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五十九 民謡大会出場と、「三津橋蓮太郎」との出会い
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みんようたいかいしゅつじょうと、「みつはしれんたろう」とのであい
祭り二日目、最終日の早朝。
「高橋蓮蔵、いや三津橋蓮太郎との出会いは、そうだね、私の人生を変えました。途中いろいろあったけど」
今朝は、撮影スタッフは同席していない。
「つまり、大地震の翌年、昭和九年ですね」
「青森県、第一回民謡大会。私、この大会に出るために、名前を立浪春子にしたんです。立浪は昨日も話しましたが、祖父の姓、春子も、祖父の名前、春治から取ってます。母タケの出世名が、小春。これも春治からきています。だから私は、本名は祖母から、芸名は祖父からなんです」
「そういう流れは、やはり、お祖母様、ハマさんのお考えがあったからですかね」
「そうだと思います。念、というか。昔の人だから、まっすぐ、好き、とは口には出さないけど、本当に春治さんのことが好きだったんだよ、って母が良く言ってました。感じたんですよね、一緒に暮らしていて」
後藤が割り込む。
「念と言われましたけど、そういう強い思いが立浪春子の名には込められているんですね」
「まあ、当の本人は、完全に名前負けだけどね」
そう言って、ハマ子はまた笑う。
「でもね、優勝できませんでしたが、後から訊いたら、最終まで残ってた、て。大会の後に、新聞のインタビュー受けて、知りました。そう言われても、負けは負けだから、その時は悔しいだけだった。でもね、そのかわりに、三津橋蓮太郎に会ったわけよ」
「すみません、勉強不足で。結果は」
「私は、蓮太郎が優勝だと思いました。何て言うか・・・、一音に対するこだわり、ですかね。どの一音を取っても、何となく出しているような音が無いの。大切に弾いている、というのか。でもね、結果は三番目」
「上手くいかないですね」
「まあ、この一回目の民謡大会の審査は、この津軽三味線界では、問題になって、いろいろ後々まで火種を残したみたいですよ。やっぱり、審査員がまだまだ、聴く耳が無い、というか育ってないというか。まあ、一回目だからね。まあ、負け惜しみ言っても仕方ないし、だけど、私には蓮太郎はすごかった」
「なるほど。運命の出会いですね、ついに。それからどうなりました」
「私から蓮太郎を訪ねて行って、すぐに意気投合。翌春から、旅回りですよ、ちょっと」
ここで、ハマ子は、麦茶を皆に出す、と台所に立っていった。
「それでね、旅回りを始めたのは良いんだけど、すぐに戦争が始まったでしょ。東北の田舎を周っていたから良かったけど、ゴタゴタして何やってるのか分からない時代。結局、津軽に戻って、そうこうしているうちに、母が亡くなってね。昭和十六年(一九四一年)。父が亡くなってから、何かと調子が悪かった母が、ようやく元の母に戻って、近所の人たちと山菜採りだ、キノコ採りだって行っていたのにね。悲しくてね。何もできなくなって、私。それでも、少し経って、声かけてくれる一座があって、北海道巡業を始めたのね。お父さん、終戦の年だね」
ハマ子が確認するのに、蓮蔵は頷いた。
「すごい空襲。小樽に居たからね。直撃はしなかったけど」
「それでも、無事に。その後は」
「半月くらい、函館に居たね。その後どうにか、津軽に戻って。それからが、いろいろあってね。お父さんとも、コンビをやめて、一人上京したりね。これは、お父さんにも話したことないんだね、あんまり」
後藤が再び割り込む。
「ハマ子さんが、書いてほしくないことは書きません。ただ、差し支えない範囲でお聞かせください」
「うん、良いのよ。私も話すつもりでいるから。ただ、この後、ちょっと呼ばれているのね。息子がのど自慢で優勝なんてするもんだから、急遽、私とお父さんに声がかかってね。唄ってくれって。何年ぶりかね」
そう言っている矢先に、迎えが来た。
急遽、撮影スタッフを伴い、後藤らは、諏訪神社の参道の櫓に向かった。
全くの俄仕立て、それでも昔とった杵柄、司会が無くとも、単独の唄会は始まった。それが、そもそもの唄会のスタイルである。
蓮蔵が三味線の音合わせを始める。わざと大きな音で合わせるのだ。客寄せのためだ。
もっとも、神社の参道は祭りの出店が立ち並び、人通りは激しい。すぐに櫓の周りは人だかりができた。
商工会の会長が櫓に上がって、事情をまず説明する。
「皆さん、こんにちは。商工会の鈴木です。いつもどうもっす。今日は、急遽、昨日のど自慢大会、小学生の部で優勝した高橋蓮くんのお父さんとお母さんに、ぜひ、唄ってけろ、てお願いしたどごろ、良いよって言ってくれましたので、来てもらいました。俺も勉強不足で、実は昨日まで、あんまり知らねがったのよ。でもね、聞いだら、こんな大変な人が居だけながあって、びっくりしたのよ。それで、急にお願いしたんだ。それでは、よろしくお願いします」
「突然すみません。高橋ハマ子と言います。普段は唄を教えています。三味線は私の夫、蓮蔵です」
知っている人は、この人達が高橋蓮の父母である、と分かり、声々に出した。
「今日は、もう十年以上ぶりで、お父さんと二人で唄います。オバネ(尾花沢)には、十年前に来ました。息子の蓮を、ここで産みました。いろんな人にお世話になって、やってきました。今日は、せっかくこういう場をいただきましたので、恩返しのつもりで、唄います。ちなみに、自慢しますが、お父さんの昔の芸名は、三津橋蓮太郎。私が、立浪春子と言います。改めてよろしくお願いします。私達は津軽で生れ、育ちました。私は母も、祖母も唄を演っていました。だから、蓮は四代目。最初に歌うのは、津軽小原節という名で知られる唄です。これは、私の父と母が函館巡業の時に初めて聴いて感動したそうで、もとは薩摩の小原節という唄が、あちこちで歌われているうちに変わっていったそうで、私は母から、子供の頃、相聞おはら節として教わりました。私の母から聞いた話では、この唄は、父と母が小原節を、歌詞も津軽の内容にして編曲した、と言っていましたが、本当かどうかは知りません」
笑いが起こる。
その笑いが消える頃のタイミングで、蓮蔵の三味線が鳴った。
サァ アーアア サア出したがよいやー アーアー
アー津軽名物あの七不思議 世にも珍し不思議なことよ
西海岸は北金ヶ沢 ここの銘木銀杏の幹は アーアー
幾星霜の今の世に 神の御授けお乳が出るよ
同じ郡の十三村は 夏冬通して雪囲い イーイー
アー雨が降っても草履はく 北の郡は金木町
嘉瀬と金木の間の川コ~ 小石流れて木の葉が沈む ウーウー
アーここの隣りの長富堤 春秋変わらぬ浮島ござる
葦に節なし黄金葦 ウーウー
一度来てみよ オー オハラ四方の君
それは観客の油断を、根底から吹き飛ばす演奏であった。
大きな拍手と歓声が沸き起こる。
「松本さん、これだよ、これ、これが立浪春子の唄声。なんで録音機材持ってこなかったかなあ」
伸びのある高音。張りのある節回しは健在であった。
そして、しっかりとして繊細だが、唄を邪魔せず、盛り立てる三味線は、まさに長作坊の魂を受け継いだものである。
「ありがとうございます。我ながら、十年のブランクを、あんまり感じさせないで、唄えました」
再び笑いが起こる。
「皆さん。昨日は、花笠音頭を息子が歌わせてもらいました。いい歌です。本当にふるさとの良いところを織り込んだ名曲です。今想い返せば、この唄のおかげで、私とお父さんは、ここに住もうと決めました。そういう私が最も好きな唄です。聴いてください。最上川舟唄。蓮、来い」
ハマ子が呼んで、蓮が三味線を持って、櫓に上がってきた。
蓮蔵は、三味線を尺八に変える。
少し、尺八の音で三味線の糸を合わせる。
そして、ハマ子の指揮で、演奏が始まる。
掛け声に蓮蔵も加わる。
ヨーイサノマガショ エンヤコラマガセ
エーエンヤーエーエエンヤーエーエエ
エーエエンヤーエード
ヨーイサノマガショ エンヤコラマカセ
酒田さ行ぐはげ 達者でろちゃなあ
ヨイドコラサノセー
流行風邪など ひがねよ~に
エーエンヤーエーエエンヤーエーエエ
エーエエンヤーエード
ヨーイサノマガショ エンヤコラマガセ
股大根の塩汁煮
塩じょっぱくて 喰らわんねえちゃ
エーエンヤーエーエエンヤーエーエエ
エーエエンヤーエード
ヨーイサノマガショ エンヤコラマガセ
祭り二日目、最終日の早朝。
「高橋蓮蔵、いや三津橋蓮太郎との出会いは、そうだね、私の人生を変えました。途中いろいろあったけど」
今朝は、撮影スタッフは同席していない。
「つまり、大地震の翌年、昭和九年ですね」
「青森県、第一回民謡大会。私、この大会に出るために、名前を立浪春子にしたんです。立浪は昨日も話しましたが、祖父の姓、春子も、祖父の名前、春治から取ってます。母タケの出世名が、小春。これも春治からきています。だから私は、本名は祖母から、芸名は祖父からなんです」
「そういう流れは、やはり、お祖母様、ハマさんのお考えがあったからですかね」
「そうだと思います。念、というか。昔の人だから、まっすぐ、好き、とは口には出さないけど、本当に春治さんのことが好きだったんだよ、って母が良く言ってました。感じたんですよね、一緒に暮らしていて」
後藤が割り込む。
「念と言われましたけど、そういう強い思いが立浪春子の名には込められているんですね」
「まあ、当の本人は、完全に名前負けだけどね」
そう言って、ハマ子はまた笑う。
「でもね、優勝できませんでしたが、後から訊いたら、最終まで残ってた、て。大会の後に、新聞のインタビュー受けて、知りました。そう言われても、負けは負けだから、その時は悔しいだけだった。でもね、そのかわりに、三津橋蓮太郎に会ったわけよ」
「すみません、勉強不足で。結果は」
「私は、蓮太郎が優勝だと思いました。何て言うか・・・、一音に対するこだわり、ですかね。どの一音を取っても、何となく出しているような音が無いの。大切に弾いている、というのか。でもね、結果は三番目」
「上手くいかないですね」
「まあ、この一回目の民謡大会の審査は、この津軽三味線界では、問題になって、いろいろ後々まで火種を残したみたいですよ。やっぱり、審査員がまだまだ、聴く耳が無い、というか育ってないというか。まあ、一回目だからね。まあ、負け惜しみ言っても仕方ないし、だけど、私には蓮太郎はすごかった」
「なるほど。運命の出会いですね、ついに。それからどうなりました」
「私から蓮太郎を訪ねて行って、すぐに意気投合。翌春から、旅回りですよ、ちょっと」
ここで、ハマ子は、麦茶を皆に出す、と台所に立っていった。
「それでね、旅回りを始めたのは良いんだけど、すぐに戦争が始まったでしょ。東北の田舎を周っていたから良かったけど、ゴタゴタして何やってるのか分からない時代。結局、津軽に戻って、そうこうしているうちに、母が亡くなってね。昭和十六年(一九四一年)。父が亡くなってから、何かと調子が悪かった母が、ようやく元の母に戻って、近所の人たちと山菜採りだ、キノコ採りだって行っていたのにね。悲しくてね。何もできなくなって、私。それでも、少し経って、声かけてくれる一座があって、北海道巡業を始めたのね。お父さん、終戦の年だね」
ハマ子が確認するのに、蓮蔵は頷いた。
「すごい空襲。小樽に居たからね。直撃はしなかったけど」
「それでも、無事に。その後は」
「半月くらい、函館に居たね。その後どうにか、津軽に戻って。それからが、いろいろあってね。お父さんとも、コンビをやめて、一人上京したりね。これは、お父さんにも話したことないんだね、あんまり」
後藤が再び割り込む。
「ハマ子さんが、書いてほしくないことは書きません。ただ、差し支えない範囲でお聞かせください」
「うん、良いのよ。私も話すつもりでいるから。ただ、この後、ちょっと呼ばれているのね。息子がのど自慢で優勝なんてするもんだから、急遽、私とお父さんに声がかかってね。唄ってくれって。何年ぶりかね」
そう言っている矢先に、迎えが来た。
急遽、撮影スタッフを伴い、後藤らは、諏訪神社の参道の櫓に向かった。
全くの俄仕立て、それでも昔とった杵柄、司会が無くとも、単独の唄会は始まった。それが、そもそもの唄会のスタイルである。
蓮蔵が三味線の音合わせを始める。わざと大きな音で合わせるのだ。客寄せのためだ。
もっとも、神社の参道は祭りの出店が立ち並び、人通りは激しい。すぐに櫓の周りは人だかりができた。
商工会の会長が櫓に上がって、事情をまず説明する。
「皆さん、こんにちは。商工会の鈴木です。いつもどうもっす。今日は、急遽、昨日のど自慢大会、小学生の部で優勝した高橋蓮くんのお父さんとお母さんに、ぜひ、唄ってけろ、てお願いしたどごろ、良いよって言ってくれましたので、来てもらいました。俺も勉強不足で、実は昨日まで、あんまり知らねがったのよ。でもね、聞いだら、こんな大変な人が居だけながあって、びっくりしたのよ。それで、急にお願いしたんだ。それでは、よろしくお願いします」
「突然すみません。高橋ハマ子と言います。普段は唄を教えています。三味線は私の夫、蓮蔵です」
知っている人は、この人達が高橋蓮の父母である、と分かり、声々に出した。
「今日は、もう十年以上ぶりで、お父さんと二人で唄います。オバネ(尾花沢)には、十年前に来ました。息子の蓮を、ここで産みました。いろんな人にお世話になって、やってきました。今日は、せっかくこういう場をいただきましたので、恩返しのつもりで、唄います。ちなみに、自慢しますが、お父さんの昔の芸名は、三津橋蓮太郎。私が、立浪春子と言います。改めてよろしくお願いします。私達は津軽で生れ、育ちました。私は母も、祖母も唄を演っていました。だから、蓮は四代目。最初に歌うのは、津軽小原節という名で知られる唄です。これは、私の父と母が函館巡業の時に初めて聴いて感動したそうで、もとは薩摩の小原節という唄が、あちこちで歌われているうちに変わっていったそうで、私は母から、子供の頃、相聞おはら節として教わりました。私の母から聞いた話では、この唄は、父と母が小原節を、歌詞も津軽の内容にして編曲した、と言っていましたが、本当かどうかは知りません」
笑いが起こる。
その笑いが消える頃のタイミングで、蓮蔵の三味線が鳴った。
サァ アーアア サア出したがよいやー アーアー
アー津軽名物あの七不思議 世にも珍し不思議なことよ
西海岸は北金ヶ沢 ここの銘木銀杏の幹は アーアー
幾星霜の今の世に 神の御授けお乳が出るよ
同じ郡の十三村は 夏冬通して雪囲い イーイー
アー雨が降っても草履はく 北の郡は金木町
嘉瀬と金木の間の川コ~ 小石流れて木の葉が沈む ウーウー
アーここの隣りの長富堤 春秋変わらぬ浮島ござる
葦に節なし黄金葦 ウーウー
一度来てみよ オー オハラ四方の君
それは観客の油断を、根底から吹き飛ばす演奏であった。
大きな拍手と歓声が沸き起こる。
「松本さん、これだよ、これ、これが立浪春子の唄声。なんで録音機材持ってこなかったかなあ」
伸びのある高音。張りのある節回しは健在であった。
そして、しっかりとして繊細だが、唄を邪魔せず、盛り立てる三味線は、まさに長作坊の魂を受け継いだものである。
「ありがとうございます。我ながら、十年のブランクを、あんまり感じさせないで、唄えました」
再び笑いが起こる。
「皆さん。昨日は、花笠音頭を息子が歌わせてもらいました。いい歌です。本当にふるさとの良いところを織り込んだ名曲です。今想い返せば、この唄のおかげで、私とお父さんは、ここに住もうと決めました。そういう私が最も好きな唄です。聴いてください。最上川舟唄。蓮、来い」
ハマ子が呼んで、蓮が三味線を持って、櫓に上がってきた。
蓮蔵は、三味線を尺八に変える。
少し、尺八の音で三味線の糸を合わせる。
そして、ハマ子の指揮で、演奏が始まる。
掛け声に蓮蔵も加わる。
ヨーイサノマガショ エンヤコラマガセ
エーエンヤーエーエエンヤーエーエエ
エーエエンヤーエード
ヨーイサノマガショ エンヤコラマカセ
酒田さ行ぐはげ 達者でろちゃなあ
ヨイドコラサノセー
流行風邪など ひがねよ~に
エーエンヤーエーエエンヤーエーエエ
エーエエンヤーエード
ヨーイサノマガショ エンヤコラマガセ
股大根の塩汁煮
塩じょっぱくて 喰らわんねえちゃ
エーエンヤーエーエエンヤーエーエエ
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