紅風の舞(べにかぜのまい)

滝川 魚影

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「おせん、おらなあ、大丈夫だがら、おきちさ、無理して来ねたていいって、言ってけろ」
 その年(元禄十一年、一六九八年)の初めは例年にない大雪だったために、雪を片づけるのに村人は皆大わらわだった。
「早ぐ、片づげねど、種まぎさ影響する」
 そういう事情もあり、たけも少し働き過ぎた。
 さらに、風邪気味なのにも構わず、あれこれ立ち働いた結果、肺炎を起こしたらしく、たけは三日ほど、高熱にうなされた。
 その間毎日、きちが泊まり込みでたけを看病をした。
 そのおかげもあって、たけは危機を乗り越えたが、熱が下がっても背中から腰にかけて、痛みが取れず、まだ布団から出られないのであった。
 そんなたけの病もようやく癒えた、同年の水無月、飢饉以来、取りやめになっていた踊り櫓が再開されることが決まった。
 きちは、連日遅くまで弟子たちに踊りと唄の指導をしていた。
「今年は、村の人さ、元気になってもらえるよう、今までにないものさ、すねどなあ」
 自然に力が入るきちであった。
 そんなある日、いつものように、せんはきちの自室に、朝の挨拶に行った。
「女将さん」
 返事がないので、せんが襖を開けると、きちは畳の上に倒れていた。
 口の辺りには、きちが吐いたであろう血だまりができていた。
「あねちゃん」「ないだて」「あねちゃん、大丈夫が、あねちゃん」
 このことはすぐに清右衛門に伝えられ、ただちに医者が呼ばれた。
 幸い、命に別状はないが、しばらくは絶対安静とのことだった。
 医者の診立てでは、胃の臓にしこりがある、ということであった。
「お、目覚めだが」
 きちは、高田屋の母屋の一階奥の部屋に寝ていた。枕元にはたけが座っている。
 きちが倒れて以来、稲刈り間近で何かと忙しい中、たけは毎日のように、きちを見舞っていた。
「おかちゃん」
「ないだ、きち、喉乾いだなが」
「ううん」「大丈夫が、おかちゃん、腰は」
「ないだず、この馬鹿たれが」「おらの心配なあ、してる場合んねべちゃ」
 たけは、怒りながら涙ぐんだ。
「おかちゃん、なして泣いでんなやあ」
 きちが、布団から手を出して、たけの膝に触れた。
 きちが倒れてから、踊りの稽古は、せんが主体的になって続けた。
 諏訪神社の祭礼を二日後に控えた夜、紅風屋の紅の間では、踊りの最後の確認稽古が行われていた。
 そこへ、ふっと、きちが現れた。
「あ、女将さん」
「女将さん」
 皆、口々に心配の声をあげた。
「今日は、だいぶ気分がいいさげ」「みなさん、ご苦労さん」「いよいよだなっす」
 きちが、通しで踊りを見せてくれ、と言うので、最初の演目から弟子たちが踊った。
「上等だ」「良ぐ、やったな、おめさん達」
「女将さん、ありがどさんでした」
「こっつごそ、引き止めで悪がったねえ」「本番さ、近いがら、あんまり無理すねで、今日はこごまで」
「ありがどさんでした」
 まもなく、弟子たちは帰っていった。
「あねちゃん、具合は、ほんてん良いなが」
「ん、少す、気分がいい」
「いがったなあ」
 そういうせんに、きちは首を横に振って言った。
「おらは、もう、長ぐねえ」
「あねちゃん、なしてほがいなごと言うなやあ」
「自分の体のごとは自分が一番知ってる」
 せんは、言葉を失った。
「いいが、おせん」
 きちは、座りなおして、せんと向き合った。
「おせん、お前は、おらの後、こごの女将どして、紅風屋ば守っていってけろな」「もちろん、踊りのごども、しっかり受げ継いでってな」
 せんは、すすり泣き、頷いた。
「あど、おかちゃんのごど、頼むな」
「あねちゃん、ほがいなごと言うなずう」
 せんは、泣き崩れた。
「ないだず、おまえ、母親だべ」「めそめそすんな」
 きちは、せんの背中を撫でながら、力強く声をかけた。
「なんにも心配すっこどない、大丈夫だ」「お前は、もう一人前なんだがら」「ほんと、姉孝行の妹だあ、おめは」
 きちは、せんの両肩をしっかり掴み、噛んで含むように言った。
「あげえ、ちっちゃくて、死にかげだけど」「丈夫んで、何よりだ」「ありがどさんな、おせん」
 せんは号泣したが、きちは頬笑みながら、彼女を慰めた。
 あくる日、きちの容体は急変した。
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