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6、精霊獣、ロラン卿のフェーデと騎士のミンネ

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 公爵邸の一室にて縁組を控えた婚約者として過ごすようになったディリートの部屋には、ふわふわとした生き物がたまにあらわれる。
 それは、毛色が蜜柑色で、仔狼に似ている。
 一度目の人生でも公爵家に来てしばらくの間、よく見かけたその生き物は、精霊獣という。その生き物の主人はランヴェール公爵だろう。

 伯爵領ではあまり見たことのない未知の生き物は、一度目の人生では怖かった。
 小さな生き物ではあったが魔力を感じたし、牙や爪もあったので、部屋の中に侵入してきたそれを見てディリートは悲鳴をあげ、「部屋の外に追い出してちょうだい」とエマに命じて追い出したのだ。毎回、毎回。
 そうするうち、その生き物はやがてディリートの目の前に姿をみせなくなったので、一度目の人生ではそれきりだったのだが。

(今の私が改めてみてみると、別に怖い生き物ではないわ)
 
 一度目の人生では、「精霊獣ってこわいわ」と恐れていたディリートにイゼキウスが大きくて恐ろしい見た目の精霊獣を見せてくれて、「精霊獣は基本、優しい心を持っている生き物で、怖くない。とても珍しい生き物で、所有するのがステータスなんだ。能力も様々で、普通の猟犬や馬よりずっと便利だぞ。主人に忠実で、強いんだ。すぐに裏切る人間よりずっと頼りになる」と教えてくれた。怯えるディリートに水属性に相性のよい小さな精霊獣をみせて、「ほら、お前に懐いているぞ」と撫でさせたのだ。

「……いらっしゃい。隣にお邪魔しても、よろしいかしら?」
 
 ソファにひょこりとのぼって、雅やかな花模様のファブリックに爪を立てようとしていた精霊獣に近寄り、ディリートは隣に腰をおろした。精霊獣はもふもふとした尻尾をふぁさりと揺らして、ディリートの膝にのってくる。おそるおそる背を撫でてみると、気持ちよさそうに目を細めるのが愛らしかった。
 
 公爵家の侍女たちが慣れた様子で紅茶を給仕してくれる。
 
「この精霊獣は、公爵様の愛玩動物かなにか? 名前はあるのかしら?」
 あごの下を指でくすぐるようにすると、精霊獣は「くるる」と喉を鳴らした。

「アシル様、でございます」
「その名前では呼びにくいわね」

 ディリートは少し驚いた。
 ランヴェール公爵は自分の愛玩動物に自分の名前をつけるのか。

「私だったら、愛玩動物に自分の名前はつけないわ。変わったお方ね」

 ディリートは首をかしげつつ、自分をみあげる精霊獣を撫でた。
「トパーズの瞳が綺麗ね」 
 煌めく瞳は美しく、褒めるとパチパチと瞬きをする。ディリートは「この精霊獣は人の言葉を理解しているのだ」と思った。

 そこに、エマがやってくる。
 
「お嬢様、ゼクセン公爵からのお手紙です。それと……ロラン卿のフェーデやミンネが噂されていますよ」
「お手紙は喜ばしいとして、ロラン卿のフェーデやミンネとはなにかしら?」
 
 この国でフェーデとは決闘を、ミンネとは愛を指す言葉である。つまり、エマは「ロラン卿が決闘したりロマンスしたりして噂になっている」というのだ。ひとことで言うとゴシップである。
 フェーデはともかくとして、ミンネは大体が道ならぬ恋である。上流階級のご婦人方は政略結婚が多く、恋愛に縁遠い。そんな中で若き騎士と主君の妻の不倫話を提供すると、喜ばれる。ゆえに詩人たちは上流階級の奥方にせっせとその手のお話を献上し、小銭を稼いでいるのだ。
 
 エマが手紙の載ったトレイを差し出し、噂話を披露する。

「騎士であるロラン卿は、主君の妻となるレディを主君の命令によりお迎えにいったのですが、そのレディはご実家でたいそう酷い扱いを受けておられたのだそうです。まるで『おちくぼ部屋の姫』『おちくぼ姫』だと評判で」

 『おちくぼ部屋の姫』とは、帝国で「この詩人は優れている」と称えられている桂冠詩人がつむいだ物語である。別名、『シンディ=レイラ姫』。貴族の姫君なのに意地悪な継母のせいで落ちくぼんだ部屋でつらい生活を送っていた不憫な娘の物語だ。
 
(そのレディというのは、私のことでは……とは、あえて言わない方がよいのかしら)
 エマは「レディ」が誰なのかは伏せつつ、「ロラン卿は義憤に駆られ、騎士として姫のために姫のご実家に決闘を申し込まれたのですっ」と盛り上がっている。

「そして、ミンネにつながるのね」
 
 ディリートは他人事の温度感で相槌を打ち、紅茶のカップを口に運んだ。真っ白のミルヒを混ぜた紅茶は口あたりが滑らかで、優しい味わいだ。
 
「ええ、お嬢様。騎士が主君の妻となる女性と道ならぬ恋に落ち、決闘に勝利するロマンスは古くから人気がありまして……ロラン卿のミンネは演劇化するともいわれていますっ」
「あら、あら」

 お待ちになって。
 それは「すごいわね」と相槌を打っていてよいのかしら。

 ディリートは首をかしげた。
   
「ミンネとは、道ならぬ恋。不倫……ロラン卿にとって、不名誉な噂ではないかしら。それに、演劇化? 許可などは求められたりしたのかしら。まさか、無断で劇にされてしまう……?」
「ランヴェール公爵閣下が許可を出されまして、積極的に推進しているようです」

 公爵家の侍女が「ご安心ください」と微笑んでいる。
 何を安心しろというのだろうか。ディリートは戸惑った。

「公爵様は――……」

 

 侍女と精霊獣の視線がディリートに集まっている。
 どんなリアクションをするのか、試されているのかもしれない。ディリートはそう思った。

「冷酷な方だと噂がありましたね。私は噂など信じていませんでしたが、世の中の人というのは噂があれば信じてしまう人も多いのです。ロラン卿のお気持ちを思うと、哀れに感じるのは、私の感性がおかしいのかしら……」

 精霊獣がひくひくと鼻をひくつかせているので、ディリートはスコーンをひとかけら手のひらに載せて口元に寄せてあげた。
 精霊獣はパクリとスコーンに食いついて、もぐもぐと美味しそうに食べている。

(可愛らしいこと)
 ディリートはコッソリと癒されながらも、表面上は「遺憾の至り」といった口調で嘆いた。
 
「ロラン卿の主君といえばランヴェール公爵様。ならば、ご自分や私にとっても、不名誉な噂ではありませんか。公爵様は形式的な関係に過ぎない政略結婚の妻の不倫には興味がないのかもしれませんが、積極的にご自分の騎士との不倫の噂を広めて興行ではした金を稼ごうとなさるとは、上品とは言えないのではなくて?」

「そんな興行よりも、の薬でも開発したほうがよほど儲かるし、名誉も得られましょうに――」  

 精霊獣をよしよしと撫でて、ディリートは侍女に言い聞かせるように言葉をつむいだ。すると。

「わふ」
「あら、もう行ってしまうの?」

 精霊獣は別れを告げるようにフワフワの尻尾を振り、ひょこりとソファから降りて、侍女に扉を開いてもらって部屋から出て行った。 
 
「またね、可愛い仔狼さん」
「わぅ」 
 
 ……自分のリアクションは報告されて公爵の耳に入る。
 
 ディリートが確信しながらゼクセン公爵からの手紙に目を通していると、やがてランヴェール公爵から呼び出された。ディリートは手紙を手に、公爵が待つ執務室へと向かうのだった。
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