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五十三 芽生え
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めばえ
「でごも(大根も)、イジョノキノエ(銀杏の木の家)さ持ってげ」
十一月に入ってすぐ、マサの所帯がタキゾウの家に運ばれた。
やり始めたら、それはもう、あれやこれやと、荷物は馬車いっぱいになった。
終いには、三十本ほどの大根に、漬け樽一個も、清五郎は積み込んだのだった。
マサは、ハマが亡くなった日からずっと、銀杏の木の家に泊まり込んで、タケを手伝っている。少し落ち着いたからと言っても、タケ一人では何かと手が足りない。タケも心強いと言う。それなら、いっそのこと、お前は銀杏の木の家に行け、と清五郎が勧め、マサは快諾したのだった。名実ともに、タキゾウの家の住人となるわけだ。
タキゾウたちの家の敷地内には、昔からある銀杏の大木があり、だから豊川家では、タキゾウが越してくる前から、その家のことを「イジョノキノエ(銀杏の木の家)」と呼んでいる。
少し歳上のタケを、律儀なマサは「ねっちゃ」と呼ぶが、その実は姉妹のようだ。生家では口数が少ないマサが、イジョノキノエでは饒舌だ。それは、タケとは気が合い、気を許していたからだろう。
マサが居ると、賑やかで、今のタケには無くてはならない。だから、清五郎の判断に、心から感謝するタケであった。
「セイゴロっつぁん、どごさ行ぐ。大所帯で」
通りかかる清五郎の馬車を見かけた近所の者たちが声を掛ける。馬車に家財道具の一切を積んでくれば無理もない。
「なあに、嫁入りだぁ」
清五郎がおどけてそう答える。
「とっちゃ、恥ずがすいはんでやめでけ」
マサが小声でたしなめる。
「構わねびょん」
今回の引っ越しの判断は、清五郎の親心でもあった。
生家にマサを置いていても、近所の人たちが、やれ出戻りだ、石女だとうわさ話をする。実家から少し離れた兄夫婦の家に居て、彼らを支え、本人も生き生きと暮らしていたら、マサも気楽だろうし、そのうちに良縁があるかもしれない、と。まあもっとも、所帯を動かさないでも、マサは放っておいても泊まり込みを止めないだろうが。
大荷物の馬車に気が付き、タケが慌てて母屋から出てきた。
「おタケぢゃん、頼むはんで置いでぐれ、マサば。納屋の二階片付げるはんで。女中みでぐ使ってもらえば良はんで」
馬を止めると、清五郎は開口一番、そう言う。
「なして・・・」
反射的に、タケはそう返しかけたが、涙が溢れてきて、その後は続かなかった。
「うん、女中だはんで」
マサが付け加えるように言った。
説明など要らなかった。清五郎の心根がタケには手にとるように解った。
「トヨさん、呼んでくる」
タキゾウは、按摩に呼ばれて、近所の地主の家に行っていた。
「呼んでごねでいよ、おタケぢゃん。タキゾウだきゃ役さ立だねはんで。まなぐ(目)が見えねやづなんか。按摩でいっぱい稼がせれでおげば良はんで。すぐ終わるから、おタケぢゃんもいよ、家のごどやってけ」
タケは仕方なく母屋に戻って、お茶の支度をした。
清五郎の言ったとおりだった。荷車に山になっていた、あの大荷物が、あっという間に片付いた。
「おとうさん、一服してくんなせ。おマサさんも、手休めて。拭き掃除なんか、私があとからするすけ」
十一月の横からの日差しが、縁側にあたって、暖かかった。昼まではまだ一刻あった。
「あれ、こぃおタケぢゃんが漬げだのが。ご馳走になるが」
清五郎は、大根の味噌漬けを一枚つまんで口に運んだ。
「お、こぃも美味ぇもんだ。でご持ってぎだはんで。マサも漬物は上手ぇはんで、漬げでもらえばい。なもかも言って使ってけ」
マサがやっと縁側に来て腰を下ろした。
「めぇびょん、とっちゃ、上手だね、姉っちゃ」
タケがお茶を注ぎ足した。
すっかり乾いたはずの涙が、再びこみ上げてくるのが分かった。
「おとうさん、おマサさん、どうも・・・」
「なあに、気使うごどはねはんで、マサ使ってけ」
「使うなんて、出来ません。こちらこそ、どうぞよろしゅうお願いします」
清五郎は、微笑んで、また味噌漬けを一つつまみ、口に運んだ。
「タキゾウ、役にだだねはんで、苦労がげで済まね。元気出すて、まだけっぱってもらわねど」
タケは頷いた。
いつまでもクヨクヨしていては、清五郎やマサに申し訳ない、とタケは心から思うのであった。
「姉っちゃの唄、まだ聴がへでけ。わー大好ぎだはんで、姉っちゃの唄」
タケは、二人の一つ一つの言葉を噛み締めた。
「わー、草運んでぐる。おタケぢゃん、筵機もマサさ教えでけ」
そう言って、清五郎が立ち上がった。
それから十日と経たずに、初雪が降った。そして日を置かずに根雪となる雪らしきが降り始めたのだが、例年よりはだいぶ早かった。
早過ぎる雪は長持ちしない、とタキゾウは呟いた。それは、雪が少ないと言っているのであり、すなわち、来年は不作の可能性がある、ということを案じたのだった。
後から語り草になるのだが、この時のタキゾウの言は的中するのだった。
この頃のタキゾウは、神経が妙に研ぎ澄まされていたのだろう。度重なる不幸の影響かもしれなかった。
これだけではない。
その年が明けてすぐ、タキゾウの夢枕にハマが立った。
また不吉なことなのか、とタケが身構えたが、どうやらそうではないようだった。
「郷の唄」
タケが訊き返した。
「そうだ、ここの人たぢが唄ってら唄、とおっしょうさんはしゃべった。そったごどいっても、十三の砂山などはやってらす、あどはどった唄だびょんか」
訊けば、夢の中のハマはタキゾウに、郷土の人たちが常日頃唄っている唄を、お前なりに演ってみろ、と語ったという。それがどういう唄なのか、タキゾウには分かりかねた。
「他に言ったことは」
タキゾウは、再び思い返して見る。
「そういえば、在方のとしょり(年寄り)とが、山仕事のふとたぢに訊いでみろど、しゃべっちゃー」
「マサさん、どこで訊けば良いだろうか」
タケはマサに訊ねてみた。
「小田川の婆さまに訊いでみぃば分がるがもすれね」
小田川村とは、金木村の南東に位置する岩木川のもう一つの支流である小田川の上流の村だった。
それは、マサが嫁いだ村であった。山裾に毎春、マサは山菜採りに行ったもので、婚家の婆様が「山菜採りの師匠」と呼ぶ、長生きの婆様がその山裾に居て、山菜採りの度に必ず、その家に立ち寄り、その年の山菜の状況を訊くのが習わしだった。
「それなら、山菜採りに行きがてら、訊いてみればいいね。その婆様に」
このマサの提案は、実に的を射ていたことが後に明らかになる。
ハマはそれを暗示したのかもしれなかった。
そして、雪が少ない、奇妙なくらいに暖かい冬が終わった。
案の定、春から異常気象だった。
何しろ、日差しが少なく、雨ばかりなのである。
村人たちの嘆息が聞こえるような春だった。
そういう人々の心配を他所に、タキゾウは、唄のことで頭がいっぱいのようだ。
「マサ、山菜採りはいづ頃だびょん」
せっついた。
それで、いずれにしても、田植え前に一回行ってみよう、ということになったのだった。
どのみち、何回か通うことになるだろう。最初は挨拶のようなものだ、とタキゾウは腹をくくる。
その小田川の婆様は、クワと言った。
クワ婆様は、いろいろ話して、時に唄って聴かせたが、自分以外にも、あそこの馬子に訊いてみろ、どこそこの婆様が知っている、などと新たな知恵袋を教えてくれたのだった。
結局、夏になるまで、十数回、その部落に通うことになったのだった。
夏は最初から秋のように寒く、今更降らなかった雪を補うような雨がよく降った。
「馬鈴薯植えるはんで、マサ、来い」
寒い夏、清五郎がマサを呼びに来た。タケも一緒に行って、種芋植えを手伝った。
やはり、大変な凶作となったが、春植えと、さらに夏に追加で植えた馬鈴薯のお陰で、飢える心配は無かった。
良くないことも、良いことも交互に、あるいは一緒に来るものだ。
タキゾウは凶作どこ吹く風で、食べることも忘れて三味線と格闘していた。
「吹き飛ばすんだ」
凶作を、唄で吹き飛ばす、と言うのだった。
それでも、前半は準備不足で出場を諦めた。
「やっぱり、川倉の地蔵さんだ」
そう焦点を絞っておいて、タキゾウは唄の仕上げに入った。
仕上げる際に、タキゾウはタケに唄わせた。タケが歌いやすいように三味線の音を合わせたのだ。
こうして、何とか、新しい持ち唄が二つ出来上がり、川倉地蔵の例大祭を迎えた。
凶作ほど、祭りは盛り上がる。
祭りはその為にあるようなものなのだ。
密かに、タキゾウの出場を心待ちにしていた者も在ったはずだ。
郷の古い唄を、晴眼者の女が唄う姿は、人々に新鮮だった。
もちろん、その年はマサも観客に加わった。
その二つのうち一つが、山唄だった。
アエデヤャー 極楽は遠くないもの近いもの
ここの座敷は極楽だ
アエデヤャー 高杉の御倉奉行衆の前見れば
桝と斗掛と算盤と
米はよい米上米で
俵 二重俵あみかけて
真ん中 五どこ 縦縄とし
倉の中へまき揃へ
ヤイデヤ 十五七や
澤をのぼるに 笛吹けば
峯の小松もみななびく
アエデヤ 十五七
十五になるから 山のぼり
肩にまさかり腰に鉈
沢のぼりにして小澤小澤さ
薪揃へて
これを見せたいや わが親に
アエデヤ 目屋の澤目よ
中さいれば 雑木の中 萱の中
アエデヤャー 高杉の たてにおひたる梨の木は
枝はあまさぎ(雨鷺) 葉が石田
花はひろさき(弘前) ひろくさく
實はごぜんのごようにたつ
(中津軽郡伝承「山唄」、「俚謡集」(1914)より)
もう一曲は、「よされ節」である。
さても上手な鶯鳥よ
どこで生れで聲が立つ
真の深山の奥の山
笹の露のんで聲が立つ
ヨサレソーラヨンヤ
ここの屋敷に井戸掘りござる
井戸をほるのに水がわく
水のわく勢で黄金わく
そこの御亭主のよろこびだ
二十日鼠は五升枡かづいて
富士の山へ行ってひるねした
山猫来たかと夢に見だ
命限りに向ういそぐ
ヨサレソーラヨンヤ
(中津軽郡伝承「よされ節」、「俚謡集」(1914)より)
「民謡」という概念が使われる前の、「郷の唄」であった。
タキゾウは、その年(明治三十五年、一九〇二年)を境に、郷の唄を探し始める。この活動は、タキゾウだけに限ったことではなかった。全国のあちこちでこの原点回帰の動きが起きたのだ。これは、来る民謡ブームの芽生えの一つであった。
野口雨情が、「新民謡」の先駆けとなる詩集「枯草」を発表したのは、これから三年後のことである。
十月。別の芽生えがあった。
ハマの一周忌から、ちょうど一月経った頃だった。
その芽生え、タケの懐妊に、最初に気づいたのは、もちろん、他ならぬマサであった。
「でごも(大根も)、イジョノキノエ(銀杏の木の家)さ持ってげ」
十一月に入ってすぐ、マサの所帯がタキゾウの家に運ばれた。
やり始めたら、それはもう、あれやこれやと、荷物は馬車いっぱいになった。
終いには、三十本ほどの大根に、漬け樽一個も、清五郎は積み込んだのだった。
マサは、ハマが亡くなった日からずっと、銀杏の木の家に泊まり込んで、タケを手伝っている。少し落ち着いたからと言っても、タケ一人では何かと手が足りない。タケも心強いと言う。それなら、いっそのこと、お前は銀杏の木の家に行け、と清五郎が勧め、マサは快諾したのだった。名実ともに、タキゾウの家の住人となるわけだ。
タキゾウたちの家の敷地内には、昔からある銀杏の大木があり、だから豊川家では、タキゾウが越してくる前から、その家のことを「イジョノキノエ(銀杏の木の家)」と呼んでいる。
少し歳上のタケを、律儀なマサは「ねっちゃ」と呼ぶが、その実は姉妹のようだ。生家では口数が少ないマサが、イジョノキノエでは饒舌だ。それは、タケとは気が合い、気を許していたからだろう。
マサが居ると、賑やかで、今のタケには無くてはならない。だから、清五郎の判断に、心から感謝するタケであった。
「セイゴロっつぁん、どごさ行ぐ。大所帯で」
通りかかる清五郎の馬車を見かけた近所の者たちが声を掛ける。馬車に家財道具の一切を積んでくれば無理もない。
「なあに、嫁入りだぁ」
清五郎がおどけてそう答える。
「とっちゃ、恥ずがすいはんでやめでけ」
マサが小声でたしなめる。
「構わねびょん」
今回の引っ越しの判断は、清五郎の親心でもあった。
生家にマサを置いていても、近所の人たちが、やれ出戻りだ、石女だとうわさ話をする。実家から少し離れた兄夫婦の家に居て、彼らを支え、本人も生き生きと暮らしていたら、マサも気楽だろうし、そのうちに良縁があるかもしれない、と。まあもっとも、所帯を動かさないでも、マサは放っておいても泊まり込みを止めないだろうが。
大荷物の馬車に気が付き、タケが慌てて母屋から出てきた。
「おタケぢゃん、頼むはんで置いでぐれ、マサば。納屋の二階片付げるはんで。女中みでぐ使ってもらえば良はんで」
馬を止めると、清五郎は開口一番、そう言う。
「なして・・・」
反射的に、タケはそう返しかけたが、涙が溢れてきて、その後は続かなかった。
「うん、女中だはんで」
マサが付け加えるように言った。
説明など要らなかった。清五郎の心根がタケには手にとるように解った。
「トヨさん、呼んでくる」
タキゾウは、按摩に呼ばれて、近所の地主の家に行っていた。
「呼んでごねでいよ、おタケぢゃん。タキゾウだきゃ役さ立だねはんで。まなぐ(目)が見えねやづなんか。按摩でいっぱい稼がせれでおげば良はんで。すぐ終わるから、おタケぢゃんもいよ、家のごどやってけ」
タケは仕方なく母屋に戻って、お茶の支度をした。
清五郎の言ったとおりだった。荷車に山になっていた、あの大荷物が、あっという間に片付いた。
「おとうさん、一服してくんなせ。おマサさんも、手休めて。拭き掃除なんか、私があとからするすけ」
十一月の横からの日差しが、縁側にあたって、暖かかった。昼まではまだ一刻あった。
「あれ、こぃおタケぢゃんが漬げだのが。ご馳走になるが」
清五郎は、大根の味噌漬けを一枚つまんで口に運んだ。
「お、こぃも美味ぇもんだ。でご持ってぎだはんで。マサも漬物は上手ぇはんで、漬げでもらえばい。なもかも言って使ってけ」
マサがやっと縁側に来て腰を下ろした。
「めぇびょん、とっちゃ、上手だね、姉っちゃ」
タケがお茶を注ぎ足した。
すっかり乾いたはずの涙が、再びこみ上げてくるのが分かった。
「おとうさん、おマサさん、どうも・・・」
「なあに、気使うごどはねはんで、マサ使ってけ」
「使うなんて、出来ません。こちらこそ、どうぞよろしゅうお願いします」
清五郎は、微笑んで、また味噌漬けを一つつまみ、口に運んだ。
「タキゾウ、役にだだねはんで、苦労がげで済まね。元気出すて、まだけっぱってもらわねど」
タケは頷いた。
いつまでもクヨクヨしていては、清五郎やマサに申し訳ない、とタケは心から思うのであった。
「姉っちゃの唄、まだ聴がへでけ。わー大好ぎだはんで、姉っちゃの唄」
タケは、二人の一つ一つの言葉を噛み締めた。
「わー、草運んでぐる。おタケぢゃん、筵機もマサさ教えでけ」
そう言って、清五郎が立ち上がった。
それから十日と経たずに、初雪が降った。そして日を置かずに根雪となる雪らしきが降り始めたのだが、例年よりはだいぶ早かった。
早過ぎる雪は長持ちしない、とタキゾウは呟いた。それは、雪が少ないと言っているのであり、すなわち、来年は不作の可能性がある、ということを案じたのだった。
後から語り草になるのだが、この時のタキゾウの言は的中するのだった。
この頃のタキゾウは、神経が妙に研ぎ澄まされていたのだろう。度重なる不幸の影響かもしれなかった。
これだけではない。
その年が明けてすぐ、タキゾウの夢枕にハマが立った。
また不吉なことなのか、とタケが身構えたが、どうやらそうではないようだった。
「郷の唄」
タケが訊き返した。
「そうだ、ここの人たぢが唄ってら唄、とおっしょうさんはしゃべった。そったごどいっても、十三の砂山などはやってらす、あどはどった唄だびょんか」
訊けば、夢の中のハマはタキゾウに、郷土の人たちが常日頃唄っている唄を、お前なりに演ってみろ、と語ったという。それがどういう唄なのか、タキゾウには分かりかねた。
「他に言ったことは」
タキゾウは、再び思い返して見る。
「そういえば、在方のとしょり(年寄り)とが、山仕事のふとたぢに訊いでみろど、しゃべっちゃー」
「マサさん、どこで訊けば良いだろうか」
タケはマサに訊ねてみた。
「小田川の婆さまに訊いでみぃば分がるがもすれね」
小田川村とは、金木村の南東に位置する岩木川のもう一つの支流である小田川の上流の村だった。
それは、マサが嫁いだ村であった。山裾に毎春、マサは山菜採りに行ったもので、婚家の婆様が「山菜採りの師匠」と呼ぶ、長生きの婆様がその山裾に居て、山菜採りの度に必ず、その家に立ち寄り、その年の山菜の状況を訊くのが習わしだった。
「それなら、山菜採りに行きがてら、訊いてみればいいね。その婆様に」
このマサの提案は、実に的を射ていたことが後に明らかになる。
ハマはそれを暗示したのかもしれなかった。
そして、雪が少ない、奇妙なくらいに暖かい冬が終わった。
案の定、春から異常気象だった。
何しろ、日差しが少なく、雨ばかりなのである。
村人たちの嘆息が聞こえるような春だった。
そういう人々の心配を他所に、タキゾウは、唄のことで頭がいっぱいのようだ。
「マサ、山菜採りはいづ頃だびょん」
せっついた。
それで、いずれにしても、田植え前に一回行ってみよう、ということになったのだった。
どのみち、何回か通うことになるだろう。最初は挨拶のようなものだ、とタキゾウは腹をくくる。
その小田川の婆様は、クワと言った。
クワ婆様は、いろいろ話して、時に唄って聴かせたが、自分以外にも、あそこの馬子に訊いてみろ、どこそこの婆様が知っている、などと新たな知恵袋を教えてくれたのだった。
結局、夏になるまで、十数回、その部落に通うことになったのだった。
夏は最初から秋のように寒く、今更降らなかった雪を補うような雨がよく降った。
「馬鈴薯植えるはんで、マサ、来い」
寒い夏、清五郎がマサを呼びに来た。タケも一緒に行って、種芋植えを手伝った。
やはり、大変な凶作となったが、春植えと、さらに夏に追加で植えた馬鈴薯のお陰で、飢える心配は無かった。
良くないことも、良いことも交互に、あるいは一緒に来るものだ。
タキゾウは凶作どこ吹く風で、食べることも忘れて三味線と格闘していた。
「吹き飛ばすんだ」
凶作を、唄で吹き飛ばす、と言うのだった。
それでも、前半は準備不足で出場を諦めた。
「やっぱり、川倉の地蔵さんだ」
そう焦点を絞っておいて、タキゾウは唄の仕上げに入った。
仕上げる際に、タキゾウはタケに唄わせた。タケが歌いやすいように三味線の音を合わせたのだ。
こうして、何とか、新しい持ち唄が二つ出来上がり、川倉地蔵の例大祭を迎えた。
凶作ほど、祭りは盛り上がる。
祭りはその為にあるようなものなのだ。
密かに、タキゾウの出場を心待ちにしていた者も在ったはずだ。
郷の古い唄を、晴眼者の女が唄う姿は、人々に新鮮だった。
もちろん、その年はマサも観客に加わった。
その二つのうち一つが、山唄だった。
アエデヤャー 極楽は遠くないもの近いもの
ここの座敷は極楽だ
アエデヤャー 高杉の御倉奉行衆の前見れば
桝と斗掛と算盤と
米はよい米上米で
俵 二重俵あみかけて
真ん中 五どこ 縦縄とし
倉の中へまき揃へ
ヤイデヤ 十五七や
澤をのぼるに 笛吹けば
峯の小松もみななびく
アエデヤ 十五七
十五になるから 山のぼり
肩にまさかり腰に鉈
沢のぼりにして小澤小澤さ
薪揃へて
これを見せたいや わが親に
アエデヤ 目屋の澤目よ
中さいれば 雑木の中 萱の中
アエデヤャー 高杉の たてにおひたる梨の木は
枝はあまさぎ(雨鷺) 葉が石田
花はひろさき(弘前) ひろくさく
實はごぜんのごようにたつ
(中津軽郡伝承「山唄」、「俚謡集」(1914)より)
もう一曲は、「よされ節」である。
さても上手な鶯鳥よ
どこで生れで聲が立つ
真の深山の奥の山
笹の露のんで聲が立つ
ヨサレソーラヨンヤ
ここの屋敷に井戸掘りござる
井戸をほるのに水がわく
水のわく勢で黄金わく
そこの御亭主のよろこびだ
二十日鼠は五升枡かづいて
富士の山へ行ってひるねした
山猫来たかと夢に見だ
命限りに向ういそぐ
ヨサレソーラヨンヤ
(中津軽郡伝承「よされ節」、「俚謡集」(1914)より)
「民謡」という概念が使われる前の、「郷の唄」であった。
タキゾウは、その年(明治三十五年、一九〇二年)を境に、郷の唄を探し始める。この活動は、タキゾウだけに限ったことではなかった。全国のあちこちでこの原点回帰の動きが起きたのだ。これは、来る民謡ブームの芽生えの一つであった。
野口雨情が、「新民謡」の先駆けとなる詩集「枯草」を発表したのは、これから三年後のことである。
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