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第11章 至誠にして動かざるは未だこれ非ざるなり
8 寅次郎対江戸幕府
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藩邸内における周布との会話から約十五日後、寅次郎は遂に評定所に呼び出されて幕吏から訊問されることになった。
寅次郎は幕府の下級役人達によって評定所のお白洲の場へと連行されると、そのまま御座の上に無造作に座らされ、真夏の炎天下の中、奉行達の到着を待っていた。
すでに覚悟が固まっていた寅次郎は、涼し気な顔をしながら奉行達がやって来るのを待ち、やがて町奉行の石谷因幡守穆清と勘定奉行の池田播磨守頼方、寺社奉行の松平伯耆守宗秀の三奉行が姿を現して着座すると、動揺の色一つ見せることなく深々と頭を垂れて平伏した。
「面を上げよ」
三奉行の一人である池田播磨守が仏頂面で寅次郎に命じると、寅次郎はその言葉に従って面を上げた。
「長州浪人吉田寅次郎。これよりお主をこの評定所にて吟味致す」
池田播磨守は仏頂面のまま訊問の開始を告げる。
「お主に問いたきことは二つある。一つは梅田雲浜との密議について、もう一つは御所内で見つかった落文についてじゃ」
松平伯耆守が険しい表情で言うと続けて、
「お主が二年程前に梅田雲浜と萩で会って話をしているということは既に調べで分かっておる。梅田雲浜は京の公卿達を焚きつけて、先の条約調印に必要な勅許の会得を妨害した大罪人。その大罪人の雲浜がわざわざ京からお主のおる萩まで足を運ぶとは、余程大事な密議があったに相違ないと儂は見ておる。もし何か異議があるならば、今この場で申してみよ」
と寅次郎に雲浜との関係性を問いただした。
「確かに梅田雲浜と萩でお会いましたが密議などはしちょりませぬ。ただとりとめのない世間話をしただけであります」
寅次郎は至極冷静な様子で伯耆守の質問に答える。
「そもそも僕の志は彼の志とは異なりますので、行動を共にするなど決してありえぬことなのであります。じゃけぇ僕にはこれ以上梅田雲浜について話すことはござりませぬ」
寅次郎はきっぱりと雲浜との関係について否定した。
「相分かった。ではもう一つ、御所内で見つかった落文についてはどうじゃ?」
伯耆守は険しい表情を一切崩すことなく二つ目の質問をすると、懐から書状を取り出して寅次郎に見せつける。
「この落文に書かれておる内容は御政道への批判が主であり、巷ではお主の筆跡とよう似ているという噂が立っている。これはお主が書いたものに相違ないか?」
伯耆守が尋ねると寅次郎は軽く笑って、
「僕はそねー姑息な真似は致しませぬ。僕はあくまでも公正明大であることを好むけぇ、どねーして落文などの隠事を致しましょうか。それにその筆跡は僕のものではなく、また落文に使われた紙と僕がいつも使っちょる紙は違うものじゃけぇ、疑われるのは筋違いであります」
と落文の容疑についても否定した。
「左様か。ならば吟味はこれで終いじゃ」
松平伯耆守は訊問の終わりを告げると、寅次郎は拍子抜けしたのか、大層驚いた表情をしている。
「最後に何か申したきことがあれば、遠慮なく申してみよ」
驚いた表情をしている寅次郎に対して伯耆守が質問を促すと、寅次郎は我に返って自説をべらべらと語り始めた。
「ぺルリの黒船に密航するんに失敗して幽閉の身となってからも、帝のため、国のためを思い様々な策を講じ、この神州を侵略せんとしちょる夷狄を憎まなかったことは、ただの一度もございませんでした」
自説を語る寅次郎は吟味中ずっと日差しに晒されていたせいもあってか、いつも以上に熱気を帯びている。
「昨年勅許がないままメリケンと通商条約を結んだのは、世界の情勢を鑑みても止むを得なきことと承知しちょりますが、尊王の志厚き者達を不当に捕縛せしめ、苛烈な拷問に処したことは許されざる愚行じゃと僕は思うとります。じゃけぇ僕は大原卿を長州に出迎えて挙兵する策を練ったり、元凶たる間部老中を京にて誅殺しようと試みましたが全て失敗に終わりました」
寅次郎の自説を聞いていた三奉行達は終始眉をひそめていたが、間部暗殺の下りを聞いた辺りで遂に堪忍袋の緒が切れたのか、町奉行の石谷因幡守が声を荒げて、
「卑しき身の上の分際で、国家の事を議するとは甚だ不届きである! それに御老中の間部様の暗殺を企もうなど言語道断! 覚悟はできておるのであろうな?」
と寅次郎を詰問した。
「覚悟なら当にできちょります。僕が此度この評定所に出向いたのは、貴方方幕府の役人の過ちを正すためであり、その為に命を落とすこととなったとしても後悔はないのであります。このまま有志の者を捕縛し続けるのであれば、この神州はきっと夷狄の餌食となりましょう。そねーなことになる前に、今一度お考えをお改め下さいますようお願い申し上げまする」
寅次郎は因幡守に怯むことなく、あくまでも自身の主張を貫き通す。
「なるほど、お主の国を憂うる心はよう分かった」
池田播磨守が落ち着き払った様子で言う。
「じゃが奉行としてお主の言動をこのまま捨て置くわけにはいかぬ。よってお主には伝馬獄の西奥揚屋入りを命ずる。伝馬獄内で己の罪と存分に向き合うがよい」
播磨守は寅次郎に伝馬獄入りを命ずると、側にいた下級役人達に命じてお白洲の場から寅次郎を退場させた。
寅次郎は幕府の下級役人達によって評定所のお白洲の場へと連行されると、そのまま御座の上に無造作に座らされ、真夏の炎天下の中、奉行達の到着を待っていた。
すでに覚悟が固まっていた寅次郎は、涼し気な顔をしながら奉行達がやって来るのを待ち、やがて町奉行の石谷因幡守穆清と勘定奉行の池田播磨守頼方、寺社奉行の松平伯耆守宗秀の三奉行が姿を現して着座すると、動揺の色一つ見せることなく深々と頭を垂れて平伏した。
「面を上げよ」
三奉行の一人である池田播磨守が仏頂面で寅次郎に命じると、寅次郎はその言葉に従って面を上げた。
「長州浪人吉田寅次郎。これよりお主をこの評定所にて吟味致す」
池田播磨守は仏頂面のまま訊問の開始を告げる。
「お主に問いたきことは二つある。一つは梅田雲浜との密議について、もう一つは御所内で見つかった落文についてじゃ」
松平伯耆守が険しい表情で言うと続けて、
「お主が二年程前に梅田雲浜と萩で会って話をしているということは既に調べで分かっておる。梅田雲浜は京の公卿達を焚きつけて、先の条約調印に必要な勅許の会得を妨害した大罪人。その大罪人の雲浜がわざわざ京からお主のおる萩まで足を運ぶとは、余程大事な密議があったに相違ないと儂は見ておる。もし何か異議があるならば、今この場で申してみよ」
と寅次郎に雲浜との関係性を問いただした。
「確かに梅田雲浜と萩でお会いましたが密議などはしちょりませぬ。ただとりとめのない世間話をしただけであります」
寅次郎は至極冷静な様子で伯耆守の質問に答える。
「そもそも僕の志は彼の志とは異なりますので、行動を共にするなど決してありえぬことなのであります。じゃけぇ僕にはこれ以上梅田雲浜について話すことはござりませぬ」
寅次郎はきっぱりと雲浜との関係について否定した。
「相分かった。ではもう一つ、御所内で見つかった落文についてはどうじゃ?」
伯耆守は険しい表情を一切崩すことなく二つ目の質問をすると、懐から書状を取り出して寅次郎に見せつける。
「この落文に書かれておる内容は御政道への批判が主であり、巷ではお主の筆跡とよう似ているという噂が立っている。これはお主が書いたものに相違ないか?」
伯耆守が尋ねると寅次郎は軽く笑って、
「僕はそねー姑息な真似は致しませぬ。僕はあくまでも公正明大であることを好むけぇ、どねーして落文などの隠事を致しましょうか。それにその筆跡は僕のものではなく、また落文に使われた紙と僕がいつも使っちょる紙は違うものじゃけぇ、疑われるのは筋違いであります」
と落文の容疑についても否定した。
「左様か。ならば吟味はこれで終いじゃ」
松平伯耆守は訊問の終わりを告げると、寅次郎は拍子抜けしたのか、大層驚いた表情をしている。
「最後に何か申したきことがあれば、遠慮なく申してみよ」
驚いた表情をしている寅次郎に対して伯耆守が質問を促すと、寅次郎は我に返って自説をべらべらと語り始めた。
「ぺルリの黒船に密航するんに失敗して幽閉の身となってからも、帝のため、国のためを思い様々な策を講じ、この神州を侵略せんとしちょる夷狄を憎まなかったことは、ただの一度もございませんでした」
自説を語る寅次郎は吟味中ずっと日差しに晒されていたせいもあってか、いつも以上に熱気を帯びている。
「昨年勅許がないままメリケンと通商条約を結んだのは、世界の情勢を鑑みても止むを得なきことと承知しちょりますが、尊王の志厚き者達を不当に捕縛せしめ、苛烈な拷問に処したことは許されざる愚行じゃと僕は思うとります。じゃけぇ僕は大原卿を長州に出迎えて挙兵する策を練ったり、元凶たる間部老中を京にて誅殺しようと試みましたが全て失敗に終わりました」
寅次郎の自説を聞いていた三奉行達は終始眉をひそめていたが、間部暗殺の下りを聞いた辺りで遂に堪忍袋の緒が切れたのか、町奉行の石谷因幡守が声を荒げて、
「卑しき身の上の分際で、国家の事を議するとは甚だ不届きである! それに御老中の間部様の暗殺を企もうなど言語道断! 覚悟はできておるのであろうな?」
と寅次郎を詰問した。
「覚悟なら当にできちょります。僕が此度この評定所に出向いたのは、貴方方幕府の役人の過ちを正すためであり、その為に命を落とすこととなったとしても後悔はないのであります。このまま有志の者を捕縛し続けるのであれば、この神州はきっと夷狄の餌食となりましょう。そねーなことになる前に、今一度お考えをお改め下さいますようお願い申し上げまする」
寅次郎は因幡守に怯むことなく、あくまでも自身の主張を貫き通す。
「なるほど、お主の国を憂うる心はよう分かった」
池田播磨守が落ち着き払った様子で言う。
「じゃが奉行としてお主の言動をこのまま捨て置くわけにはいかぬ。よってお主には伝馬獄の西奥揚屋入りを命ずる。伝馬獄内で己の罪と存分に向き合うがよい」
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