【本編完結済み】朝を待っている

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第六章

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 打ち上がる花火を二人でなぜか手を繋いだまま見上げた、夜。
 それから花火がしだれ柳のように美しく闇に散ったあとこちらを向いた亮が、

「綺麗だったね」

 なんて微笑むので、太一は途端、夜に紛れる亮の顔が見えない。と近付いてしまいそうになる体を慌てて抑え、そうだな。と目を伏せ手を離した。

 そんな太一に、離された手を一度ちらりと見た亮がそれでもにっこりと笑い、戻ろうか。と声をかける。
 その声にこくんと小さく頷いた太一は、歩き出した亮の後ろ姿を眺めながら、……これ以上は駄目だ。と俯き、唇を噛み締めた。


 ……魂の番いのせいで、きっと少しお互いおかしかったんだ。

 そうドクドクと鳴る心臓を抑えながら、夏の夜の花火のせいだ。と先程の夢の中めいたふわふわとした情景を思い出し、睫毛の先を震わせる太一。

 未だコオロギの鳴く声が絶えず、林の中から響いてくる。

 その道を歩く目の前の亮の背中が近いようで遠く、太一はなんだか泣きたいような叫びたいような良く分からない焦燥に駆られたまま、けれども何一つ言葉を紡げないまま、亮の後ろをとぼとぼと着いていった。





 あのあと皆の所に戻ってみれば、亮の言った通り未だ真剣に型抜きをしている団子のような三人が居て。
 それに、いや明さんもかよ。となんだか張り詰めてしまっていた息を吐いて笑った太一を亮が横目で見ていた夏休みが終わり、新学期が始まった学校は迫る修学旅行の話題で持ちきりだった。



「あ、太一来た! なぁなぁ、夜抜け出してここに蟹食いに行こうぜ!」

 朝の挨拶も抜きに、教室に入ってきた太一を見るなりそう言った龍之介が、北海道の旅行ツアーブックを開き見せてくる。
 珍しく早く学校に来ている龍之介に笑いつつ、なんとか一年の時から積み立てていたお陰で修学旅行に行けるからと太一も浮き足だったまま、そのページを覗き込んだ。

 太一にとって、これが人生で初めての旅行だった。



「ここどこ」

 顔を寄せ合い太一の机の上で雑誌を広げる二人に、教室に入ってきた亘が、おっす。なんて言いながら後ろから一緒に覗き込み、二人の肩に手を乗せる。
 龍之介とは肩が触れていて、背中には亘の体温。
 そんな暑苦しいほど近い距離が嫌とは思わず、けれど当たり前にドキドキなんてする訳はなく。

「待って、亘お前なんか汗臭いんだけど」

 なんて言った龍之介に、それな。と太一は声をあげて笑った。


「龍之介も頭くっせぇから!」
「それは昨日風呂入ってないから仕方ねぇだろ!」
「俺だって昨日風呂入ってないから仕方ねぇんだよ!」
「いや仕方なくねぇから! お前らどっちも汚すぎ!」

 ギャハギャハと響く、三人の笑い声。
 そのいかにも高校生らしい喧騒に、教室へと入ってきた優吾と亮が、やっぱあいつらだったわ。廊下まで聞こえてんだけど。と笑い、しかしその輪に加わってゆく。

 更に煩くなったその濁流めいた笑い声のなか、亮が太一を見ては、「おはよう」と目尻を弛めて笑い、その顔がなぜだか最近直視できず太一は小さく俯き、けれども、おはよう。と返した。

 そんな太一に亮は首を傾げたが、

「そういえば朝さ、セミ見たんだよなぁ。こうやってさ、木にしがみついてて」

 なんて自分を木に見立ててしがみついてきた亘によってその思考は奪われ、季節外れすぎね? なんて言いながらセミの真似をする亘に、「いや待って汗臭すぎお前。びっくりした。近寄らないで」なんて亮は亘の顔と体を手で押し退けたのだった。




 ──そうして迎えた、九月。

 修学旅行はもう目前で、けれど太一は嫌な予感に、すっかり秋らしくなった屋上の背もたれにくたりともたれながら、空を見ていた。

 なんだか体調がよろしくなく、意識もボーッとしてしまう。それはまさに発情期になる前の倦怠感で、昼食のパンをもそもそと口に運びながら、修学旅行にぶち当たったら最悪だ。なんて考えていれば、

「……大丈夫?」

 と顔を覗き込んできた亮。

 その顔の近さにビクッと身を震わせた太一が途端に顔を赤らめ、だ、大丈夫、と視線を逸らしたが、その太一から強烈な甘い匂いがして、亮は思わず息を飲み後ずさった。


 遠くの方では、亘と龍之介が授業中せっせと作っていた自作の凧で遊んでおり、その横で優吾が、「すごい、すごい!」なんて思いの外高く上がる凧に興奮している。
 明は委員会があるらしく、今日はお昼は来れないと龍之介に連絡があったらしい。

 なので、突然ぶわりと香りが強くなった太一の異変に気付いたのは、亮だけで。
 けれどもそのまま居れば龍之介どころか亘と優吾にも分かってしまうだろうその甘いフェロモンの匂いに亮は堪らず顔を逸らしながら、とりあえずと着ていた自身のブレザーを太一へとばさりと被せた。

「……太一、今日はもうそのまま帰った方がいいよ」
「わっ、ぶ、なに、」
「ほんとは一緒に帰ってあげたいけど、今俺太一の隣には居られない。ごめん。でも一人で帰るのは駄目だから、今車呼ぶね」

 そう太一の困惑など拾わないとばかりに喋り携帯を取り出した亮が、電話を掛け始めている。
 そして呆気に取られている太一を他所に用件だけを伝えて電話を切れば、太一は眉を下げ、確かにもう帰った方が良いのかもしれない。なんて思ったが、ぽつりと呟いた。

「……別に一人でも帰れる……」

 そこまでしてもらわなくても平気だから。という太一の言葉は、何言ってんの? この状態で? と二人分ほどの距離をあけて見つめてくる亮によって呆気なく却下され、

「裏門で待ってて。鞄は俺が持ってくるから」

 なんて押し切られる形で、太一は結局屋上を後にした。




 そうして亮は、フェロモンに当てられぐらつく思考をなんとか耐え忍び、何度か深呼吸をし精神統一をしてから、未だに隅の方でわいわいと騒いでいる龍之介達を見た。

 空高くあがる凧につられ、屋上の柵ギリギリの所で背伸びをしている龍之介と、そんな龍之介を後ろから必死に支えている亘。
 優吾は相変わらず傍観を決め込み、ゲラゲラと笑っている。

 そんなバカらしい三人にようやくふっと小さく笑みを浮かべた亮は、よし。と意気込んでから屋上を出て、太一の鞄を取るべく教室へと向かった。


 あのフェロモンなら何人かには気付かれてしまうかもしれない。だから一緒に居た方が良かったのは百も承知だが、むしろ自分と一緒に居る方が危険かもしれないから。となけなしの理性をなんとか繋ぎ止めた自分を褒めてやりながら、ブレザーが少しでも抑止力になれば。なんて思いつつ、亮は教室に入ってすぐ太一の机から鞄を取った。
 しかしその時、不用心に開いている鞄の中の、これまた無用心にチャックが全開になっている小さなポーチから薬の袋が見え、亮は少しだけ眉を下げた。

 発情期を抑える薬があるというのは知識として知っているし、その薬代の為に太一が汗水垂らして必死に働いているのも、勿論亮は知っている。
 だがその薬自体を目にしたのは初めてで、なんと表して良いのか分からない気持ちになった亮は小さく眉を下げたまま、それでもかぶりを振り、とりあえず裏門に向かおう。と教室を出た。


 ガヤガヤと煩い校舎を抜け、太一の鞄を抱えて裏門へと向かえば、塀の側で踞り自分のブレザーを肩から掛けている太一が居て。
 けれどもふわりと香る甘い匂いは大分穏やかになっている気がし、亮はホッと胸を撫でおろした。


「お待たせ。他の人になんかされなかった?」

 そう声を掛け隣に並ぼうとしたが、パッと顔をあげた太一が亮を認識した途端、またしてもぶわりと強くなる匂い。
 それに亮は思わず、目を見開かせた。

 ……え、

 なんて焦る亮を他所に、

「なんもされる訳ねぇじゃん……。お前は心配性すぎなんだって」

 と俯き、それでも目尻をぽわりと染めて、……ありがとな。なんて呟く太一。
 その太一から毛穴が開いてしまいそうなほど甘い匂いがずっとしていて、ぐらぐらと茹だるような熱にハッと息を乱し、ちょっとこれはヤバいかもしれない。と亮が顔を歪める。

 そんな亮の心情などやはり何一つ知らぬ太一が亮の手から自分の鞄を受け取り、「ありがとな、ってなんだよその顔」なんてケラケラと笑うので、亮はもう無意識に近く、太一へと手を伸ばした。


 心臓を高鳴らせ、衝動のままに亮が太一の腕を掴みかけた、その瞬間。


 キキッ。と車が停まる音がし、ハッとした亮が音がした方を見れば、運転手である斎藤さんがこちらを見てニコニコとしていて。
 それに亮はまたしても息を乱し呆然としたあと、自身の伸ばしかけた掌を見た。

 いま、なにを。

 そう顔を青ざめる亮に、さすがに亮の様子がおかしいと気付いた太一が、どうしたんだよ。と立ち上がり、それでも必然的に下から亮を覗き込む。
 その真っ直ぐ見つめてくる美しくて綺麗な瞳を見つめ返せる訳もなく、けれど自然体を装い笑いながら、なんでもないよ。と取り繕った亮は、ほら早く乗って。と太一を促した。


「え、でも、」
「いいから。早く」

 ばっさりと言い切る亮の得も言えぬ雰囲気に少しだけ怖じ気づき困惑したまま、じゃ、じゃあ、と促されるまま車に乗り込む太一。
 そんな太一に心のなかでごめんと謝りながら、亮は、

「じゃあ斎藤さん、この間の家まで送ってあげてもらってもいいですか?」

 と斎藤さんに声をかけ、斎藤さんはかしこまりました。と優しく笑った。

「じゃあまたね、太一」
「……う、うん」

 ぎこちなく返事をする太一に笑顔のまま、それでもしっかり表情を見ることなくヒラヒラと手を振って扉を閉める亮。
 そしてほどなくして発進した車を見送ったあと、亮はへなへなと座り込み、ほんとやばいなぁ……。と掌で顔を覆った。

 項垂れる亮の短い襟足とうなじを、すっかり秋になった風が撫でてゆく。

 未だ動かない亮の後ろでは、昼休み終了を知らせるチャイムが鳴っていた。




 
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