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第9章
#8
しおりを挟む人間は理屈では成り立たない、とつくづく思う。
恋心なんてもってのほかで。
自分の管轄外の部分で勝手に、時も情も進んでいく。
それが時に怖くもあるし、それが時にラクでもある。
待つと決めた自分にできることは何かと考えた結果、この恋情を手放すことなく、ただこの家でいつも通り康祐さんに手を合わせて待つ。
それだけが今の俺にできることだと思った。
(今度こそ、言いたいから――)
康祐さんの写真が置いてある棚を濡布巾で拭きながら、窓の外を見る。
季節はすっかり秋だ。
窓を開けていると、涼やかな風が少し入ってくる。
なんとなく、あの日……飛び降りてしまおうと思った日以来、出ることのなかったベランダに出てみた。
ベランダ用のサンダルなんてなかったから、裸足のまま足をそこにつければじゃりっとした感触と冷たいコンクリートが少し不快だった。
(ベランダも掃除しなくちゃな)
そんなことを思いながら、ベランダの手すりに手をつけて空を仰ぐ。
外にいるだけで肌寒い。
そのくせ太陽は、上から俺を見下ろしながら焼き焦がそうとしてくる。
(暑くするわけじゃないのに、太陽は登るんだよな)
じゃりじゃりしている足の指を動かして、足だけで細かい砂埃を払いながら手すりから身を乗り出し下を見る。
(ここから落ちても、意味なかったなぁ)
自分の部屋が2階だったのは幸か不幸か。
あの時、あの一羽の白い鳥がたとえいなかったとしても、俺はきっと死にきれていなかったように思う。
物理的にも、きっと無様に生き残っていたのだろう。
ベランダに寄りかかり、室内を見渡す。
文月さんが最後にこの部屋へ来た日の翌日、俺は室内を直してもらうために業者を呼んだ。
そして先日、修復作業が終わって部屋は康祐さんがいた時と同じように元に戻った。
(おかげで貯金はすっからかんだけど……)
割ったテレビも食器も捨てたし、鏡も修復してピカピカになった。
テレビはなんとなく新しいものを買った。
でもこれまでのものよりサイズは小さめだ。
部屋だけは、いつでも彼を迎えられる状態になっていた。
彼が帰ってくると言って数週間が過ぎて、秋も深まった結果、俺は上着を厚手のものに変えた。
体調は今のところ悪くはない。
頓服もあるからバイトも通常通りに続けていた。
朝起きたら康祐さんにおはようの挨拶をして、テレビをつけてニュース番組を観る。
ほんの少し、ニュースのくだらない星座占いの結果を気にしながら食パンを齧ってコーヒーで流し込む。
天気が良ければ洗濯機を回して、気分が乗れば室内スリッパや枕カバーも別々に洗濯したりして、ベランダが洗濯物でいっぱいになると、どこか満足してソファに身を鎮める。
その頃にやっているのはお昼の情報番組で、近所のパン屋が特集されていた。
行ったことのないそこは、意外に老舗だったようで老夫婦が取材を受けつつ、リポーターがにぎやかに食レポをしていた。
スーパーの見切り品の少しパサついた食パンじゃなくて、たまにはこういうパン屋さんのふわふわでしっとりしたパンを買ってみても良いのかも、と思いながら読みかけの小説を開いた。
それは、康祐さんが生前この部屋で読んでいた小説。
彼が亡くなってから彼のものは、仏壇代わりの写真以外はクローゼットにしまっていた。
見ると吐いてしまっていたからだ。
けれど、衣替えをしていた時に見つけた一冊の本を手に取った時、栞の代わりとして挟んでいたであろういつの日かの映画の半券が出てきて、その本をなんとなく読もうと思った。
人生で二冊目として完読できるだろうか。
その映画の半券は、康祐さんが気になるから一緒に行こうと行って、観に行ったミステリー映画だった。
康祐さんは途中で犯人がわかったらしいけど、俺には最後までさっぱりだった。
鑑賞後に立ち寄ったカフェでそう伝えれば、康祐さんはくすくす笑いながら『だから要が好きなんだよ』と言った。
それの意味はいまだに分かっていない。
謎がもう一つ増えただけだった。
そんな日常を繰り返して、今、俺はベランダに立っている。
不意にスマホを取り出してチャット欄を開いた。
そこには周藤から赤ちゃんの写真と一緒に『名前決まったから今度、遊びに来てな』と書かれている。
そのチャットに既読だけつけて、なんとなく返す気分にはなれなかった。
朝起きてバイトして帰ってご飯を食べたり食べなかったり。
日毎に寒くなる日常に嫌気がさしながら、寒さのせいかまた眠りが浅くなっていることに気付かぬふりをして、いつ周藤に会いに行こうか思案しながら朝方に眠る日々を送っていた。
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