57 / 65
五十五 子連れ巡業
しおりを挟む
こずれじゅんぎょう
明治三十八年、岩木山(神社)の秋の例大祭での唄会は、予想を上回る大盛況だったと云う。
ところが、興行師、松村長一郎の触覚は、唄会には反応しないようだった。早い話が、金にならないものには興味がないのであった。
その松村が、初めて聴くタケの唄に一目惚れしたようだった。
川倉地蔵祭りの夜、タキゾウは松村を自分の家に泊まるように説得した。マサに頼んで酒を買ってこさせ、クジラ汁をつまみに再会を祝したのだった。
「青森湊と、函館に定期船が通るらしい。そうなると鉄道と繋がって、青森と函館がもっと賑わうことになる」
再会の嬉しさと、酒が入ったのとで饒舌になった松村は、商売の話に拍車がかかった。
「それに弘前と青森の鉄道通ったから、旅回りの行き方も変わる」
松村の話には希望が溢れていて、タケやマサは興味津々だった。
「長一郎さん、お代わり注ぐべが」
囲炉裏に掛けた鉄鍋の蓋を取ると、クジラと味噌が合わさった、独特の香ばしい匂いが立ち上った。
クジラの塩漬けと、夏野菜(ナス、ササゲ豆)の味噌仕立ての鍋だった。
お代わりに気を取られ、口が止まったすきにタキゾウが喋った。
「もう少す、こいづが大ぎぐなったっきゃ、まだ函館さ行ぎでけどね」
「なあに、そこまで待つことはない。俺は決めた。勝さん、この秋、弘前・青森巡業に入ってくれ。もちろん、タケさん、いや小春さんも一緒に来てくださいよ」
話は、すぐにまとまった。
結局、マサも子守兼、補佐役ということで、巡業に同伴することになった。この事は、最初タケが推薦したのだが、そうするまでもなく、松村はマサの料理やもてなしに感激しており、認めるどころか、逆に大歓迎だった。
こうして、秋の津軽巡業の編成が決まった。
翌朝、松村は鰺ヶ沢に向けて立った。そこで、彼は手配することがあったし、河村正福一座、大川蝶五郎(手妻師)、そして江差兄弟と落ち合うことになっていたのである。
「久すぶりに、ジャワめぐなあ」
そんなことを言いながら、按摩の仕事と三味線の稽古に精が出るタキゾウ。しかし、心躍るのはタキゾウだけではなかった。
タケ、マサも同じで、その巡業の楽しみがあるから、機織り、豊川の野良仕事への張りが出るのだった。
そして稲刈りが終わり、長一郎の一行が、高瀬舟を二艘立てで、蒔田湊に入って来たのは、九月の二十三日は、午前九時過ぎ頃のことであった。
長一郎が金で手回しし、舟場近くの木賃宿「やっこ」に一行を休ませた上、木賃宿の丁稚に小遣いを握らせ、タキゾウ宅に使いに走らせた。
一方のタキゾウは、「二十日過ぎ」という長一郎の文を月初めにもらっていたため、荷物の準備などは済んでいる状態だった。そして、その朝は、早くから地主に呼ばれて按摩に行き、使いが家に着く、まさにその時に、タキゾウは帰宅したのだった。
そんなわけで、タキゾウたち使いの丁稚とともに、「やっこ」へ向かい、十一時前には舟場に到着したのだった。木賃宿の主が、細長く切って干した、「干し馬鈴薯」をいっぱい一行に持たせてくれた。
「おお、勝さん、久しぶりだね。元気で」
駆け寄って、タキゾウの手を握ったのは、あの正福だった。一緒に江差兄弟もやってきた。
「喜作です。覚えてるか、勝さん。仁助も来てるよ」
「みんな来だが。あやあや、嬉すいねえ。まだ会えだ。数えだばって、十一年ぶりだ。早ぇもんだな」
長一郎が乗船を急かした。
「さあさ、挨拶は後だ。先に乗ってしまってください」
先の一艘目には、長一郎と河村正福一座が乗り込んだ。
二艘目にタキゾウたちが乗る。
「勝太郎さん、大川です。またご一緒できましたね。こちらは」
相変わらず腰が低い、大物手妻師の大川蝶五郎だった。
「ああ、蝶五郎さん。懐がすいなあ。まだ、よろすくお願いすます。こっちは、嫁のタケ、娘のハマ子、そえで、もうひとりが妹のマサ」
「タケです。よろしくお願いします」
「マサです」
ちょうど、タケの斜向いに座っていた、喜作が両手を差し出した。
「あら、勝さんの娘子、ほれ、抱かせてみろ」
秋晴れの穏やかな日だった。船は、風に乗り、ゆっくりと岩木川を遡って、走る。
「このタケも、唄うはんで。出世名は、小春だ」
「そうだってね。楽しみだ」
そう言う喜作に、仁助がかぶせた。
「娘も唄うか」
「もう少す後だな、それは」
船は笑いに包まれた。
賑やかな、幸せに包まれた再会であった。
「トヨさん、大川、ここまで来るの初めてだよ、私」
顔に川風を受けながら、気持ちよさそうに、タケが言った。
「あれ、そうだったが。わりぇごどすた。すまね、すまね」
「だめだろ、勝さんよお」
喜作が追い打ちをかけると、再び笑いが起きた。
距離や時間を超えて、こうやって気安く話し合えるのは、土地柄、人柄のせいだが、そればかりではない。
同じ釜の飯を食べた、というのはこういうところに現れるのだろう。それが例え数回であっても、逆に離れている時を経てこそ、人知れずに熟成している。そういうことは、実はよくあることなのだ。
このことは、当然だが、舞台の出来に直結する。そういう下地がすでに、この出発の船の中で出来てしまった事を意味した。
弘前、柾木座の初日は、九月二十八日であった。
呼び込みに使えた実質の日数は、たった三日だった。それにも関わらず、初日から大入りの大盛況だったのである。
これは、民衆に、こういう劇や唄の舞台を受け入れやすいマインドがあった、という時代背景であったことも多分に寄与していた。
それに松村長一郎一座は、在野の「素人芸」ではなく、本職のみで構成された「職人芸」の一座なのである。
一、 北の俚謡:江差兄弟
二、 東西手妻:大川蝶五郎
三、 津軽の俚謡:勝太郎と小春
四、 歌舞伎:河村正福一座
舞台は、喜作の口上から始まった。
「皆様、大勢のお運び、有難うございます。江差兄弟の兄の喜作と申します。お初のお目通りとなります。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。横に居ますのが弟の仁助です。尺八をやります。そして、正福一座から鳴り物で特別に入ってもらいます。カズ姉さん、です。重ねまして、よろしくお願い申します」
観客から声援が飛ぶ。
「まずは、追分から行きます」
江差追分だ。
この一曲だけで、観客を十分に掴む。
二曲目は、薩摩から伝わった俚謡「おはら節」だった。
この南方独特の明るい唄によって、場内を一気に盛り上がる。
花は霧島 煙草は国分
燃えて上がるは オハラハー 桜島
(ハッ ヨイ ヨイ ヨイヤサット)
雨は降らんのに 草牟田川濁る
伊敷原良の オハラハー 化粧の水
(ハッ ヨイ ヨイ ヨイヤサット)
見えた見えたよ 松原ごしに
丸に十の字の オハラハー 帆が見えた
(ハッ ヨイ ヨイ ヨイヤサット)
会場には、自然と手拍子が起きる。
観客もさることながら、この唄に最も感動したのは、タケかもしれなかった。この唄に着想を得たことが、タケ初めての創作につながるのだ。
続く蝶五郎の「胡蝶の舞」と日替わりの西欧手妻は、やはり歓声の渦。
そして、勝太郎と小春の唄と三味線は、繊細と迫力の共演だった。しかも、唯一、地元津軽の唄い手と、昔馴染みの座頭の三味線なのだ。どうしたって、観客は贔屓目に見るものだ。
もちろん、芸は本職。師匠、勝帆仕込みである。
一曲目は、津軽じょんがら節
二曲目は、十三の砂山
三曲目は、よされ節
特に、小春の高い通る声と、節回しは、聴くものを惚れ惚れとさせるのだった。
取りは、歌舞伎である。
演目は、「鎌倉三代記 三浦別れの段」だった。
血は争えず、マサは歌舞伎に大いに興味を示し、特別に長一郎の許可を得て、観客として観せてもらうほどだった。
都合、弘前での公演は五日。その後、一行は鉄道で青森市に移動。
十月四日、中村座での初日。柾木座の成功を立元(座元)の中村氏が宣伝したため、初日からの大入りであった。
千秋楽まで大盛況で続き、座元より、来年の興行についても約束された松村であった。
この秋の弘前・青森巡業は、この後、青森大火(明治四十三年)の前年まで、五年続いた。
つまり、ハマ子(後の立浪春子)は、乳飲み子の二歳から六歳まで、この秋巡業に同行したのである。そのことから、一座の内輪では、この秋巡業のことを「子連れ巡業」と呼んだものだった。
その「子連れ巡業」の最後の年、明治四十二年、ハマ子は金木第一尋常小学校に入学した。それと同時に、ハマ子の唄修行が始まった。修行一年目で、プロの一座に同行したことは、その後のハマ子の人生にとって、掛け替えのない経験となった。
明治四十一年には、待望の青函連絡船が運行開始となった。この航路が出来たことで、北海道への巡業ルートが作りやすくなるわけだが、青森の復興が先であり、旅回りの芸人たちが恩恵にあずかれるようになるのは、中村座の跡地に「歌舞伎座」が再建される大正二年(一九一三年)以降のことであった。
明治三十八年、岩木山(神社)の秋の例大祭での唄会は、予想を上回る大盛況だったと云う。
ところが、興行師、松村長一郎の触覚は、唄会には反応しないようだった。早い話が、金にならないものには興味がないのであった。
その松村が、初めて聴くタケの唄に一目惚れしたようだった。
川倉地蔵祭りの夜、タキゾウは松村を自分の家に泊まるように説得した。マサに頼んで酒を買ってこさせ、クジラ汁をつまみに再会を祝したのだった。
「青森湊と、函館に定期船が通るらしい。そうなると鉄道と繋がって、青森と函館がもっと賑わうことになる」
再会の嬉しさと、酒が入ったのとで饒舌になった松村は、商売の話に拍車がかかった。
「それに弘前と青森の鉄道通ったから、旅回りの行き方も変わる」
松村の話には希望が溢れていて、タケやマサは興味津々だった。
「長一郎さん、お代わり注ぐべが」
囲炉裏に掛けた鉄鍋の蓋を取ると、クジラと味噌が合わさった、独特の香ばしい匂いが立ち上った。
クジラの塩漬けと、夏野菜(ナス、ササゲ豆)の味噌仕立ての鍋だった。
お代わりに気を取られ、口が止まったすきにタキゾウが喋った。
「もう少す、こいづが大ぎぐなったっきゃ、まだ函館さ行ぎでけどね」
「なあに、そこまで待つことはない。俺は決めた。勝さん、この秋、弘前・青森巡業に入ってくれ。もちろん、タケさん、いや小春さんも一緒に来てくださいよ」
話は、すぐにまとまった。
結局、マサも子守兼、補佐役ということで、巡業に同伴することになった。この事は、最初タケが推薦したのだが、そうするまでもなく、松村はマサの料理やもてなしに感激しており、認めるどころか、逆に大歓迎だった。
こうして、秋の津軽巡業の編成が決まった。
翌朝、松村は鰺ヶ沢に向けて立った。そこで、彼は手配することがあったし、河村正福一座、大川蝶五郎(手妻師)、そして江差兄弟と落ち合うことになっていたのである。
「久すぶりに、ジャワめぐなあ」
そんなことを言いながら、按摩の仕事と三味線の稽古に精が出るタキゾウ。しかし、心躍るのはタキゾウだけではなかった。
タケ、マサも同じで、その巡業の楽しみがあるから、機織り、豊川の野良仕事への張りが出るのだった。
そして稲刈りが終わり、長一郎の一行が、高瀬舟を二艘立てで、蒔田湊に入って来たのは、九月の二十三日は、午前九時過ぎ頃のことであった。
長一郎が金で手回しし、舟場近くの木賃宿「やっこ」に一行を休ませた上、木賃宿の丁稚に小遣いを握らせ、タキゾウ宅に使いに走らせた。
一方のタキゾウは、「二十日過ぎ」という長一郎の文を月初めにもらっていたため、荷物の準備などは済んでいる状態だった。そして、その朝は、早くから地主に呼ばれて按摩に行き、使いが家に着く、まさにその時に、タキゾウは帰宅したのだった。
そんなわけで、タキゾウたち使いの丁稚とともに、「やっこ」へ向かい、十一時前には舟場に到着したのだった。木賃宿の主が、細長く切って干した、「干し馬鈴薯」をいっぱい一行に持たせてくれた。
「おお、勝さん、久しぶりだね。元気で」
駆け寄って、タキゾウの手を握ったのは、あの正福だった。一緒に江差兄弟もやってきた。
「喜作です。覚えてるか、勝さん。仁助も来てるよ」
「みんな来だが。あやあや、嬉すいねえ。まだ会えだ。数えだばって、十一年ぶりだ。早ぇもんだな」
長一郎が乗船を急かした。
「さあさ、挨拶は後だ。先に乗ってしまってください」
先の一艘目には、長一郎と河村正福一座が乗り込んだ。
二艘目にタキゾウたちが乗る。
「勝太郎さん、大川です。またご一緒できましたね。こちらは」
相変わらず腰が低い、大物手妻師の大川蝶五郎だった。
「ああ、蝶五郎さん。懐がすいなあ。まだ、よろすくお願いすます。こっちは、嫁のタケ、娘のハマ子、そえで、もうひとりが妹のマサ」
「タケです。よろしくお願いします」
「マサです」
ちょうど、タケの斜向いに座っていた、喜作が両手を差し出した。
「あら、勝さんの娘子、ほれ、抱かせてみろ」
秋晴れの穏やかな日だった。船は、風に乗り、ゆっくりと岩木川を遡って、走る。
「このタケも、唄うはんで。出世名は、小春だ」
「そうだってね。楽しみだ」
そう言う喜作に、仁助がかぶせた。
「娘も唄うか」
「もう少す後だな、それは」
船は笑いに包まれた。
賑やかな、幸せに包まれた再会であった。
「トヨさん、大川、ここまで来るの初めてだよ、私」
顔に川風を受けながら、気持ちよさそうに、タケが言った。
「あれ、そうだったが。わりぇごどすた。すまね、すまね」
「だめだろ、勝さんよお」
喜作が追い打ちをかけると、再び笑いが起きた。
距離や時間を超えて、こうやって気安く話し合えるのは、土地柄、人柄のせいだが、そればかりではない。
同じ釜の飯を食べた、というのはこういうところに現れるのだろう。それが例え数回であっても、逆に離れている時を経てこそ、人知れずに熟成している。そういうことは、実はよくあることなのだ。
このことは、当然だが、舞台の出来に直結する。そういう下地がすでに、この出発の船の中で出来てしまった事を意味した。
弘前、柾木座の初日は、九月二十八日であった。
呼び込みに使えた実質の日数は、たった三日だった。それにも関わらず、初日から大入りの大盛況だったのである。
これは、民衆に、こういう劇や唄の舞台を受け入れやすいマインドがあった、という時代背景であったことも多分に寄与していた。
それに松村長一郎一座は、在野の「素人芸」ではなく、本職のみで構成された「職人芸」の一座なのである。
一、 北の俚謡:江差兄弟
二、 東西手妻:大川蝶五郎
三、 津軽の俚謡:勝太郎と小春
四、 歌舞伎:河村正福一座
舞台は、喜作の口上から始まった。
「皆様、大勢のお運び、有難うございます。江差兄弟の兄の喜作と申します。お初のお目通りとなります。どうぞ、よろしくお願い申し上げます。横に居ますのが弟の仁助です。尺八をやります。そして、正福一座から鳴り物で特別に入ってもらいます。カズ姉さん、です。重ねまして、よろしくお願い申します」
観客から声援が飛ぶ。
「まずは、追分から行きます」
江差追分だ。
この一曲だけで、観客を十分に掴む。
二曲目は、薩摩から伝わった俚謡「おはら節」だった。
この南方独特の明るい唄によって、場内を一気に盛り上がる。
花は霧島 煙草は国分
燃えて上がるは オハラハー 桜島
(ハッ ヨイ ヨイ ヨイヤサット)
雨は降らんのに 草牟田川濁る
伊敷原良の オハラハー 化粧の水
(ハッ ヨイ ヨイ ヨイヤサット)
見えた見えたよ 松原ごしに
丸に十の字の オハラハー 帆が見えた
(ハッ ヨイ ヨイ ヨイヤサット)
会場には、自然と手拍子が起きる。
観客もさることながら、この唄に最も感動したのは、タケかもしれなかった。この唄に着想を得たことが、タケ初めての創作につながるのだ。
続く蝶五郎の「胡蝶の舞」と日替わりの西欧手妻は、やはり歓声の渦。
そして、勝太郎と小春の唄と三味線は、繊細と迫力の共演だった。しかも、唯一、地元津軽の唄い手と、昔馴染みの座頭の三味線なのだ。どうしたって、観客は贔屓目に見るものだ。
もちろん、芸は本職。師匠、勝帆仕込みである。
一曲目は、津軽じょんがら節
二曲目は、十三の砂山
三曲目は、よされ節
特に、小春の高い通る声と、節回しは、聴くものを惚れ惚れとさせるのだった。
取りは、歌舞伎である。
演目は、「鎌倉三代記 三浦別れの段」だった。
血は争えず、マサは歌舞伎に大いに興味を示し、特別に長一郎の許可を得て、観客として観せてもらうほどだった。
都合、弘前での公演は五日。その後、一行は鉄道で青森市に移動。
十月四日、中村座での初日。柾木座の成功を立元(座元)の中村氏が宣伝したため、初日からの大入りであった。
千秋楽まで大盛況で続き、座元より、来年の興行についても約束された松村であった。
この秋の弘前・青森巡業は、この後、青森大火(明治四十三年)の前年まで、五年続いた。
つまり、ハマ子(後の立浪春子)は、乳飲み子の二歳から六歳まで、この秋巡業に同行したのである。そのことから、一座の内輪では、この秋巡業のことを「子連れ巡業」と呼んだものだった。
その「子連れ巡業」の最後の年、明治四十二年、ハマ子は金木第一尋常小学校に入学した。それと同時に、ハマ子の唄修行が始まった。修行一年目で、プロの一座に同行したことは、その後のハマ子の人生にとって、掛け替えのない経験となった。
明治四十一年には、待望の青函連絡船が運行開始となった。この航路が出来たことで、北海道への巡業ルートが作りやすくなるわけだが、青森の復興が先であり、旅回りの芸人たちが恩恵にあずかれるようになるのは、中村座の跡地に「歌舞伎座」が再建される大正二年(一九一三年)以降のことであった。
0
あなたにおすすめの小説
甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ
朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】
戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。
永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。
信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。
この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。
*ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。
裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する
克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。
滝川家の人びと
卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。
生きるために走る者は、
傷を負いながらも、歩みを止めない。
戦国という時代の只中で、
彼らは何を失い、
走り続けたのか。
滝川一益と、その郎党。
これは、勝者の物語ではない。
生き延びた者たちの記録である。
花嫁
一ノ瀬亮太郎
歴史・時代
征之進は小さい頃から市松人形が欲しかった。しかし大身旗本の嫡男が女の子のように人形遊びをするなど許されるはずもない。他人からも自分からもそんな気持を隠すように征之進は武芸に励み、今では道場の師範代を務めるまでになっていた。そんな征之進に結婚話が持ち込まれる。
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜
上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■
おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。
母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。
今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。
そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。
母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。
とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください!
※フィクションです。
※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。
皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです!
今後も精進してまいります!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる