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第17章 晋作、海外に雄飛す
6 晋作と小忠太
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定広から上海行きの藩命を命じられた翌日、晋作は藩主に付き従って江戸にやって来て、今は麻布の長州屋敷に詰めている父小忠太の部屋を訪ね、自身に下された藩命について報告をしていた。
「わしの性は鈍にして、才は疎でありますが、はからずも上海行きっちゅう大命を若殿様から命じられました。海外に行けることはこの上なく名誉でうれしいことではありますが、正直ゆうてわしには荷が重く、全うできる自信が全くございません」
小忠太に上海行きが決まったことを告げる晋作の表情は憂いに満ちている。
「それに我が高杉家はわし以外男子がおらず、わしにもしものことがあれば洞春公以来三百年近く続いた高杉の家は、血は途絶えてしまいます。そねぇなことになったらわしは先祖の霊に対して何とお詫び申し上げればええものか……」
自身に課された藩命の重さと高杉家の嫡男としての責任に押しつぶされそうになっていた晋作は一体どうしたらいいか分からずただただ嘆くばかりだ。
「一体何を迷うとるのじゃ、晋作」
小忠太がきつい口調で言う。
「若殿様から上海行きの藩命を命じられたんなら、身命を賭してその藩命を果たすことだけ考えればええ。余計なことは考えるな」
思い悩む息子に対し、小忠太はあくまで毅然とした態度で臨んだ。
「ち、父上? 何故かような……」
あれほど高杉の家の存続に拘っていた小忠太から意外な返答がかえってきたため、晋作は驚きを隠せずにいる。
「儂等は毛利家にお仕えする侍じゃけぇ、一度下った藩命を何があっても必ず全うせねばいけんのんじゃ。それが長州の武家に生まれたものの定めじゃからな。確かに今のお前に上海行きの大命を成し遂げられるとは到底思えん。思えんがそれでも成し遂げねばならぬ。藩命は命よりも重いものであるからな」
小忠太は主君から下された藩命が如何に大事なものであるか滔滔と語ると続けて、
「それと高杉家のことは心配せんでええ。仮にお前の身に何かあったとしても、高杉家はよきにはからうと若殿様が仰ってくれたからの。じゃけぇお前は藩命を無事成し遂げることだけを気にかけろ」
と家のことを気にする必要性がないことを伝えた。
「真でございますか! 若殿様が真にそねぇなことを……」
「真じゃ。若殿様はお前が高杉家のことを気にかけとるんを気にかけとったけぇ、お前に上海行きの藩命を下す前に儂に会いに来て下さったのじゃ。その時に我が毛利家の威信にかけて必ず高杉家を潰さぬように取り計らうことを約束して下さった。若殿様には深く感謝せねばいけんな」
小忠太が諭すような口調で定広の真意について話すと、晋作は、
「こねぇええ主にお仕えできてわしはまっこと幸せ者じゃの。今になって気付かされるとはわしはなんて愚かなんじゃろうか」
と感謝の念と申し訳なさで一杯になった。
「それと家の者、特にお雅には必ず文を書くことを忘れるな。お雅はお前がずっと家を留守にしている間も高杉家の女子として辛抱強く家を支えとる。いずれ高杉家の主となるのであれば家の者、特に妻には気をかけてやらねばいけん」
お雅が晋作と離れ離れになっている期間の方が長いことで内心心寂しくしているのを知っていた小忠太が釘を刺す。
「分かっとります。お雅には必ず文を書きますし、無事藩命を果たして萩に戻れたならば、お雅にはいろいろ海外の話をしてやるつもりでおります」
小忠太に言われるまでもなくお雅のことを大事に思っている晋作は何を今更と言わんばかりの様子だ。
「ならええ。これからお前は遠く離れた異国の地へと旅立つことになるけぇ、身体を壊さぬようくれぐれも気を付けるのじゃぞ」
先程までと違って小忠太が心配そうな様子で労いの言葉をかけると、
「それも分かっとります。父上の方こそ体にお気をつけてくだされ」
父親と話をしたことで完全に迷いがふっきれた晋作が力強く笑いながら言った。
この会話から数日後の文久二(一八六二)年一月三日、晋作は上海行きの幕府の軍艦が停泊している長崎に向けて江戸を発った。
「わしの性は鈍にして、才は疎でありますが、はからずも上海行きっちゅう大命を若殿様から命じられました。海外に行けることはこの上なく名誉でうれしいことではありますが、正直ゆうてわしには荷が重く、全うできる自信が全くございません」
小忠太に上海行きが決まったことを告げる晋作の表情は憂いに満ちている。
「それに我が高杉家はわし以外男子がおらず、わしにもしものことがあれば洞春公以来三百年近く続いた高杉の家は、血は途絶えてしまいます。そねぇなことになったらわしは先祖の霊に対して何とお詫び申し上げればええものか……」
自身に課された藩命の重さと高杉家の嫡男としての責任に押しつぶされそうになっていた晋作は一体どうしたらいいか分からずただただ嘆くばかりだ。
「一体何を迷うとるのじゃ、晋作」
小忠太がきつい口調で言う。
「若殿様から上海行きの藩命を命じられたんなら、身命を賭してその藩命を果たすことだけ考えればええ。余計なことは考えるな」
思い悩む息子に対し、小忠太はあくまで毅然とした態度で臨んだ。
「ち、父上? 何故かような……」
あれほど高杉の家の存続に拘っていた小忠太から意外な返答がかえってきたため、晋作は驚きを隠せずにいる。
「儂等は毛利家にお仕えする侍じゃけぇ、一度下った藩命を何があっても必ず全うせねばいけんのんじゃ。それが長州の武家に生まれたものの定めじゃからな。確かに今のお前に上海行きの大命を成し遂げられるとは到底思えん。思えんがそれでも成し遂げねばならぬ。藩命は命よりも重いものであるからな」
小忠太は主君から下された藩命が如何に大事なものであるか滔滔と語ると続けて、
「それと高杉家のことは心配せんでええ。仮にお前の身に何かあったとしても、高杉家はよきにはからうと若殿様が仰ってくれたからの。じゃけぇお前は藩命を無事成し遂げることだけを気にかけろ」
と家のことを気にする必要性がないことを伝えた。
「真でございますか! 若殿様が真にそねぇなことを……」
「真じゃ。若殿様はお前が高杉家のことを気にかけとるんを気にかけとったけぇ、お前に上海行きの藩命を下す前に儂に会いに来て下さったのじゃ。その時に我が毛利家の威信にかけて必ず高杉家を潰さぬように取り計らうことを約束して下さった。若殿様には深く感謝せねばいけんな」
小忠太が諭すような口調で定広の真意について話すと、晋作は、
「こねぇええ主にお仕えできてわしはまっこと幸せ者じゃの。今になって気付かされるとはわしはなんて愚かなんじゃろうか」
と感謝の念と申し訳なさで一杯になった。
「それと家の者、特にお雅には必ず文を書くことを忘れるな。お雅はお前がずっと家を留守にしている間も高杉家の女子として辛抱強く家を支えとる。いずれ高杉家の主となるのであれば家の者、特に妻には気をかけてやらねばいけん」
お雅が晋作と離れ離れになっている期間の方が長いことで内心心寂しくしているのを知っていた小忠太が釘を刺す。
「分かっとります。お雅には必ず文を書きますし、無事藩命を果たして萩に戻れたならば、お雅にはいろいろ海外の話をしてやるつもりでおります」
小忠太に言われるまでもなくお雅のことを大事に思っている晋作は何を今更と言わんばかりの様子だ。
「ならええ。これからお前は遠く離れた異国の地へと旅立つことになるけぇ、身体を壊さぬようくれぐれも気を付けるのじゃぞ」
先程までと違って小忠太が心配そうな様子で労いの言葉をかけると、
「それも分かっとります。父上の方こそ体にお気をつけてくだされ」
父親と話をしたことで完全に迷いがふっきれた晋作が力強く笑いながら言った。
この会話から数日後の文久二(一八六二)年一月三日、晋作は上海行きの幕府の軍艦が停泊している長崎に向けて江戸を発った。
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