紅風の舞(べにかぜのまい)

滝川 魚影

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 元禄八年(一六九五年)の奥州での冷害は、農作物の収穫を平年の三割にまで減らし、推定で五万人もの死者を出した。
 元禄の大飢饉である。
 その被害は、小沢村や近隣の村においても甚大なものとなった。
 当然、高田屋の商いにも大きな影響を及ぼしたばかりか、紅風屋の宿泊客も激減した。

 元禄十年、如月の中頃、清右衛門の姿は江戸、大阪屋の奥座敷にあった。
 清右衛門と、同行した文吉は、裏庭の梅に見とれていた。
 そこへ、ようやく主の森勘右衛門が現れた。
「清右衛門さん、ようこそお越しくださいました」
 清右衛門と文吉はひれ伏した。
「ご無沙汰の上、今年も遅いご挨拶になりまして、まことに申し訳ございません」
「なんのなんの、大変でしたな」「大丈夫でしたか」
「いろいろと、大変な二年でしたが、なんとか持ちこたえております」
「こんな大変な折に、わざわざ」
「とんでもございません、私が今あるのは勘右衛門様のお陰でございます」
「そんな、大げさな」
 清右衛門にしてみれば、大げさな話でも何でもなく、心からの言葉であった。
 清右衛門は、自分に商売の厳しさを教えてくれたのは、森勘右衛門だと考えていた。
 それに、高田屋の江戸進出の影の立役者は、大阪屋であった。
「それはそうと」「清右衛門さん、後で、柳森さままで参詣に参りませんか」
 柳森さまとは、神田にある商売繁盛の神を祀る神社である。
 先々の商いを案じた、勘右衛門の気遣いであった。
「はい、ぜひに」「それから」
 清右衛門が、文吉を紹介した。
「扇吉も番頭になりましたゆえ留守を任せ、今回は、手代の文吉を同行させました」「何卒よろしくお願いいたします」
「ほう、扇吉さんも番頭さんになられましたか」
 勘右衛門が手をたたいて、女中を呼んだ。
「お膳を運んできてください」「それと、こちらの手代さんには、お酒の代わりに、お雑煮をお運びして」
「今日は、正月みたいなものですから、清右衛門さん、文吉さん、ゆっくりとしていってください」「それと、宿はとっておきましたので、ご心配なく」
 この二年、思うように紅餅を出荷できなかったことの詫びと、遅れた年始の挨拶に訪れた清右衛門であった。
 それを歓待するところに、森勘右衛門の懐の広さと愛情の深さが現れていた。
「ありがとうございます」
 清右衛門は再度、深々と頭を下げた。
「ところで、清右衛門さん、私もそろそろ隠居をしようかと思いまして」
「は、そうでございましたか」
 考えて見れば、遅いくらいであった。
 それは清右衛門にとって、嬉しくも、寂しい出来事であった。
 時のうつろいを感じた。

 所変わって、小沢村のきちの生家。
「おせん」「あど少すだ、がんばれ」
 ようやく、頭が見えてきた。
「おたけさん、湯の準備はいいが」
 産婆が、たけに促した。
 きちは、せんの頭の方に座って、彼女の肩を押さえている。
「あああ」
 ひと際大きい声をせんは上げた。
 そして、次の瞬間、真っ赤な塊が取り上げられた。
 産婆が、赤子を逆さまにして背中のあたりを、ぽんぽんと叩いた。
 赤子が大きく泣き声を上げた。
 元気な、女の子だった。
 平五郎は、また女か、と呟いたが、顔は笑っていた。
「いぐ、頑張ったなあ、おせん」
「あね、ちゃん」「おら」
 そういうと、安心からか、せんが笑い泣きしだした。
「ないだず、おせん」「笑えちゃ」
「笑ってるちゃれ」
 女の子は、きく、と名付けられた。
 佐吉の両親は既に他界しており、小沢の在の実家には年老いた祖母が一人だけだった。
 それもあって、せんは実家でお産をすることになり、そのまま、たけがきくの面倒を見ることになった。
 たけは、自分が子宝に恵まれなかったこともあり、これまで、きちやせんを我が子と思い暮らしてきた。
 そして、今度は孫に恵まれたことになる。
 また、ここまでせんと苦楽を共にしてきたきちにとっても、その喜びは計り知れなかった。
 たけはそれこそ子供のように無邪気に、どこに言っても、誰が来ても、恥ずかしげもなく孫の自慢をするのだった。
「おらあ、嬉すいちゃあ」
 その日は、きくの初宮の帰りで、きちも久しぶりに実家に来た。
 赤子は、何やら、小さな手を動かしながらせんの横で眠っていた。
「あねちゃん」「おらが今、幸しぇで暮らしでいれんのは、全部、あねちゃんのお陰だ」「ほんとに、ありがどさんなあ」
 泣き声を押さえて力強く言うせんに、きちはただ、満足げに穏やかな笑みを浮かべているだけだった。
 きち本人も同じくらい、いやそれ以上に幸せを感じているのだった。
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