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第17章 晋作、海外に雄飛す
7 坂下門外の変
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晋作が長崎に向けて旅に出てから十二日後の一月十五日、江戸城西の丸下にある磐城平藩の上屋敷の一室にて、老中の安藤対馬守が小姓達を使って寝巻から直垂にお召し替えしていた。
一月十五日は上元の式日であり、対馬守を含めた諸大名が江戸城に総登城して将軍に拝謁する決まりになっていた。
小姓達が慌ただしく対馬守に直垂を着させていると、小姓頭の森伝左衛門が浮かない表情をしながら「失礼仕りまする」と言って対馬守達がいる一室に入ってきた。
「何じゃ、伝左衛門」
小姓達に直垂を着させられている最中の対馬守が怪訝そうに言う。
「恐れながら殿に申し上げたき議が御座います」
伝左衛門は畏まった様子で前置きすると続けて、
「和宮様降嫁に憤激している攘夷家の者共が殿を襲撃しようと画策しているようで御座います」
と対馬守の命を狙っている者達がいることを告げた。
「何! この儂をか?」
伝左衛門の言葉を聞いた対馬守は不快感を露わにしている。
「数日前に儂を亡き者にせんと企んだ思誠塾の大橋訥庵一派は伝馬獄に入牢になったのではなかったのか? まさか獄を破ってこの儂を殺しに来るとでも申すか?」
対馬守が詰るような口調で伝左衛門に尋ねた。
「訥庵一派は伝馬獄におとなしく入牢しており、奴らが獄を破って外に出てくることは万に一つもありませぬ。ただ訥庵一派はどうやら水戸の者達とも通じていたみたいで、その訥庵と通じていた水戸の者達が殿を亡き者にせんとよからぬ企てをしているそうにございます」
伝左衛門が対馬守の問いに答えると、対馬守は「はぁー」と溜息ついて、
「掃部頭様の一件といい、東禅寺の一件といい、水戸は真に迷惑きわまりない連中ばかりじゃな」
と呆れたように首を振った。
「じゃが仮に水戸の攘夷家共が儂を殺そうと襲ってきたとしても掃部頭様の二の舞にだけは決してならぬ。掃部頭様が桜田門外で命を落とされて以降、どこの大名も警固役の侍を今までの倍近くに増やした上で江戸城に登城するようになっておる。この儂とてそうじゃ。それに儂の周りを固めている警固役の侍はただの侍ではなく一人一人が剣の腕に覚えのある強者達じゃ。攘夷家の者共など瞬きもする暇もなく斬り捨てられて終いじゃ」
対馬守が自信たっぷりに豪語する。
「確かに殿の周りを固めている警固役の者達は強者ぞろいではありますが油断は禁物です。かの今川義元も二万もの大軍勢を率いながら、たった四千ほどの織田信長に桶狭間で奇襲されて命を落としました。どうか殿、ご用心なさいますようお願い申し上げまする」
伝左衛門が対馬守に懇願すると、対馬守は、
「相分かった。お主の申す通り、水戸の不埒者共に不覚をとらぬよう今まで以上に用心致そう。幕府再興のために儂にはまだまだやらなければならぬことが山ほどあるからな」
と言って伝左衛門を下がらせた。
朝五つ時、支度を済ませて駕籠の中に乗った対馬守は五十人程の警固役の侍に守られながら屋敷を出立し、屋敷近くにある江戸城の入口の一つである坂下門へ向かった。
水戸の攘夷家達に用心しながら対馬守の一行は坂下門へと進んでゆき、門が目の前に見えた辺りで一人の浪人が叫びながら一行の前に姿を現した。
「奉る! 奉る!」
叫び声をあげているその浪人は片手で訴状を上に掲げながらどんどん一行に近づいてきたため、供侍達が、
「止まれ! それ以上近づくことは罷りならぬ!」
と言って浪人が対馬守に近づくことを阻止しようとすると、その浪人は突然持っていた訴状を地面に投げ捨てて懐から短銃を取り出し、対馬守が乗っている駕籠目掛けて発砲した。
「ぐあああああ!」
その浪人が放った弾丸は駕籠をそれて駕籠の側近くにいた小姓の足に命中し、小姓は痛みのあまり、撃たれて血が噴き出している足を抱えながら地面を転げまわっている。
「何じゃ? まさか本当に水戸の不埒者共が襲ってきたと申すか!」
駕籠の中に乗っていた対馬守が御簾を慌てて払いのけながら叫んだ。
「うおおおおおお!」
浪人の発砲を合図に近くに潜んでいた他の五名ほどの浪人達が一斉に抜刀して対馬守一行に襲いかかり、それを見た対馬守の警固役の侍達も慌てて抜刀して浪人達に応戦し始めた。
「おのれ、無礼者共!」
「殿は絶対に討たせぬぞ!」
警固役の侍達は浪人達を取り囲み、四方八方からばっさばっさと刀で斬りつけた。
「ぎゃあああああああ!」
駕籠を銃撃した侍を含めた三名ほどの浪人が体の至る所を刀で斬りつけられて、「サァー」と真っ赤な血を噴きながらその場に倒れて絶命した。
「駕籠を置け! 儂自らの手で不埒者共を成敗致す!」
浪人達に襲われて怒り心頭の対馬守が駕籠かき達に駕籠を置くよう命じた途端、警固役の侍達の包囲を突破した浪人の一人が駕籠目掛けて刀を突き刺してきた。
「対馬守、覚悟!」
その浪人は警固役の侍達に腕や顔を斬られて血まみれになりながらも執念で対馬守の命を取りにくる。
「くっ! おのれ無礼者!」
対馬守は駕籠の中で体をうまく丸めてすんでの所で浪人の突きを躱したため、背中に浅い斬り傷を負っただけで済んだ。
「狼藉者! 殿に何をする!」
浪人が対馬守の乗っている駕籠に刀を突き刺したことに激怒した警固役の侍の一人が、その浪人を一太刀で斬り捨てた。
「早う駕籠から出て城内へお逃げ下さい!」
浪人を斬り捨てたその警固役の侍がはあはあと息を切らしながら対馬守に言うと、対馬守は直ちに駕籠かきに駕籠を地面に置かせて、歩いて坂下門内へと退避し始めた。
「待て! 逃がさぬぞ対馬守!」
包囲されてぼろぼろになりながらもかろうじて生きのびた二名の浪人が対馬守を斬ろうと襲い掛かるも、後ろから警固役の侍達の刀に体を突き刺されたためついに力尽きてその場に倒れ伏した。
安藤対馬守が水戸の浪士達に襲われた一件は後に坂下門外の変と呼ばれ、対馬守は何とか一命を取り留めるも、背中に傷を負ったことが武士の恥であると幕閣内から非難の声があがり、三月後の文久二(一八六二)年四月に老中職を罷免されることとなる。
そしてこの対馬守の失脚が公武一和を目指す長井雅樂の『航海遠略策』破綻の始まりとなるのである。
一月十五日は上元の式日であり、対馬守を含めた諸大名が江戸城に総登城して将軍に拝謁する決まりになっていた。
小姓達が慌ただしく対馬守に直垂を着させていると、小姓頭の森伝左衛門が浮かない表情をしながら「失礼仕りまする」と言って対馬守達がいる一室に入ってきた。
「何じゃ、伝左衛門」
小姓達に直垂を着させられている最中の対馬守が怪訝そうに言う。
「恐れながら殿に申し上げたき議が御座います」
伝左衛門は畏まった様子で前置きすると続けて、
「和宮様降嫁に憤激している攘夷家の者共が殿を襲撃しようと画策しているようで御座います」
と対馬守の命を狙っている者達がいることを告げた。
「何! この儂をか?」
伝左衛門の言葉を聞いた対馬守は不快感を露わにしている。
「数日前に儂を亡き者にせんと企んだ思誠塾の大橋訥庵一派は伝馬獄に入牢になったのではなかったのか? まさか獄を破ってこの儂を殺しに来るとでも申すか?」
対馬守が詰るような口調で伝左衛門に尋ねた。
「訥庵一派は伝馬獄におとなしく入牢しており、奴らが獄を破って外に出てくることは万に一つもありませぬ。ただ訥庵一派はどうやら水戸の者達とも通じていたみたいで、その訥庵と通じていた水戸の者達が殿を亡き者にせんとよからぬ企てをしているそうにございます」
伝左衛門が対馬守の問いに答えると、対馬守は「はぁー」と溜息ついて、
「掃部頭様の一件といい、東禅寺の一件といい、水戸は真に迷惑きわまりない連中ばかりじゃな」
と呆れたように首を振った。
「じゃが仮に水戸の攘夷家共が儂を殺そうと襲ってきたとしても掃部頭様の二の舞にだけは決してならぬ。掃部頭様が桜田門外で命を落とされて以降、どこの大名も警固役の侍を今までの倍近くに増やした上で江戸城に登城するようになっておる。この儂とてそうじゃ。それに儂の周りを固めている警固役の侍はただの侍ではなく一人一人が剣の腕に覚えのある強者達じゃ。攘夷家の者共など瞬きもする暇もなく斬り捨てられて終いじゃ」
対馬守が自信たっぷりに豪語する。
「確かに殿の周りを固めている警固役の者達は強者ぞろいではありますが油断は禁物です。かの今川義元も二万もの大軍勢を率いながら、たった四千ほどの織田信長に桶狭間で奇襲されて命を落としました。どうか殿、ご用心なさいますようお願い申し上げまする」
伝左衛門が対馬守に懇願すると、対馬守は、
「相分かった。お主の申す通り、水戸の不埒者共に不覚をとらぬよう今まで以上に用心致そう。幕府再興のために儂にはまだまだやらなければならぬことが山ほどあるからな」
と言って伝左衛門を下がらせた。
朝五つ時、支度を済ませて駕籠の中に乗った対馬守は五十人程の警固役の侍に守られながら屋敷を出立し、屋敷近くにある江戸城の入口の一つである坂下門へ向かった。
水戸の攘夷家達に用心しながら対馬守の一行は坂下門へと進んでゆき、門が目の前に見えた辺りで一人の浪人が叫びながら一行の前に姿を現した。
「奉る! 奉る!」
叫び声をあげているその浪人は片手で訴状を上に掲げながらどんどん一行に近づいてきたため、供侍達が、
「止まれ! それ以上近づくことは罷りならぬ!」
と言って浪人が対馬守に近づくことを阻止しようとすると、その浪人は突然持っていた訴状を地面に投げ捨てて懐から短銃を取り出し、対馬守が乗っている駕籠目掛けて発砲した。
「ぐあああああ!」
その浪人が放った弾丸は駕籠をそれて駕籠の側近くにいた小姓の足に命中し、小姓は痛みのあまり、撃たれて血が噴き出している足を抱えながら地面を転げまわっている。
「何じゃ? まさか本当に水戸の不埒者共が襲ってきたと申すか!」
駕籠の中に乗っていた対馬守が御簾を慌てて払いのけながら叫んだ。
「うおおおおおお!」
浪人の発砲を合図に近くに潜んでいた他の五名ほどの浪人達が一斉に抜刀して対馬守一行に襲いかかり、それを見た対馬守の警固役の侍達も慌てて抜刀して浪人達に応戦し始めた。
「おのれ、無礼者共!」
「殿は絶対に討たせぬぞ!」
警固役の侍達は浪人達を取り囲み、四方八方からばっさばっさと刀で斬りつけた。
「ぎゃあああああああ!」
駕籠を銃撃した侍を含めた三名ほどの浪人が体の至る所を刀で斬りつけられて、「サァー」と真っ赤な血を噴きながらその場に倒れて絶命した。
「駕籠を置け! 儂自らの手で不埒者共を成敗致す!」
浪人達に襲われて怒り心頭の対馬守が駕籠かき達に駕籠を置くよう命じた途端、警固役の侍達の包囲を突破した浪人の一人が駕籠目掛けて刀を突き刺してきた。
「対馬守、覚悟!」
その浪人は警固役の侍達に腕や顔を斬られて血まみれになりながらも執念で対馬守の命を取りにくる。
「くっ! おのれ無礼者!」
対馬守は駕籠の中で体をうまく丸めてすんでの所で浪人の突きを躱したため、背中に浅い斬り傷を負っただけで済んだ。
「狼藉者! 殿に何をする!」
浪人が対馬守の乗っている駕籠に刀を突き刺したことに激怒した警固役の侍の一人が、その浪人を一太刀で斬り捨てた。
「早う駕籠から出て城内へお逃げ下さい!」
浪人を斬り捨てたその警固役の侍がはあはあと息を切らしながら対馬守に言うと、対馬守は直ちに駕籠かきに駕籠を地面に置かせて、歩いて坂下門内へと退避し始めた。
「待て! 逃がさぬぞ対馬守!」
包囲されてぼろぼろになりながらもかろうじて生きのびた二名の浪人が対馬守を斬ろうと襲い掛かるも、後ろから警固役の侍達の刀に体を突き刺されたためついに力尽きてその場に倒れ伏した。
安藤対馬守が水戸の浪士達に襲われた一件は後に坂下門外の変と呼ばれ、対馬守は何とか一命を取り留めるも、背中に傷を負ったことが武士の恥であると幕閣内から非難の声があがり、三月後の文久二(一八六二)年四月に老中職を罷免されることとなる。
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