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五十六 「立浪春子~瞽女の流れをくむ唄い手」
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たつなみはるこ ごぜのながれをくむうたいて
ハマ子にとっては、人生で三度目のインタビューだった。
一度目は、昭和九年、津軽民謡大会の後、新聞社からの短い取材で、それがどこにどう記事になったかも定かではなかった。優勝争いに絡んだ、ということでのインタビューだったと云う。
次も新聞社の取材だった。昭和二十三年のこと。「立浪春子」の最後のコンサートの後だった。
上越の師範学校で行われるコンサートは珍しい、という話題性に着目した地方新聞の取材だった。こちらは記事にはなったが、ハマ子が期待した内容ではなかったし、想いの外、小さいスペースでの掲載だった。
今回は、新聞社ではなく出版社だった。
最初にこの件に関して、連絡してきたのは、尾花沢市役所の観光課だった。ハマ子宛の手紙が同封され、観光課に届いたのだと云う。ちょうど四ヶ月前、まだ少しの雪が残る四月の終わり頃だった。
差出人は、東京にある女性週刊誌の編集者だった。
創刊十周年の特別企画として、「生き抜く女性たち」という記事が連載中であり、全国各地を取材して周っているとのことであった。
もちろん、ハマ子の回の企画としては、「民謡」ということなのだが、なぜ私が今、とハマ子は訝しんだ。
手紙の文末に、民謡に関わる経験などについて、メモ書きでも構わないので、整理しておいてもらいたい旨が書き添えられていた。
あれから四ヶ月、ハマ子は記憶をたどりながら、ノートにまとめ始めたわけだが、幼い頃の記憶が乏しく、この期に及んで、母に聞いておけば良かったと後悔する日々だった。そして、改めて振り返ってみると、なかなかどうして、意外と波乱に富んだ人生であり、あながち取材対象として間違っていないかもしれない、と一人悦に入ったりしたのだった。
編集者が意図したかどうかは定かではなかったが、取材日の設定も、申し分なかった。
一年で最も町が盛り上がる、諏訪神社の御例祭、通称「尾花沢花笠祭り」の期間中に編集者と執筆者、カメラマンとそのスタッフと総勢五人で来ることになったのである。
その大掛かりな取材陣は、その時代を物語っていた。今日では、考えられないコストの掛けようと言えよう。
大掛かりといえば、昭和五十年頃は、今では全く考えられないことだが、尾花沢花笠祭りは、地元出身のタレントを司会に迎え、テレビ中継をしていたほどである。
取材陣は、祭りの前夜祭がある、八月二十六日(昭和四十年)にやってきた。
前夜祭終わりの小学生たちが、ようやく引けた夕方四時過ぎであった。
「おかさん、お客さんだよ」
玄関から声を掛けたのは、蓮(十歳)であった。
「あっ、はいはい」
台所仕事をしていたハマ子が、白い割烹着姿で、玄関に出てきた。
「ごめんください。後藤です」
「あ、出版社の後藤さんですね。遠いところ、ご苦労さんです。あれ、泊まるところは決まったのですか」
出てくるなり、挨拶もそこそこに、せっかちなハマ子は取材陣の宿泊先の心配である。
「旅館、大和家さんに。観光課の鈴木さんが予約してくださって」
「あ、それは良かった。どうぞ、こちらに」
ハマ子は、廊下に面した障子戸を明け、仏間の方に一行を導いた。
蓮蔵とハマ子が、この地に移り住んできたのは、昭和三十年のことであった。どうしてそうなったかは、話せば長くなる。
「遠いところお疲れでしょう。一休みしてください。いま、お茶持ってきますから。この辺では、休んでくださいじゃなくて、ねまらっしゃい、て言うんですよ」
ハマ子は頼まれてもいない方言の解説までして、慌ただしく台所へ戻っていった。
平屋で、部屋が三つ。決して広くはないが、玄関前には小さいが畑もあり、ハマ子はその家を大変に気に入っていた。当初は借家だったが、三年前に格安で譲り受けた。もう十年住んだことになる。
「ねま、らっしゃい、って。知ってる松本さん」
後藤みち子が、ライターの松本育子に訊ねた。松本は後藤よりも十三年上(四十)のベテランで、普段は企業関係の執筆仕事が多かった。
「ねまる、は、まあ、ゆっくりくつろぐ、という意味。松尾芭蕉が俳句に詠んでいて、ここ尾花沢に滞在した時に詠んだ句があるんだよ」
「さすがあ、松本さん、物知り」
ハマ子が麦茶を丸いお盆に載せて運んできた。ハマ子の後ろから、蓮がどんぶりを持って付いてくる。
「すみません。あれ、男の子」
「どうぞ、これ、いただきものですが、尾花沢名物のナスの塩漬け。これは、蓮。孫です。なんて嘘、一人息子。奇跡の遅っ子」
「そうなんですか、蓮くん、何年生」
「五年です」
正座した蓮が、少し恥ずかしそうに答える。
「何、蓮。美人のお姉さんばかりで照れてるの」
「あ、ほんと、美味しい」
早速ナスをつまんだ松本が声をあげる。
「美味しいでしょ。私の漬物の師匠が、昨日持ってきてくれて。いっぱいあるから、どんどん食べて」
「ほんとだ。ご飯に合うでしょうね」
後藤がそう言うのへ、カメラマンの高木昇が異論を挟む。
「俺は、酒だな」
「どっちもあるから持ってきましょうか」
ハマ子が答え、笑い声が巻き起こる。
そのすきに、ハマ子はさっと台所に行って、ほんとうに日本酒を運んできた。
「最初から持ってくればよかったですね」
「すみません、なんか催促したみたいで」
「高木さん、得意だからなあ。こういうの」
アシスタントの上田早苗が茶化す。
早くも、場はすっかり出来上がってしまった。
「ね、蓮くん、なんで法被姿なの」
後藤が蓮に尋ねる。
「今日はお祭りの前夜祭で、花笠踊りをやってきたから」
「あれ、見かけませんでしたか、ここの来る時」
「見なかったよね」
「あ、そうですか。まあ、でも明日本番だから見られますよ、いつまで、こちらに」
「明後日まで居ます。私は夏休みみたいなものなんで。あ、ごめんなさい、皆さん、お仕事ですよね」
再び笑い。
「それなら、祭りは見ていかれますね。良かった。ここは、祭りぐらいしか無いから。見せられることと言ったら」
「そんなことないでしょ。良いところですよ、自然が多くて」
すっかりくつろぎモードの後藤を脇目に、松本は取材ノートをかばんから取り出しながら、何気ない質問から投げかける。
「立浪春子というのは、芸名なんですよね」
「そう、でも大昔の芸名。本名は高橋ハマ子、旧姓は、豊川ですが。今は、唄の先生の時でも、昔の芸名は使わなくなりました」
かつての「立浪春子」は、そう口火を切った。
「お生まれは、津軽、旧十三村ですね」
「はい、ちょうど、私と夫がここに来た年、この子が生れた年に、町村合併で村は無くなりました。もともとはジュウサンではなく、トサ村と言いました」
ここで、後藤が経緯の説明をする。
「すみませんね。急に取材が始まって。実は、ハマ子さん。私達が立浪春子の存在を知ったのは、津軽の民謡大会の記録です。そこで初めに、五所川原市の役場に問い合わせたのです。ところが、役場でも、分からないということになり、再び、別のルートからいろいろ訊いて回ったところ、レコードを出されていることを知って、権利関係を調べてもらって、やっとここにたどり着いた、ということなんです」
それはそれは、と呟いて、ちょっとと言ってハマ子は席を立った。
戻ってきたハマ子は持ってきたものをテーブル上に置いた。
折りたたんだ和紙だった。かなりの時代が付いている。
ハマ子はそれを広げた。
出世名
立浪
「これは、私が十二の時、修行七年目に師匠からもらったもの。師匠といっても父と母ですが。まあ、芸姑の出世名なんですが、この七年目というのは、高田瞽女の風習らしんです」
「え、瞽女、ですか。あの越後高田の」
「そうです。私の母方の祖母は、もともと高田の瞽女だった、ということです。ほんとね、もっとちゃんと母に訊いておけばよかったなあ、と今更思って。この頃。ほんとに、何も知らないんです。まあ、もっとも母自身もあまり知らなかったのでしょうが」
「ということは、おばあさまは、高田のご出身」
「いや、高田で修行をしたんですけど、生れは上越の別の村で、そこから母が五つの時に、十三村に移住したんですね。どうして、目の見えない祖母と二人で、遠くに移住したのか、分からないんですが」
松本は、ノートに系譜を書きながら、つぶやく。
「お母様は上越のお生まれ、五歳のときに十三村に移住。すみません、差し支えなければ、お祖母様のお名前は」
「祖母は、立浪ハマ。出世名はカツホ。勝ち負けの勝に、船の帆です。母は本名はタケ、出世名は、小春」
「ちょっと待ってください。ということは、代々、瞽女の家系ということですか」
「いや、それが違うんです。ややこしい話になってすみませんが。母のタケという名前は、母の祖母タケからもらった名前で、そのおタケさんは、芸姑さんだったらしいんです。だから、瞽女は祖母だけで、芸姑の家系といったほうが正しいのです。でも思い返してみると、私も修行時代には、瞽女唄も少し習ったんです」
「ちょっと、複雑ですね・・・」
そう言いながら、松本は系譜を慎重に書き足していく。
「そう、複雑なんです」
そこで、玄関の戸が開く音がした。蓮蔵(五十九)が帰ってきたのだ。
「あ、おとうさんが帰った。ちょっと待ってください」
ハマ子はまた立って行った。そしてまもなく、蓮蔵を伴って戻ってくる。
「どうも、遠いところを。いろいろお世話になります」
取材陣たちは、声に出さなかったが、皆意外に思ったに違いなかった。
なぜなら、ハマ子の夫が盲目だとは、誰も想像すらしていなかったからだ。
「おとうさん、今ね、おタケ婆さんの話をしていたんだけど、瞽女と芸姑の修行両方したんではないか、っていつかお父さんと話したでしょ」
「うん、多分ね。勝帆というのは、芸姑としての出世名で、そのおタケさんは、俺みたいに目が見えなくて、瞽女の修行に出た後、そのお母さんから芸姑としても教えを受けたんだろう、と私は考えてるんですよ」
蓮蔵の推理は、ほぼ正しいが、出世名の部分だけ、微妙に違っていた。真相は、両方の師匠が相談して、決められたのであった。だから正確には、瞽女としての修行七年目の出世名ということになる。ただ、たしかに芸姑風の名前ではあるから、蓮蔵がそのように推察するのは無理もなかった。
ここで、後藤が割って入る。
「松本さん、生意気なこと言うようですが、これは、ちょっと長くかかりそうですよね」
「え、今日のこと。それとも」
「そう、全体的に、取材日数が足りるか、という話です」
「私もそう思ってたところ。まず、段取りを確認しましょうか」
ハマ子が横から口を挟んだ。
「ゆっくり祭りも観て言ってください。この子も三味線を弾きますから。踊り屋台の上から。仕事はその後でいいでしょう」
そんなわけで、結局、祭りの合間に、細切れに取材が行われたため、遅々として進まず、後藤だけが祭り後も居残りとなった。
もっとも、後藤は、祭りも、料理や野趣を堪能できた上、今回の企画以外の次につながる多くの取材ができ、新たな企画も思いついたようで、一人だけ大満足で喜々として過ごしたのだった。
「私はこれで良かった。もう、素晴らしい夏休みでしたよ」
終いには、そう総括した、後藤であった。
ハマ子にとっては、人生で三度目のインタビューだった。
一度目は、昭和九年、津軽民謡大会の後、新聞社からの短い取材で、それがどこにどう記事になったかも定かではなかった。優勝争いに絡んだ、ということでのインタビューだったと云う。
次も新聞社の取材だった。昭和二十三年のこと。「立浪春子」の最後のコンサートの後だった。
上越の師範学校で行われるコンサートは珍しい、という話題性に着目した地方新聞の取材だった。こちらは記事にはなったが、ハマ子が期待した内容ではなかったし、想いの外、小さいスペースでの掲載だった。
今回は、新聞社ではなく出版社だった。
最初にこの件に関して、連絡してきたのは、尾花沢市役所の観光課だった。ハマ子宛の手紙が同封され、観光課に届いたのだと云う。ちょうど四ヶ月前、まだ少しの雪が残る四月の終わり頃だった。
差出人は、東京にある女性週刊誌の編集者だった。
創刊十周年の特別企画として、「生き抜く女性たち」という記事が連載中であり、全国各地を取材して周っているとのことであった。
もちろん、ハマ子の回の企画としては、「民謡」ということなのだが、なぜ私が今、とハマ子は訝しんだ。
手紙の文末に、民謡に関わる経験などについて、メモ書きでも構わないので、整理しておいてもらいたい旨が書き添えられていた。
あれから四ヶ月、ハマ子は記憶をたどりながら、ノートにまとめ始めたわけだが、幼い頃の記憶が乏しく、この期に及んで、母に聞いておけば良かったと後悔する日々だった。そして、改めて振り返ってみると、なかなかどうして、意外と波乱に富んだ人生であり、あながち取材対象として間違っていないかもしれない、と一人悦に入ったりしたのだった。
編集者が意図したかどうかは定かではなかったが、取材日の設定も、申し分なかった。
一年で最も町が盛り上がる、諏訪神社の御例祭、通称「尾花沢花笠祭り」の期間中に編集者と執筆者、カメラマンとそのスタッフと総勢五人で来ることになったのである。
その大掛かりな取材陣は、その時代を物語っていた。今日では、考えられないコストの掛けようと言えよう。
大掛かりといえば、昭和五十年頃は、今では全く考えられないことだが、尾花沢花笠祭りは、地元出身のタレントを司会に迎え、テレビ中継をしていたほどである。
取材陣は、祭りの前夜祭がある、八月二十六日(昭和四十年)にやってきた。
前夜祭終わりの小学生たちが、ようやく引けた夕方四時過ぎであった。
「おかさん、お客さんだよ」
玄関から声を掛けたのは、蓮(十歳)であった。
「あっ、はいはい」
台所仕事をしていたハマ子が、白い割烹着姿で、玄関に出てきた。
「ごめんください。後藤です」
「あ、出版社の後藤さんですね。遠いところ、ご苦労さんです。あれ、泊まるところは決まったのですか」
出てくるなり、挨拶もそこそこに、せっかちなハマ子は取材陣の宿泊先の心配である。
「旅館、大和家さんに。観光課の鈴木さんが予約してくださって」
「あ、それは良かった。どうぞ、こちらに」
ハマ子は、廊下に面した障子戸を明け、仏間の方に一行を導いた。
蓮蔵とハマ子が、この地に移り住んできたのは、昭和三十年のことであった。どうしてそうなったかは、話せば長くなる。
「遠いところお疲れでしょう。一休みしてください。いま、お茶持ってきますから。この辺では、休んでくださいじゃなくて、ねまらっしゃい、て言うんですよ」
ハマ子は頼まれてもいない方言の解説までして、慌ただしく台所へ戻っていった。
平屋で、部屋が三つ。決して広くはないが、玄関前には小さいが畑もあり、ハマ子はその家を大変に気に入っていた。当初は借家だったが、三年前に格安で譲り受けた。もう十年住んだことになる。
「ねま、らっしゃい、って。知ってる松本さん」
後藤みち子が、ライターの松本育子に訊ねた。松本は後藤よりも十三年上(四十)のベテランで、普段は企業関係の執筆仕事が多かった。
「ねまる、は、まあ、ゆっくりくつろぐ、という意味。松尾芭蕉が俳句に詠んでいて、ここ尾花沢に滞在した時に詠んだ句があるんだよ」
「さすがあ、松本さん、物知り」
ハマ子が麦茶を丸いお盆に載せて運んできた。ハマ子の後ろから、蓮がどんぶりを持って付いてくる。
「すみません。あれ、男の子」
「どうぞ、これ、いただきものですが、尾花沢名物のナスの塩漬け。これは、蓮。孫です。なんて嘘、一人息子。奇跡の遅っ子」
「そうなんですか、蓮くん、何年生」
「五年です」
正座した蓮が、少し恥ずかしそうに答える。
「何、蓮。美人のお姉さんばかりで照れてるの」
「あ、ほんと、美味しい」
早速ナスをつまんだ松本が声をあげる。
「美味しいでしょ。私の漬物の師匠が、昨日持ってきてくれて。いっぱいあるから、どんどん食べて」
「ほんとだ。ご飯に合うでしょうね」
後藤がそう言うのへ、カメラマンの高木昇が異論を挟む。
「俺は、酒だな」
「どっちもあるから持ってきましょうか」
ハマ子が答え、笑い声が巻き起こる。
そのすきに、ハマ子はさっと台所に行って、ほんとうに日本酒を運んできた。
「最初から持ってくればよかったですね」
「すみません、なんか催促したみたいで」
「高木さん、得意だからなあ。こういうの」
アシスタントの上田早苗が茶化す。
早くも、場はすっかり出来上がってしまった。
「ね、蓮くん、なんで法被姿なの」
後藤が蓮に尋ねる。
「今日はお祭りの前夜祭で、花笠踊りをやってきたから」
「あれ、見かけませんでしたか、ここの来る時」
「見なかったよね」
「あ、そうですか。まあ、でも明日本番だから見られますよ、いつまで、こちらに」
「明後日まで居ます。私は夏休みみたいなものなんで。あ、ごめんなさい、皆さん、お仕事ですよね」
再び笑い。
「それなら、祭りは見ていかれますね。良かった。ここは、祭りぐらいしか無いから。見せられることと言ったら」
「そんなことないでしょ。良いところですよ、自然が多くて」
すっかりくつろぎモードの後藤を脇目に、松本は取材ノートをかばんから取り出しながら、何気ない質問から投げかける。
「立浪春子というのは、芸名なんですよね」
「そう、でも大昔の芸名。本名は高橋ハマ子、旧姓は、豊川ですが。今は、唄の先生の時でも、昔の芸名は使わなくなりました」
かつての「立浪春子」は、そう口火を切った。
「お生まれは、津軽、旧十三村ですね」
「はい、ちょうど、私と夫がここに来た年、この子が生れた年に、町村合併で村は無くなりました。もともとはジュウサンではなく、トサ村と言いました」
ここで、後藤が経緯の説明をする。
「すみませんね。急に取材が始まって。実は、ハマ子さん。私達が立浪春子の存在を知ったのは、津軽の民謡大会の記録です。そこで初めに、五所川原市の役場に問い合わせたのです。ところが、役場でも、分からないということになり、再び、別のルートからいろいろ訊いて回ったところ、レコードを出されていることを知って、権利関係を調べてもらって、やっとここにたどり着いた、ということなんです」
それはそれは、と呟いて、ちょっとと言ってハマ子は席を立った。
戻ってきたハマ子は持ってきたものをテーブル上に置いた。
折りたたんだ和紙だった。かなりの時代が付いている。
ハマ子はそれを広げた。
出世名
立浪
「これは、私が十二の時、修行七年目に師匠からもらったもの。師匠といっても父と母ですが。まあ、芸姑の出世名なんですが、この七年目というのは、高田瞽女の風習らしんです」
「え、瞽女、ですか。あの越後高田の」
「そうです。私の母方の祖母は、もともと高田の瞽女だった、ということです。ほんとね、もっとちゃんと母に訊いておけばよかったなあ、と今更思って。この頃。ほんとに、何も知らないんです。まあ、もっとも母自身もあまり知らなかったのでしょうが」
「ということは、おばあさまは、高田のご出身」
「いや、高田で修行をしたんですけど、生れは上越の別の村で、そこから母が五つの時に、十三村に移住したんですね。どうして、目の見えない祖母と二人で、遠くに移住したのか、分からないんですが」
松本は、ノートに系譜を書きながら、つぶやく。
「お母様は上越のお生まれ、五歳のときに十三村に移住。すみません、差し支えなければ、お祖母様のお名前は」
「祖母は、立浪ハマ。出世名はカツホ。勝ち負けの勝に、船の帆です。母は本名はタケ、出世名は、小春」
「ちょっと待ってください。ということは、代々、瞽女の家系ということですか」
「いや、それが違うんです。ややこしい話になってすみませんが。母のタケという名前は、母の祖母タケからもらった名前で、そのおタケさんは、芸姑さんだったらしいんです。だから、瞽女は祖母だけで、芸姑の家系といったほうが正しいのです。でも思い返してみると、私も修行時代には、瞽女唄も少し習ったんです」
「ちょっと、複雑ですね・・・」
そう言いながら、松本は系譜を慎重に書き足していく。
「そう、複雑なんです」
そこで、玄関の戸が開く音がした。蓮蔵(五十九)が帰ってきたのだ。
「あ、おとうさんが帰った。ちょっと待ってください」
ハマ子はまた立って行った。そしてまもなく、蓮蔵を伴って戻ってくる。
「どうも、遠いところを。いろいろお世話になります」
取材陣たちは、声に出さなかったが、皆意外に思ったに違いなかった。
なぜなら、ハマ子の夫が盲目だとは、誰も想像すらしていなかったからだ。
「おとうさん、今ね、おタケ婆さんの話をしていたんだけど、瞽女と芸姑の修行両方したんではないか、っていつかお父さんと話したでしょ」
「うん、多分ね。勝帆というのは、芸姑としての出世名で、そのおタケさんは、俺みたいに目が見えなくて、瞽女の修行に出た後、そのお母さんから芸姑としても教えを受けたんだろう、と私は考えてるんですよ」
蓮蔵の推理は、ほぼ正しいが、出世名の部分だけ、微妙に違っていた。真相は、両方の師匠が相談して、決められたのであった。だから正確には、瞽女としての修行七年目の出世名ということになる。ただ、たしかに芸姑風の名前ではあるから、蓮蔵がそのように推察するのは無理もなかった。
ここで、後藤が割って入る。
「松本さん、生意気なこと言うようですが、これは、ちょっと長くかかりそうですよね」
「え、今日のこと。それとも」
「そう、全体的に、取材日数が足りるか、という話です」
「私もそう思ってたところ。まず、段取りを確認しましょうか」
ハマ子が横から口を挟んだ。
「ゆっくり祭りも観て言ってください。この子も三味線を弾きますから。踊り屋台の上から。仕事はその後でいいでしょう」
そんなわけで、結局、祭りの合間に、細切れに取材が行われたため、遅々として進まず、後藤だけが祭り後も居残りとなった。
もっとも、後藤は、祭りも、料理や野趣を堪能できた上、今回の企画以外の次につながる多くの取材ができ、新たな企画も思いついたようで、一人だけ大満足で喜々として過ごしたのだった。
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