瞽女(ごぜ)、じょんがら物語

滝川 魚影

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二十七 十三、初演

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とさ、しょえん

 ハマに、初めて座の声が掛かったのは、旧暦の七夕の夜であった。
 津軽の七夕といえば、「ねぷた」である。
 津軽全域で、様々な山車が造られ、町を練り歩く。
 十三村では、巨大な山車が無い代わりに、その七夕の夜も、町家の数カ所に燈籠が飾られ、ねぷたの雰囲気を醸し出している。
 その夜、佐渡屋では問屋の主たちの寄り合いと称して宴会が催されたのであった。
 当然、宴席には能登屋も来ることになっていた。勝帆(ハマ)の芸を見定めようという腹であった。
 そして、もう一人、今日の勝帆の芸を心待ちにしている者があった。
 タキゾウである。
「おっしょうさんの十三初座は、なんとすても聴がねばまいね。お願いすます」
 もう、この座の話を聞いて、タキゾウは畳に頭を付ける勢いでハマに願ったのである。
 ハマは、利兵衛に無理を承知で頼んでみた。
「聴ぐだげなら、なもかも無ぇ。廊下がらでも十分さ聴げるよ」
 廊下。
 そう聞いた時、ハマだけがその事にハッとした。
 そう、あの幼い頃の光景が思い出されたのである。
(春さんも、いつもそうしたった)
 そのタキゾウは、当日、昼過ぎに来て、ハマの稽古を付けてもらった。ハマにしても、良い地ならしとなった。
「おかっちゃ、あと少しで暮れ六つだろうすけ、出るか」
 相変わらず、立派な手引き振りのタケである。
「はいよ、お願いしますよ」
 こうして、ハマとタケ、そしてタキゾウは、まるで門付け業に出るように佐渡屋別館を出て行った。
 町家通りを歩く仕事帰りの人々が珍しい一行に目を向けないわけがなかった。
 みな振り返る。
 なに、この時は初めての光景であるが、そのうちに、これは時々見かける十三町家の夕暮れの一つの定まった情景となっていくのだ。
 はたして、佐渡屋では利兵衛、若旦那(利吉)が待ちかねていて出迎え、三人を控えの間へと通した。待つ間に良く冷えた甘酒さえ出された。今日は特別待遇なのだ。
 ほどなく、形ばかりの寄り合いが終わり、勝帆は、奥の大広間に通された。
「勝帆さん、よろすくお願いすます」
 利兵衛が気合の入った声で呼び出した。それは勝帆の今後のことを気遣ったからにほかならない。この座を上手くやりきれば、他から声がかかる。人伝てに評判が伝わっていくだろう、と。
「はい」
 タケが応じる。
 一方のタキゾウは、女中に引かれて、袖にあたる廊下の突き当りまで行き、座布団に座った。
 勝帆は、タケに手を引かれ、広間に入った。
 十三初座の晴れ着は、母の形見。藤色の御所解ごしょどき模様。
 これは、ハマの母タケが、ハマの名替えの時、高田の野口家に着ていった着物であった。
 一方、手引きの娘タケは、当然普段の綿の着物である。
 勝帆は上手かみての座に着くと宴席に向かって一礼した。
「本日は、お招きいただき、ありがとう存じます。勝帆と申します。準備整えるすけ、少し待ってくんなせ」
 タケが手伝って、三味線などの支度が素早く進められる。手慣れたものだった。
 整った。
 調弦。
「今日は、お初にお目にかかるお方ばっかだすけ、少し、私の事話させていただきてえのですが。生まれは、越後の柿崎村というところで、母は芸妓やっておりました。出世名佳つ江て言いまして、私もそこから名頂いてます。数えの六つの時に麻疹に罹り、目ぇ駄目にしまず。それで、高田の瞽女の親方のところに修行に出されまして、修行十年。特別に年季明けしてもらい、実家に戻り、今度は母佳つ江の元で修行。二十歳になって、勝帆頂きました。こんげなわけだすけ、私は、瞽女でものう芸姑でもねえ、盲芸姑、と呼んでくんなせ。この皐月より、ご縁がありまして、佐渡屋さんに住み込みで働かせてもろうてる。どうぞ、よろしゅうお願い申します」
 この、言わば口上に、席は少しざわついた。
 変わった経歴ということもあったが、本格的だと感じたからだ。
 列席者の誰もが、もっと気楽な芸を想像していたし、多かれ少なかれ心のどこかでは、どうせ、流れの女芸人、坊様芸に毛が生えた程度と高をくくっていたのだ。
 それが、そういう類のものではない、ということが、その口上から測り知れた。
 期待できそうだ、と。
 そして実際、勝帆の芸は、客に感銘を与えるには十分すぎるものであった。
 それは、ご祝儀の多寡が教えてくれた。
 翌朝、利兵衛がハマに渡した祝儀袋には一円札が入っていたのであった。
 ちなみに、その頃、高額で払える家が少なかったと言われる小学校の月謝が十三銭くらいだった。つまり、一円はそのおよそ九倍である。
 もちろん、町でも名だたる旦那衆の会合であったし、初の座ということへの祝いの意味もあったろう。ただ、そうであっても、冷やかしで出せる金額ではなかったことは確かである。
「能登屋さんは、うぢでも是非、と言われでますたよ」
 利兵衛は、祝儀を渡した際に、そう付け加えた。
 こういうことにかけては町一番の目利きである金右衛門である。その彼が太鼓判を押したのであった。
 そして、もう一人。勝帆の初座に感動がやまない人物がいた。
 それはもちろん、廊下で聴いていた、タキゾウである。
 その日の演目は、こういうものだった。

 しょんがいな(瞽女の門付唄)
 馬口説くどき
 夏の夜の(端唄)
 岸の柳(長唄)

 勝帆の芸で、宴会は、ただの宴会ではなくなった。
 廊下で聴いているタキゾウは、身震いの後、固唾を呑んで身動きできないでいた。
「それでは、最後ではござんすが、何か注文があれば、あと一曲やりてえて思います」
 声は上がらない。
 注文が無いならお開きか、と利兵衛が思いかけた時だった。
「シンボコウダイジ、を」
 座敷の外から声がした。
 タキゾウ、であった。
 新保広大寺節は、もともと瞽女の門付け唄だった。それが、飴売りなどが唄って広めたため、全国で唄われる流行唄となっていった。
 しかし、明治のその世となっては、瞽女が直接唄う「新保広大寺」はあまり聴かれない。
(本物の新保広大寺は、どったものが)
 タキゾウは、前から一度でいいから瞽女の新保広大寺を聴きたい、と思っていたのである。
 それが思わず、口をついて出たのだ。
「廊下がら声がかかりましたが、私の弟子のことで、許してくんなせ。新保広大寺か。いま流行りで唄われる新保広大寺、私は訳あって唄いませんが、この宴会に合わんばも思うすけ。ただ、この新保広大寺節というのは様々な唄い文句がありまして、それは伝わって行くうちに様々に変わっていったのだて思う。今日は、聞き慣れんば思うが、私がおっしょうさんから習うた文句のほうで唄います。そのほうがこの宴会にはふさわしいて思うすけ」
 勝帆(ハマ)は、そう前置きして、三味線を二上にあがりに調弦した。
 まだ、説明が足りないとも思うのだったが、この場でくどくどと話しても仕方ないことだった。
 そもそも、母タケの芸姑としての修行を経た後の勝帆が、それ以前にやっていたように瞽女唄を唄うことは無かった。三味線もそうである。
 速さも、唄い方も、節に少しの調整を入れるから、艷やかに聴こえる。早い話が座にふさわしい。ハマが自らを自虐的に「盲芸姑」と言うのは、単なる謙遜ではない。瞽女と芸姑の両方の修行をした者、という自負も込められているのである。
 
 桔梗のナァエー
 手ぬぐいが
 縁つぐヤァレェならばナァー
 おらも染めましょ
 ヤレサァ桔梗屋の
 型てばナァエー

 さればナァエー
 なお良しヤ
 御座らぬヤァレェとてもナァー
 私がたから
 ヤレサァ手はエーヤァー
 出さんナァエー
   (略)
 (瞽女、伊平タケ伝承「新保広大寺」より)
 
 これが、流行り唄のほうの唄い出しは、「新保サァエー広大寺は」である。
 タキゾウは、震えていた。
 節は似ているが、これまで聴いた「新保広大寺」とは全く違うのである。それに、この「新保広大寺」は、芸として完成されていた。
 もはや、かつて瞽女が人家の門口で、早口に演奏する門付け唄ではなくなっていたし、ゆったりとして伸びやかであり、かつ迫力に満ちていた。
(こぃだ。わーがやりでのはこった唄だ)
 座がお開きになり、客が引けても、タキ像は廊下から動かなかった。
 勝帆が演った「新保広大寺」を、頭の中で何度も反芻しているのであった。
「トヨさん」
 そうタケが呼ぶのに、タキゾウは反応しなかった。
「トヨや」
 そして、師匠の声にようやく、びくっと、タキゾウは我に返った。
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