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幕間〜ノインside
銀色のトロリーを静かに押し、廊下を進む。
目的の扉を叩くと、中から聞き慣れた主の声が響いた。
「失礼いたします」
一礼と共に執務室へ足を踏み入れる。
主はデスクに向かい、山積みの書類を鮮やかに捌いていた。
商会の運営状況に目を通し、指示や訂正を書き込み、署名をする。
その動きに淀みはない。
アシュフォード公爵家にいた頃、主は王城で王太子や王妃の執務を手伝わされていた。
トレヴァント辺境伯家へ嫁いだ後は、幸いにも元辺境伯が主を『辺境伯夫人』として拒否し続けたおかげで、余計な雑務に煩わされることなく、ルペール商会の業務に邁進することが出来たのだ。
この三年間で主が生み出した『少数限定』の硝子製品や菓子は、見栄っ……流行に敏感な貴族たちの間で、水面下の争奪戦を引き起こしている。
商会の従業員や職人には、当然のことながら平民も多く含まれている。
貴族……それも高位貴族には貴賎意識が強い者が多いが、主は少女の頃から孤児院への奉仕活動をしていたうえ、冒険者としても活動をしていることもあり、余程のことがなければ出自で人を蔑むようなことはない。
それどころか、平民や孤児院出身の者であっても、才ある者には相応の敬意と報酬を支払う。
王城の執務官たちが過労でミスを連発する様を見てきた主は、「休養も仕事のうち」という見解のもと、『完全シフト制』や『能力手当』を導入し、従業員たちの忠誠心を何よりも強固なものにしていた。
主が最近好んでいる紅茶をカップに注ぎ、デスクの端へ置く。
「ありがとう」
ペンを置き、処理済みの書類を仕分けると、主はソーサーごと手元へ引き寄せ、カップを口に運んだ。
「セシリア様。教皇猊下よりお手紙が届いております」
私は教皇の封蝋が押された上質な封筒を差し出した。
主は視線で改めた後、カップをソーサーの上に戻して封を切った。
「……私とレオンハルト・トレヴァントとの婚姻無効手続きが、受理されたそうよ」
主は手紙をそのまま私へ差し出した。
目線で許可を問うと、主は無言のまま頷く。
手紙には確かに、主が正式に『未婚の女侯爵』になったことが記されていた。
そして末尾には、「余計なお世話だが」と前置きと共に、「希少な全属性魔法の適性を持つ女侯爵となった主には縁談が殺到するだろう」、「心許せる者がいるのであれば、さっさと婚約者をたてることを勧める」という教皇なりの助言が添えられていた。
「婚姻無効手続きが済んだそばから、縁談を持ち込まれても困るわね」
紅茶を一口含み、主は眉を顰めて小さく溜め息を吐いた。
その表情には、隠しようもない『面倒だわ』という本音が透けている。
そう思うのも無理はない。
主は先日、正式に『ブランシェ侯爵位』を叙爵されたばかりなのだ。
新しく爵位を興すには、過去から既存する貴族家と重複しない家名や家紋、更に領地選定など、王城との果てしない調整が必要になる。
家名に関しては、主が候補とした『ブランシェ』で早々に決定した。
「どんな意味があるのか?」と事務官の問いに対し、淡々と穏やかに微笑みながらこう答えた。
「陛下より賜るこの爵位は、アシュフォードともトレヴァントとも無縁のものですわ。私が『何色にも染まらず、真っさらな状態』から始めるという意味を込めておりますの」
事務官たちは「なるほど、素晴らしい!」と感心していたが、私に言わせれば浅はかとしか言いようがない。
『何色にも染まらない』
それを家名に据えるということは、即ち『今後も貴公らの望む色には染まるつもりがない』という意思表示である。
主は自らの信念と国の為に尽くすことはあっても、誰かの手駒になるつもりなど毛頭ないのだ。
その真意に気付かぬ者たちの滑稽さに、私は心の中で溜め息を吐いた。
家紋は、過去の意匠を精査した末、『白梟』と『盾』を組み合わせたものにようやく定まり、領地も、かつてセキトフ辺境伯の姉君を虐げた王妃の生家⸺⸺その公爵家から一部没収された領地がそのまま与えられた。
当事者である前公爵夫妻は既に鬼籍に入っているが、だからといって責任を問わないわけにもいかない。
それ故、領地の三分の一を没収されると同時に、セキトフ辺境伯家へ慰謝料を支払うこととなった。
没収された領地には魔石鉱山が含まれており、公爵家にとっては致命的な痛手であることは間違いないだろう。
主としては別に魔石鉱山はなくても構わなかったようだが、あるなら何か新たな産業にできないかと模索を始めている。
……そんな多忙を極める最中に降って湧いた『縁談』の話。
主は現在21歳。
貴族令嬢としては決して若くなく、むしろ『行き遅れ』と囁き始める年齢である。
ましてや同年代の高位貴族であれば、既に婚約者がいるか婚姻済みの者が多く、そんな中で持ち込まれる『縁談』など、ほぼ高確率で『難あり案件』なのは間違いない。
「……セシリア様は。新たな婚約に関しては、どうお考えなのですか?」
ふと、そんな問いが口を突いて出た。
主は私がそのような私的な関心を示したことが意外だったのか、目を丸くして私の顔を見上げる。
……執事として、主の将来を案じるのは当然の役目ではないか?と思うのだが……
「……そうねえ」
主はそう呟きながら執務椅子の背もたれに体を預け、少し遠くを見るように沈黙した。
「……少なくとも、私のことを『ちゃんと見てくれる人』でなければ、二度と結婚したくないわね。他人の噂ではなく、私の存在そのものを見て、私の言葉に耳を傾けてくれる人」
「能力だとか、責任の意味をきちんと理解しているかというのも、もちろんあるのだろうけれど」と、主は自嘲気味に付け加えた。
貴族としての能力、責任と義務、そして権利とは何たるかを知る。
それは当主の婿として当然必要なものではあるが、それよりも主が求めているのは『理解しようとする姿勢』だった。
『きちんと見る』ということは、相手を理解しようとする姿勢がなければ出来ないことなのだ。
かつてのアシュフォード公爵家の者も、王家も、そしてトレヴァント辺境伯家の者も。
彼らは皆、セシリアという人間を『公爵令嬢』や『王太子の婚約者』などという『付加価値』としてしか見ていなかった。
……願わくは。
主の、一番の理解者は『自分』で在りたい。
そう願ってしまうのは、一介の執事としては過ぎた贅沢だろうか……?
私は一度瞼を閉じ、「左様でございますか……」とだけ呟くと、主へ新しい紅茶を供した。
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