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その時代、紅花と言えば、花山藩の河上紅花が全国出荷高の五割近くを占めていた。
その多くは京に運ばれ、主に高級染料の材料として取引されていた。
高田屋は、河上地方の諸農産物、とりわけ紅花の買継問屋として全国に名を馳せていた。
ただ、初代までの商いの中心は京であって、江戸においては、近郊で栽培される紅花に圧倒されていた。
「之ぼう、商いの基本は対面ですよ」
千住の旅籠、田島屋の一室で、不意に宗助が言った。
また、宗助の口から、難しい問いが飛び出すのではないか、と道之は期待しながら身構えた。
「之ぼう、高田屋の江戸での商機はどこにあるだろうか」
江戸への旅に出る一年ほど前、宗助は道之にそう訊ねたことがあった。
残念ながら、その時道之には、その問いに対する確たる答えがなかった。
「江戸での紅花の取引量を増やすこと、ですか」
道之は、苦し紛れにそう答えた。
「もちろん、左様なのだが、どのようにすれば商いが増えるだろうか」
道之は、そこで詰まってしまった。
そのことがあって以来、道之は、高田屋の商いの帳簿関係を過去にさかのぼって調べたり、京や江戸での商いの実態などを父や番頭に聞くなどして、いろいろと調べては、その内容を帳面に記録するようになった。
そうすることで、道之の商いに関する知識は一気に増えていった。
道之の父、二代目高田清右衛門は実務派であり、紅花に関する豊富な知識は生産農家が頼りにするほどだった。
また当然のことながら花山城下の問屋には絶大な影響力を持っていた。
加えて、坂田川舟運を利用した京への紅花出荷、その商い手法の基礎を確立し、京の市場を盤石なものにしたのは、まさに二代目の偉業と言えた。
しかし、宗助の商いの仕方と、二代目高田清右衛門のそれとは違うかもしれないと、道之はすでに感じ始めていた。
道之は、箸を一旦置いて、姿勢を正すと、宗助を見つめた。
宗助は、同じ言葉を繰り返した。
「商いは対面が肝要」
商いは足で稼ぐもの、ということだろうと道之は解釈した。
道之は宗助の次の言葉を待ったが、どうやら期待したような問いかけは無いらしかった。
「明日は、日本橋小舟町の大阪屋に行ってみましょう」
そういう三田宗助は、すっかり三田屋三代目の顔になっていた。
総合問屋大阪屋は先代からの三田屋の上得意で、宗助が跡目を継ぐことになった当初、何かと力になってくれた問屋だった。
「あくまでも、三田屋として面会するけど、こちらの話が終わったら、紹介しますので」
「はい、よろしくお願いします」
そう答えると、道之は宗助の盃に酒を注いだ。
障子戸は開け放たれ、夕闇が迫る裏庭が見渡せた。
決して広くはないが、植木と置石の調和が取れた美しい庭だった。
座敷から向かって右の方には、薄紅色が美しい満開の躑躅(つつじ)があった。
小沢村を発って十七日目だった。
この日投宿することになった千住宿の旅籠、田島屋は宗助の馴染みの宿だった。
「まあ、いずれ」
宗助は一転、表情を和らげて言った。
「気楽にいきましょう」
「はい」
笑えば十五歳の少年に戻る道之だった。
そこで、宗助が一句詠んだ。
「暮れ之きて君見る杜鵑花(とけんか)淡く燃ゆ」
その多くは京に運ばれ、主に高級染料の材料として取引されていた。
高田屋は、河上地方の諸農産物、とりわけ紅花の買継問屋として全国に名を馳せていた。
ただ、初代までの商いの中心は京であって、江戸においては、近郊で栽培される紅花に圧倒されていた。
「之ぼう、商いの基本は対面ですよ」
千住の旅籠、田島屋の一室で、不意に宗助が言った。
また、宗助の口から、難しい問いが飛び出すのではないか、と道之は期待しながら身構えた。
「之ぼう、高田屋の江戸での商機はどこにあるだろうか」
江戸への旅に出る一年ほど前、宗助は道之にそう訊ねたことがあった。
残念ながら、その時道之には、その問いに対する確たる答えがなかった。
「江戸での紅花の取引量を増やすこと、ですか」
道之は、苦し紛れにそう答えた。
「もちろん、左様なのだが、どのようにすれば商いが増えるだろうか」
道之は、そこで詰まってしまった。
そのことがあって以来、道之は、高田屋の商いの帳簿関係を過去にさかのぼって調べたり、京や江戸での商いの実態などを父や番頭に聞くなどして、いろいろと調べては、その内容を帳面に記録するようになった。
そうすることで、道之の商いに関する知識は一気に増えていった。
道之の父、二代目高田清右衛門は実務派であり、紅花に関する豊富な知識は生産農家が頼りにするほどだった。
また当然のことながら花山城下の問屋には絶大な影響力を持っていた。
加えて、坂田川舟運を利用した京への紅花出荷、その商い手法の基礎を確立し、京の市場を盤石なものにしたのは、まさに二代目の偉業と言えた。
しかし、宗助の商いの仕方と、二代目高田清右衛門のそれとは違うかもしれないと、道之はすでに感じ始めていた。
道之は、箸を一旦置いて、姿勢を正すと、宗助を見つめた。
宗助は、同じ言葉を繰り返した。
「商いは対面が肝要」
商いは足で稼ぐもの、ということだろうと道之は解釈した。
道之は宗助の次の言葉を待ったが、どうやら期待したような問いかけは無いらしかった。
「明日は、日本橋小舟町の大阪屋に行ってみましょう」
そういう三田宗助は、すっかり三田屋三代目の顔になっていた。
総合問屋大阪屋は先代からの三田屋の上得意で、宗助が跡目を継ぐことになった当初、何かと力になってくれた問屋だった。
「あくまでも、三田屋として面会するけど、こちらの話が終わったら、紹介しますので」
「はい、よろしくお願いします」
そう答えると、道之は宗助の盃に酒を注いだ。
障子戸は開け放たれ、夕闇が迫る裏庭が見渡せた。
決して広くはないが、植木と置石の調和が取れた美しい庭だった。
座敷から向かって右の方には、薄紅色が美しい満開の躑躅(つつじ)があった。
小沢村を発って十七日目だった。
この日投宿することになった千住宿の旅籠、田島屋は宗助の馴染みの宿だった。
「まあ、いずれ」
宗助は一転、表情を和らげて言った。
「気楽にいきましょう」
「はい」
笑えば十五歳の少年に戻る道之だった。
そこで、宗助が一句詠んだ。
「暮れ之きて君見る杜鵑花(とけんか)淡く燃ゆ」
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