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プロローグ
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瑛司は逃げていた。
背後では大爆発が起こり、火が天上を焦がす勢いで燃えあがっている。風に煽られ、猛火と化す大地。迫ってくる炎に、両足が震えて転びそうになる。けれども爪先で踏ん張りながら、よろける足を前へ進ませる。
(許して欲しい……)
心は贖罪で埋まっている。だがその片隅ではなぜ自分が悪いのかと戸惑っている。許して欲しい。でもどうして。瑛司は相反する気持ちを背負って、逃げている。
(……どうして逃げているんだろう)
必死に息を荒げながら、瑛司はぼんやりと思った。わからない。何もわからない。けれど足がとまらない。まるで強く背中を押されているかのように、前へ前へと走っている。
(逃げなきゃ……)
瑛司は、ふいに足をとめた。目の前に、突然誰かが立ち塞がった。肩で激しく息をつきながら、瑛司は唾を呑み込んで見上げ、あっと目を見開いた。
「……ステイ……」
反射的に、その名が口から出た。
「ステイ……ステイ……どうして……」
眼前に立つのは、長身の男性だった。ダークブルーのスーツで身をかため、トレンチコートを羽織っている。端整な容姿の金髪碧眼の白人男性。若く、精悍で、絶対の意志と強さを兼ね備えていた。そして、勇気も。
「……ごめん、ごめん、ステイ、俺のせいだ……」
瑛司の渇いた唇から、堰を切ったように謝罪があふれ出る。
「俺のせいだ……」
だが、その男性は無言だった。切れ長の青い瞳は、瑛司とは対照的に優しい色合いを湛えている。まるで恋人を見つめているかのように。
瑛司はよろけるように男性へ近づく。
だが、突如背後から肩を押さえつけられた。
瑛司はびくりと身を震わせて、ゆっくりと振り返り、息を呑んだ。
「……カル、ロス……」
業火を背に立っていたのは、日に焼けた肌をもつ彫りの深い男だった。腰まである豊かな黒い髪が風に揺れ、まるで古代の戦士のような野生的な雰囲気をみなぎらせている。見る者をひどく興奮させる魅力あふれるラテンの男は、若く、激しい気性と共に怖ろしく冷徹で残酷だった。ベッドで抱く相手にも。
「カルロス……」
自分の胸を掴みながら、瑛司は絞り出すように名を呼ぶ。白人男性へ向かうはずだった足が、ラテンの男へとふらつきそうになった。
「――お前のせいだ」
男の血の気のない唇が、突然弄るように呟いた。
瑛司は見えない壁にぶつかったように立ち止まる。
宝石のようなエメラルドグリーンの瞳が、きつい矢のように瑛司を射抜いていた。
「――君のせいだ」
瑛司は信じられないように弱々しく振り返った。
ステファンは感情のない眼差しを瑛司へ向けていた。その整った口元が、抑揚なく繰り返した。
「君のせいだ」
その瞬間、ステファンの体が爆発した。
瑛司は悲鳴をあげた。目を背けて、恐ろしさのあまりその場でうずくまりそうになる。だが掴まれた肩が痛くなり、泣きそうになりながら頭をあげた。
カルロスはその場に不釣合いな優しい笑みを浮かべていた。だがその額から、赤い血が一滴二滴と流れ出て、顔をおぞましく汚してゆく。自分の血で赤く染まった唇が、再び同じ言葉を放った。
「お前のせいだ」
瑛司は絶叫した。
目覚めると同時に飛び起きた。
全身で荒々しく息を吐き、顔を両手で覆う。汗をびっしょりとかいていた。肌も震えている。暗闇に静まり返っている室内に、ようやく自分が夢を見ていたのだとわかった。恐ろしくて、哀しい夢を。
「……ごめん」
瑛司は目元をぬぐった。夢だったのに、息遣いまで聞こえるほどに生々しかった。
「ごめん、俺のせいだ……」
苦しげな呻き声が、落ち着いてきた息遣いに混じって吐き出される。
「……俺の……」
瑛司は手を下げて、のろのろと室内のドアへ顔を向けた。ベッドルームは暗いが、ドアが開いているのに気がついた。そこに立っている人間にも。
「……いたんだ」
瑛司は大きく息を吐いた。
「いたな」
と、男の静かな声がして、スイッチを入れる音がした。ベッドルームに小さな明かりが灯り、ガウン姿の男が音も立てずに歩いてきた。
「ここは私の家だ。生憎な」
ベッドの脇に立ち、瑛司を見下ろす。
「俺が寝る時はいなかった」
瑛司の声はひどく冷たかった。
男はしょうがないというように口をひらく。
「先程帰ってきた。寝ようと思ったら、この寝室から絶叫が聞こえた。私は家主だから、何が起きたか把握する義務がある」
「――何もない」
瑛司は腹立たしげに言い返した。
「そのようだな」
ブライアンは連邦政府の証人保護プログラムに置かれている男の様子を何気なく観察しながら、それ以上は聞かない。
「警察に踏み込まれたら、私のキャリアに支障が出る。絶叫したいなら、ジェットコースターにでも乗るんだな」
「ああ、そうする」
瑛司は噛みつくように言い返した。
ブライアンは短く笑って、ベッドを離れる。
「明日は早いから、ちゃんと寝ておけ、エイジ」
ドアの側にある照明スイッチに手をかける。
「最初が肝心だ。あの連中は時間にうるさい。新人職員が遅刻したら、捜査対象になるかもしれないぞ」
瑛司は表情を強張らせた。ブライアンはそれに気がついたが無視して、ブラウンの髪をかきあげながら照明スイッチを押す。
再びベッドルームは暗闇になった。
ドアは静かに閉まる。
ブライアンが出て行ったのを見届けてから、瑛司は辛そうに息を洩らして俯いた。自分を包み込むコンフォーターに、まるで救いを求めるかのように顔を埋める。
そして、声を殺して泣いた。
背後では大爆発が起こり、火が天上を焦がす勢いで燃えあがっている。風に煽られ、猛火と化す大地。迫ってくる炎に、両足が震えて転びそうになる。けれども爪先で踏ん張りながら、よろける足を前へ進ませる。
(許して欲しい……)
心は贖罪で埋まっている。だがその片隅ではなぜ自分が悪いのかと戸惑っている。許して欲しい。でもどうして。瑛司は相反する気持ちを背負って、逃げている。
(……どうして逃げているんだろう)
必死に息を荒げながら、瑛司はぼんやりと思った。わからない。何もわからない。けれど足がとまらない。まるで強く背中を押されているかのように、前へ前へと走っている。
(逃げなきゃ……)
瑛司は、ふいに足をとめた。目の前に、突然誰かが立ち塞がった。肩で激しく息をつきながら、瑛司は唾を呑み込んで見上げ、あっと目を見開いた。
「……ステイ……」
反射的に、その名が口から出た。
「ステイ……ステイ……どうして……」
眼前に立つのは、長身の男性だった。ダークブルーのスーツで身をかため、トレンチコートを羽織っている。端整な容姿の金髪碧眼の白人男性。若く、精悍で、絶対の意志と強さを兼ね備えていた。そして、勇気も。
「……ごめん、ごめん、ステイ、俺のせいだ……」
瑛司の渇いた唇から、堰を切ったように謝罪があふれ出る。
「俺のせいだ……」
だが、その男性は無言だった。切れ長の青い瞳は、瑛司とは対照的に優しい色合いを湛えている。まるで恋人を見つめているかのように。
瑛司はよろけるように男性へ近づく。
だが、突如背後から肩を押さえつけられた。
瑛司はびくりと身を震わせて、ゆっくりと振り返り、息を呑んだ。
「……カル、ロス……」
業火を背に立っていたのは、日に焼けた肌をもつ彫りの深い男だった。腰まである豊かな黒い髪が風に揺れ、まるで古代の戦士のような野生的な雰囲気をみなぎらせている。見る者をひどく興奮させる魅力あふれるラテンの男は、若く、激しい気性と共に怖ろしく冷徹で残酷だった。ベッドで抱く相手にも。
「カルロス……」
自分の胸を掴みながら、瑛司は絞り出すように名を呼ぶ。白人男性へ向かうはずだった足が、ラテンの男へとふらつきそうになった。
「――お前のせいだ」
男の血の気のない唇が、突然弄るように呟いた。
瑛司は見えない壁にぶつかったように立ち止まる。
宝石のようなエメラルドグリーンの瞳が、きつい矢のように瑛司を射抜いていた。
「――君のせいだ」
瑛司は信じられないように弱々しく振り返った。
ステファンは感情のない眼差しを瑛司へ向けていた。その整った口元が、抑揚なく繰り返した。
「君のせいだ」
その瞬間、ステファンの体が爆発した。
瑛司は悲鳴をあげた。目を背けて、恐ろしさのあまりその場でうずくまりそうになる。だが掴まれた肩が痛くなり、泣きそうになりながら頭をあげた。
カルロスはその場に不釣合いな優しい笑みを浮かべていた。だがその額から、赤い血が一滴二滴と流れ出て、顔をおぞましく汚してゆく。自分の血で赤く染まった唇が、再び同じ言葉を放った。
「お前のせいだ」
瑛司は絶叫した。
目覚めると同時に飛び起きた。
全身で荒々しく息を吐き、顔を両手で覆う。汗をびっしょりとかいていた。肌も震えている。暗闇に静まり返っている室内に、ようやく自分が夢を見ていたのだとわかった。恐ろしくて、哀しい夢を。
「……ごめん」
瑛司は目元をぬぐった。夢だったのに、息遣いまで聞こえるほどに生々しかった。
「ごめん、俺のせいだ……」
苦しげな呻き声が、落ち着いてきた息遣いに混じって吐き出される。
「……俺の……」
瑛司は手を下げて、のろのろと室内のドアへ顔を向けた。ベッドルームは暗いが、ドアが開いているのに気がついた。そこに立っている人間にも。
「……いたんだ」
瑛司は大きく息を吐いた。
「いたな」
と、男の静かな声がして、スイッチを入れる音がした。ベッドルームに小さな明かりが灯り、ガウン姿の男が音も立てずに歩いてきた。
「ここは私の家だ。生憎な」
ベッドの脇に立ち、瑛司を見下ろす。
「俺が寝る時はいなかった」
瑛司の声はひどく冷たかった。
男はしょうがないというように口をひらく。
「先程帰ってきた。寝ようと思ったら、この寝室から絶叫が聞こえた。私は家主だから、何が起きたか把握する義務がある」
「――何もない」
瑛司は腹立たしげに言い返した。
「そのようだな」
ブライアンは連邦政府の証人保護プログラムに置かれている男の様子を何気なく観察しながら、それ以上は聞かない。
「警察に踏み込まれたら、私のキャリアに支障が出る。絶叫したいなら、ジェットコースターにでも乗るんだな」
「ああ、そうする」
瑛司は噛みつくように言い返した。
ブライアンは短く笑って、ベッドを離れる。
「明日は早いから、ちゃんと寝ておけ、エイジ」
ドアの側にある照明スイッチに手をかける。
「最初が肝心だ。あの連中は時間にうるさい。新人職員が遅刻したら、捜査対象になるかもしれないぞ」
瑛司は表情を強張らせた。ブライアンはそれに気がついたが無視して、ブラウンの髪をかきあげながら照明スイッチを押す。
再びベッドルームは暗闇になった。
ドアは静かに閉まる。
ブライアンが出て行ったのを見届けてから、瑛司は辛そうに息を洩らして俯いた。自分を包み込むコンフォーターに、まるで救いを求めるかのように顔を埋める。
そして、声を殺して泣いた。
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