紅風の舞(べにかぜのまい)

滝川 魚影

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 入田河岸の船着き場に降りると、きちは左右を見渡しながら、歩きだした。
 河岸は以前にもまして、活気に溢れていた。
 その様子を見て、きちの心は少し晴れると同時に、故郷に戻ったという現実感が急に湧いてきた。
 すぐに若い商家の手代風の男が声をかけてきた。
「おきちさん、ですか」
「はい」
「若旦那の申しつけで、お迎えにあがりました」「扇吉と申します」
「扇吉はん、おおきに」
 きちは、ついつい京ことばで返し、はっとした。
 こちらへ、というのへ、きちがついて行くと、半町ほど西に行ったところに料理屋があり、その二階の八畳間の座敷に通された。
「おお、おきちさん、待っておりました」
「道之はん、待たしてしもて、すんまへん」
「やはり、急には、京ことばは抜けませんな」「お疲れでしょう」「ゆっくりしてください」
 道之はきちをお膳の前に座らせると、手をたたいて女中を呼んだ。
「失礼します」
 女中が二人、襖を開け、入ってきた。
 お膳には、鯉の甘露煮、ごま豆腐、芋茎と油揚げの煮つけ、胡瓜の古漬けが載っていた。
 二人目の若い女中を見た瞬間に、きちは声をあげた。
「あっ」
 大きくなったが、面影ははっきり残っている。
 それは、きちの妹、せんであった。
 道之が得意げに言った。
「そうなんですよ、おきちさん」
 きちはなりふり構わず立ち上がって、せんに駆け寄った。
「おせん」
 せんも、飯櫃を脚元に置くと、きちに抱きついた。
「あねちゃん」
「おまえ、達者だけがあ」「大っきぐなってえ」
 離れ離れになった当時は、きちの背丈の半分にも満たなかったせんは、もはやきちを追い越していた。
「信じらんねなあ」「ほんてん、あねちゃんだがあ」
「んだよ、おせん、何言ってんなやあ」
 二人は、涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら抱き合った。
 せんは、四年前からその料理屋に奉公に上がっていて、もはや一人前の女中と言ってよかった。
 きちの身請けが決まった後、道之は、きちの実家に挨拶に行った。
 きちの父、平五郎は、最初、何かの間違いだ、娘のきちは死んだ、と嘘を言った。
 呆けたわけではなかった。上手い話には裏がある。
 もうこれ以上の困難は願い下げ、と、そういう気持ちが強かったのだろう。
 根気よく話を続ける道之に、ようやく平五郎は心を開いた。
 その日きちが入田河岸に到着することは、事前に道之から平五郎に伝えられていた。
 その時に、せんが入田河岸の料理屋、大石屋に奉公に上がっていることを知り、道之は、それならということで、大石屋に会食の準備を依頼した。
「まあ、まずは、腹ごしらえをしてください」「ご実家へはそれからです」
 せんは付きっきりで、きちに給仕した。
 まるで、母親がそうするかのようだった。
 食事の後、女将の計らいで、早めに仕事をあがったせんを伴って、きちは約九年ぶりに実家の門をくぐった。
 道之は、親子水入らずがいいだろうと、同行を遠慮した。
「おっかあ、あねちゃん帰ったよお」
 きちは遠慮がちに玄関を入ったが、それとは逆に勢いよく出てきた後妻とぶつかりそうになった。
「ありゃりゃ、おきっちゃんがあ」「ないだてえ、達者でよお」「いがったちゃ、いがったちゃあ」「さあさあ、長旅大変だっけべえ」「早ぐ早ぐ、あがってねまらっしゃい」
 後妻は、たけ、と言った。
 たけは、色黒で小太り、黒々とした瞳は大きく、見るからに健康そうだった。
 その風貌は、亡き母、きよとは正反対と言ってよかった。
「おっかあ、おとうは」
 せんがたけに聞いた。
「おとうは、ちょっと用事で、喜助さんどごさ」「すぐ帰ってくるて」
 きちは、正座して、三つ指を付いている。
「ないだず、おきっちゃん、ねまれえ」
「おっかさん」
 きちは改まって言った。
「ほんとうに、わたしが居ない間、おっとうと、おせんば、面倒みでくれで、ありがどさんでしたあ」
 きちは、体が平らになるぐらいに頭をさげた。
「なんも、ほげえなごど」「おまえこそ、なんと大変だけべなあ」
 たけは、目頭を押さえて言った。
 それでも堪えきれず、たけは涙を流しながら続けた。
「ひとりきりで、遠いどこまで、ほんとに難儀なごどでした」「ほんに、ごぐろうさんでしたわ、おきっちゃん」「ありがどさんでした」
 たけは、きちに負けないぐらいに、深々と頭を下げた。
 きちは、一瞬、そこにいるのは、きよであるかのような錯覚に陥った。
 三人はそれぞれにむせび泣き、涙に滲んで、何も見えなくなった。
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