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第5章
#5
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*
再び、俺のスマホのディスプレイに『康祐さん』の文字が表示されたのは、文月さんのハンカチ効果によって2キロくらい太ってしまった頃だった。
内容はミドリさんからの『うちで食事しませんか?』というお誘い。
どうやらミドリさんが俺と初めて会ったことを康祐さんの父親と弟に話したらしく、『全員で会いたい』という話になったのだと、楽しそうに教えてくれた。
そんな誘いを無碍にするわけにもいかず、俺は頷いて日取りを決め電話を切ってからため息を吐いた。
(家族全員か……)
向こうは良くてもこっちは緊張する。
しかも、ミドリさんに会っていた時は体調がすこぶる悪かった時。
だからこそ、ぼんやりした気持ちでミドリさんと対峙できたけれど、今は逆に、ウサギさんパワーですこぶる元気……。
(うーん、なんてタイミング……)
しかも、明日はバイトの面接が控えている。
康祐さんとは運命の番ではないから、番を亡くしたオメガとしての助成制度は何1つ受けられない。
そしてただの婚約者でしかなかったため、家族としての補助制度も何も受けることができなかった。
ある程度貯金があったからこれまではなんとかやってこれたが、流石にそろそろ金銭的にきつい。
だから元気なうちにバイト先を見つけて応募したのだ。
(久しぶりの労働に集中したかったけど……)
こればかりは仕方がない。
ひとまずは明日の面接を乗り越えて、数日後に控える義実家のお食事会を乗り越えようじゃないか……。
陰鬱とした気持ちを洗い流すかのようにシャワーを浴び、明日の準備をしてその日は早く寝ることにした。
*
「要くんね~。うん、いいよいいよ採用~」
「え゛」
(ゆっる……)
深い緑色のエプロンをつけて、ちょび髭を生やし白髪を後ろで束ねている眼鏡をかけた恰幅の良い男性は、履歴書をぱっと見てそう告げた。
「え、あの、面接って……」
「うん、今やってるねぇ」
男性はニコニコしながら俺を見つめている。
「なんで採用か知りたい?」
ちょっとイタズラ顔なのが腹立つな、と思いつつも「はあ……」と頷けば、男性はニッと笑う。
銀歯が見えた。
「要くん、この間ここでオレンジジュース飲んでくれたでしょ」
「へ」
(覚えられていたのか……)
その男性――病院の近くにある喫茶店のマスターは、言葉を続けた。
「僕ねぇ、君たちが使った後のテーブル見て感動したんだよぉ~」
「テーブル?」
何かしただろうか。
首を傾げていると、マスターは本当に嬉しそうにニコニコと喋る。
「グラスが通路側に置かれているし、おしぼりも丁寧に置かれてて、濡れたはずのテーブルの跡も拭かれててさぁ」
と言った。
(そういえば、いつも癖で食器を寄せてテーブルも拭いてたな……)
でもそれは康祐さんの真似っこをしていたら癖になったこと。
(あ、でも……)
文月さんも自然に、片していたな。
「もちろん、僕らも後で拭いたりするけどね?そういう小さな気遣いって『美味しかったです』って言われるのと同じくらい嬉しいんだよ~」
だから採用ね、と軽く言ったマスターに、俺は思わず笑った。
「……それは、すごく嬉しいです。ありがとうございます」
頭を下げれば、マスターは「こちらこそ、まずはありがとうだね」と笑った。
「あと、うちはヒート休暇あるからいつでも言ってねん~」
履歴書をしまいながら恰幅のいいマスターは「よっこいせ。あ、今のセクハラじゃないからね」と、言ってくれた。
(そうだったんだ……)
もう何ヶ月ヒートなんて味わっていないだろうか。
「お気遣いありがとうございます。ヒート休暇あるの、珍しいですね」
(前の職場ではなかったから有休が湯水の如く消えてったな……)
昔を思い出しながら言えば、マスターは「はは」と微笑む。
「君が来てくれたから今から導入するの」
「え゛」
な、なんでこんな好待遇なんだ⁉︎
俺は混乱しながら「い、いや……」と言うと、マスターは分かってるって、みたいな顔をして手を振る。
「この間一緒に座ってた彼がパートナーでしょ?」
にやっと言われて、俺は一瞬にしてボッと顔が熱くなった。
「ほら~」
年の功ってやつだからねぇセクハラじゃないからねぇ~、と笑うマスターに俺は身を乗り出して「い!いや!」と強く否定した。
「ち、違います‼︎ 彼は隣の病院の先生で、俺は患者だっただけで‼︎」
そう言うと、マスターはキョトンとした顔をする。
「そうなんだ?でも匂いが危なかったよ?」
「え?」
(匂い……?)
マスターはやれやれとでも言いたげな仕草をする。
「運命の番のフェロモンって他人にも分かっちゃう時があるんだよ~。だから急いでコーヒー持ってったんだけど」
コーヒーって消臭効果あるし?と言うマスター。
まじかよ……。
つまりそれって。
「ラブラブフェロモンダダ漏れだったのに、パートナーじゃないは無理があるよぉ~」
大人ぶったマスターにまた少しイラついた。
しかし、フェロモンを撒き散らしてしまっていたのは自分の落ち度だ。
まさか、文月さんも気づいていなかったのか。
……まあ、お互い追い詰められてたしなぁ。
「はぁ……」
「まあまあそんな気を落としなさんな。良かったじゃん~。運命の番がお医者様!玉の輿だねぇ」
なんの事情も知らないマスターは呑気にそんなことを言う。
まあ世間から見れば確かに羨ましがられるのかもしれないけど。
「だから、俺と彼は医者と患者ですから……」
そう言いながら、マスターから差し出された緑色のエプロンを受け取る。
するとマスターは『見習い』と書かれたバッジと、ロッカーの鍵を渡しながら言った。
「うん、だから?」
「……はい?」
マスターの問いの意味が分からず、とりあえずバッジと鍵を受け取り聞き返した。
マスターは「ロッカーここね」と案内しながら言う。
「医者と患者の何がダメなの?」
(いや、……え?)
その質問にすぐには答えられず、ロッカーの前で固まってしまった。
(何がダメ?何が……倫理観?)
俺は首を捻って考えていると、マスターは「今も、あそこの患者なの?」と聞いてきた。
「いや……もう、違います……」
(あれ?もう、違うじゃん……)
自分の言葉に自分で驚く滑稽な姿をマスターに見せていると、マスターは軽快に笑う。
「じゃあもう、ただの店員と近くの医者だねぇ」
(いや……俺には康祐さんが……)
そう、マスターに説明するのは、もう面倒だったのでやめた。
再び、俺のスマホのディスプレイに『康祐さん』の文字が表示されたのは、文月さんのハンカチ効果によって2キロくらい太ってしまった頃だった。
内容はミドリさんからの『うちで食事しませんか?』というお誘い。
どうやらミドリさんが俺と初めて会ったことを康祐さんの父親と弟に話したらしく、『全員で会いたい』という話になったのだと、楽しそうに教えてくれた。
そんな誘いを無碍にするわけにもいかず、俺は頷いて日取りを決め電話を切ってからため息を吐いた。
(家族全員か……)
向こうは良くてもこっちは緊張する。
しかも、ミドリさんに会っていた時は体調がすこぶる悪かった時。
だからこそ、ぼんやりした気持ちでミドリさんと対峙できたけれど、今は逆に、ウサギさんパワーですこぶる元気……。
(うーん、なんてタイミング……)
しかも、明日はバイトの面接が控えている。
康祐さんとは運命の番ではないから、番を亡くしたオメガとしての助成制度は何1つ受けられない。
そしてただの婚約者でしかなかったため、家族としての補助制度も何も受けることができなかった。
ある程度貯金があったからこれまではなんとかやってこれたが、流石にそろそろ金銭的にきつい。
だから元気なうちにバイト先を見つけて応募したのだ。
(久しぶりの労働に集中したかったけど……)
こればかりは仕方がない。
ひとまずは明日の面接を乗り越えて、数日後に控える義実家のお食事会を乗り越えようじゃないか……。
陰鬱とした気持ちを洗い流すかのようにシャワーを浴び、明日の準備をしてその日は早く寝ることにした。
*
「要くんね~。うん、いいよいいよ採用~」
「え゛」
(ゆっる……)
深い緑色のエプロンをつけて、ちょび髭を生やし白髪を後ろで束ねている眼鏡をかけた恰幅の良い男性は、履歴書をぱっと見てそう告げた。
「え、あの、面接って……」
「うん、今やってるねぇ」
男性はニコニコしながら俺を見つめている。
「なんで採用か知りたい?」
ちょっとイタズラ顔なのが腹立つな、と思いつつも「はあ……」と頷けば、男性はニッと笑う。
銀歯が見えた。
「要くん、この間ここでオレンジジュース飲んでくれたでしょ」
「へ」
(覚えられていたのか……)
その男性――病院の近くにある喫茶店のマスターは、言葉を続けた。
「僕ねぇ、君たちが使った後のテーブル見て感動したんだよぉ~」
「テーブル?」
何かしただろうか。
首を傾げていると、マスターは本当に嬉しそうにニコニコと喋る。
「グラスが通路側に置かれているし、おしぼりも丁寧に置かれてて、濡れたはずのテーブルの跡も拭かれててさぁ」
と言った。
(そういえば、いつも癖で食器を寄せてテーブルも拭いてたな……)
でもそれは康祐さんの真似っこをしていたら癖になったこと。
(あ、でも……)
文月さんも自然に、片していたな。
「もちろん、僕らも後で拭いたりするけどね?そういう小さな気遣いって『美味しかったです』って言われるのと同じくらい嬉しいんだよ~」
だから採用ね、と軽く言ったマスターに、俺は思わず笑った。
「……それは、すごく嬉しいです。ありがとうございます」
頭を下げれば、マスターは「こちらこそ、まずはありがとうだね」と笑った。
「あと、うちはヒート休暇あるからいつでも言ってねん~」
履歴書をしまいながら恰幅のいいマスターは「よっこいせ。あ、今のセクハラじゃないからね」と、言ってくれた。
(そうだったんだ……)
もう何ヶ月ヒートなんて味わっていないだろうか。
「お気遣いありがとうございます。ヒート休暇あるの、珍しいですね」
(前の職場ではなかったから有休が湯水の如く消えてったな……)
昔を思い出しながら言えば、マスターは「はは」と微笑む。
「君が来てくれたから今から導入するの」
「え゛」
な、なんでこんな好待遇なんだ⁉︎
俺は混乱しながら「い、いや……」と言うと、マスターは分かってるって、みたいな顔をして手を振る。
「この間一緒に座ってた彼がパートナーでしょ?」
にやっと言われて、俺は一瞬にしてボッと顔が熱くなった。
「ほら~」
年の功ってやつだからねぇセクハラじゃないからねぇ~、と笑うマスターに俺は身を乗り出して「い!いや!」と強く否定した。
「ち、違います‼︎ 彼は隣の病院の先生で、俺は患者だっただけで‼︎」
そう言うと、マスターはキョトンとした顔をする。
「そうなんだ?でも匂いが危なかったよ?」
「え?」
(匂い……?)
マスターはやれやれとでも言いたげな仕草をする。
「運命の番のフェロモンって他人にも分かっちゃう時があるんだよ~。だから急いでコーヒー持ってったんだけど」
コーヒーって消臭効果あるし?と言うマスター。
まじかよ……。
つまりそれって。
「ラブラブフェロモンダダ漏れだったのに、パートナーじゃないは無理があるよぉ~」
大人ぶったマスターにまた少しイラついた。
しかし、フェロモンを撒き散らしてしまっていたのは自分の落ち度だ。
まさか、文月さんも気づいていなかったのか。
……まあ、お互い追い詰められてたしなぁ。
「はぁ……」
「まあまあそんな気を落としなさんな。良かったじゃん~。運命の番がお医者様!玉の輿だねぇ」
なんの事情も知らないマスターは呑気にそんなことを言う。
まあ世間から見れば確かに羨ましがられるのかもしれないけど。
「だから、俺と彼は医者と患者ですから……」
そう言いながら、マスターから差し出された緑色のエプロンを受け取る。
するとマスターは『見習い』と書かれたバッジと、ロッカーの鍵を渡しながら言った。
「うん、だから?」
「……はい?」
マスターの問いの意味が分からず、とりあえずバッジと鍵を受け取り聞き返した。
マスターは「ロッカーここね」と案内しながら言う。
「医者と患者の何がダメなの?」
(いや、……え?)
その質問にすぐには答えられず、ロッカーの前で固まってしまった。
(何がダメ?何が……倫理観?)
俺は首を捻って考えていると、マスターは「今も、あそこの患者なの?」と聞いてきた。
「いや……もう、違います……」
(あれ?もう、違うじゃん……)
自分の言葉に自分で驚く滑稽な姿をマスターに見せていると、マスターは軽快に笑う。
「じゃあもう、ただの店員と近くの医者だねぇ」
(いや……俺には康祐さんが……)
そう、マスターに説明するのは、もう面倒だったのでやめた。
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