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閑話 四
ロックハンマー侯爵の華麗なる日常 2
しおりを挟むイツカの能力がレベルアップし、追加された転移トラップ。
ダンジョン内であればどこにでも転移可能なそれは、早速ロックハンマー侯爵の館近くにも設置された。
近くと言っても、館の周りに出来た街から、少し離れた森の中だ。
転移トラップの設置には、その周辺のダンジョン化が条件となる。
流石に街中や館をダンジョンにするわけには行かない。
なにより、転移トラップを使えば、ゴーレムの転移も出来る。
その気になればいきなり戦力を送り込む事も可能ということで、安全を取ってこの位置に置かれる事になったのだ。
館側の周辺には、ゴーレムなどは配備されていない。
居るのは、ロックハンマー侯爵旗下の兵士達だけだ。
これも、万が一の備えである。
イツカとしては「警備用のゴーレム代浮いて超ラッキー」とか思っていたりするのだが、まあ、その辺はどうでもいいところだろう。
転移トラップが使えるようになり、両土地間の行き来は非常に楽になっていた。
その恩恵、というか、煽りと言うか。
もっとも多く使うことになったのは、コウシロウだった。
理由は、コウシロウの能力を使い、地図を作るためだ。
ロックハンマー侯爵は、コウシロウの千里眼を使い、領内全ての地図を作ろうと考えていたのである。
この世界は、人間が足を踏み入れられない場所が多く存在した。
険しい自然や、危険な魔獣の生息域なのだ。
むしろそういった場所以外の、ほんの狭い地域に、人間が住んでいるといっていい。
そんな理由もあって、今まで正確な地図というのは製作されてこなかった。
だが、コウシロウの能力を使えば、その場に居ながら、危険とは無縁で地図を作ることが出来る。
古来地図というのは、軍事や防衛に非常に大きな影響を及ぼすものだった。
その正確さが、戦いの優劣に繋がる事もある。
土地や民を守る領主としては、自分の土地の地図というのは喉から手が出るほど欲しいものだろう。
まして、ロックハンマー侯爵領は、隣国と接する土地柄だ。
防衛のためにも、是非にも用意しておきたかったのである。
コウシロウが大まかに書いたものを参考に、専門技術を持つ兵士と、職人達が地図へと仕上げていく。
ロックハンマー侯爵領主館の一室で行われるそんな作業は、実に十日目を迎えていた。
国境線沿いを中心に、特に隣国へ続く街道周辺を念入りに。
ハンス達の街の辺りは、既にかなり詳しいものが完成していた。
隣国の実験部隊が来た時に作ったものである。
十日目、とはいっても、その間ずっと作業を続けていたわけではない。
コウシロウが店を開く都合上、作業はもっぱら昼過ぎから行われている。
そこから夕食向けの営業まで地図の作成をして、コウシロウは街に帰るのだ。
実質、作業できる時間は僅かなものだった。
そのせいで、かなり恵まれた現在の状況でも、地図製作には時間がかかっているのだ。
もっとも、千里眼を使っての作業というのはかなり集中力を要するらしく、例え時間があっても長時間は出来ない様なのだが。
その日の地図製作作業を終え、コウシロウはロックハンマー侯爵の執務室へとやって来ていた。
帰ると言う、報告をするためだ。
コウシロウはロックハンマー侯爵に招かれてこの場所に来ているので、一応扱いとしては客人と言う事になっている。
なので、屋敷に入るときと帰り際には、必ず挨拶をしていたのだ。
「では、閣下。また明日、お邪魔いたしますねぇ」
「うむ。いや、その、コウシロウ殿。少し、相談があるのだがね」
挨拶を済ませ、部屋を出ようとしたコウシロウだったが、ロックハンマー侯爵が呼び止めた。
常に無い歯切れの悪い言葉に、コウシロウは内心で首を傾げる。
勿論表情にはそんな感情を出さず、足を止めて振り返った。
「はい。なんでしょう」
「うむ。実は、だね。非常に個人的なことで、大変申し訳ないんだが……」
言いよどみながら、ロックハンマー侯爵は渋面を作る。
個人的な、というからには、恐らく今行っている作業についてのことではないだろう。
もしかしたら、領地に関わる事でもないのかもしれない。
何事だろうと色々と、コウシロウは想像をめぐらせる。
そんなことをしている間も、ロックハンマー侯爵はどう切り出せばいいのか悩んでいる様子だ。
短い付き合いではあるが、普段は歯切れも良く、話べたと言うわけでもない。
ここまでいいにくそうにするのも珍しいと思い、コウシロウは言葉を促してみる事にする。
「私に出来ることでしたら、微力ながらご協力いたします。何でも、仰ってみてください」
そこまで言ったことで、ロックハンマー侯爵はようやく相談の内容を話し始めた。
店に戻り、夜の営業を終えたコウシロウは、館での出来事をユーナに相談した。
「ごほっ! ぐふぅぶっ! ごほっ! ごほっ!」
夜食であるうどんを啜っていたユーナは、話の内容を聞き麺を喉に詰まらせ、盛大に咽た。
「おやおや。そんなに慌てないで。ゆっくりかんで食べないといけませんよ?」
苦笑しながらそういいつつ、コウシロウ自身も殆どかまずに麺を喉に流し込んでいた。
元の仕事柄なのか、意識しなければ早食いになってしまう癖があるのだ。
ユーナは胸を何度も叩いて気を取り直すと、イスをけるような勢いで立ち上がった。
「だって、大変じゃないですか! 侯爵様と奥方様のお食事をお作りするなんて!」
ロックハンマー侯爵の相談、というのは、頼みごとの類であった。
内容は、確かに至って個人的なものだ。
自分の妻に、コウシロウの作った料理を食べさせたい。
なるほど、確かに個人的な内容だろう。
だが、侯爵位に就く人間に直接食事を作るように頼まれるというのは、ある種の大事だ。
「光栄な事じゃないですか! すごいですよ!」
なにやら興奮しているユーナを見て、コウシロウは苦笑を漏らす。
実はコウシロウは以前にもロックハンマー侯爵に食事を作ったことがあるのだが、そのことを話すと余計に興奮しそうだ。
とりあえずこの場では言うのはやめておこう、と、コウシロウは考えた。
「しかも、奥方様とご一緒にだなんて! やっぱり夫婦仲がいいんですね! 憧れるなぁー!」
「やっぱり、ですか。閣下と奥方の仲が宜しいというのは、有名なんですかねぇ?」
「そりゃそうですよ! 有名なんてもんじゃありませんから!」
領主館に何度も行っているので、コウシロウも奥方と会う機会はあった。
最初見たときは、随分似ていない娘だな、と思ったものである。
それが実は奥方で、しかも年上だというのだから、流石のコウシロウも眉間に皺を寄せた。
だが、「人間族ではない」という説明を聞いて、納得する事となる。
金と白の中間である美しい髪の毛に、透ける様な白い肌。
ルビーをはめ込んだような、鮮やかな赤い瞳。
そして、長く尖った耳。
ファンタジー映画などを嗜むコウシロウから見るといわゆる「エルフ」のように見える外見ではあったが、どうも違う種族だという話だった。
「あの種族は、小さな集落を幾つも作ってるんですけど、すべてを治めている王様はいるらしいんですよ。私も聞きかじりですけど。それで、その王様が居る集落が、魔獣に襲われたそうなんです」
あらゆるところで魔獣が跋扈するこの世界では、けっして珍しい事ではない。
今でこそこのあたりもケンイチによってシメられては居るが、以前は人が魔獣に襲われることも珍しくなかった。
「草原の民」が暮らす辺境地域では、それこそ魔獣を見かけることは非常に多いのだ。
「そこに、偶々盗賊討伐に出ていた侯爵様が通りがかったそうなんですよ! 侯爵様はご自身の魔法で攻撃を防ぐと、手に持った武器で魔獣を打ち倒したんです! それで、お姫様である奥様が一目ぼれをなさったそうなんです!」
コウシロウは思わず、ロックハンマー侯爵の外見を思い浮かべた。
でっぷりとした腹に、巨大な体躯。
強面というより、むしろ悪人面と言っていいだろう顔立ち。
あくまでコウシロウの印象の話ではあるが、一目ぼれをする相手としては聊か不自然さがあるような気がする。
とはいえ、仲むつまじくしている様子を見たこともあるので、ユーナが言っていることは真実なのだろう。
世の中、どれだけ歳をとっても、驚くことは多いようだ。
「好みは人それぞれ、ということですかねぇ」
「へ? なんですか?」
「ああ、いいえ。とにかく、五日後のお店の定休日に、お昼を作りにお伺いしますからねぇ」
ポロリと出た言葉を笑顔で誤魔化し、コウシロウは確認するように告げる。
ユーナは表情を引き締めると、大きく頷いた。
「分かりました! 食材の準備とかは、どうするんですか? 店にあるものをもっていくのか、用意するのか、それとも向こうで用意して頂くのか……」
「そのへんも含めて、諸々明日以降に館の料理長さんにお聞きしようと思っていましてねぇ。お出ししてはいけない食材などもあるかもしれませんので」
「ああ、そうですよね」
風習や習慣で、口にしないという食べ物も多い。
調理の方法にも、気を使わなければならないだろう。
特に奥方は、人間とは種族が異なる。
好き嫌い以前に、食べると問題のある食材などもあるかも知れない。
「明日にはそういったことをお聞きして、翌日から仕込みを始めて、といった具合ですかねぇ。ユーナさんにも色々働いてもらいますが、よろしくお願いしますよ」
「はい! 任せてください! 師匠はお仕事が沢山あって忙しいでしょうから! 私が準備、がんばります!」
張り切った様子でガッツポーズをするユーナを見て、コウシロウは面白そうに笑う。
「ええ。当日も大変だと思いますけれど、一緒にがんばりましょうね」
「え? 一緒に、ですか?」
不思議そうに、ユーナは首を傾げる。
コウシロウはニコニコ笑ったまま、ゆっくりと頷いた。
「ええ。ユーナさんにも手伝ってもらいたいですからねぇ。当日は、一緒に領主館に行きますよ」
「ええええええ!?」
ユーナは、自分は店で留守番をしているものだとばかり思っていたのだ。
だが、コウシロウは料理を作る補佐として、ユーナを連れて行くつもりだったのである。
悲鳴を上げるユーナを横目に、コウシロウは美味そうにうどんを啜るのであった。
翌日、領主館の料理長から話を聞いたコウシロウは、早速食材の準備を始めた。
とはいっても、コウシロウは地図を作る仕事や、店の仕事がある。
代わりに、と食材の準備をかって出たのは、意外にもイツカだった。
コウシロウの店で呑んだくれていたイツカは事情を聞くと、自分がやると手を上げたのだ。
「最近引きこもりっぱなしだったし、いい運動だよね!」
最近どころか、イツカはこの街に来てから、ほとんど動いていなかった。
いつもは大体牧場の地下に広がるダンジョンにいるし、それ以外は牧場の従業員寮の自室に引きこもっている。
何か買い物があるときは、街まで伸びたダンジョンの通路を使うか、定期運行しているバス的なゴーレムを使っていた。
「それに、最近キョウジくんヤバイ感じにキマってて、ちょーすげぇーいきおいで新しいゴーレム作らせようとしてくるしね! あっちこっち動いてればつかまらないですみそうだし! あっはっはっは!」
どうやらそっちが本当の理由だったようだ。
ナナナの一件以来、キョウジの胃がストレスでマッハらしい。
夜中、廊下の隅で体育すわりで壁に向かってぶつぶつ何事かつぶやいたり、ソファーに体育すわりして甘いものを貪り食ったりしているのだという。
なんとなくアルファベット一文字のあの人っぽくて怖い、というのは、イツカ談である。
早速行動に出たイツカがまず向かったのは、ナナナの件で行った漁村だ。
海には桟橋が出来ており、ゴーレムで作ったエンジンモドキを搭載した漁船が数隻停泊している。
桟橋の近くには、中央に穴が開いた、大きないかだが浮いていた。
海面が見えるその中央部分を覗き込むと、大型、中型の魚が泳ぎまわっているのがわかる。
魚たちの隙間から海中をよく見れば、網が張ってあるのがわかった。
いかだの穴の部分には大きな袋型の網が張られていて、海上生簀になっているのだ。
もちろん、キョウジの要望で、イツカがゴーレムに作らせたものである。
イツカは漁村の村人のところに行くと、事情を説明して魚の調達を頼んだ。
「侯爵様のために魚を!? そりゃぁー、気張らんとなぁ!」
「んだんだ! うんまい魚やら貝やら、もっていってもらうべ!」
この村でも、ロックハンマー侯爵の人気は高かった。
なんでも以前に食糧難に陥った際、いち早くロックハンマー侯爵が支援を出してくれて、難を逃れたこともあるのだとか。
それ以外にも、周辺の魔物対策にほかの領地よりも多い頻度で討伐隊を組むなど、かなり手厚く保護してくれているらしい。
「このあたりは地方騎士様もいらっしゃらねぇですからの」
「ちがくの町さいぐにも、一日二日歩かねばならね土地だで。ほんに、ありがてぇこって」
この村にはよその土地から流れてきたものも多く、そのせいもあって余計にありがたみがわかるのだとか。
あのおとっつぁん、見た目は盗賊の頭なのに、すげぇなぁ!
と、いわないだけの空気を読むスキルは、一応イツカも持ち合わせていた。
たぶん誤って口にしていたら、ボコボコにされていただろう。
次にイツカが向かったのは、ケンイチのところだ。
事情を聞いたケンイチは文字通り椅子を蹴って立ち上がると、従業員達に向かって声を張り上げた。
「てめぇーら、聞いてのとおりだぁ!! 手の空いてるヤロウ全員あつめろやぁ! 今日から不眠不休だオラァアア!」
「「「おおう!」」」
ゴブリンや村娘達からなる従業員達が、重低音の返事を響かせる。
ちなみに。
牧場の従業員の多くは、以前ミツバが殴っていたゴブリン達と、ゴーレムの貸し出しのおかげで生活が楽になった農村部からやってきた娘達であった。
農村部では、男は力仕事があるが、娘達は仕事にあぶれてしまうことがある。
そういった場合は奉公に出るのが一般的なのだが、牧場はその受け入れ先のひとつになっているのだ。
どうやら牧場でも、ロックハンマー侯爵の人気は相当なものなようだった。
武勇で成るロックハンマー侯爵の人となりは、ゴブリン達の気性に合致するものだったらしい。
最近になって実際に牧場を訪れる機会があったことも重なり、ゴブリン達はかなりテンションが上がっている。
元々の住民であり、農村部出身の娘達はなおさらだ。
ユーナがそうであったようにいろいろな噂話を聞いていることや、保護を受けたこともあり、こちらの張り切り方もなかなかのものだ。
早速工場のほうに駆け出しているゴブリンや、休みの連中を呼び出そうと寮のほうへ駆け出している娘もいる。
騒然とする彼らを見て、イツカは若干引き気味で額に汗を浮かべた。
「いや、一食分だよ? それに、さっきいった量だからね?」
「なに言ってんだイツカてめぇえええ!? 少なかろうが一口だろうが、お客さんの口に入るもんには魂込めるのが生産者のプライドだろうがごらぁあ!! まして特別な食事ともなりゃおめぇ、気合入れるだろうがぁ!」
言っていることは正しいのだろうが、その迫力がどう見ても族的な人がケンカ的なものをしているときのものであった。
立場的にもケンイチは最も限りなく現役に近いその手の人なので、その圧力はかなりのものだ。
普段ののらりくらりとしているイツカも、思わずドン引きしてしまうレベルである。
「あのー、ヘッド」
「牧場長だっつってんだろうがぁ! あんだぁ!?」
気弱そうな従業員の娘が、おずおずと手を上げる。
大声を飛ばすケンイチに、その娘は真剣な面持ちで口を開いた。
「料理するのは、コウシロウさんなんですよね? わざわざヘッドに注文を届けてくるって事は、相当特別なものじゃなくちゃいけないんじゃないでしょうか」
その言葉に、その場にいる全員が静まり返った。
浮かべる表情はそれぞれだが、おおよそ「確かに」と納得している色が伺える。
イツカが一人だけ「そんなことないんじゃない? たまたまじゃない? 大体発注しに来たの私だし、手が空いてるっぽいのがケンイチさんだっただけじゃない?」という顔をしているが、誰も気に留める様子もない。
ケンイチは懐から一本の鉢巻を取り出すと、ぎゅっと頭にそれを巻きつけた。
額の部分には大きな文字で、「安心 安全」と書き込まれている。
「センソウだおらぁあああ!!!」
「「「おおおおおお!!!」」」
地鳴りのような声を響かせ、ケンイチと従業員達はすさまじい勢いで動き始める。
イツカはその様子をしばし呆然と眺めた後、ぽりぽりと尻を掻きながらその場を後にした。
「体育会系っていうか、ヤンキー界系だね。ありゃ」
人様からお預かりした大事な娘さん達に、すさまじい悪影響ではないか、と思ったイツカだったが。
まあ、自分には直接影響ないし、いっか。
と、気にしないことにするのだった。
街にある八百屋を回り終え、イツカはようやくコウシロウに頼まれた食材の手配を終えた。
ムツキが収監されている牢屋の前までやってくると、イツカはようやく人心地ついた様子でぐったりとその場に倒れこむ。
そんなようすに、ムツキは柑橘系の果物の皮をむく手を止め、目を丸くした。
「どうしたんですか? なんか凄い疲れてるみたいですけど」
「いやー、まいったわ。みんなテンションたっかいんだもん。シラフじゃ対応できないよね!」
「イツカさん、シラフだったんですか?」
「そんなわけないじゃん。逆にどうして私にシラフの時があると思ったのよ」
なぜか真顔でうなずきあうイツカとムツキだった。
イツカは「まあ、そんなことはどうでもいいんだけどさ」と、どうして疲れたのか、という理由を話す。
あちこち回って、そのたびにアッパーなテンションでこられて逆に引いちゃった、という話を聞き終えたムツキは、納得した様子でうなずく。
「あー。そりゃしかたありませんよー。ロックハンマー侯爵さんって、すっごい人気ありますからねー。ビジュアルはアレですけど。ビジュアルはアレですけど」
「なんで二回言ったし」
「大事なことだからですよ! イケメン無罪っていうじゃないですか! つまりブサメンは存在が有罪なんです!」
「方々にケンカを売るスタイル」
「いいんです。もう捕まっちゃってますから」
いいながら、ムツキは両手で目の前の鉄格子をつかみ、揺する様なしぐさをしてみせる。
それを見たイツカは、思わずといった様子で噴き出した。
「ていうか、ムツキちゃんは直接会ったことあるんでそ?」
「はい。なんかこう、すっごい悪役オーラむんむんな感じでした。くっころ系とかNTR系の女子と相性がよさそうなかんじの!」
「それ兵隊さんに聞かれたらうっかり無礼討ちされたりするからね?」
「大丈夫です! このプリズンに兵隊の人はいません!」
思わず殴りたくなるようなドヤ顔を決めるムツキを見て、イツカは腹を抱えて笑う。
慣れた様子で棚にしまってあったコップを取り出すと、イツカはそれに酒を注ぎいれる。
それを受け取ったムツキは、ちびりちびりと中身を呑み始めた。
「でもまあ、キョウジ先生にもいろいろ教わったし、冷静になった今だからわかりますけど。あの人凄いですよ」
「具体的に言うと?」
「あの至近距離で私の魔法を全部、当たり前の顔して防いじゃったんですよ?」
ムツキの能力である「一般魔法究極適性」は、非常に強力だ。
そのムツキが繰り出した複数の魔法を、ロックハンマー侯爵は顔色ひとつ変えずにすべて凌いだのだという。
「すごいよねぇー。あの人って魔法、使うの?」
「使わなきゃさすがに防げないですよ。ドンなものかまでは知りませんけど。はぁ、あれで顔がよければ完璧なんですけどねぇ。顔がよければ」
「ホントぶれないよね。ムツキちゃん」
呆れたように肩をすくめながらも、イツカは面白そうに酒瓶を呷った。
領主館の厨房を訪れたコウシロウは、感嘆のため息をついた。
厨房の内部は、実に整然としている。
掃除も行き届き、道具も丁寧に扱われているのがよくわかった。
思わず手にとって確かめてみたくなる衝動をぐっと我慢しながら、コウシロウはものめずらしそうにそれらを見て回る。
コウシロウも、こちらの世界に来てからしばらくたっていた。
道具などはほとんど見慣れたものばかりだが、場所が場所だけに道具は一流のものばかりだ。
自身もよい品ばかりを選んで使っているコウシロウだが、やはり隣の芝は青く見える。
道具や調理台をしげしげと眺めていたコウシロウだったが、人が近づいてくる気配に顔を上げた。
数秒後、厨房に一人の壮年の男性が入ってくる。
この国では多く見かける調理服を着たその男性は、領主館の料理長だ。
「お待たせしました。申し訳ない」
「いえ、こちらこそ無理を言いまして」
コウシロウと料理長は、にこやかに握手を交わす。
普通なら、コウシロウのような外部の料理人が厨房に入るのは、あまり歓迎されることではないだろう。
だが、二人は既に何度か顔を合わせ、お互いがお互いに敬意を払う関係になっていた。
「いやぁ、申し訳ありませんねぇ。厨房を使わせていただくなんて」
「いやいや。うちの若い連中にも、いい勉強になりますので」
ロックハンマー侯爵に出す料理を作るには、どうしても領主館の厨房を借りる必要がある。
そのため、事前の打ち合わせをしに来たのだ。
その中で、料理長は思わぬ「おねがい」をコウシロウにしてきた。
下ごしらえの様子などを、若い連中に見せてやってほしいというのだ。
「ご承知のとおり、閣下は舌が肥えた美食家で、なおかつ健啖家でしてね。立場的にも客が多く、腕のいい料理人も多くいるのですが。いかんせん、外を知るものが少ないのです」
「おやおや。王都で修行をした人も多いと聞きましたが。それでも足りませんか?」
「だからこそ、というのでしょうか。いわゆる高級料理店や貴族様のお屋敷で修行したものがほとんどでしてね。そういったもの以外知らんのです」
いわゆる高級料理というのは、作り方が決まっていたり、作法があったりする場合が多い。
この国でもそれは変わらず、いわゆる「高級料理」というのは決まった形式にはまったものがほとんどだった。
それは地球でも同じだし、それが悪いとは言わない。
むしろ、格式のあるものは、それだけで価値があることも多いだろう。
だが、よい部分ばかり、ともいえない。
「侯爵閣下は、さまざまな土地でさまざまな料理をお食べになりますからな。鳥の卵や魚、獣の肉を生で食べて、それが美味かったと聞かされたときは、心底驚きました」
広い面積を持つロックハンマー侯爵の領内には、そういったものを食べる土地もあるのだという。
それもあって、コウシロウが貝の刺身を出したときに躊躇なく口に入れたのだろう。
もちろん、当人の気性もあるのだろうが。
「この館にいらっしゃるお客様の中には、そういった驚くような料理を期待される方も多くいます。何しろ、あのロックハンマー家の館ですからね」
ロックハンマー侯爵の美食、健啖家ぶりは、国内でも有名らしい。
「ですが、うちの中にも頭の固いのがいましてな。どうにもそういったものに腹の中ではいい感情を持っていないようなんです。ここはひとつ、奥様の喜ぶ顔でも実際に見て、常識を壊してやるのが早いと思いまして」
「あっはっはっは! いえいえ。喜んでいただけるかどうかはわかりませんよ」
「そこは一番、気張って頂きたいところです」
ひとしきり笑いあったところで、ふと料理長が手を打った。
「ああ、そうだ! コウシロウ殿が用意していた食材の中に、魚がありましたが。あれは海の魚では?」
「ええ。そうです。いいのが手に入りましてねぇ」
「実はご相談がありまして。以前からこの屋敷でも海の魚を出したいとは思っていたんですが。いかんせん、海まで遠いものですから。なんとか都合、つけていただけませんか?」
その問いに、コウシロウは小さくうなった。
海への往復は、イツカの転送トラップを使えば一瞬だ。
出来る出来ないのはなしで言えば、簡単に出来てしまう。
だが、いかんせんそれをするには当のイツカの協力が不可欠だし、転送トラップを使うこと自体、ただではない。
トラップを発動させるためには、魔力が必要だ。
それを使うにもやはり、イツカに頼む必要がある。
「いやぁー。頼むことは出来るでしょうけれどねぇ。頼まれてくれるかどうかは、なんとも」
「そこを何とか! 以前海の近くで修行した事もありましてね。新鮮なのを扱いたいんですよ」
「頼んでみるだけならば構わないんですが。実は、私もお願いが有りましてねぇ。あの、あそこに置いてある香辛料なんですが。なかなか手に入らないんですよぉ」
「ああ、あれですか。アレはちょっと、私に伝手がありまして。分かりました、何とか都合をつけましょう」
「本当ですか? いやぁ、有り難いですねぇ! では、こちらも努力してみますよ」
そんなやり取りのあと、二人は改めてお互いの顔を見て笑いあった。
その日、領主館の厨房には、ちょっとした改装が加えられていた。
厨房から料理が運び出される一画に、イスとカウンターテーブルが設置されたのだ。
調理の様子を見せながら、お客に料理を出す。
それは、コウシロウが好む提供方法の一つだ。
今回はロックハンマー侯爵たっての要望ということもあり、こういった方法がとられることとなった。
厨房に近い一画とはいえ、そこは領主の邸宅だ。
市井のものなどより、余程立派なつくりになっている。
言ってしまえば、コウシロウの店よりも随分立派なものになっていた。
席に座っているのは、ロックハンマー侯爵と、その奥方であるインの二人だけだ。
インはそわそわと、楽しくて仕方がないといった様子だった。
だが、行儀良くして居なければならないという思いもあるのだろう。
立ったり座ったりを繰り返しながら、厨房の中を覗き込んでいる。
ロックハンマー侯爵は、そんな自分の妻を見て、優しげに微笑んでいた。
もっとも、その顔だけを切り取ってみれば、何事か悪巧みをしているように見えるのだが。
カウンターから見える位置には、コウシロウが立っている。
その奥では、がちがちに緊張したユーナが。
さらに奥には、領主館の調理人達が興味深そうに調理の様子を眺めていた。
しきりに感心した様子で頷いたり、中にはメモを取っているものも居る。
彼らの隣には、何本もの酒瓶を抱えて、美味そうに酒を呷っているイツカも居たりするのだが、誰も気にとめる様子もない。
一応、イツカは今回の材料集めに骨を折った、役者の一人なのだ。
抱えている酒は、報酬代わりなのである。
ついでに言えば、料理長が新鮮な海の幸を手に入れるための、前払いでもあった。
「すごく、たのしみ。おいしそう」
わくわくした様子で、インはロックハンマー侯爵に言う。
以前にコウシロウの店で食事をしたことを、ロックハンマー侯爵はインに話していたのだそうだ。
インはそれを、とても興味深げに聞いていたらしい。
今回はそのときと同じ趣向で、料理を用意して欲しいという事だった。
和洋折衷で、居酒屋のようにその場ののりで。
お客の顔を見ながらの料理は、コウシロウにとっても楽しいものである。
コウシロウがまず出したのは、小鉢に盛られた料理だった。
ぬか付けに手を加えた、簡単な酒のアテのようなものだ。
地球で言えばきゅうりに近い食感の野菜を、三日ほど糠床に漬けて置く。
少しすっぱくなりすぎたぐらいのものを千切りの要領で細かく刻み、それにネギ科の野菜を刻んで混ぜる。
更に、これも細く切った油揚げをフライパンで炒めたものを混ぜ込み、仕上げにショウユを軽くかけた。
油揚げは、最近になって豆腐を作るようになって、作り始めたものだ。
「お口に合うかどうか。こちらで言えば、ピクルスなんかの酢漬けに近いでしょうか」
出されたそれを、インはきらきらと表情を輝かせながら頬張る。
しゃきしゃきとした食感を楽しむうち、段々と笑顔が広がっていく。
手元のコップを両手で持つと、中身を少し口に含む。
目を細めたインは、ロックハンマー侯爵に何度も頷いて見せた。
どうやら口に合ったらしい。
ロックハンマー侯爵も安堵した様子で、コップを口に付ける。
中身は、以前ロックハンマー侯爵に振舞った、にごり酒だ。
インも同じものを飲んでいた。
見た目は幼いインだが、実年齢はロックハンマー侯爵よりも上なのだ。
種族的にも、中年を越えた年齢である。
聞いたところによると、インの種族である「草原の民」というのは中々の酒豪ぞろいらしい。
インもその例に漏れないそうで、酒は好きな様子だった。
濁り酒を美味そうに呑む様子から見ても、まず間違いないだろう。
ならばと、コウシロウは酒のつまみになりそうなものを用意することにした。
まずは早く出せる軽いものをと、奥のユーナに合図を送る。
次に出したのは、キャベツや白菜に近い葉野菜に、油と塩で味付けしたものだ。
日本の居酒屋などで提供される「パリパリキャベツ」に近いだろうか。
ただ、今回使っている葉野菜は一度湯がいてある。
それでも歯ごたえが損なわれないほど、頑固な野菜だ。
これを持ち込んだ氷で冷やし、香ばしい植物油と塩で味付けした。
できれば塩昆布などを載せたいところだったが、残念ながらまだ完成していない。
キョウジ主導で作っては居るので、コウシロウもそれを心待ちにしている。
「ぱりぱり、たのしい」
「うむ。酒が進む味だね」
そんな二人の言葉が聞こえたのか、ユーナは心底ほっとした様子で胸をなでおろす。
実はそれを仕込んだのは、ユーナだったのだ。
そんな様子をおかしそうに見ながら、コウシロウは次の仕上げにかかった。
熱した小さな鉄板に、蒸かした芋を一口大に切って盛り付ける。
香草と香辛料をたっぷり使った、少し辛い位の味がついたソーセージを、同じく一口大に切って混ぜる。
ソーセージの脂が溶け出し、鉄板の上に広がっていく。
それを、芋に絡めるように混ぜる。
ぱちぱち、じゅうじゅうという音に、インはフォークを動かす手を止めた。
乗り出すような様子で、小さな鉄板を見つめている。
「さぁ、ここからが本番ですよ」
楽しげにそういうと、コウシロウは芋とソーセージの上にサイの目に刻んだチーズを振りかけた。
鉄板の上に転がり落ちたものはすぐさま溶けていき、鉄板の上で濃い狐色になっていく。
芋とソーセージの上に残るものも、徐々に形を失っていき、とろとろと食材に絡み始めた。
香り付けに香辛料を一つまみ振り掛けると、コウシロウは小さな鉄板を金具で掴み上げ、へこみの付いた木の皿の上に乗せる。
「熱いですから、気をつけてあがってくださいねぇ」
インはまず、芋にフォークを刺した。
とろけているチーズを絡めてから、ふぅふぅと息を吹きかける。
少しさめたところで、ぱくりと一口。
それでも少し熱かったようで、はふはふと細かい呼吸を繰り返していた。
味のほうは、満足いただけた様子だ。
とろけるような笑顔で、頬を押さえている。
次は何を食べようかと迷っていたフォークは、ソーセージに行き着いた。
そこでインは、何事かひらめいた様子で眉を上げる。
ソーセージをフォークに突き刺したまま、鉄板の上で焼けた狐色のチーズをこそげ取った。
慎重な手つきでソーセージの上にそれを乗せると、落ちないようにそうっと口へと運ぶ。
味が強いソーセージは、たっぷりのチーズにも負けていない。
むしろその濃さが、肉のうまみとチーズを上手く取り持っているようだった。
そこにカリカリに焼けたチーズが来るのだから、美味くないはずが無い。
パタパタと嬉しげに足を動かしながら、インはこくこくと酒を呑む。
「今日は随分ゆっくりなようだと思うのだがね?」
「うん。りょうり、おいしいから」
かなりのハイペースに見えたが、どうやら常のインからするとゆっくりらしい。
量的には、イツカの半分程度、といえば、その呑みっぷりがわかるだろうか。
ロックハンマー侯爵も体格に似合った呑み方をしているのだが、この夫婦は殆ど同じテンポで酒を呷っているのだ。
コップに酒を継ぎ足そうと、コウシロウはユーナに目配せをする。
心得たもので、ユーナはすぐに瓶を持って二人の後ろに回った。
それを、ロックハンマー侯爵は片手を上げて止める。
硬直するユーナに、ロックハンマー侯爵は小さく声をかけた。
「私に、注がせて貰えるかね?」
「は、はい! 分かりました!」
ユーナから瓶を受け取ると、ロックハンマー侯爵はインのコップへと酒を注いだ。
それを嬉しそうに眺めていたインは、今度は自分が、と瓶に手を添える。
ロックハンマー侯爵はやわらかく頷くと、インが手を添えた瓶で自分のコップに酒を注ぐ。
瓶はかなり大きく、インが一人で持つには大きすぎるようだった。
なので、ロックハンマー侯爵はそうした方法を取ったのだろう。
口に出さなくても、それはインに伝わっていたようだ。
「有難う」
「うん」
礼を言うロックハンマー侯爵に、インは嬉しそうに頷く。
そんな二人のやり取りに、コウシロウは微笑ましいものを見るように目を細める。
早めに出せる料理で時間を繋いでいるうちに、焼いていた別の料理が完成に近づいていた。
漁村で用意してもらった、大型の魚。
その、えらに近い部分、いわゆるカマの部分の塩焼きだ。
たっぷりと荒塩を擦り込んで焼いたそれは、シンプルに炭で焼き上げたものだった。
皿に盛られ出されたそれを、インは目を丸くして眺める。
出身地の土地柄もあり、これほど大きな魚をインは見たことが無いようだ。
どうやって食べたものかと首を傾げるインをよそに、ロックハンマー侯爵は皿ごと自分の前へと引き寄せた。
「今、食べやすいようにしよう」
そういうと、ロックハンマー侯爵は手にした箸をカマの塩焼きに向ける。
コウシロウの店に行って以来、ロックハンマー侯爵は箸をとても気に入ったらしい。
自分の屋敷で食事をするとき、時々使っているのだという。
大きな手からは想像も付かない器用さで、ロックハンマー侯爵はカマの塩焼きを解体し始めた。
良く焼けた皮の部分に箸を置くと、バリバリと音を立てて崩れていく。
更に箸を押し付けると、沈むように身がほぐれ切れていった。
そこから浮かび上がってくるのは、透明な脂だ。
ふわりと立ち上る焼き魚独特の香りが、インの鼻をくすぐる。
脂の乗った身と、焼けた皮の部分。
そのどちらもが楽しめる部位の一口分を切り取ると、ロックハンマー侯爵は皿のインに近い場所にそれを置いた。
インはすぐにスプーンとフォークを駆使してそれを持ち上げると、僅かに慌てた様子で口に運ぶ。
サクッとした皮の香ばしさに、魚の旨みが詰まった脂が絡みつく。
生臭さなどはまるで無く、ほどよい塩気が身の味を引き立てていた。
「海の魚と川の魚というのは、やはり味が違うものだね」
自身も魚を口に運んだロックハンマー侯爵が、しみじみとした様子で呟く。
「そうですねぇ。それぞれに美味さが違いますから」
そこで、コウシロウはひらめいたというような表情をする。
手招きしてユーナを呼ぶと、何事か耳打ちをした。
すぐに終わったそれに、ユーナは頷いてすぐに奥へと戻って準備を始める。
その間に、コウシロウは次の料理に取り掛かった。
氷の入った箱から取り出したのは、事前に用意してあった内臓肉の香辛料漬けだ。
辛味の強い香辛料に、ショウユで漬けた牛型の魔獣の腸である。
一口大にしてあるそれを、フライパンの上に乗せた。
漬け込み用のタレを、少し多めに入れるのがポイントだ。
脂が弾け、ショウユがこげる香りがふわりと立ち上る。
肉の脂とショウユの匂いは、腹を空かせるためにあるといっていいだろう。
お玉でフライパンに肉を押し付けて焼きながら、コウシロウは頃合を見て野菜を投入していく。
葉野菜に、根野菜。
香りの強いものなどを取り合わせ、四種類ほど。
どれも炒めるのに相性がいいものばかりで、良く食べられているものだ。
既にある程度下処理をしているので、野菜のほうは余り火を通さなくていい。
暖める程度に、タレが良く絡むようにしながらフライパンを振る。
皿に盛り付ければ、立ち上る湯気にあわせて、香りがぶわりと広がっていく。
ふわり、ではない、ぶわり、である。
もはやこの匂いは、暴力である。
実際、インなどは皿に盛られた料理に釘付けになっていた。
目の前に出されたそれに、インは嬉々としてフォークとスプーンを伸ばす。
木製のスプーンの上にまず乗せたのは、野菜だ。
その上に、たっぷりとタレを絡めた肉を乗せる。
元々白かったと思われる腸肉には、すっかりタレの色が移っていた。
赤に近い黒であるそれは、人によっては見ただけで「美味い!」と言ってしまいそうなほどに魅力的だ。
スプーンに乗せた料理を、インは口いっぱいに頬張る。
ぷりぷりとした弾力のある腸肉に、しゃきしゃきとした野菜の食感が楽しい。
じわじわと口の中で溶け出す脂のうまみに、タレの香ばしさ。
そこに、噛み締める事で生まれた、野菜の甘みが追いかけてくる。
インはたまらないといった様子で、酒を口の中に流し込む。
「ないぞうにく、ひさしぶりにたべるね」
「そうだね。煮込んだものもいいが、焼いたものもやはり美味い」
この国のいわゆる高級料理では、内臓肉はあまり使わないのだ。
使ったとしても、煮込むことが多かった。
勿論それはそれで、実に美味い。
だが、狩猟も行う草原の民であるインには、焼いた内臓肉も馴染み深いものなのだ。
「このタレも、かわってるけど、おいしい」
「あっはっはっは! それは、なによりですねぇ」
そうこうしているうちに、ユーナの準備が終わったらしい。
用意されたのは、油の張られた二つの鍋。
そして、小さなボウルが二つだ。
ボウルの中に入っているのは、どちらも粉のまぶされた小魚のようだった。
「片方は、海の魚。もう片方は、川の魚です」
「ほぉ。見た目も少し違うようだと思うのだがね」
「かたっぽ、ながほそい。もういっこは、はっぱみたい」
インの言うとおり、どちらの魚も大きさは同じ程度ではあるものの、形は異なっていた。
「葉っぱのよう、というのは、言い得て妙ですねぇ。葉っぱのほうが、海の魚になります」
いいながら、コウシロウは菜ばしで海の魚を掴み上げ、熱した油の中へと泳がせた。
小気味のいい、からからという音が響く。
次いで、もう一方の鍋へ川の魚を入れる。
インは興味深そうに油の鍋を眺めながら、時々思い出した様子で料理を口へ運ぶ。
様子が気になるのか、口いっぱいに料理を入れて、頬張りながら鍋を見入っていた。
ロックハンマー侯爵は、それを目を細めて眺めている。
揚がった魚を、コウシロウは同じ器に盛り付けた。
どちらも薄く粉を打った程度のものなので、もともとの姿がよく分かる。
どちらも外見が違うので、どちらがどちらなのか見分けははっきりと付いた。
「衣に味が付いていますのでねぇ。そのままあがって見て下さい。骨まで食べられますよ」
インは早速、川の魚にフォークを突き立てた。
サクッとした感触だ。
一口で食べられる大きさなので、インは行儀悪く口の中に一匹丸ごと放り込む。
サク、サク。
淡白な身を、衣の油が程よく助けている。
衣に少し香草が加えられているのか、その香りが鼻に抜けた。
強いものではなく、あくまでアクセント程度のそれは、やはり淡白な身に良くあう。
続いては、海の魚だ。
こちらの衣には、何も加えられていないようすだ。
それぞれにまぶす粉を違えていたらしい。
食べてみて、なるほど、とインは納得した。
海の魚は、凝縮した強い味をもっていたのだ。
カリカリになった頭部や、背骨、皮、そして身の部分。
それら全てから、ギュッと凝縮された旨みがあふれ出てくる。
さっぱり、すっきりとした穏やかな旨みの川の魚。
対して海の魚は、強烈なパンチ力をもっていた。
「どっちも、それぞれで、おいしいね」
インは嬉しそうに、満面の笑顔をロックハンマー侯爵に向ける。
それを、ロックハンマー侯爵は微笑んで受け取った。
だが、ふと表情を曇らせる。
不思議そうに首を傾げるインに、ロックハンマー侯爵は実に、実にいいにくそうに口を開いた。
「以前は、良くあちこちの視察に、一緒に行ったものなのだがね。最近は、色々物騒だから。余り館からも、出られないだろう」
ロックハンマー侯爵が言うように、現在は隣国と余りうまくいっていない状況だった。
大きな軍事力を持つロックハンマー侯爵は、こういった場合非常に厄介な立場になる。
国外の相手から狙われるだけでなく、国内の別の貴族からの注目にもさらされることになるからだ。
この国は文官貴族と呼ばれるような、内政畑の貴族が強い力を持っている。
軍事力を持つ貴族が台頭するのを、そういった貴族は酷く嫌うのだ。
そうなると、国内だから安全、とは、いいきれなくなってしまう。
「だから、せめてね。少し離れた土地のものを、と、思ったのだよ」
それは、ロックハンマー侯爵なりの、気遣いであるらしかった。
長年連れ添った妻への、ささやかなプレゼント。
不自由を強いているお詫び。
そのほかにも、様々な思いがあるのだろう。
気まずげに眉間に皺を寄せるロックハンマー侯爵を、インは嬉しそうに見つめている。
「うん。おいしい」
それだけ言うと、インは再び食事に戻った。
ロックハンマー侯爵も、酒の入ったコップに手を伸ばす。
余り言葉を尽くす必要はないらしい。
インの一言のあとは、二人とも料理と酒についてあれこれと楽しげに話すだけだった。
お互いに、少し言葉を交わすだけでいい。
心のうちにあるお互いへの感謝を伝えるには、それだけで事足りる。
そういう絆のようなものを、この夫婦は既に気づいている様子だった。
ずっと独身だったコウシロウにとっては、中々に目にどくな姿だ。
「これで侯爵閣下がイケメンだったらなぁー。あ、うそ。ゴメンナサイ、ナグラナイデ!」
後ろのほうからかすかにどたばたという音か聞こえてくるが、コウシロウはとりあえず無視することにした。
お客に振舞う次の料理に、取り掛からなければならないからだ。
夫婦はこのあとも、ゆっくりと料理と酒を楽しんだ。
この後、ロックハンマー侯爵はときどきインに「あのときの、おさけ、のみたい」と強請られる様になったという。
そのため、コウシロウは時折、領主館で腕を振るうようになったのであった。
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