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第6章
#11
しおりを挟む「要くん」
カオリさんの声に、俺は再び姿勢を戻してカオリさんを見つめる。
「要くんは、本当に文月さんが好き?」
凪のような澄んだ彼女の瞳はどこかで見覚えがある。
(どこだったっけ……)
そうだ。文月さんと初めて病室で出会ったとき。
エンドロールの話をしていた時の文月さんの瞳は、黒が深くて美しいと思った。
澄んだ瞳、とはよく言うかもしれないけれど、あの人のように澄んでいるのに黒がどこまでも続いているような深さの瞳には出会ったことがない。
どこを見ていても、その深さが変わることはない。
それは見ている景色も、全て深く沈んでいってしまうのだろうか。
奈落と言われたらそれも頷けてしまうような、彼の心に、俺は手を伸ばせているのだろうか。
「好き……だと思います」
「だと思いますぅ?」
周藤の呆れた声に俺は、わずかに口をつぐみかけたが開き直して言った。
「なんだか、彼の話を聞けば聞くほど彼の心根には触れられないような気がするんだよね……」
でも何故なのかは分かる。
自分がそうだったから。
自分の弱さを他人に少しでも預けることが怖いのだ。
その弱みが身を滅ぼす気がして、他人との境界線が曖昧になる気がして怖いんだ。
(だから文月さんもきっと――)
「それじゃあまるで、要は無理やり文月さんを好きだと思いたいって思ってるみてぇだな」
「……!」
周藤の台詞に俺はハッとして顔を上げる。
視界に入ったカオリさんもどこか痛々しげに俺を見ている。
「ごめんね、要くん。私たちが促したけど、無理やり好きになれって意味ではなかったの……。運命の番って会えば自然と惹かれ会うものだと思ってたから……」
カオリさんの気まずそうな声に、俺はなんて返したら良いか分からず「え、あ、いや……」と呟くだけになってしまった。
(無理やり……?)
じゃあ俺は文月さんのこと好きじゃないってこと?
でも、匂いには安心するし衣食住がままなるようになったのは、文月さんの香りのおかげだ。
それは佐々木先生のお墨付きでもあるわけで。
医学的観点でも、俺の本能による行いは正しい――けど、それが俺の本心なのだろうか。
……康祐さんと共に前を向いて生きていくと決めたけれど。
それが本心かと言われたら、純度100%で首を縦に振れるほどの自信はなかった。
「なんでだろう……諦めて、本能に従ってさ。待ってるって決めたのに」
どうして心の穴は埋まらないんだろう。
俺には何が足りないんだろう。
これ以上、何を誰にしてあげられるのだろうか。
「今度は俺の男の勘ってやつ言ってもいい?」
周藤の言葉に、無意識に俯いていた顔を上げる。
「もう要がしてやれることなんてないんじゃねーの?」
「え……」
その言葉はつまり、これから先の人生お先真っ暗ということでは――。
「とどのつまり!あとは相手が要に対してなんとかしくちゃいけねーんじゃないのってこと。だって、文月さんはまだ元パートナーとの過去に折り合いつけられてねーわけじゃん?」
その言葉に頷けば周藤は「そこだよ」と手を動かす。
土建屋で勤しんでいるらしい彼のささくれた指が俺を指す。
「二人が交わらないのは必然じゃね?だって、要はもう前向いてんのに、今度は相手が後ろ向いたままなんだからさ」
「あ……」
俺は、ミドリさんたちのおかげで康祐さんとの生き方を見つけることができた。
それは文月さんにも通用するかもと思って言ってみたけど、彼の心の奥にあるぽっかり空いた穴には遠く及ばなかった。
……彼はまだ後ろを向いたままだから、俺に手のひらを見せられない。
「そんな状態の相手を愛するなんてさ、たとえ運命の番だとしてもきついんじゃね?細胞レベルで欲してても、要の場合、ヒートも来てねぇわけだしさ」
――それって、また、ただの人と人との恋愛をしていかなくちゃいけないわけじゃん?
周藤の言葉がもやついていた心にそっと入り込んでくる。
「私も同感ね。要くんはここまで回復できて社会復帰もできて、文月さんに自分の考えを伝えることもできた。これ以上、してやれることなんてないのよ」
だから、待つって選択は正解だと思う、とカオリさんは言った。
「ただし、また要の体調が崩れるようなことがあったら、文月さんをしめるけどな」
ニヤッと笑う周藤に対して、カオリさんはマジな顔で「あ、それはあたしも」と返事したので、俺はちょっと怯えつつ「あ、ありがとう……」と引き攣る笑みで返した。
「まーそんなとこでさ。カオリももう産休入っちゃって暇らしいから、要、暇な日遊び来てやってよ」
「……本当に俺でいいの?」
カオリさんが「ぷは」と吹き出した。
「今更何よ~。ここまでの仲じゃないのあたし達」
その言葉がなんだか無性に嬉しくて、「わかりました!」と返事ができた。
これまでの感謝を今度は何かしらで返せるかもしれない。
与えられるだけじゃなくて、何かしてあげることができるかもしれない嬉しさに、頬を緩めて周藤夫妻を見つめ返した。
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