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真実、それぞれの愛の終わり方
恋しくて、恋しくて
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緑山が自宅に戻ったのは、とうに日付も変わり、街のすべてが寝静まったような時間だった。あてもなく車を走らせてかなり遠くまで行った。
何をやっても充実感が得られなかった。
どんないい服を着て、どんないい車に乗ってどんなに走らせても、折れてしまった心を直す術もなく、一人で苦しんでいた。
スーツを脱いで、裸で冷え切ったベッドに一人きりで入る。頭まで毛布をかぶり、丸くなって声を押し殺して泣いた。
緑山が学校をやめたのは、山波にやめて欲しくなかったからで、あの大学に行けば山波に会えて、いつかは如月と雅のような、少し距離を置いて共に歩むことができる関係になれればと思っていた。
だが、深く、深く愛し過ぎて自分の気持ちに蓋をして作り笑いで日々を過ごす自身がなかった。
遠く離れて過ごす山波も、緑山と同じ思いを抱いていた。
仕事をする、腹が減れば飯を食べる。
だが、生きることに一番大切な何かが足りていない、虚無感を抱いていた。
それを埋めるものが何なのかもわかっていたが、頭の中で否定し続けた。
そして何度も自分自身に言い聞かせた。これでよかったのだと。
翌日午後、祖父が緑山のオフィスを訪れた。
オフィスというだけで、仕事はなかった。
最上階の角部屋、イタリア製の高級家具で飾られてはいたが、中身はからっぽの牢屋で、毎日退屈で死にそうだった。
「則夫、元気にしているか。」
「お爺様、お久しぶりです。」
「いいオフィスじゃないか。」
「ありがとうございます。」
そうは言ったが、祖父にもわかっていた。
緑山はただ綺麗に飾られただけの人形だという事が。
だが、この一族にはその人形がとても重要だった。
「今日はおまえの縁談の事で来た。」
「お爺様、僕はまだ二十一ですよ。」
「私も、おまえの父親も、おまえの今の年にはもう結婚していた。
この家に生まれた者は皆そうやって、この家を守ってきたんだ。
なにもすぐ結婚しろというわけではない。だが、婚約は絶対だ。」
祖父はそれだけを言うと席を立った。
「断ることはできないのですよね。」
「おまえに選択権はない。ただ決められた運命に従っていればいいんだ。」
祖父が部屋を出ると、やりきれない思いで、机の上の書類を破き、床に撒き散らした。
どうせ、重要な書類など一つもない、紙1枚にさえ、まともなサインをする事もない、
そんな自分に与えられた初めての仕事が婚約することだなんて、
そのために自分は大切なものを捨てて来たのかと思うとばかばかしくて、悔しくて我慢の限界だった。
つぎの日曜日、緑山の家に女が訪れた。どうやらその女が婚約の相手らしい。
白いワンピースで清純そうに見せてはいるが、雑な歩き方やささくれ立った髪で、何もできない遊び人の女である事を想像させた。
いずれにしろ、なんの興味もわきはしないが、両親がドライブでもしてこいと、促されるままに車に乗った。
「すいません。窓を閉めてもらえませんか?」
女はそう言ったが、緑山は女の香水でのむせ返るような匂いがたまらず、窓を全開にしていた。
「ああ、わかりました。」
窓を閉めるとまた、匂い立ち、吐きそうになってまた窓を開けて外の空気を吸った。
好きでもない女の香水をかがされるくらいなら、排気ガスを吸っているほうがよっぽどましだと思った。
「どこへ連れて行ってくださるの?」
まだ走り出して10分も立っていないのに、物憂げに視線を送り少しすり寄って話す女に、もう飽き飽きしていた。
話すたび自分に体を向け、ミニスカートから覗く足を強調するような仕草にも飽き飽きした。
退屈を紛らわすように、何度も窓の上げ下げを繰り返し、交差点では、いつもは見ない街の並びを見た。
赤信号で止まり、ふと見た本屋から、山波が出てくるのを見たような気がした。
思わず車を置いてその幻影を走って追いかけた。
そして町中を探した。
この街のどこかで、自分を遠くから見守ってひっそり生きている。
そう思えて、会いたくて、町中を走った。
そして主を失った車は、信号が変わっても、そこから動くことはなかった。
「則夫、やってしまったようだね。」
しばらくして、緑山はたまらず如月を訪ねた。
「香水が・・・たまらなくて・・・」
「わかるよ。どんな美しい香りでも、女性の品格に比例していないと攻撃的になるからね。」
如月は紅茶を緑山の前に出した。
頬杖をつき、上の空の緑山が見ているものは紅茶ではないことがすぐわかった。
「ほかに何があった?」
「いや、何も。」
「本当か?
私には君が、アポロンを見つめるレウコトエのような目をしているように思えるけれど、気のせいだったかな。」
「今日はコレを渡しに来ました。」
「コレは?」
「僕の婚約パーティーの案内です。」
「君の母上から、付き合いを拒絶されたところだったのだけど。」
「あなたには、僕が断頭台に上がるところを見届けてほしい。」
「断頭台か・・・勇ましいね。必ず出席するよ。紅茶が冷める。早く飲みなさい。」
「ミルクティですか。やめときます。気持ちが揺らぐ。」
緑山は結局、如月と一度も目を合わせることなく帰って行った。
「則夫さん苦しそうでしたね。」
「汐田君、心配ないよ。則夫の病は来週には治る。」
如月は緑山が残した紅茶を手に取り、庭を見ながら一口飲んだ。
「そうだ汐田君、鈴木さんに離れを綺麗に掃除するように言ってくれ。
壁紙も張り替えて、カーテンもベッドも買い換えるようにと。」
「カーテンは何色がいいですか?」
「黄色がいいかな。ヒマワリの色だ。」
如月は庭に出て、太陽に手をがざした。
生きていることはとても楽しくて本当に飽きないと思っていた。
何をやっても充実感が得られなかった。
どんないい服を着て、どんないい車に乗ってどんなに走らせても、折れてしまった心を直す術もなく、一人で苦しんでいた。
スーツを脱いで、裸で冷え切ったベッドに一人きりで入る。頭まで毛布をかぶり、丸くなって声を押し殺して泣いた。
緑山が学校をやめたのは、山波にやめて欲しくなかったからで、あの大学に行けば山波に会えて、いつかは如月と雅のような、少し距離を置いて共に歩むことができる関係になれればと思っていた。
だが、深く、深く愛し過ぎて自分の気持ちに蓋をして作り笑いで日々を過ごす自身がなかった。
遠く離れて過ごす山波も、緑山と同じ思いを抱いていた。
仕事をする、腹が減れば飯を食べる。
だが、生きることに一番大切な何かが足りていない、虚無感を抱いていた。
それを埋めるものが何なのかもわかっていたが、頭の中で否定し続けた。
そして何度も自分自身に言い聞かせた。これでよかったのだと。
翌日午後、祖父が緑山のオフィスを訪れた。
オフィスというだけで、仕事はなかった。
最上階の角部屋、イタリア製の高級家具で飾られてはいたが、中身はからっぽの牢屋で、毎日退屈で死にそうだった。
「則夫、元気にしているか。」
「お爺様、お久しぶりです。」
「いいオフィスじゃないか。」
「ありがとうございます。」
そうは言ったが、祖父にもわかっていた。
緑山はただ綺麗に飾られただけの人形だという事が。
だが、この一族にはその人形がとても重要だった。
「今日はおまえの縁談の事で来た。」
「お爺様、僕はまだ二十一ですよ。」
「私も、おまえの父親も、おまえの今の年にはもう結婚していた。
この家に生まれた者は皆そうやって、この家を守ってきたんだ。
なにもすぐ結婚しろというわけではない。だが、婚約は絶対だ。」
祖父はそれだけを言うと席を立った。
「断ることはできないのですよね。」
「おまえに選択権はない。ただ決められた運命に従っていればいいんだ。」
祖父が部屋を出ると、やりきれない思いで、机の上の書類を破き、床に撒き散らした。
どうせ、重要な書類など一つもない、紙1枚にさえ、まともなサインをする事もない、
そんな自分に与えられた初めての仕事が婚約することだなんて、
そのために自分は大切なものを捨てて来たのかと思うとばかばかしくて、悔しくて我慢の限界だった。
つぎの日曜日、緑山の家に女が訪れた。どうやらその女が婚約の相手らしい。
白いワンピースで清純そうに見せてはいるが、雑な歩き方やささくれ立った髪で、何もできない遊び人の女である事を想像させた。
いずれにしろ、なんの興味もわきはしないが、両親がドライブでもしてこいと、促されるままに車に乗った。
「すいません。窓を閉めてもらえませんか?」
女はそう言ったが、緑山は女の香水でのむせ返るような匂いがたまらず、窓を全開にしていた。
「ああ、わかりました。」
窓を閉めるとまた、匂い立ち、吐きそうになってまた窓を開けて外の空気を吸った。
好きでもない女の香水をかがされるくらいなら、排気ガスを吸っているほうがよっぽどましだと思った。
「どこへ連れて行ってくださるの?」
まだ走り出して10分も立っていないのに、物憂げに視線を送り少しすり寄って話す女に、もう飽き飽きしていた。
話すたび自分に体を向け、ミニスカートから覗く足を強調するような仕草にも飽き飽きした。
退屈を紛らわすように、何度も窓の上げ下げを繰り返し、交差点では、いつもは見ない街の並びを見た。
赤信号で止まり、ふと見た本屋から、山波が出てくるのを見たような気がした。
思わず車を置いてその幻影を走って追いかけた。
そして町中を探した。
この街のどこかで、自分を遠くから見守ってひっそり生きている。
そう思えて、会いたくて、町中を走った。
そして主を失った車は、信号が変わっても、そこから動くことはなかった。
「則夫、やってしまったようだね。」
しばらくして、緑山はたまらず如月を訪ねた。
「香水が・・・たまらなくて・・・」
「わかるよ。どんな美しい香りでも、女性の品格に比例していないと攻撃的になるからね。」
如月は紅茶を緑山の前に出した。
頬杖をつき、上の空の緑山が見ているものは紅茶ではないことがすぐわかった。
「ほかに何があった?」
「いや、何も。」
「本当か?
私には君が、アポロンを見つめるレウコトエのような目をしているように思えるけれど、気のせいだったかな。」
「今日はコレを渡しに来ました。」
「コレは?」
「僕の婚約パーティーの案内です。」
「君の母上から、付き合いを拒絶されたところだったのだけど。」
「あなたには、僕が断頭台に上がるところを見届けてほしい。」
「断頭台か・・・勇ましいね。必ず出席するよ。紅茶が冷める。早く飲みなさい。」
「ミルクティですか。やめときます。気持ちが揺らぐ。」
緑山は結局、如月と一度も目を合わせることなく帰って行った。
「則夫さん苦しそうでしたね。」
「汐田君、心配ないよ。則夫の病は来週には治る。」
如月は緑山が残した紅茶を手に取り、庭を見ながら一口飲んだ。
「そうだ汐田君、鈴木さんに離れを綺麗に掃除するように言ってくれ。
壁紙も張り替えて、カーテンもベッドも買い換えるようにと。」
「カーテンは何色がいいですか?」
「黄色がいいかな。ヒマワリの色だ。」
如月は庭に出て、太陽に手をがざした。
生きていることはとても楽しくて本当に飽きないと思っていた。
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