紅風の舞(べにかぜのまい)

滝川 魚影

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 三代目の襲名披露の櫓舞台が好評だったことがあって、毎年の諏訪神社の葉月の祭礼には、紅風屋の踊り櫓が組まれ、芸が披露されるようになった。
 それは小沢村の風物詩となった。
 小沢だけでなく入田の人々、やがては藩内のもっと遠くからわざわざ足を運ぶ人が、狭い参道を埋め尽くすようになっていった。
 ところで、「紅風の舞」は、元禄七年の春に一旦の完成をみた。
 一旦としたのは、きちにも清右衛門にしても、踊り唄い注がれていくうちに、改良が重ねられより良いものになっていくだろうという願いがあったからだった
 同年文月の夜、六つを過ぎた紅風屋の紅の間に、熱心に稽古を付ける、きちの姿があった。
 祭礼を間近に控え、稽古にも熱が入っていた。
「いいですか」「しゃん、しゃん、しゃんの後は、一拍置いて」
 今では、せんのほかに三名の若い女中がきちの稽古を受けるようになっていた。
「はい、今日はここまで」
「女将さん、ありがとうございます」
 三人は、きちと、そしてせんに挨拶をして、部屋を出て行った。
「だいぶ、できるようになってきた」
「そうですね」
 そういうせんに、きちは、ぷっと吹き出した。
「ご苦労さん、もう、言葉戻していいよ」
「ふう」
「ごぐろさんな、おせん」「今日も疲れだべ」「結構、お客さんもきたがらね」
「うん」「んでも、繁盛するのはありがでええ」
「んだなあ」
 何故か、その日は、せんがなかなか席を立とうとしなかった。
「何が、話でもあんのが」
 図星のようだった。
「あねちゃんは、するどい」「んとな」
 せんはためらいがちに話し始めた。
「んとお」「私、一緒さなっだい人がいで」
「おまえ、良い人いだながあ」
「うん」
「んだよなあ」「おまえも、二十歳だもんな」「んだが、んだが」
 結婚するには、決して早過ぎる年齢でもない。
 きちは、ついにそうなるか、と素直に喜んだ。
「そいづは、いがったなあ、おせん」「誰や、相手は」
「板前見習いの佐吉さん」
「ほう、佐吉があ」「なんだて、さっぱり気付がねっけわあ、おら」「んだがしたあ」
 きちは安心した。
 どんな相手であろうと、祝福つもりではいたが、正直、嫁いで行くとなると紅風屋にとってはかなりの痛手だからだ。
 紅風屋の板前見習いの佐吉であれば、板長からは素直で期待できる、という話がきちの耳にも入ってきていたし、住み込みだから嫁ぐ必要がなかった。
「んでも、あねちゃん、まだ見習いだがら」
「ほげなごと、気にすっこどねえ」「おらがら、板長さ、話しとぐさげ」「ほげなごどより、おっとうと、おっかあさ話したべなあ」
「あねちゃんさ、一番最初に話したに決まってっべしたあ」
「ないだずう、おまえ、ほっつさちゃんとすねど、だめだべちゃあ」
「んだて、おっとう反対するちゃれ」
「大丈夫ださげ、姉ちゃんさ、まがせどげ」
 父は、あえなく承諾した。
 百姓の婿養子などはとうの昔に諦めていたらしい。
 涙もろい母は、最初、嬉しさに泣いて、最後には、せんが嫁に行く寂しさに泣いた。
「おっかさん、なにば泣いでんの」「かだずは嫁だけどずっとこの家さいるんだがら、寂しぐなるも何もないべしたあ」
 もらい泣きしかけたきちが、一転、笑い泣きしながらたけを慰めた。
 たけとせんも釣られて笑った。
 親子水入らず、三人は夜遅くまで、思い出話に花を咲かせた。
 翌早朝、三人は、菩提寺の知教寺に行き、亡ききよの墓前に、せんの結婚の報告をした。
 墓石に向かって語りかけながら、たけはまた泣きだした。
 そんな母、たけの肩を抱きながら、きちは自分の幸せを噛みしめていた。
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