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第二章
8
しおりを挟む「遅くなったな」
ギギッと軋む扉の音と共に入ってきたのは、真面目そうに髪の毛をきっちり七三に分けた眼鏡の男。
その緑色のネクタイは二年生である事を示していたが、龍之介も優吾も、そして太一も、おぅ。と軽く手を上げただけだった。
「明さん、委員会だったん?」
そう声を掛けたのは、太一。
明と呼ばれた男こと新堂明は龍之介に紹介され知り合った人物で、秀才で真面目で一見取っつきにくそうだが、笑った顔がとても優しい先輩なのである。
そんな明にすっかり太一も気を許しており、初め紹介された時はなぜ二年の明と龍之介が知り合いなのだと思ったものだが、それは龍之介の家柄に、関係があった。
なんと龍之介はちゃらんぽらんな見目をしているが、実はアルファであり、明はベータだが代々秘書として龍之介の家に仕えている家系らしく、小さな頃から明も龍之介の世話係のようなものをしていたらしい。
それなので頭が良いのにわざわざ明がこの学校に進学したのは一個下の龍之介の学力に合わせた為らしく、まさか龍之介がアルファだとは思っていなかった太一はその話を聞かされた時、目を丸くしたのだった。
今まで見てきたアルファといえば、同じアルファ同士で固まり、“俺達はお前達とは違う。選ばれた人間なのだ”というオーラをばりばり出し周りを見下していたイメージしかなく。
まぁ明と龍之介の間には家柄によって特別な関係があるみたいだが、龍之介自体はそんなもの関係なく『俺が明と居るのが楽しいから一緒に居るんだ』と笑うばかりで、明も口では仕方なくと言っているが龍之介の事を弟のように気にかけ大事にしていると付き合いが短いながらも感じた太一は、アルファだろうがベータだろうが関係なくつるむ龍之介のようなアルファも居るのか。と驚いたのだ。
そうこうしている内にまたも扉が開き、
「ういっす!」
なんて顔を覗かせたのは、もう昼時だというのに未だ重力に逆らったままの寝癖を付け、シャツをだらしなく出し、上履きではなくスリッパで近付いてくる男こと、小山亘。
この男は隣のクラスだが、龍之介達とは中学からの仲らしく、ぶっ飛んでいるそのキャラと天才さに太一も毎度毎度、腹が捩れるほど笑わされている。
そうして龍之介を中心にして出来た、なんとも癖の強い友人達。
こんなに沢山の友人が出来るとは。と太一自身驚きながらも、馬鹿をやって騒げる事が楽しくないわけがなく、毎日充実した日々を過ごしている。
──けれどもやはり、自分がオメガだと打ち明ける事は、出来ず。
幸い太一は少々華奢だが比較的体つきも普通で、フェロモンも発情期以外出ることはなく、ベータ寄りのオメガらしい。
それなので普通にしていればベータとなんら変わらず、だからこそ皆にはオメガだとバレてはいないだろう。
ましてや言ったところでこのメンバーが態度を変える事はまずないだろうとは思うが、まだ小学生の頃に植え付けられたトラウマから脱却する事が出来ずにいて、……なんだか情けねぇなぁ。と自分を卑下していた太一だったが、亘が来た事によって途端に先程より三倍ほど煩くなり、
「っあ、ちょ、それ俺のパンッ!」
「うるせーー!!」
と突然龍之介からパンを奪われ焦る亘と、横暴に奪い取ろうとする龍之介というミニコントが始まり、太一もははっと笑い声をあげた。
必死に手を伸ばし、龍之介の手とビニールごとはむっと咥えた亘に、きたねぇ! と龍之介が叫び、それを見た優吾の笑いにつられるよう、薄く明も笑っている。
晴れた空にこだまする、弾けるような皆の笑い声。
屋上の空気は柔らかく、静かに過ぎて行く。
しかし、その穏やかさを裂くよう、
「お前らうるさすぎ。階段の下まで聞こえてたよ」
と不意に扉の方から声がし、太一はびくっと小さく身を震わせた。
その声は勿論忌々しい(?)、なんの因果か知らぬが魂の番いである亮で、呆れ笑いをしながら近付いてくる亮に、太一は目を伏せた。
話しかけるな、近寄るな。と宣言したあの日から、約一ヶ月。
お互い龍之介の友人なのでどうしてもこうして顔を合わせる機会は増えるわけで、あんな啖呵を切っておいてと気まずい想いでいっぱいの太一は、でも俺はやっぱりお前と仲良くはなれない。と人知れず唇を噛み締めた。
お高くとまっているわけではなく、やはり龍之介の友達なだけあって亮も人当たりは良さそうなのだが、けれど自覚があるのかないのかやはり分からないが龍之介とは違ってどこからどう見てもアルファだと言わんばかりのオーラが溢れている、亮。
そんな亮が居るからこそ、この屋上には他の生徒が寄り付かないという事を、太一は知っている。
邪魔しちゃ悪いので屋上には立ち入り禁止。という暗黙のルールさえたった一ヶ月程度で生み出し、全学年に浸透させてしまうほどの圧倒的な亮のアルファのオーラに会うたびにぞわぞわとしてしまって、やっぱ仲良くするのは絶対無理。と体に走る震えをなんとか抑え、太一は立ち上がった。
「……ごめん、俺もう行くわ」
そうぽそりと呟き、亮を見ずに太一が歩き出す。
いつも突然にそう宣言し太一が居なくなるのは毎度の事で、太一いつも何してんの? なんて亘が他意なく問いかけたが、太一は、ちょっと。と笑う事しか出来なかった。
一歩、一歩と足を踏み出すたびに火傷しそうなほどの視線を、亮から感じる。
見つめられていると分かっていて、上手く呼吸ができず息苦しさを感じた太一がそれでも深呼吸をしてすれ違おうとした、その瞬間。
亮が、太一の腕を取った。
「あのさ、太一、」
ばちっ、と合う視線。
触れた、体温。
見つめてくる亮は何か言いたげだったが、触られた所からあっという間に熱くなる体にびくっと震え、その手を太一は反射的にパシッと弾いてしまい、一瞬屋上にピンとした空気が張り詰める。
その何とも言いがたい空気に、くそっと心のなかで舌打ちをした太一は、
「……ごめん、近衛」
とやっとの思いで絞り出した声でなんとか謝り、俺急ぐから。と堪らず駆け出した。
バタバタバタ、と乱暴に音を鳴らし、階段を降りてゆく太一。
たった数秒腕を掴まれただけなのにやけに心臓がバクバクと煩くて、人気のない踊り場に踞り、ハァハァと乱れる息を整えようと太一は必死に深呼吸をした。
ざわざわと煩い昼休みの、校舎。
その喧騒を遠くで聞く太一だけが暗い顔をして立てた膝に顔を押し付けては、魂の番いなんて糞だ。と項垂れながら、ぎゅっと拳を握っていた。
一方、太一が去っていった屋上にはなんとも言えない空気が未だに走っており、しかしその空気を壊したのは、龍之介だった。
「……亮、お前太一にすげー嫌われてね?」
そう失礼にも程がある言葉を吐く龍之介に皆がどっと笑い、亮もふっと表情を和らげては、そうかなぁ。だなんて輪に加わる。
ドサッと座った亮に皆はもう各々好き勝手に過ごしていて、それでも弾かれた手を凝視している亮に気付いたのか、明がこっそり、
「……亮、お前太一に何かしたのか?」
と囁いた。
亮と龍之介の家も昔から仲が良く、当然明の事も幼少の頃から知っていて慕っている亮は、一瞬明に相談してみようかとも思ったが、黙ってろ。と言った太一の鋭くて暗く、底すら見えないほど深い、けれどとても美しいあの瞳を思い出し、へらりと笑った。
「まさか。何もしてないよ」
掴み所のない顔でそう笑う亮に何かを察したのかそれ以上明は何も言ってこなかったが、亮はそれからも手を見ては、うーん。どうしたもんかな……。と考え込み、高く広く、どこまでも綺麗な青空に小さな溜め息を浮かべたのだった。
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