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しおりを挟む「もう帰ってください」
雅の後ろから身を乗り出し、今度は春が雅を守るように前へと出たかと思うと、ゾッとするほど冷たい声で言い放つ。
その顔も声と同じよう、氷のように冷たくて。
初めて見た春のその姿に雅でさえ目を見開き息を飲んだが、しかし春は、美形の無表情は怖いというのをまざまざと体現したまま、またしても温度の乗らない表情で口を開いた。
「この人がどんな人かも知らないのに、そうやって見た目だけで判断して罵倒するなんて、そっちこそどうかと思いますよ。俺はこんなに素敵で優しい人と出会った事なんてない。俺の大事で大好きな人を、馬鹿にしないで。あと本当に迷惑なので帰ってください。二度とお店にも来ないで」
そうハッキリと鋭い口調で、いつものふわふわとした穏やかさなど微塵も見せない表情のまま、春が告げる。
それに女性がかなり傷付いた表情をし、だが春に言われたことが相当ショックだったのか何も言わず、とうとう涙で頬を濡らし、唇を噛み締めた。
それから踵を返し消えていったその華奢な背中をぼうっと呆けた表情で見つめている雅と、言いたいことを言えてスッキリしたのか荒い息を吐いた春だけが、その場に残されていて。
しんしんと静まる夜に、二人の口から吐き出される白い吐息だけがゆらりと空に昇ってゆく。
その何とも言えない沈黙のなか、雅はされど今しがた春が言った言葉を、頭のなかで必死に再生していた。
『俺の大事で大好きな人を馬鹿にしないで』
確かにそう言った、春。
大好きな人。というのは人間としてという意味なのだろうが、その言葉は雅にとって強烈でしかなく。
春が自分をそんな風に思ってくれていたと知れた喜びに雅がドクドクと途端に煩く鳴り出す心臓と沸騰する血液にハッと短く息を吐けば、なぜか突然春が体ごと雅の方を向き、バッと頭を下げた。
「俺のせいで嫌な思いさせて、すみませんでした!!」
「……は? いや、何で春が謝んの。嫌な想いをしたのは春だろ」
「でも、最後にあんなひどい事……、」
春の突然の謝罪に、歓喜で飛びかけていた理性を手繰り寄せた雅がとりあえず顔をあげてくれ。とおろおろとし出せば、その言葉に顔を上げた春はそれでも、今にも泣いてしまいそうで。
先ほど冷酷そうな表情をしていた人物とは到底思えないほど、へにゃりと眉を下げてベソを搔き始めている春が、ずびっと鼻を啜っている。
その林檎のように染まる頬と潤んだ瞳、それから可愛らしい小さな鼻先まで真っ赤に染め上げて、ごめんなさい。と見つめてくる春は、あまりにも愛らしく。
「……それに、さっきはあの人に偉そうにあんな事言っちゃいましたけど、俺だって雅さんを初めて見た時、怖い人かもって、思ってたんです……。それをずっと謝らないとって思ってて……、本当に、すみません……」
だなんて懺悔するよう俯き、形の良い小振りな唇を噛み締めている春に、雅はもう容量オーバーだと、思わず口を開けた。
「好きだ」
「…………え?」
「好きなんだ。お前が」
春の純粋な謝罪が愛らしく、愛しくて。
そのどうしようもない美しさに、自身の内側で留めておける容量を超え想いが溢れてしまった。と言わんばかりに、ぽろりと雅が呟く。
その脈絡もムードもない告白に、当たり前だが春はぽっかりと口を開けたまま、固まっていて。
ただただ黙り、見つめ合う二人の髪の毛を冷たい風が乱してゆく。
そのどこか滑稽な沈黙を破ったのは、雅の言う“好き”の意味をきちんと理解した春が、息を飲む音だけで。
それから春はボンッと顔を赤くし、唇をはくはくと震わせた。
「好きなんだ、春。初めて見た時からずっと、好きだ」
「っ、」
「世間的にはラッパーなんてまっとうな職業じゃないのも分かってるし、確かに見た目も真面目じゃない。お前とは釣り合わない事も分かってる。でも、好きなんだ」
“公園でチョコレートを渡して、良い雰囲気になった時に告白をする”
そう考えていた幼稚なプランよりもみっともない、拙くて間抜けな告白。
それに、用意していたチョコレートも、大人しくポケットに入ったまま。
そんな格好良さからは程遠い告白をしてしまった雅は、それでもどうしようもないくらいに好きなのだ。と溢れんばかりの恋に押し潰されそうになりながら、春の腕を掴んだ。
「っ、」
「本気で好きなんだ。だからもし俺に少しでもチャンスがあるなら、考えて欲しい。大事にする。絶対幸せにするし、悲しませたりもしない。それに、」
「ちょ、ちょっと待って雅さん!!」
必死に、どうにか自分との未来を考えてくれ。と訴える雅の熱意に、ちょっと待って! と声をあげた春。
それにハッとした雅は腕を離し、一歩後ろへと下がった。
「……わ、悪い……」
「……俺にも話させてくださいよ」
そうくしゃりとした顔で笑う春は可愛く、そして綺麗で。
しかし、意識してくれている筈だ。なんて自惚れていたが、いざ実際答えをもらうその時になれば自信なんて一ミリもなく、思わず俯いて自身のハイカットスニーカーの靴先を無意味に見つめる雅に、春が一歩近付いては、雅さん。と柔らかな声で名前を呼んだ。
「ね、雅さん。こっち見て」
「……」
「……俺だって音楽に関わる仕事を目指してるんで、ラッパーがまっとうな職業じゃないなんて一ミリも思わないですし、雅さんの仕事も夢も純粋に凄いと思ってるし尊敬してます。雅さんの猫みたいな可愛い顔も、キラキラした綺麗な髪の毛も、言葉はちょっとぶっきらぼうで分かりづらいけど、でも本当はすっごく優しい所も、雅さんの全部が俺にとっては特別で、むしろ俺なんかには勿体ないくらいの人です」
「っ、」
雅が言った自己を下げるような言葉を一つずつ掬っては、だからそんな事言わないで。と少しだけ悲しげに笑ったあと、春はそれから一度深呼吸をしたあと、雅へと腕を伸ばした。
「俺も、雅さんが大好きです。俺が一人だって気付いて、雅さんがコーヒー要らないって帰ったあの日から、ずっとずっと、好きです」
そうはにかみながら抱き付いてきた春から香る、コーヒーの匂い。
だがそこに春本来の匂いだろうどこか甘い香りまで感じた雅は、春の温かい体温がじわりと伝わってくる事に、ヒュッと息を飲んだ。
「……ふふっ、俺が話す隙も与えてくれないくらいマシンガントークでしたね雅さん。ほんとめちゃくちゃ、早口……、ふふふ」
くふふ、と面白そうに笑う春の振動がダイレクトに体に伝わり、無意識にその細くも引き締まった腰を抱き締め返しながらも、雅は未だ呆けた表情のまま、言われた言葉を脳のなかで反芻させていた。
……好き。春も俺が、好き。
そう理解した途端に緊張の糸がぷつりと切れ、それと同時に感じたことのない幸福感にまみれた雅が、春のモコモコとしたダウンジャケットの肩に顔を埋めては、深い息を吐く。
「っ……、まじか……」
「大好きです」
「……待って、嬉しすぎて泣きそうなんだけど……」
「わはっ! めちゃくちゃ可愛い事言うじゃないですか雅さん!」
「好きだ、春」
「ふふ、はい。俺も好きです」
「好き。好きだよ春」
「はい」
ぎゅううぅ、と春をきつく抱き締め返した雅がタガが外れたよう好きだと何度も呟けば、春はただ嬉しそうな返事をし、だが少しだけ腕を弛めてそろりと顔を雅へと向けた。
「大好きです、雅さん」
「……俺も、好きだ」
そう囁きあいながら、幸せそうに微笑む二人。
しかし、じっと見つめてきた春の熱い視線が雅の唇へと落ち、そして雅もまた、同じ熱量で春の唇を見ていて。
突然二人の間に走る緊張感はそれでも甘く、小振りながらもふっくらとした春の唇がゆるりと開かれたのを見た雅は、もう堪らず顔をぐっと近付け、唇を押し付けた。
「んっ」
片腕で腰を抱き寄せたまま、もう片方の手で顎を掬いながらキスをした雅に、春も首に腕を回しては顔を傾ける。
初めて触れた春の唇は驚くほど柔らかく、完璧で。
高揚とした気分はふわふわと足元の感覚すらなくさせ、遠い記憶のファーストキスの時よりも、そして今までの誰かとしてきたキスよりも今が一番緊張していて、それでも一番どうしようもないほど幸せだ。と本当に好きな人とするキスがこんなにも特別なものだと知らなかった雅が、もっと。と言わんばかりに春の腰を握る。
春の鼻から漏れる吐息は甘く、その声にぞくぞくと背筋を震わせながらも雅がゆったりと深く角度を変えながら何度も夢中で春の唇を食んでいれば、……待って。と言うように弱々しく背中を叩かれ、渋々雅は唇を離した。
……はぁ。と互いの唇から漏れる、熱い吐息。
未だ雅は名残惜しげにじっと春の濡れ光る唇を見つめていたが、少しだけ息を乱した春は雅の腕にくてんと身を預け、しかし拗ねたように唇を尖らせた。
「……雅さん、キス上手すぎ……」
だなんて、舌を絡ませた訳でもないのに気持ち良すぎるの何。と吐き出される不満。
それに、今のは素直に褒め言葉として受け取ったらたぶん駄目なんだろうな。なんて思いつつも、可愛らしい春の文句に雅は堪らずへにゃりと頬を弛め、はにかんだ。
「気持ち良かったなら良いだろ。もう一回」
「……もう既に腰が砕けちゃいそうなんですけど、俺……」
「でも俺はまだ足りないんだけど」
「っ、なに、それ……。ずるいぃ……」
「何がだよ」
もっとキスがしたい。とねだってくる雅の、ストレートな甘え。
その言葉に、この人もしかして意外と甘えたがりだしキスも好きなタイプなの? と見た目や普段のクールさとのギャップに、春が可愛すぎると身悶える。
しかしそれから、雅の首に腕を回したまま、春は頬を染めながらも瞳を伏せた。
「……あと一回だけ、です」
「……」
「……なにその不満顔。可愛い顔するのやめてくださいよ」
「可愛いと思うならもっとさせろ」
可愛いと言われた事を怒るでもなく、むしろ逆手に取るよう暴論を突き付けてくる雅に春が堪らず目を見開いてあはっと笑い、そんな春の可愛らしい顔に雅は誘われるよう、またしても顔を近付けた。
暗いお店の軒下で、そして誰も歩いていないとは言え外で恥も知らずにキスをする二人は、それでもとびきり幸せそうで。
はらはらと降りだした白い雪がそんな二人をキラキラと輝かせ、まるで二人のこれからの未来を優しく祝福してくれているかのような、寒くてもとても穏やかで温かな夜だった。
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