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第八章
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しおりを挟む「ちょ、ごめん、……なんかもう、今日はいっぱいいっぱいで、考えられねぇ……」
そう太一が頭を抱えながら呟けば、亮がハッとしたよう、謝った。
「あっ、そうだよね、ごめん。色々言い過ぎたよね。……でも今日はとりあえず泊まっていってよ」
反省しながらも笑い、触るね。と一言前置きし、消毒液に浸したガーゼで口元を拭っていく亮。
ピリッとした痛みのあとじんじんとした痛みに変わり、眉間に皺を寄せたままそれでも大人しくされるがままの太一は、しかしそっと壊れ物を扱うよう慎重に動く亮の指が自身の唇を優しく掠めていく感触に、気が付けばとろんと瞳を蕩けさせていた。
亮の匂いに包まれた部屋で、亮に優しく触られて、ここに居ていいんだよ。と微笑まれて。
そんな多幸感に、まるで自分が亮の大切な人になったような気分になってしまった太一は、……いやいや、とんだ自惚れだ。と自制心を働かそうとしてみたが、未だ発情期が完全に終わっていない事が拍車を掛けるよう浅ましく熱を持ち始めた体に、堪らず熱い息を吐いてしまった。
「んっ、ぁ、」
思わず漏れた、吐息。
それに、びくっと亮が体を跳ねさせたのが分かる。
それが恥ずかしくて恥ずかしくて、カァッと顔を赤くし、「っ、も、もういいから、あとは自分で出来るから」と太一は亮の手からガーゼを奪った。
気付かれた。
そう顔を赤くしながらも、亮にもっと触れてほしいと、熱さが欲しいとひくつく浅ましい身体に太一がぐっと唇を噛みしめ、……まじで消えてぇ。と俯く。
先程淳にあんな目に合わされたというのに、それでもこんな馬鹿みたいに亮が欲しくなっている自分が本当にセックスする事しか存在価値がない劣等に思えて、太一はぎゅっと自分の体を隠すよう毛布のなかで膝を抱えた。
「……あ、あはは、ごめん、……俺の体ほんとみっともなくて、気持ち悪いだろ、ごめんな。淳の言う通りなんだよ、俺、ほんとに……、」
なんて、情けなくて惨めで泣きそうになりながらも、それでも太一はへらりと笑った。
──オメガだというだけで、迫害されてきた人生だった。
気持ち悪いと、みっともないと言われ続け、汚ならしいと蔑まれ、それでもこびりつくような視線に耐えてきた人生だった。
それが太一の“普通”だった。
だからもう、そう言われる事もそう思われることも仕方がないと諦めていたし、何も感じず、何も思わず、苦しくなったら誤魔化すよう笑えばいい。そう思いながら、生きてきた。
けれど、龍之介達と友達になって、亮に出会って、太一の世界は変わった。
種が地に落ち、芽が芽吹き、そしてやがて花が咲くように、愛しさや綺麗なもので溢れていった世界。
笑って、悩んで、まるで普通の、どこにでもいる高校生みたいに素のままで居られる自分を、やっと取り戻した。
それなのに結局こうして好きな奴に惨めな姿ばかりを晒す自分が情けなくて情けなくて、亮の瞳がどう変わるのか怖くて、……もうこれ以上俺の醜さを見ないで欲しい。これ以上、失望されたくない。と俯いた太一は、
「っ、ごめん、やっぱ俺もう行くわ、その、色々ありがとな、ごめん」
と呟きベッドから抜け出そうとしたが、横に座っていた亮が、その腕をがしりと掴んだ。
途端、ゾクゾクゾクッ。と得も言えぬ刺激が身体中に走り、んあっ、と声を漏らしてしまった太一。
ずくんと重くなる腰に、もう本当に消えたい。と涙を瞳に滲ませたまま、堪らず、「離せって!」と太一が声を張り上げ、怒鳴りながら亮を見た。
けれどそこに在るのは、いつもの優しさを散りばめた美しい瞳ではなくて、燃えるような、それでいてひどく悲しさをたたえた、怒りにも似た瞳だった。
「……んで、なんでそんな事言うんだよ」
ぽつり、そう呟いた亮。
「……りょ、」
「気持ち悪いとか、みっともないとか、そんな事言わないで」
そう溢したかと思うと、ぽろりと涙を落とした亮が苦しげに表情を歪ませる。
その初めて見た泣き顔に、太一は目を見開き呆けてしまった。
「……そんな事ないよ。太一は気持ち悪くなんかない。ちっともみっともなくなんかない。お願いだから、そんな風に自分を卑下しないで……、そんな風に、笑わないでよ……」
ぐすぐすと鼻を啜り、鼻の頭も目も真っ赤にした亮が、それでもじっと太一を見つめている。
その亮の瞳が美しくきらきらと煌めいていて、太一はヒュッと息を飲みながら、な、なに言って、と口ごもった。
触れられている掌が、じくじくと熱い。
それでもその掌をはねのけることも、瞳を逸らす事も出来ずに、太一は亮を見つめたままだった。
「……な、なんで、お前が泣くんだよ……」
「っ、ごめん、太一が泣かないから、俺も泣かないようにって思ってたけど、……ごめん……、無理だった……」
「っ、」
「……それに、みっともないのは俺の方だよ……。本音を言えば、俺いま、太一を抱き締めて、触って、めちゃくちゃにしたいって、そう、一瞬だけでも思っちゃった……」
そう苦しげに溢す亮に、……え、亮が、俺の事、と思ってもみなかった言葉を言われた太一がドクンッと胸を高鳴らせる。
途端ドキドキと胸が鳴り、お尻の奧がキュンと疼きじわりと濡れていく感触がしたが、
「……本当に、情けない……。ごめん……。だから、みっともないって言うなら、気持ち悪いって言うなら、それに反応しちゃう俺みたいなアルファの方だよ。……でも、太一がそう自分を卑下しちゃう原因も何もかも全部、俺みたいに反応するアルファや心ないベータの奴らのせいだよね。ごめん……」
なんて泣きながら謝ってきた亮に、太一はそれは違うと必死に口を開いた。
「ちが、亮は何も悪くねぇから! 亮がそう思っちまったのは俺のフェロモンのせいで、だから、亮は何も悪くない、悪いのは俺だから……。俺が、フェロモン撒き散らすのが悪いんだ。亮がそうなるのも、淳がおかしくなったのも、ぜんぶ、ぜんぶ俺が悪いんだよ」
お前のせいじゃない。と首を振り、俺がオメガだから。オメガなんかに、ましてや魂の番いなんかに生まれたからお前までおかしくさせてしまいそうになったんだ。と目を伏せ、太一が悲しげに笑う。
それでも、本能で抗えないせいだとしても、少しでも亮にそう思ってもらった事が嬉しくて、……ははっ、ほんとにまじでどうしようもねぇクズだな俺。と太一がぐっと拳を握った、その時──。
ぐいっと亮に引き寄せられ、気付けば太一はぽすんと亮の腕の中にすっぽりと収まっていた。
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