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五十七 ハマ子(立浪春子)、父母を語る
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はまこ、ふぼをかたる
「父の、一番古い記憶は、アグラの中ですね。とにかく、小さい頃は、父に負ぶさってるか、抱っこされてるか、そんな記憶しか無いです」
「子煩悩だったんですね」
「そう。私にはとてもとても、真似できない」
そう言ってハマ子は笑う。
「お父様も、唄を・・・」
「そう、ぜんぜん、覚えてないんですが、父は、私をおぶって、三味線を弾いたそうです。私が二歳の頃から。函館の人がやっている一座で、毎年、弘前から青森まで、秋に巡業していたそうです」
「その一座というのは、いわゆる民謡一座ということでしょうか」
「うんと、それが違うのよ。歌舞伎の人たちと手妻、手品ね、それと北海道の兄弟の唄い手。それに、私の父と母。そういう一座だったそうですよ。だから、主は、民謡ではなくて、歌舞伎だったのでしょう」
「へえ、そうなんですね」
「そういう一座は珍しかった、と聞きましたね。普通は津軽の民謡の旅回りと言えば、腕に覚えのある三味線弾きと唄自慢が、何組も居て、競い合うように歌うような一座が多かったと聞きますでしょ。だから、ちょっとそういうものとは違う一座だったんでしょうね」
この日八月二十七日は、諏訪神社の初日。
朝の六時から取材が始まった。昼間は、祭りのことで、ハマ子は駆り出され、取材どころではない。逆に、その忙しく飛び回るハマ子を写真で撮り、話を訊くのは、早朝と夜になったのだった。
「その一座がどういう演目やっていたのかが、すごく興味がありますが、そういうのはご存じないですよね」
「はい、残念ながら。青森の大火があって、弘前・青森巡業は立ち消えになって、最後の年が私が六歳のときで、ちょうどその年から、私の修行が始まったのですが、歌舞伎ねえ・・・、覚えない。ただ、手品は蝶の舞、あれだけは、何となく記憶にある。それ以外は、まったく、覚えてないのよ」
「ありがとうございます、それで十分です。つまり、六歳から唄の修行が始まったのですね」
「そうですね。父のアグラの上に座って、三味線を覚えました。その教え方は、祖母譲りということでした。唄は母の真似をすることから」
「ちょっと待ってください。お父様の三味線の師匠は、ハマ子さんのお祖母様ということですか」
「あ、そうですよ。ただ、祖母のハマに、アグラの上で教わったのは、母のタケで、父は、その横に正座して、稽古をつけてもらったのです。二人ともハマの弟子で、一緒に教わったの」
「あああ、そういうこと。もともとお父様はお祖母様のお弟子さんで、後になって、お母様と一緒になられたのですね。お父様は津軽の方で、お祖母様とお母様が上越から移住された後に、お知り合いに」
「これも、古い話で、母からだいぶ後に聞いた話なんですが・・・、うーと、十三のお寺さんの境内で、父が地べたに座って、三味線を弾きながら唄うところを通りがかったんだそうです。母たちが十三に移り住んで間もない頃だったそうですね」
「そんな、全く偶然の縁なんですね。それで、お父様のタキゾウさんは、ハマ子さんのお祖母様のお弟子さんになった、ということですね」
「そうです。父の実家は、十三ではなくて、その少し上流(岩木川)の、金木というところだったから、ほぼ一日置きくらいに船で通ってきたということですよ。目が見えないのに」
「なんか、凄い話ですけど、目に浮かびますね。それ聞いていると」
「金木は、あの太宰治が生れたところですね」
「あ、そうか、そうですね」
後藤が思い出したように返した。
「父の生家も、太宰治の家ほどではないですが、裕福な農家だったそうで、だから、父は目が見えないのに三味線なんかが出来たんでしょうね」
「そうですか。ということは、ご実家の支援があって・・・、それでも、唄と三味線で生計を立てておられた」
「いえいえ、父は按摩の資格を持っていて、むしろそっちが本業だって聞きました。母は、祖母の代からやっている筵づくり、機織りです。それと、りんご農家が景気よくなってくると、その手伝いに行ってましたね。私も付いて行ったものです」
「いろいろやられてたんですね」
「そうですね、昔の人は、ほんと良く働きましたね。私なんかとは比べ物にならない。でも、田舎はね、贅沢しなければ、食べていかれるんですよ。都会と違って」
ハマ子は笑って、後藤が時間を気にした。
「もう少し大丈夫ですかね。話を戻しますが、六歳から修行を始めて・・・」
「そう、小学校一年に入学した年。金木第一尋常小学校です。それから、瞽女の年季と同じ、七年で一通りの修行をやって、名替えの儀式。襲名ですね。そこで『立浪』という名前をもらいました。立浪というのは、祖母の実家の屋号、というか名字で、もともとは漁船の名前だったそうですよ」
「へえ、凄い。そこから、もちろん立浪春子となっていくわけですよね」
「そうです、春子もね、祖母の旦那さんの名前、春治からもらったんですよ。漁師だった祖父の」
「そうなんですね。なんかすごい歴史。その、漁師のお祖父様は、どうして一緒に津軽に行かなかったのでしょか。立ち入ったことをお訊きしますが」
「そこよ。それがね、全く聞いたことがないし、私もぜんぜん母に尋ねなかったから、ぜんぜん知らないの。ごめんなさい。そこが大事なのにねえ」
「いえいえ、それでも、何か、想像しただけで・・・、すごく壮大な歴史ですね」
松本は関心しきりだった。その一方の後藤は、いよいよ、これは雑誌の一企画ではなく、単独の企画にすべきかもしれない、と想い始めていた。
ちょうどそこへ、蓮がハマ子を迎えに来た。
「おかさん、そろそろ来てけろ、ど」
尾花沢の諏訪神社は、源義経の家臣、鈴木重家の子孫が勧進した社で歴史は古いが、村人が信仰して参詣を始めるのは、現在の尾花沢小学校の場所にあった、代官所の代官が崇拝を始めた江戸時代以降だという。
御例祭の神事で奏でられる「尾花沢雅楽」は、最上川舟運により京の都より伝えられた宮廷雅楽の流れを汲むとされる。
祭りの朝、雅楽の演奏の後、振れ太鼓を先頭に、金装束の天狗、神輿、豊年踊り隊、そして祭ばやしの屋台が村の全域を周るというのが尾花沢諏訪神社の古式であった。
ただ、この年、昭和四十年の諏訪神社御例祭は、初めての催し物が企画されていた。これは、県全体の盛り上がりであり、その影響もあったが、「花笠音頭」のど自慢大会が開催されたのだ。
「花笠音頭」は、その元唄が、尾花沢で大正時代にできた。市を見下ろす丘の上に灌漑用水のための人造湖「徳良湖」が造られた。湖底は大勢の労働者によって搗き固められた。その時の掛け声が「土搗き唄」となって、祝い事の際に歌われ、県内に広がっていった。ただ、歌詞はそれぞれで、これを統一するという動きが、この頃になって出てきたのだ。その契機となったのが、蔵王祭りで行われていた花笠パレードが、切り出されて、山形市内で単独のパレードとして実施されたことであった。
その、統一された歌詞で、この年の八月五~七日、「第一回山形花笠祭り」の花笠踊りパレードが実施されたのである。
そのおよそ二十日後が、この尾花沢祭りであった。この「のど自慢大会」は、言わば「花笠音頭」歌詞統一記念の企画であるのだ。
大会審査終了後、優勝者の唄に合わせて、「奉納花笠踊り」で締めくくることになっている。
そして、その大会に、高橋蓮は小学生の部で出場する予定になっていた。
大会のステージは、櫓組みで、諏訪神社内の大鳥居横に仮設された。
後藤らは特別に、そのステージの上から撮影が許された。
午前九時、御輿の渡御行列がスタートする。
その開始を告げる「振れ太鼓」が九時前に大鳥居を出ていく。太鼓を叩くのは、三人の白装束に烏帽子姿の、小学高学年らしい三人の男子である。
少し間をおいて、金色装束に高下駄の天狗様が歩いていき、その後ろを神輿が来る。ここまでが神事である。
ここからが祭り巡行の始まり。
まず、持ち回りで町の青年会が踊る「豊年踊り」隊である。総勢で二十人ほどか。法被に襷、頭にはねじり鉢巻。何人かは先端に黒い房の付いた長い棒で踊る。文字通り、豊作を祝う踊りだが、踊り終えて移動しているときは、下世話な都々逸的なものを歌うんだと、ハマ子が後藤たちに教えた。
続いて、尾花沢雅楽を奏でながら祭り囃子屋台が進んでくる。その後ろが、蓮蔵とハマ子、そして彼らの弟子たちが乗る「踊り屋台」だ。
「こんな見ごたえのある祭りを想像してた。松本さん」
後藤は興奮して発した。
その祭り見物、いや取材で、あっという間に午前は過ぎていった。
お昼、後藤たちを気遣い、ハマ子が旅館までやってきた。
「後藤さん、美味しいお蕎麦、食べに行こう」
ハマ子が連れて行ったのは、諏訪神社から歩いてすぐの「福尾屋」という店。
「蕎麦はもちろん美味しいけど、中華そばもお勧め」
後藤と松本は悩む。撮影スタッフは大食い揃いで、遠慮なくその両方を注文。結局、それを後藤たちは分けてもらうことで決まった。
注文後、まず、どんぶり山盛りのナスの塩漬けが運ばれてきた。
「ここの漬物も自家製で美味しいですよ」
「え、こんなにいっぱい。サービス」
間もなく、蕎麦が運ばれてきた。
「ハマ子さん、この中華そば、香りがまず絶品ですね」
独特の風味の詳細は企業秘密だが、鶏ガラが関係しているらしい、とハマ子は説明した。
「この味は、津軽には無い」
午後一時半。のど自慢大会は、小学生の部から始まった。
三番目が蓮の番。
二番目までの唄を聴いて、やはりそれは、どのみち子供の出し物と高をくくった後藤たちは、度肝を抜かれた。
蓮だけは別格なのだ。それは小学生の歌唱ではなかった。
三味線を自ら弾きながら、花笠音頭を歌うその姿は、いっぱしの民謡歌手のようだ。
すでに修行五年目。あと二年で、名替えである。
そして、彼の師匠は、あの三津橋蓮太郎と立浪春子なのである。
当たり前と言えば当たり前だが、それにしても、これは、であった。
「松本さん、蓮くん、天才じゃない」
後から振り返れば、このうた自慢大会出場が、「三津橋蓮」のデビューだったかもしれない。
太鼓と掛け声は、蓮蔵、いや三津橋蓮太郎が付けた。
今想えば、これは大変貴重な、幻の名共演だった。
目出度目出度の若松様よ
枝も (チョイチョイ)
栄えて葉も茂る
(ハア ヤッショー マカショ)
おらがお国で自慢なものは
茄子と(チョイチョイ)
胡瓜と笠踊
(ハア ヤッショー マカショ)
ついて固めてでかした堤
水も(チョイチョイ)
漏らさぬ深い仲
(ハア ヤッショー マカショ)
おらが在所に来て見やしゃんせ
米の(チョイチョイ)
なる木がお辞儀する
(ハア ヤッショー マカショ)
花の山形紅葉の天童
雪を(チョイチョイ)
眺むる尾花沢
(ハア ヤッショー マカショ)
「父の、一番古い記憶は、アグラの中ですね。とにかく、小さい頃は、父に負ぶさってるか、抱っこされてるか、そんな記憶しか無いです」
「子煩悩だったんですね」
「そう。私にはとてもとても、真似できない」
そう言ってハマ子は笑う。
「お父様も、唄を・・・」
「そう、ぜんぜん、覚えてないんですが、父は、私をおぶって、三味線を弾いたそうです。私が二歳の頃から。函館の人がやっている一座で、毎年、弘前から青森まで、秋に巡業していたそうです」
「その一座というのは、いわゆる民謡一座ということでしょうか」
「うんと、それが違うのよ。歌舞伎の人たちと手妻、手品ね、それと北海道の兄弟の唄い手。それに、私の父と母。そういう一座だったそうですよ。だから、主は、民謡ではなくて、歌舞伎だったのでしょう」
「へえ、そうなんですね」
「そういう一座は珍しかった、と聞きましたね。普通は津軽の民謡の旅回りと言えば、腕に覚えのある三味線弾きと唄自慢が、何組も居て、競い合うように歌うような一座が多かったと聞きますでしょ。だから、ちょっとそういうものとは違う一座だったんでしょうね」
この日八月二十七日は、諏訪神社の初日。
朝の六時から取材が始まった。昼間は、祭りのことで、ハマ子は駆り出され、取材どころではない。逆に、その忙しく飛び回るハマ子を写真で撮り、話を訊くのは、早朝と夜になったのだった。
「その一座がどういう演目やっていたのかが、すごく興味がありますが、そういうのはご存じないですよね」
「はい、残念ながら。青森の大火があって、弘前・青森巡業は立ち消えになって、最後の年が私が六歳のときで、ちょうどその年から、私の修行が始まったのですが、歌舞伎ねえ・・・、覚えない。ただ、手品は蝶の舞、あれだけは、何となく記憶にある。それ以外は、まったく、覚えてないのよ」
「ありがとうございます、それで十分です。つまり、六歳から唄の修行が始まったのですね」
「そうですね。父のアグラの上に座って、三味線を覚えました。その教え方は、祖母譲りということでした。唄は母の真似をすることから」
「ちょっと待ってください。お父様の三味線の師匠は、ハマ子さんのお祖母様ということですか」
「あ、そうですよ。ただ、祖母のハマに、アグラの上で教わったのは、母のタケで、父は、その横に正座して、稽古をつけてもらったのです。二人ともハマの弟子で、一緒に教わったの」
「あああ、そういうこと。もともとお父様はお祖母様のお弟子さんで、後になって、お母様と一緒になられたのですね。お父様は津軽の方で、お祖母様とお母様が上越から移住された後に、お知り合いに」
「これも、古い話で、母からだいぶ後に聞いた話なんですが・・・、うーと、十三のお寺さんの境内で、父が地べたに座って、三味線を弾きながら唄うところを通りがかったんだそうです。母たちが十三に移り住んで間もない頃だったそうですね」
「そんな、全く偶然の縁なんですね。それで、お父様のタキゾウさんは、ハマ子さんのお祖母様のお弟子さんになった、ということですね」
「そうです。父の実家は、十三ではなくて、その少し上流(岩木川)の、金木というところだったから、ほぼ一日置きくらいに船で通ってきたということですよ。目が見えないのに」
「なんか、凄い話ですけど、目に浮かびますね。それ聞いていると」
「金木は、あの太宰治が生れたところですね」
「あ、そうか、そうですね」
後藤が思い出したように返した。
「父の生家も、太宰治の家ほどではないですが、裕福な農家だったそうで、だから、父は目が見えないのに三味線なんかが出来たんでしょうね」
「そうですか。ということは、ご実家の支援があって・・・、それでも、唄と三味線で生計を立てておられた」
「いえいえ、父は按摩の資格を持っていて、むしろそっちが本業だって聞きました。母は、祖母の代からやっている筵づくり、機織りです。それと、りんご農家が景気よくなってくると、その手伝いに行ってましたね。私も付いて行ったものです」
「いろいろやられてたんですね」
「そうですね、昔の人は、ほんと良く働きましたね。私なんかとは比べ物にならない。でも、田舎はね、贅沢しなければ、食べていかれるんですよ。都会と違って」
ハマ子は笑って、後藤が時間を気にした。
「もう少し大丈夫ですかね。話を戻しますが、六歳から修行を始めて・・・」
「そう、小学校一年に入学した年。金木第一尋常小学校です。それから、瞽女の年季と同じ、七年で一通りの修行をやって、名替えの儀式。襲名ですね。そこで『立浪』という名前をもらいました。立浪というのは、祖母の実家の屋号、というか名字で、もともとは漁船の名前だったそうですよ」
「へえ、凄い。そこから、もちろん立浪春子となっていくわけですよね」
「そうです、春子もね、祖母の旦那さんの名前、春治からもらったんですよ。漁師だった祖父の」
「そうなんですね。なんかすごい歴史。その、漁師のお祖父様は、どうして一緒に津軽に行かなかったのでしょか。立ち入ったことをお訊きしますが」
「そこよ。それがね、全く聞いたことがないし、私もぜんぜん母に尋ねなかったから、ぜんぜん知らないの。ごめんなさい。そこが大事なのにねえ」
「いえいえ、それでも、何か、想像しただけで・・・、すごく壮大な歴史ですね」
松本は関心しきりだった。その一方の後藤は、いよいよ、これは雑誌の一企画ではなく、単独の企画にすべきかもしれない、と想い始めていた。
ちょうどそこへ、蓮がハマ子を迎えに来た。
「おかさん、そろそろ来てけろ、ど」
尾花沢の諏訪神社は、源義経の家臣、鈴木重家の子孫が勧進した社で歴史は古いが、村人が信仰して参詣を始めるのは、現在の尾花沢小学校の場所にあった、代官所の代官が崇拝を始めた江戸時代以降だという。
御例祭の神事で奏でられる「尾花沢雅楽」は、最上川舟運により京の都より伝えられた宮廷雅楽の流れを汲むとされる。
祭りの朝、雅楽の演奏の後、振れ太鼓を先頭に、金装束の天狗、神輿、豊年踊り隊、そして祭ばやしの屋台が村の全域を周るというのが尾花沢諏訪神社の古式であった。
ただ、この年、昭和四十年の諏訪神社御例祭は、初めての催し物が企画されていた。これは、県全体の盛り上がりであり、その影響もあったが、「花笠音頭」のど自慢大会が開催されたのだ。
「花笠音頭」は、その元唄が、尾花沢で大正時代にできた。市を見下ろす丘の上に灌漑用水のための人造湖「徳良湖」が造られた。湖底は大勢の労働者によって搗き固められた。その時の掛け声が「土搗き唄」となって、祝い事の際に歌われ、県内に広がっていった。ただ、歌詞はそれぞれで、これを統一するという動きが、この頃になって出てきたのだ。その契機となったのが、蔵王祭りで行われていた花笠パレードが、切り出されて、山形市内で単独のパレードとして実施されたことであった。
その、統一された歌詞で、この年の八月五~七日、「第一回山形花笠祭り」の花笠踊りパレードが実施されたのである。
そのおよそ二十日後が、この尾花沢祭りであった。この「のど自慢大会」は、言わば「花笠音頭」歌詞統一記念の企画であるのだ。
大会審査終了後、優勝者の唄に合わせて、「奉納花笠踊り」で締めくくることになっている。
そして、その大会に、高橋蓮は小学生の部で出場する予定になっていた。
大会のステージは、櫓組みで、諏訪神社内の大鳥居横に仮設された。
後藤らは特別に、そのステージの上から撮影が許された。
午前九時、御輿の渡御行列がスタートする。
その開始を告げる「振れ太鼓」が九時前に大鳥居を出ていく。太鼓を叩くのは、三人の白装束に烏帽子姿の、小学高学年らしい三人の男子である。
少し間をおいて、金色装束に高下駄の天狗様が歩いていき、その後ろを神輿が来る。ここまでが神事である。
ここからが祭り巡行の始まり。
まず、持ち回りで町の青年会が踊る「豊年踊り」隊である。総勢で二十人ほどか。法被に襷、頭にはねじり鉢巻。何人かは先端に黒い房の付いた長い棒で踊る。文字通り、豊作を祝う踊りだが、踊り終えて移動しているときは、下世話な都々逸的なものを歌うんだと、ハマ子が後藤たちに教えた。
続いて、尾花沢雅楽を奏でながら祭り囃子屋台が進んでくる。その後ろが、蓮蔵とハマ子、そして彼らの弟子たちが乗る「踊り屋台」だ。
「こんな見ごたえのある祭りを想像してた。松本さん」
後藤は興奮して発した。
その祭り見物、いや取材で、あっという間に午前は過ぎていった。
お昼、後藤たちを気遣い、ハマ子が旅館までやってきた。
「後藤さん、美味しいお蕎麦、食べに行こう」
ハマ子が連れて行ったのは、諏訪神社から歩いてすぐの「福尾屋」という店。
「蕎麦はもちろん美味しいけど、中華そばもお勧め」
後藤と松本は悩む。撮影スタッフは大食い揃いで、遠慮なくその両方を注文。結局、それを後藤たちは分けてもらうことで決まった。
注文後、まず、どんぶり山盛りのナスの塩漬けが運ばれてきた。
「ここの漬物も自家製で美味しいですよ」
「え、こんなにいっぱい。サービス」
間もなく、蕎麦が運ばれてきた。
「ハマ子さん、この中華そば、香りがまず絶品ですね」
独特の風味の詳細は企業秘密だが、鶏ガラが関係しているらしい、とハマ子は説明した。
「この味は、津軽には無い」
午後一時半。のど自慢大会は、小学生の部から始まった。
三番目が蓮の番。
二番目までの唄を聴いて、やはりそれは、どのみち子供の出し物と高をくくった後藤たちは、度肝を抜かれた。
蓮だけは別格なのだ。それは小学生の歌唱ではなかった。
三味線を自ら弾きながら、花笠音頭を歌うその姿は、いっぱしの民謡歌手のようだ。
すでに修行五年目。あと二年で、名替えである。
そして、彼の師匠は、あの三津橋蓮太郎と立浪春子なのである。
当たり前と言えば当たり前だが、それにしても、これは、であった。
「松本さん、蓮くん、天才じゃない」
後から振り返れば、このうた自慢大会出場が、「三津橋蓮」のデビューだったかもしれない。
太鼓と掛け声は、蓮蔵、いや三津橋蓮太郎が付けた。
今想えば、これは大変貴重な、幻の名共演だった。
目出度目出度の若松様よ
枝も (チョイチョイ)
栄えて葉も茂る
(ハア ヤッショー マカショ)
おらがお国で自慢なものは
茄子と(チョイチョイ)
胡瓜と笠踊
(ハア ヤッショー マカショ)
ついて固めてでかした堤
水も(チョイチョイ)
漏らさぬ深い仲
(ハア ヤッショー マカショ)
おらが在所に来て見やしゃんせ
米の(チョイチョイ)
なる木がお辞儀する
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