたイゼキウスは、勝った。
 
(私は彼の役に立てた)
 そう思うと、嬉しかった。
 
 イゼキウスの罪を被り、彼のために政敵ランヴェール公爵に「悪逆の夫人の凶行を阻止できなかった夫」あるいは「共犯者」という烙印を押し付けて死ねるのが誇らしかった。

 
「悪女ディリートに制裁を!」

 
 大勢の声があふれて、地上の夜は騒がしかった。

 
「ごらん、ディリート」
 イゼキウスがふと呟く。
 
 促されて見てみれば、薔薇色の髪をなびかせた娘がいる。
 
 名はフレイヤ。
 ディリートが誰よりも嫌う義理の妹だ。
 
「ディリート、お前の妹を皇妃に迎えようと思う」
「……イゼキウス? 今、なんて?」

 ディリートは耳を疑った。自分がいかに妹を憎むか、イゼキウスには散々打ち明けていたのだ。イゼキウスは共感してくれて、ディリートを憐れんでくれていた。「お前の妹は酷いな、俺はお前の味方だ」と言ってくれたのだ。

 妹フレイヤが近づいてくる。イゼキウスにエスコートされて、顔を寄せる。可憐な声が空気をふるわせる。

「お姉様って本当にわたしのためになんでもしてくださるのですね。命を捨てて、わたしに水属性をくださるなんて」
「……え?」
「本当にお姉様はわたしのことが大好きで、わたしのために尽くしてくださるのね」
 
 フレイヤは腕にはめた腕輪を見せた。それは、ディリートの腕にはめられた腕輪と似ている。

「女性用しか開発できていないのが残念だ。そうでなければ俺が水属性を継ぐのだが」
「お姉様が亡くなると同時に、その魔力はわたしに継がれます。わたしのためにそこまでしてくださるなんて、本当にありがとうございます……! わたし、お姉様のお望み通りにイゼキウス陛下と幸せになりますから、お心安らかにお休みくださいね?」

 何を言っているの。
 何を言われているの。
 
 ぞわぞわと背筋を悪寒が走るディリートの耳に、追撃するようにイゼキウスが声を寄り添わせた。
 
「ディリート、知っているか? ブラント・カッセル伯爵は毒をうまく使う。お前の母も病死と言われて、疑う者はいなかっただろう」
 
 イゼキウスは美しく妖しく笑む。
 愉しくて仕方ないのだ、と。その歪んだ笑みが感情を伝えてくる。
 
「最初から私と彼らは同盟関係にあったのだ。お前は何か思い上がった勘違いをしていたようだが、ただ思い通りに盤上で踊って犠牲になるだけの捨て駒にすぎぬ」
 
 ディリートの思考が凍る。

「時間だ。刑を執行せよ」

 イゼキウスが命じて、茶番の終わりとばかりに背を向ける。離れていく。

「……!」

 ブワリ。
 燃え盛る炎が、ディリートを襲う。

「あァ!」
 
 悲鳴があがる。
 熱い。
 熱い!
 
「アアァ! アァァァ!!」
 
 熱気に悲鳴をあげる皮膚が内側からも憤怒の熱を吹き上げる。
 熱い。痛い。
 ほおが熱い。
 喉が熱い。
 胸が苦しい。
 目の奥が熱い。
 腕が。脚が。

「……――」

 唯一、黄泉へ持っていけと許された亡き母の形見の指輪が、指を溶かすような熱さを放っている。
 煙が全身を包み、視界が黒と赤に染まる。

 炎が皮膚を焼き、すさまじい苦痛が脳を揺らす。

「民よ! 帝国の民よ! 私は無実です!」

 死に瀕したディリートの中で、激情が弾ける。
 懸命に叫ぶ――叫んだつもりだったが、できていない。
 
「皇帝には、継承権がなかった! 皇帝には、水属性がない! 先代の皇帝や皇子たちを暗殺したのは、イゼキウスよ! 知っている! 私は真実を知っている……!」

 真実を世に伝えたい。
 カッセル家の者たちとイゼキウスに復讐したい。
 憎らしい者たちに協力してしまった自分が悔しい。
 やり直したい。
 
 炎の中で叫ぼうとした想いは、まともな言葉として他者に届くことはなかった。
 
 帝国暦532年。

 美しき悪女ディリートは、この日処刑され。

 

 ……次に目覚めたとき、過去に戻っていた。

 帝国暦527年。
 流行病が多数の死者を生み、皇族が次々と命を落とす5年間の幕開けの日に。
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