神楽舞う乙女の祈り

玖保ひかる

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第32話 咲弥のスランプ①

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 咲弥という名をもらい初舞台を踏んでからというもの、サクの人気はうなぎ登りだ。役名も付かず、群舞を踊っているだけの端役者。それでも、目ざとい客はそこに何らかの輝きを見出し、贔屓となって応援してくれる。

 サクは舞台に立つたび、新しいファンを獲得した。たくさんの花や差し入れが届けられ、千社札は製造が追いつかないほどの人気。舞姫や彩喜と並んで、絵姿まで販売され始めた。

 こうなると神楽座としても、もう少し咲弥の見せ場を増やして客を喜ばせねばならなくなる。小歌を独唱するよい役どころが咲弥に当てられると、サクは死に物狂いで稽古をし、期待以上にやってのけた。

 そしてまた新規のファンが増え、わずか半年で押しも押されぬ人気役者となっていた。
 そんな快進撃を、当然よく思わない連中もいるわけで…。

「ちょっと、あんた邪魔よ!」

 いくら人気役者になったと言えども、まだ下っ端のサクの化粧前は、大部屋の端っこだ。極力小さくなって化粧をしていても、先輩役者にドンと押されることはしょっちゅう。いままさに眉を描いていたサクは、肩を強く押されて、おでこに向かって筆が走る。

「ぎゃははは、何よ、その顔!やめてよね」

 額に一本線が入ったサクの顔を見て、周りにいた女たちがどっと笑う。サクは急いで眉墨を落とそうとおでこをこすった。

「そんなにこすったら赤くなってしまうわ。お水で洗った方がいいのではない?ほら、これを使いなさいよ」

 親切そうに水差しを持って近づいて来た先輩に、感謝を述べようとしたところ、頭からびしゃりと水が掛けられた。

「やだ、ごめーん。手が滑っちゃった」

 サクはグッと唇をかみしめ、水滴が滴らないよう手拭いで水気をぬぐった。たいした反応を見せず化粧を直し始めたサクに、女たちは鼻白んで、自分たちも公演の準備に取り掛かった。

 サクは化粧を仕上げながらも、役のことで頭がいっぱいだった。

 もっと芸を磨きたい。
 もっと役を掴みたい。
 役の中に自分を息づかせたい。

 そんなことばかり考えているから、女たちの嫉妬に反応している暇はない。しかし、その日の舞台上で、さすがのサクも青ざめるような出来事があった。舞を舞っている最中に足を引っかけられて無様に転んでしまったのだ。舞姫の凛音が機転を利かせてうまくかばってくれたことで、そういう演出だったのだと取り繕うことができた。

 終演後に凛音の楽屋を訪れ、謝り倒したサクに、凛音は珍しく怒りのオーラを隠すことなく言った。

「咲弥、あなた、もっと突き抜けなあかんよ。くだらない意地悪されてるようじゃ、まだまだやよ。この人は自分とはちゃうって、わからせてやらんと」

「はい、すみません。一層精進します」

「ついでだから言うておくけど、咲弥は神楽を舞ういうこと、まだわかっとらんね。うちの目には、どんなお役をやっても咲弥のままに見えるわ。人気が出たらそれでいいというなら、うちが教えてやることはもうない。どんな役者になりたいのか、ここでもう一度よく考えなさい」

「…はい。ご指導有難うございました」

 サクは深々と頭を下げ、凛音の楽屋を後にした。

 彩喜の楽屋にも顔を出し、舞台上で無様な姿を見せたことを謝った。サクの躍進を喜んでくれている数少ない一人であるが、彩喜も甘くはない。

「舞台上ではもっと気を張りなさい。どんな事故があっても機転を利かせてうまく立ち回るの。隙があるからやられるのよ」

「はい、すみませんでした」

 サクが殊勝な態度で頭を下げると、彩喜はふうっと軽く息を吐いて声音を和らげた。

「舞台に立っているとたくさん突発的な事件が起きるのよ。その都度最善の方法を考えて取り繕わなくてはいけない。大丈夫、そのうち慣れるわ。咲弥は度胸だけはあるから、経験を積めばうまく立ち回れるようになるわ」

「そうでしょうか…。さきほど、凛音姐さんに、神楽を舞うと言うことをわかっていないとしかられました…。何の役をやっても私のままだって」

 憧れの凛音からそのように言われ、サクはかなりショックを受けていた。声も自然と暗く小さくなってしまう。

「凛音姐さんの言うこと、わかるわ。咲弥は何を演じても咲弥のまま」

 ガーンと頭を殴られるような心持ちがした。彩喜なら、そんなことないと否定してくれるかもしれないなんて、甘えがあった。サクは手が震えてくるのを感じた。

「そんなに、私の演技はダメでしょうか」

「ダメとかってことじゃないよ。お役を自分に引き寄せて、自分の物にしてしまうタイプの役者っているのよ。自分の見せ方を知っているって言うか、いつも一番かっこいい顔だけ見せてるの。かっこいいからお客は付く。そんな役者を売りにしている神楽座もある。でも、瑠璃光院は違う。神楽の神髄は神の祈り。私たちは色々な役柄を演じながら、その役が願う祈りを神に届けるよう舞うの。そこに自分という存在が見えていたら、本当にただの見世物だわ。凛音姐さんの天女を見たでしょう?叶わぬ恋に恋焦がれ、胸が引き裂かれるような思い、愛する人の幸せを願う舞を。そこに凛音という人間はいないのよ」

 彩喜の言いたいことをサクは十分に理解している。天女として舞台上で生きていた凛音のようになりたいと願ったのだから。自分では凛音を目指して精進しているつもりだった。しかし、どうやらできていないらしい。

「わかりません。どうやったら、そうなれるのか」

「そうね。簡単なことではないから。もっとお役と向き合って、お役のことを理解しないと。でもその前に、咲弥は自分自身のことをもっと理解した方がいいのではない?自分というものを見つけていないから、自分を押し出してしまうのではないかしら」

「自分を理解する…?」

 サクには難しい問だった。

「時間がかかっても、しっかり向き合って考えなさいね」
「…はい」


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