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第三章
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しおりを挟むキーン、コーン、カーン、コーン……。と鳴るチャイムと同時に、「はいじゃあ寄り道しないで帰れよー」なんて教師の声がする。
だがそれを誰一人としてもう聞いていない教室内は、ガヤガヤと煩かった。
「太一、今日もバイト?」
ホームルームが終わり机の前にやってきた龍之介と優吾が、なかったら遊びに行こうよ。と目で訴えてくるが、太一はトントンと教科書を揃え鞄にぶちこみながら、首を横に振った。
「今日は休みだけど、そろそろテスト始まるだろ。だから今日は俺図書室で勉強してから帰るから遊ぶのは無理。二人もやる?」
「優等生かよ!」
なんて龍之介から突っ込みが入り、まだテスト勉強しなくても大丈夫でしょ。と丁重にお断りをした二人が、現実逃避するよう足早に教室を出ていってしまう。
そんな二人の後ろ姿を見ては、あいつら(特に龍之介は)馬鹿そうだけどほんと大丈夫なんか、テスト。と笑った太一。
バイトがある日は事切れるように寝てしまうのでなかなかに復習する時間がなく、けれどもうすぐ始まる中間テストで赤点を取り補習なんて受ける場合ではない太一は、あの熱がこもりやすい物置小屋で勉強するよりは図書室の方が良いだろう。と踏んでいて、さっそく図書室へ向かおうと立ち上がり、教室をあとにした。
帰る生徒で溢れ騒がしい廊下を一人てくてくと歩いていれば、
「あ、太一じゃん。ばいばい」
なんて声を掛けられ、太一は錆びたブリキのオモチャのように身を固まらせた。
ギギギ。と視線をそこに投げれば、にっこりと微笑みながら教室の窓に体をもたれさせ、手を振ってくる亮。
屋上でのあの一件以来、亮のクラスである一年四組の前を通るとほぼ毎回といっていいほどこうして手を振ってくるようになった亮に、またか。と心のなかで呟いた太一は、それでも小さく唇を噛みながら無視をした。
出会いも、出会ってからも、そして今も失礼すぎる態度をとっていると自分でも嫌というほど分かっていて、さすがに罪悪感に苛まれつつ、ていうかもうそろそろあっちも嫌ってくれても良くないか。と太一が頭を悩ませる。
けれどさすが龍之介の友人というべきか、へこたれずへらへらと手を振ってくるばかりの亮に、何なんだあいつ。何が目的なんだ。とどうしたもんかと考えあぐねながらも結局答えなど出るわけもなく、太一はかぶりを振りながら図書室の扉を開いた。
途端に香る、図書室特有の匂い。
深い赤色のカーペットが敷かれた静かな空間は放課後ということもあり図書委員以外誰も居らず。
太一は好都合だと窓側の席に腰を下ろし、鞄から筆記用具を取り出して、テスト範囲を確認しながら復習をし始めた。
カリカリ、とノートに公式を書きながらもちらりと視線を図書委員に向ければ、いつのまにか奥のカウンターで居眠りをしていて。
カチッカチッ。と進む時計の針の音と、太一がシャープペンシルを走らせる音だけが、静かな図書室に響いている。
その静寂さに始めは集中していた太一だったが、一時間を過ぎ、だんだんと陽が沈み窓越しから降り注ぐ夕焼けの温かさが身を包み込みはじめた頃、かくん、と首を揺らしてしまった。
その度にハッとし、だめだめだ。と首を振ってはノートに向き合おうとするのだが、疲労と睡眠時間の短さ故に抗えないほどの睡魔が襲っているのか、とうとう太一は机に突っ伏してしまった。
ノートには、落ちる寸前ぐらりと動かした手によって書かれた弱々しい線だけが、書きかけの公式の上に無作為に引かれていた。
────────
「じゃあ、そういう事で宜しくお願いしますね、先輩」
にっこりと笑い、目の前で引きつった顔のままの青色のネクタイをしている三年生に、無言の圧力をかける亮。
放課後の三年の教室には二人しか居らず、その三年の先輩は、俺だってアルファなのに……。と二個下の、それでも圧倒的なオーラを放つ亮に、ひくりと口の端を歪ませた。
「わ、分かったよ、お前らには手ぇ出さねぇよ……」
悔しそうに、けれどそうぽつりと呟いた先輩を見下ろし、
「さすが先輩。優しいですね」
なんて、これっぽっちも先輩なんて思っていない態度のくせ口だけでそう言った亮が、じゃあ、俺もう行きますね。と言いながら教室を出て行く。
その後ろ姿を見ては、ようやく息が出来る。と残された男は息が詰まりそうな緊迫した空気から解放されたと、溜め息を吐いた。
三年の教室から出て一人廊下を歩く亮は、ブレザーのポケットの中から小さな手帳を取り出し、開いたページに記されている名前にペンで線を引いてゆく。
よし。これで最後かな。とずらり並んだ名前全てに線が引かれた事に微笑んだ亮のその手帳に記されているのは、明から手に入れた、この学校に居るタチが悪そうな奴らだけを集めた、リストである。
龍之介はアルファのくせに馬鹿で何かしらよくやらかすし、亘は悪目立ちしていると思われがちな性格だしで、中学からそのとばっちりで優吾や自分(亮に限ってはとばっちりだけではないかもしれないが)にまで災難が降りかかる事もしばしばあり。だからこそ入学してから何かと目をつけられそうな自分達にちょっかいかけられないようにするため、まぁ釘を刺すに越したことはないだろう。と亮は昼休み時間や放課後の自由な時間を少し返上してまで、ひっそりと動いていたのだ。
それがようやく終わった。と伸びをした亮は、それから太一にも関わるなと一応は全員に言っておいたが、太一に知られれば余計なお世話だと睨まれてしまいそうだな。なんて易々と想像できる態度に、ふっと小さく笑ってしまった。
なぜあそこまで毛嫌いされているのかは分からないが、そこは自分がアルファで太一がオメガである事が多分原因なのだろうとは、亮も分かっている。
けれど龍之介とは仲が良いし、じゃあ俺が魂の番いだから……? なんて考えた亮は、まぁ毛を逆立てて威嚇してくる猫のような態度も面白いけど、少しは俺にもなついてくれたらいいのに。なんてまるっきり心のなかで太一を猫扱いしながら廊下を歩いていたが、ふと向かいの校舎の光景が目に入り、ぎょっと目を見開いてしまった。
今亮が居るのが三階で、向かいの校舎の二階の、確か図書室である場所。その窓が見え、そこですやすやと寝ている人物に亮は、……何やってんのかなぁ。と小さく呆れにも似た溜め息を吐いてから、向かいの校舎へ行くために渡り廊下を歩き階段を降りた。
ガラッと音を立て図書室の扉を開けたが、カウンターに居る図書委員らしき生徒は寝たままぴくりともせず。
それに、あっちもこっちもか。と小さく笑った亮はそのまま奥へと進み、すやすやと気持ち良さそうに寝ている太一の向かいに、そっと腰かけた。
すう、すう。と寝息が聞こえ、長い睫毛が夕陽に照らされキラキラと輝いているのを机に頬杖を付きながら眺めた亮は、それから開かれたノートに書かれた数学の公式と寝落ちする寸前に書かれたのだろう線に、ふはっと笑った。
「……頑張ってるね」
そう小さく囁き、それでも亮はシャーペンを握りノートにさらさらと文字を書いては、図書室をあとにした。
────────
「……の、あの、」
そう声を掛けられ、夢の縁から一気に覚醒した太一は、慌ててがばりと起き上がった。
「すいません、もう閉めるんで……」
キョロキョロと辺りを見回す太一に図書委員が申し訳なさそうに声を掛け、「あ、はい、すみません」と慌ててノートをしまおうとしたが、そのノートの隅に走り書かれてる文字にピタッと動きを止め、それから肩に掛かっているカーディガンの存在に気付いた太一は、体を固まらせた。
図書委員が他の仕事をするためにどこかに行き、その場に残された太一。
肩に掛かるカーディガンから香るのは何度か嗅いだ事のある亮の匂いで、あいつ来てたのかよ……。と居眠りしていた自分を見られた事に恥ずかしくなり、そしてノートに書かれた、
【頑張りすぎないでね】
という文字に太一は小さく唇を噛み締め、俯いた。
窓の外はもうすっかり暗くなっていて、そんななか椅子に座りしばし呆然と俯いていた太一だったが、昇り始めた月明かりに照らされた太一の耳は誰が見ても分かるほど、真っ赤に染まっていた。
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