羽黒山、開山

鈴木 了馬

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十一 堂平へ

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 (どうだいらへ)


 霜が降りた。
 初雪に会うのも、この二、三日のうちであろう。
 翌朝になって、小手姫の腹痛は止んでいた。
 熱も下がっている。
 十分な休息と、秦の者たちが持っていた、大陸渡りの気付け薬が効いたのかもしれなかった。
 この辺りは、台地であるため、人目につきやすい。
 潜伏するには、誰の目にも不向きに思える。
「柴田までは無理にても、山河があるところが良かろう」
 糠手子の意見に、みな賛同した。
「母様、さあ」
 蜂岡皇子は、母をおぶってあるき出した。
「すみませぬ」
 人目には、気恥ずかしい小手姫であるが、内心は嬉しかった。
 皇子の心には、このような孝行ができるのも、もう何度も無いだろう、という感傷があった。
 そして、実際におぶってみると、思いの外軽く、それは少女のようであった。
 やはり、都を離れさせるべきだはなかったか、と皇子の心は後悔に沈んだ。
 この日、十月二十一日は、小雪である。
 もはや、北行も限界であった。
 旅も中断せざるを得ない。
 今年最後の旅路。
 申の刻(午後三時頃)に、湯日ゆひ(現、福島県二本松市油井辺り)に到着した。
 ちょうど、阿武隈河に湯日河が流れ込むあたりであった。
 河のほとりで、一行は、しばし、休息を取った。
「今日はここまでであろうかのう」
 糠手子がそう問う。
 秦忍勝は少し考えて答えた。
「このまま北上しますと、信夫国しのぶのくにに入ります。この辺りと違いまして、朝廷の監視の目が厳しいと思われます。それよりも、この阿武隈河の上流の方角に進み、山地を住処とするのが好ましいと存じます」
「そうすると、あの山の方を目指して、本筋よりも東に進むということかのう」
「さようでございます。そうしますと、これからは山道ゆえ、お言葉どおり、今日のところは、この辺りに野営するのがよろしいかと存じます」
 一行は、湯日河を少しさかのぼり、森の中に入った。
「母様、あの土手、見てください」
 錦代が土手を指さして言った。
 いつの間にか、旅慣れた錦代は、もはや皇女然とはしていない。
 農民、平民の娘のようであった。
 湯日河の右岸一面に、ヤマグワが群生していて、それを見つけて駆け出したのである。
 何気ない、この発見は、後に重要な意味を持ってくる。
 当初、蝦夷の国へ逃れるということを企図して、かの地で何を生業なりわいにすれば良いかということが話された。
 何をして生きていけば良いか、と。
 しかし、それは意外にすぐに答えらしき事が見つかった。
 すでに蝦夷の国に入って、鉄の採掘などを行っている秦の者らから、彼の国では、ふんだんに桑(山桑)が群生している、という情報がもたらされたからである。
 すなわち、蚕を育て、絹の糸をとれる。
 養蚕である。
 そもそも、このことが裏付けられて後、北行が現実味を帯びてきたのであった。
「この国にても、お蚕さまを育てられるということでしょう」
 錦代が走って取ってきた桑の葉を見て、小手姫が明るく言った。
 それは望みの光であった。

 翌朝、一行は北北東に進んだ。
 そして、巳の刻(午前十時頃)にまた、道は再び阿武隈河に出会う。
 河岸は大岩がむき出しの渓流である。
 この辺りで、一休みをしようとした時であった。
 騎馬が二騎、近づいてくるのが見えた。
「その者たち、どこから来たのか」
 糠手子が立ち上がって、用意していた言葉を返す。
「我らは、近江からの開拓民です。朝廷の命にて、北の毛人えみしの地へ探索に向かう途中にございいます」
「何、北のエミシ」
「さようにございます」
「それにしては、方角が違うではないか」
「はは、昨日湯日に野営しまして、かなりの寒さで、時期ゆえ、さすがにこれ以上の北上は無理であろう、と判断しまして、越冬の地を探して、こちらに参ったのでございます」
「朝廷の命を受けているのであれば、この国は、杉ノ目様の御領であることを知っておろうな」
「はは、存じております」
「して、了承は得ておるのか」
 ここは、迷わずよどみ無く答えるしか無かった。
「いえ、内密の探索であるゆえ、杉ノ目様の了承は得ておりませぬ」
「そうか。それでは、このまま通すわけには行かぬ。待て」
 尋問した男が、もう一騎のほうに歩み寄り、何かを話して戻ってきた。
「その方らを、これより連れ行く。付いて来い」
 一行は、騎馬に付いて、そこから半刻(約一時間)、北北東に歩いた。
 そして、堂平どうだいら(現、福島市立子山堂平)というところに到着。
 杉ノ目の領主その人ではなかろうが、いずれその配下の管理権限がある者の面前に出され、尋問を受けたのである。
「北のエミシの地を目指していると聞いたが、どのような任にて向かうのか」
「はは、まず、鉄にございます。西方の産鉄地はほぼ明らかに成っておりますが、北のエミシの地は未開。お聞き及びかも知れませぬが、すでに我らが同族の者らが先行して入っておりまして、すでに産鉄を始めております。この後は、製鉄のためにさらに人手が要ります。よって、その先行隊として参るのでございます。加えまして、農事の開拓にございます。朝廷は、開拓を足ががりにして、北のエミシの地を支配下に置くことを目指しております。この女たちは、その中でも、蚕の養育技術の伝授のために派遣されます」
 尋問者にはすぐに分かった。
 この者たちが平民ではないことをである。
 まず、言葉遣い。
 然るべき、知識がなければ、このように淀みなく説明できるわけがなかった。
 あるいは、身分を偽っていて、その実は高貴な者の出かも知れぬと、内心判じたのであった。
「その方、名を何と申す」
「はい、秦峯能と申します。この者らもすべて秦の者にございます」
「何か、証拠となるものはあるか」
 秦忍勝が担いできた綿の布袋から何やら出して手に持ち、進み出た。
「これは、蚕からとった糸でございます」
 忍勝は尋問者に、絹糸を渡した。
 尋問者は、目を見張った。
「これが、絹というものか」
 話には聞いたことはあるが、実物を見るのは初めてである。
 忍勝は更に、布袋から絹布を出して、差し出した。
「これは絹糸を織った布にございます」
「なんと」
 それは、螺鈿らでんのような輝きであった。
 もはや尋問者は歓喜の笑みすら浮かべている。
「分かった。領主に報告する故、これらをしばし預かってもよろしいか」
「はい、それらを杉ノ目様に献上いたしますが、一つだけお願いがございます。それらは朝廷のご禁秘きんぴの物でございますので、くれぐれも差し上げたことはご内密に願います」
「あい、分かり申した」
 こうして、一行は、この堂平に留め置かれることに成った。
 粗末だが、小屋を与えられたので、越冬の寒さの心配は無くなった。
 この後二日間、杉ノ目の判断が下るまで、糠手子らは辺りを散策する内に、みな確信した。
 この地は、ヤマグワが大変に多い、ということをである。
 杉ノ目の領主は、流石にしたたかであった。
 領地滞在を認める代わりに、この地にも絹織の技術を伝授するように言ってきたのだ。
 また、尋問者が報じたのであろう。
 朝廷の命であることは、まず間違いないだろう、ということをだ。
 その後、一行はまさに厚遇といえるまでの扱い受けたのである。
 住処を造るための資材も十分与えられ、必要とあらば、蚕を養育するために必要な物は、何でも申請せよ、ということであった。
 また、その手伝いをする領民も十名ほどあてがわれた。
 そして、あわひえなどの食料も惜しみなく提供されたのである。
 結果的に、捕縛されたことが、幸いとなった。
 そして、堂平に少し遅い、その年の初雪が降った。
 小雪を過ぎた十月二十四日。
 都を離れて、一月と三日のことであった。
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