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「おおきにえ、きち」「あんまり無理しなや」
「おかあさん、無理なんてしてまへん」「好きでやってるんえ」
 何気ない言葉は嘘ではなかった。
 実の母には親孝行の一つもできなかった、きちであった。
 きちにしてみれば、瑞江を代わりにして、できなかったことを取り戻していると言ってよかったのだ。
 きちは、瑞江を抱き起こして、医者から処方してもらった薬草を煎じた湯ざましを与えるところだった。
 最初に倒れた後、きちの献身的な看護の甲斐があって、瑞江は奇跡的に回復し、翌年には起き上がれるほどになった。
 しかし当然、以前のような体力は失われていたので、新人の受け入れは取りやめになった。
 それが、その更に翌年、再び瑞江は病臥することになったのだった。しかも、二度目は前よりも病状が重かった。
「このところは、夜の勤めが続いてはんねやろ」
「おかげさんで、忙しさしてもろてます」
 そういう言いぶりには、多少の皮肉を含んではいたが、きちが言うと不思議と嫌味には聞こえなかった。
「ほどほどにしときや」
 きちは声をたてて笑った。
「おかあさん、また変なこといいよる」「それがうちの仕事え」
「考えてつとめなはれ」
 それは、中島屋の女将の言葉として、瑞江が芸妓たちに常に言ってきた教えの一つだった。
 せっかく時間をかけて育てた芸妓だから、年季中は、健康に稼いでもらわなければならなかった。
「安売りしたらあきまへんえ」
 その言葉も中島屋ではよく言われることだった。
 率のいい客を程よくこなして長く勤める、それが肝要といったところだろう。
 しかし、この時の瑞江の気遣いは、そのような仕事上の教訓として発せられただけの言葉ではないようだった。
 完治することはない、というのが医者の瑞江に対する診立てだった。
「あんたが、うちの最後の子え」
 病床に伏すようになり、めっきり気弱になった瑞江は、よくきちにそう言った。
「しっかり、しとくなはれ、おかあさん」「中島屋はおかあさんでもっとるんですえ」
 きちが励ましても、瑞江にはもはや通じないようだった。
 そんな矢先に、時々瑞江の看病に来る滝が、変なことをきちの耳に入れてきた。
「旦那はんは、中島屋をしまうつもりや」
「ほなら、うちらはどないなるんどす」
「鞍替えやねぇ」
 主人が決めたことには従わなければならないし、そこに異論を唱えるつもりは、きちにもなかった。
 ただ、瑞江の病状のことがあって主人が決め急いでいるのであれば、それは俄かに看過できるものではなかった。
「そやかて、おねえさん、もうすぐ年季明けやし」
「年季が開けたかて、行くあてもあらしまへん」「うちは死ぬまで花街暮らしや」「もう大年増やしね」
 今は引く手あまたでも、一旦中島屋を離れたら、自分にもそういう状況が待っているのかと、きちはふと先行きを想った。
 母の死後、きちは何故かふっきれたようなところがあり、そういう気持ちが芸に出るのか、俄かに評判が上がっていった。
 夜の勤めにしても、だいぶ慣れてきたこともあり、不思議な話、やりがいに変わっていた。
 それでも、芸妓仲間が用事だということになれば、代役で知らない客とも関係をもたないといけないこともあったり、中島屋の客にしても異常な性癖を持った客がいないこともなく、時には痛い目も、悔しい目にもあった。
 頼りは、健康な体だけだった。
 そんなある日、ついに十吉郎が中島屋の主人からの通達を瑞江に伝えにきた。
 十吉郎が帰った後、瑞江はきちを枕元に呼び、主人からの話を伝えた。
「きち、ほんに申し訳ない」
 瑞江は目に涙を溜めながら言った。
「中島屋はしまうことに決めはった」
 きちは、整然と座って、耳を傾けていた。
「ほんまはな、うちは、きちにこの中島屋を継いで欲しかったんえ」「あんたは、芸の筋がええだけやない、器が違う」
 急に痛みが走ったらしく、瑞江は少しうめいて、顔をしかめた。
「うちは、もう長うない」
 きちは瑞江に寄り添い、腰をさすりながら次の言葉を待った。
「もう少し、あんたをそばに置いとけたら」「ほんに、情けない」
「おかあさん、うちのことは、心配おへん」「それに、中島屋はしまわれても、おかあさんの教えは、必ず伝えていきますよってに」
 咄嗟に出た、きちの言葉は、瑞江の心を打った。
 瑞江が泣き崩れ、力が入ったのか、また腹を押さえて苦しがった。
「ほんに、きちは、うちの子やあ」

 希望を失い、開き直った途端に、運が向いてくるということはよくあることだ。
 きちも、覚悟を決めた。
 瑞江を悲しませないためにも、芸一つで生きていってやると決心していた。
 ところが、きちは鞍替えすることは無かった。
 折よく、身請けの話が浮上したのだ。
 当初、相手はとある商家の若旦那ということだけ、きちに伝えられた。
「おかあさん、何で詳しいこと教えてもらわれへんの」
「先方さんの都合らしいえ」「でも、そういうたかて、近いうちに分かることえ」
 それは、元禄元年(一六八八年)、早秋のことであった。
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