紅風の舞(べにかぜのまい)

滝川 魚影

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 道之の商いの才は、まさに天性のものであったと言っても過言ではないだろう。
 三田宗助の影響は大きいとは言え、彼が俳諧の世界に本格的にのめり込むようになったのは、商いにとって有利であるという動物的勘からだったと言える。
 いわゆる理論武装の一つして俳諧を利用し、最終的には創作で培った洞察力が、逆に商売の糧にもなっていったということだろう。

 品川湊の火事から二年後の卯月、道之の姿は、小沢村の高田屋にあった。
「父上、少し、相談ごとがあります」
「お、道之か、入れ」
 清右衛門は文机に向かっていた。
「なんだ、相談とは」
「はい、突然の話ではありますが」
 形ばかりの前置きをして、道之はためらうことなくすぐに本題を切り出した。
「父上もすでにお考えかもしれませんが、諸国の商人のためにも、ここは高田屋が旅籠屋を造っては、と私は考えるのですがいかがでしょうか」
「ほう、それは、なぜ高田屋が」
「本来の高田屋の稼業から離れていることゆえ、不審に思われるかも知れませんが」
 清右衛門は筆を置き、道之と対面して座りなおした。
「武村街道の要衝にある高田屋として、小沢村にくる商人たちが逗留する宿を提供することは、結果として商いの助けになろうかと存じます」
 道之は続けた。
「元禄に入り、江戸の街は活気にみち溢れており、これは今後ますます拍車がかかることは必定でありましょう」「そうなれば、小沢村を訪れる人々の数も増えることになりましょうし、高田屋の商いにも少なからず影響が及ぶことは間違いございません」
 ここで清右衛門が一つ頷いた。
 道之はさらに続けて言った。
「すでに、近年、小沢村には、小さな旅籠など、宿が散見されるようになりました」「されど、繁忙期には、宿不足の声も聞こえて参ります」「この状況を、この村の商いの中心を担う高田屋が見過ごして良い道理はございません」
 ここまで道之に論を固められたら、清右衛門が異論を挟む余地はなかった。
 それに、昨年の事件以来、高田屋の江戸での商いは急激に増えており、清右衛門としても道之のこれまでの業績を認めないわけにはいかなかった。
 結局、清右衛門は一切反論しなかった。
 旅籠の場所は、高田屋にほど近い諏訪神社の門前通りに決まった。
 門前近くには、高田屋の古い蔵があった。それを取り壊して、その跡地に建設しようという計画だ。
 場所が決まるとすぐに、道之は隣村、入田の大工に自分の考えを伝え、図面の作成を依頼した。
 何度かのやり取りの後、図面は半月ほどである程度の形になった。
 道之は、その夜、図面の写しを作ろうと机に向かっていた。
「若旦那さま」
「おう、扇吉か、入ってくれ」
「失礼いたします」
 扇吉は、松田壮雪からの文を運んできたのだった。
 早速、道之が文を読んだ。
「壮雪先生が、七月に小沢村に来るそうだ」
「は、左様ですか」
「だいぶ前から、ぜひに、と私の方からお願いしていたから」
「そうですか、楽しみでございます」
「うん、そうだが、ちょうど紅花の収穫期に重なりはせんかな」
「ああ、そうですねえ」
「まあ、まだ、先のことゆえ、分からんが」「もし、その時期に重なった場合は、扇吉、おまえ、先生をいろいろ案内してくれないか」
「はい、かしこまりました」
「お前にとっても、俳句のよい勉強になろう」
「はい、ありがとうございます」
「最近は、どうだ、その、俳句の方は」
「は、なかなか」
「忙しいかもしれんが、あれも、積み重ねだから、間が空いてしまってはいけない」
「はい」
「考えるよりも先に、少しずつでも手を動かすことだ」「伯父様を見習わないとな」「宗助さまは、多作で知られるお方だ」「ところで、宗助さまは今」
「はい、伯父はいま、相模の国は、大磯宿の俳諧道場に滞在しております」
「ほう、鴫立庵か」「それはうらやましいい」「宗助さまは、西行法師を崇拝しているゆえなあ」
 道之は、遠く宗助を想った。
「どうだ、今度江戸に行くときにでも、足を伸ばして宗助様のところへ行ってきなさい」
「はあ、しかし」
「遠慮するな、行って来い」
「ありがとう存じます」
「そうするがいい、うん」
「はい、若旦那さま」
「では下がっていいが、明日、文を一通、京へ送ってほしい」
「かしこまりました」「準備ができましたら、お申し付けください」
 道之が送ろうとしている文とは、その時写していた旅籠の図面だった。
 宛先は、京都、中島屋のきちであった。
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