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第4章 マニリア帝国編
第50話 助けに向かったその先で
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ウァリウスと別れて、後宮に残ったのはいいが、この場でオレに出来る事は何だろうか。
一番いいのは大公とその兵士達に現実を伝えて、降参させることだ。
宮城の兵士達の多くは今でも皇帝に仕えているつもりだろうし、その皇帝が数ヶ月も全く姿を見せず、なおかつ『反乱軍』が皇帝の命令を大義名分に掲げていれば、大半は戦わずに降参してくれるはずだ。
大公に今や人望など無いのは、首都の城門を守る武将ですら大公に確認すらせずに門を開けた事を見れば明らかだろう。
だがここにいる兵士は恐らく大公の――皇帝ではない――親衛隊だろう。
本人が諦めない限り、そうそう降参はしないと考えるべきだ。
逆を言えば大公本人をどうにかしさえすれば、宮女達を解放する事がかなうということになる。
しかしそれを口で言うのはたやすいが、実行するのは簡単では無い。
オレには攻撃魔術や強力な精神操作系魔術は無いので、大公を倒したり、操ったりは出来ないのだ。
また大公の前に出る事になったらむこうだって当然、こちらの身体を拘束ぐらいするだろうし、護衛の兵士もオレが魔術を唱え始めたら即座に腕力にモノを言わせるに決まっている。
しかしオントール長官はなぜ大公のところにいるんだ?
以前に聞いていた限りでは、オントールはいまの皇帝であるウァリウスに忠誠を誓い、命を捧げるつもりだったはずだ。
それなのにここまで追い詰められた大公の元にいるとは、一体どういうつもりなのだろうか。
ひょっとすると自分の命をかけたこの庭園を破壊されないためだったら何でもするとか、そんな本末転倒の事を考えているのかも知れない。
まあ疑問は尽きないにしろオントールの事は後回しでいい。
今は捕まっている宮女や女官達を助ける事が先決だ。
とりあえずオレは魔術で視覚や聴覚を強化して、中庭に足を踏み入れる。
実質的にターゲットにすべきなのは大公一人だけである。
こちらの能力から出来る事を考えると、接近した上で【調和】をかけて暴力的行動を封じ、そこでオレが大公に武器を突きつけて降参を迫る。
もうそれしかないな。
オレが使える武器と言えるものは、庭園の整備に使われていたカマぐらいだが首にかけて脅すには十分だろう。
もっとも本音を明かすと、幾ら以前に陵辱されかけた事があると言っても、人間の首をかっきるなどという真似がオレに出来るとは思えない。
しかし大公もオレがそんな『平和ボケした国のいち学生』だったとは夢にも思わないだろうから、実際に脅されたら言うことを聞いてくれるはず。
そのためにもできる限り気付かれないように接近せねばなるまい。
幸いにもこの庭園は複雑な構造故に隠れるところには事欠かない。
また今のところ兵士達は、周囲よりも拘束している宮女達を見張る事に気を取られているようだ。
普通に考えて後宮の門さえ封鎖していれば、脱出することも外から攻め込む事も出来ないから当然なんだろうけどな。
そんなわけで魔術で感覚を強化しているオレは兵士達に見つからずに行動するだけならさほど難しくは無い。
しかし当然だが大公の周囲には大勢の兵士が見張っている。
一時的に【調和】で戦闘意欲を喪失させても、そうなれば効果範囲外の兵士が駆けつけてくるのはわかりきった話だ。
とりあえず可能な限り近づいて、チャンスをうかがうしかないな。
隠れて近づいている最中、強化したオレの視覚には、兵士達に剣を突きつけられ震え上がっているマルキウスや、その老人を励ましているらしいデレンダの姿が映った。
おいおい。爺さん。ここはあんたの方が宮女達を励ます場面だろう。
まあとりあえず、デレンダ達が無事である事を確認出来ただけでもよしとしよう。
もう少し我慢していてくれ。
オレが君たちを助ける、などと威勢のいいことは言えないが、何とかしてみせるから。
そして次にオレの聴覚に響いてくる野太い怒声があった。
忘れもしないこの声は間違いなく、以前にこの中庭で襲われた時、耳にしたものだ。
「ええい! まだ『わが后』は見つからないのか!」
「申し訳ありません……」
「この愚か者どもが!」
この『わが后』はどう考えてもオレの事だよな。
ここまで追い詰められておきながら、そんな事を考えるなんて――いや。この状況だからこそなのか。
最後の瞬間ぐらいは気に入った女と一緒にいたいという、男の心理はオレだって分るつもりだ――確かヒトラーも最後の最後で愛人と結婚したと聞いた覚えがある。
だけどあんなオッサンに付き合わされるなど、オレにしてみれば不快感と嫌悪感しか抱かない。
まあ仮に大公が美少年だったとしても、真っ平であることに変りは無いけど。
「そうだ……良い手があるぞ」
どん引きしているオレに耳には、そこで更に不吉な予感をかき立てる大公の言葉が響き渡る。
「我が后がこの後宮に未だ留まっているのは間違いない。ならば建物に火をかけるというのはどうだ。それならイヤでも出てくるだろう」
何じゃそりゃ?!
あまりにも安っぽい、三流悪役に典型的な陳腐な手だ。
しかしそんな事になれば、この中庭だって火が燃え広がりかねない。
そうなれば一箇所しか無い出口が封鎖されている以上、宮女はもちろん大公本人だって炎に巻かれて命を落としかねないぞ。
ああ。ここが最悪だと思っていたら、底の底が更にあるもんだ。
だがどこかが妙だ。
追い詰められて精神に均衡を欠いているのは分るが、それでも大公の行動はどこか病的な、何か不自然なものが感じられる。
少なくとも昨年の内戦で勝利して、ウァリウスを帝位につけたしたたかな人間にしてはやることが短絡的に過ぎる。
そしてオレにはこの後宮で以前に目の当りにした怪異とどこか共通点があるように思えてくるのだ。
オレは何かに呪われているとしか思えない、狂気に満ちた大公の有様に不気味な悪寒を感じていた。
--------------------------------------------------
大公の行動は明らかにおかしい。
だがオレの疑念が形を取る前に大公の命が響く。
「さあ。後宮に火を放つのだ」
ぐう。もはや一刻の猶予も無いぞ。
ここはもうオレが姿を見せて近づき、千載一遇のチャンスにかけるか、さもなくば時間を稼ぎウァリウスが軍と共にやってきてくれるのを待つか。
ウァリウスに対しては偉そうにタンカを切っておいて、結局は彼に頼らざるを得ないとは少々情けない気もする。
だがもしウァリウスとオレが一緒に逃走していたら後宮に火がかけられ、宮女達が大公の道連れにされていたわけだから、そう考えれば彼の誘いを断ったのはまだ良かったということになるだろう。
「お待ちなさい!」
兵士達が動き始めたところで、オレは姿を現して大公に向けて叫んだ。
「アルタシャさん! なぜ出てきたんです?!」
デレンダが驚いた声をあげたのが、妙にハッキリと聞こえた気がする。
「おお。我が后よ。よく来てくれた。さあ我が元へくるがよい」
いま大公がいるところは、中庭の隅に設けられた大鏡の前である。
前後に壮麗な中庭の光景を挟んでいながらにして、大公はほんの数日前にあった時に比べても精気を失い、頬がこけ、目だけを爛々と輝かせてオレを誘う。
そしてオレの周囲には当然ながら兵士達が押し寄せてくる。
「さあ妃殿下。こちらにお越し下さい」
表向きは丁重だが、吐き気のする称号で呼ばれたオレはなるだけゆっくりと大公へと足を向ける。
力尽くで拘束はされていないが、もちろん兵士達は油断なくオレを見張っていて、魔術でも使おうものなら即座に押さえ込まれるのは間違いないだろう。
そして連れてこられたオレを見て、大公は悦びの声を挙げ、傍らにいたオントールは痛ましそうな表情を浮かべる。
この後に及んでオントールはオレに同情しているのか?
そう思うぐらいなら、そもそもなんでこの状況で大公についたんだよ。
しかしオレがそこに考えを回す前に、胸の悪くなるような誘いがかけられる。
「さあ我が后よ。ここにきて共に栄耀栄華をつかもうでは無いか」
「いい加減! 夢から覚めたらどうですか!」
時間を稼ぐ事を考えたら、ここは媚の一つでも売って、大公をいい気にさせるべきだったかもしれない。
だが正直なところ、嫌悪感を抑える事が出来なかったのだ。
「な、なんだと?」
この期に及んで未だにオレが言うことを聞くと思っていたらしい大公は、驚愕にその目を見開く。
「もうすぐこの後宮にはウァリウス……皇帝陛下に率いられた軍勢がやってくるんですよ! そうなったらあなたは『反逆者』として討伐されることになります。だからそうなる前に降参しなさい」
オレの言葉を受けて、周囲の兵士達には明らかに動揺が走る。
どうやら大半の兵士は疑念は持っていても『皇帝のため』という建前で動いていたらしい。ならばオレはそこにつけ込むのみだ。
しかしオレのこの言葉に対し、当然大公はいきり立つ。
「バカな事を言うな! どうしてお前がそんな事を知っているのだ!」
「簡単ですよ。こっちはついさっきまで皇帝陛下と話をしていたんですからね!」
「嘘をつくな。この後宮にあの青二才がいるはずがない」
ウァリウスを青二才呼ばわりとは、もう大公は皇帝に対して表面的にも敬意を払うつもりはないらしい。
「全く逆ですよ。皇帝陛下はここ数ヶ月ずっとこの後宮にいたんです。命を狙われていると気付いて、それでこの後宮に宮女のフリをして逃げ込んだんですからね」
「な?!」
この返答に対し、大公は絶句したが、横合いから思わぬ叫びがあがる。
「なんだと! それはまことか!」
どういうわけかオントールが驚愕しつつ、兵士達を押しのけてオレにくってかかってきたのだ。
「こんな事をうそいつわりで言えるワケがないでしょうが。それで後宮にあった皇帝専用の脱出路から、既に逃げ出して今頃は外の軍勢と合流してますよ」
「バカな……」
「嘘だと思うならもう少しお待ちなさい。すぐに皇帝陛下が軍を率いてここにまでやってきますよ。『反逆者』を討伐するために」
オレのこの宣言を受けて、周囲の兵士達はひそひそ話を始め、そして無意識のうちにだろうが、大公から離れるように動き出す。
どうやら兵士の多くはようやく自分たちが大公に騙されていた事を理解したらしい。
「そんなことが――」
「大公殿下! 大変です!」
大公が口を開こうとした瞬間、血相を変えた兵士がひとり飛び込んできた。
「こ、皇帝陛下が『反乱軍』と共にこの宮城に姿をお見せになり、兵士達に降参を命じています」
「なにぃ! それで兵士達は?」
「既に殆どの兵は武器を捨てて陛下の元に下り、反乱軍はこの後宮へと迫っています」
どうやらウァリウスが軍と合流し、この宮城の兵士に降伏を呼びかけるのは成功したようだな。
もうこれで一安心――となってくれるのなら、オレもどれだけ嬉しい事か。
だがそれを聞いた瞬間、大公は一人高笑いを始める。
「ふはははは! こうなった以上は仕方有るまい。ワシはここで宮女達全員と共に命を絶ち、この国を呪う悪鬼と化すぞ!」
やっぱりそうなるか!
オレは予想通りの最悪の事態に、一気に目が暗くなった。
「このワシが心血を注ぎ込んで作り上げたこの花園を、下劣な平民の血が混じったあやつに奪われてたまるか!」
ここで大公が口にしている『花園』とはこの庭園の事では無く、自分が集めた美少女達の事だろう。
しかしそんな事をさせるわけにはいかない!
オレは【調和】をかけて、大公や周囲の兵士を抑えようとする。だがその瞬間――後頭部に鈍い痛みが走り、オレは体勢を崩してたたらを踏む。
見上げると一人の兵士が、剣の柄でオレを殴りつけていたのだ。
しまった。こんな有様でもまだ大公に従う兵士が残っていたのか。
そして手を地面につけて、表面上ひざまずいた形になったオレに対し大公は笑顔で話しかけてくる。
「我が后よ先に逝くがいい。ワシもすぐに宮女達と共に後を追い、あの世で共に暮らそうでは無いか」
死ぬのもイヤだし、死んだ後でもあんたと付き合わされるのも真っ平だ!
しかし抗議の声をあげる間もなく、兵士の振り上げた剣の切っ先がオレの身体を貫かんと振り下ろされ、紅い液体が壮麗な中庭とオレの顔に飛び散った。
「ぐ、ぐう……」
「え……これは?」
呆然とするオレの顔を深紅に染め上げたのは、どういうわけか飛び込んでこの身に覆い被さったオントール長官の鮮血だった。
一番いいのは大公とその兵士達に現実を伝えて、降参させることだ。
宮城の兵士達の多くは今でも皇帝に仕えているつもりだろうし、その皇帝が数ヶ月も全く姿を見せず、なおかつ『反乱軍』が皇帝の命令を大義名分に掲げていれば、大半は戦わずに降参してくれるはずだ。
大公に今や人望など無いのは、首都の城門を守る武将ですら大公に確認すらせずに門を開けた事を見れば明らかだろう。
だがここにいる兵士は恐らく大公の――皇帝ではない――親衛隊だろう。
本人が諦めない限り、そうそう降参はしないと考えるべきだ。
逆を言えば大公本人をどうにかしさえすれば、宮女達を解放する事がかなうということになる。
しかしそれを口で言うのはたやすいが、実行するのは簡単では無い。
オレには攻撃魔術や強力な精神操作系魔術は無いので、大公を倒したり、操ったりは出来ないのだ。
また大公の前に出る事になったらむこうだって当然、こちらの身体を拘束ぐらいするだろうし、護衛の兵士もオレが魔術を唱え始めたら即座に腕力にモノを言わせるに決まっている。
しかしオントール長官はなぜ大公のところにいるんだ?
以前に聞いていた限りでは、オントールはいまの皇帝であるウァリウスに忠誠を誓い、命を捧げるつもりだったはずだ。
それなのにここまで追い詰められた大公の元にいるとは、一体どういうつもりなのだろうか。
ひょっとすると自分の命をかけたこの庭園を破壊されないためだったら何でもするとか、そんな本末転倒の事を考えているのかも知れない。
まあ疑問は尽きないにしろオントールの事は後回しでいい。
今は捕まっている宮女や女官達を助ける事が先決だ。
とりあえずオレは魔術で視覚や聴覚を強化して、中庭に足を踏み入れる。
実質的にターゲットにすべきなのは大公一人だけである。
こちらの能力から出来る事を考えると、接近した上で【調和】をかけて暴力的行動を封じ、そこでオレが大公に武器を突きつけて降参を迫る。
もうそれしかないな。
オレが使える武器と言えるものは、庭園の整備に使われていたカマぐらいだが首にかけて脅すには十分だろう。
もっとも本音を明かすと、幾ら以前に陵辱されかけた事があると言っても、人間の首をかっきるなどという真似がオレに出来るとは思えない。
しかし大公もオレがそんな『平和ボケした国のいち学生』だったとは夢にも思わないだろうから、実際に脅されたら言うことを聞いてくれるはず。
そのためにもできる限り気付かれないように接近せねばなるまい。
幸いにもこの庭園は複雑な構造故に隠れるところには事欠かない。
また今のところ兵士達は、周囲よりも拘束している宮女達を見張る事に気を取られているようだ。
普通に考えて後宮の門さえ封鎖していれば、脱出することも外から攻め込む事も出来ないから当然なんだろうけどな。
そんなわけで魔術で感覚を強化しているオレは兵士達に見つからずに行動するだけならさほど難しくは無い。
しかし当然だが大公の周囲には大勢の兵士が見張っている。
一時的に【調和】で戦闘意欲を喪失させても、そうなれば効果範囲外の兵士が駆けつけてくるのはわかりきった話だ。
とりあえず可能な限り近づいて、チャンスをうかがうしかないな。
隠れて近づいている最中、強化したオレの視覚には、兵士達に剣を突きつけられ震え上がっているマルキウスや、その老人を励ましているらしいデレンダの姿が映った。
おいおい。爺さん。ここはあんたの方が宮女達を励ます場面だろう。
まあとりあえず、デレンダ達が無事である事を確認出来ただけでもよしとしよう。
もう少し我慢していてくれ。
オレが君たちを助ける、などと威勢のいいことは言えないが、何とかしてみせるから。
そして次にオレの聴覚に響いてくる野太い怒声があった。
忘れもしないこの声は間違いなく、以前にこの中庭で襲われた時、耳にしたものだ。
「ええい! まだ『わが后』は見つからないのか!」
「申し訳ありません……」
「この愚か者どもが!」
この『わが后』はどう考えてもオレの事だよな。
ここまで追い詰められておきながら、そんな事を考えるなんて――いや。この状況だからこそなのか。
最後の瞬間ぐらいは気に入った女と一緒にいたいという、男の心理はオレだって分るつもりだ――確かヒトラーも最後の最後で愛人と結婚したと聞いた覚えがある。
だけどあんなオッサンに付き合わされるなど、オレにしてみれば不快感と嫌悪感しか抱かない。
まあ仮に大公が美少年だったとしても、真っ平であることに変りは無いけど。
「そうだ……良い手があるぞ」
どん引きしているオレに耳には、そこで更に不吉な予感をかき立てる大公の言葉が響き渡る。
「我が后がこの後宮に未だ留まっているのは間違いない。ならば建物に火をかけるというのはどうだ。それならイヤでも出てくるだろう」
何じゃそりゃ?!
あまりにも安っぽい、三流悪役に典型的な陳腐な手だ。
しかしそんな事になれば、この中庭だって火が燃え広がりかねない。
そうなれば一箇所しか無い出口が封鎖されている以上、宮女はもちろん大公本人だって炎に巻かれて命を落としかねないぞ。
ああ。ここが最悪だと思っていたら、底の底が更にあるもんだ。
だがどこかが妙だ。
追い詰められて精神に均衡を欠いているのは分るが、それでも大公の行動はどこか病的な、何か不自然なものが感じられる。
少なくとも昨年の内戦で勝利して、ウァリウスを帝位につけたしたたかな人間にしてはやることが短絡的に過ぎる。
そしてオレにはこの後宮で以前に目の当りにした怪異とどこか共通点があるように思えてくるのだ。
オレは何かに呪われているとしか思えない、狂気に満ちた大公の有様に不気味な悪寒を感じていた。
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大公の行動は明らかにおかしい。
だがオレの疑念が形を取る前に大公の命が響く。
「さあ。後宮に火を放つのだ」
ぐう。もはや一刻の猶予も無いぞ。
ここはもうオレが姿を見せて近づき、千載一遇のチャンスにかけるか、さもなくば時間を稼ぎウァリウスが軍と共にやってきてくれるのを待つか。
ウァリウスに対しては偉そうにタンカを切っておいて、結局は彼に頼らざるを得ないとは少々情けない気もする。
だがもしウァリウスとオレが一緒に逃走していたら後宮に火がかけられ、宮女達が大公の道連れにされていたわけだから、そう考えれば彼の誘いを断ったのはまだ良かったということになるだろう。
「お待ちなさい!」
兵士達が動き始めたところで、オレは姿を現して大公に向けて叫んだ。
「アルタシャさん! なぜ出てきたんです?!」
デレンダが驚いた声をあげたのが、妙にハッキリと聞こえた気がする。
「おお。我が后よ。よく来てくれた。さあ我が元へくるがよい」
いま大公がいるところは、中庭の隅に設けられた大鏡の前である。
前後に壮麗な中庭の光景を挟んでいながらにして、大公はほんの数日前にあった時に比べても精気を失い、頬がこけ、目だけを爛々と輝かせてオレを誘う。
そしてオレの周囲には当然ながら兵士達が押し寄せてくる。
「さあ妃殿下。こちらにお越し下さい」
表向きは丁重だが、吐き気のする称号で呼ばれたオレはなるだけゆっくりと大公へと足を向ける。
力尽くで拘束はされていないが、もちろん兵士達は油断なくオレを見張っていて、魔術でも使おうものなら即座に押さえ込まれるのは間違いないだろう。
そして連れてこられたオレを見て、大公は悦びの声を挙げ、傍らにいたオントールは痛ましそうな表情を浮かべる。
この後に及んでオントールはオレに同情しているのか?
そう思うぐらいなら、そもそもなんでこの状況で大公についたんだよ。
しかしオレがそこに考えを回す前に、胸の悪くなるような誘いがかけられる。
「さあ我が后よ。ここにきて共に栄耀栄華をつかもうでは無いか」
「いい加減! 夢から覚めたらどうですか!」
時間を稼ぐ事を考えたら、ここは媚の一つでも売って、大公をいい気にさせるべきだったかもしれない。
だが正直なところ、嫌悪感を抑える事が出来なかったのだ。
「な、なんだと?」
この期に及んで未だにオレが言うことを聞くと思っていたらしい大公は、驚愕にその目を見開く。
「もうすぐこの後宮にはウァリウス……皇帝陛下に率いられた軍勢がやってくるんですよ! そうなったらあなたは『反逆者』として討伐されることになります。だからそうなる前に降参しなさい」
オレの言葉を受けて、周囲の兵士達には明らかに動揺が走る。
どうやら大半の兵士は疑念は持っていても『皇帝のため』という建前で動いていたらしい。ならばオレはそこにつけ込むのみだ。
しかしオレのこの言葉に対し、当然大公はいきり立つ。
「バカな事を言うな! どうしてお前がそんな事を知っているのだ!」
「簡単ですよ。こっちはついさっきまで皇帝陛下と話をしていたんですからね!」
「嘘をつくな。この後宮にあの青二才がいるはずがない」
ウァリウスを青二才呼ばわりとは、もう大公は皇帝に対して表面的にも敬意を払うつもりはないらしい。
「全く逆ですよ。皇帝陛下はここ数ヶ月ずっとこの後宮にいたんです。命を狙われていると気付いて、それでこの後宮に宮女のフリをして逃げ込んだんですからね」
「な?!」
この返答に対し、大公は絶句したが、横合いから思わぬ叫びがあがる。
「なんだと! それはまことか!」
どういうわけかオントールが驚愕しつつ、兵士達を押しのけてオレにくってかかってきたのだ。
「こんな事をうそいつわりで言えるワケがないでしょうが。それで後宮にあった皇帝専用の脱出路から、既に逃げ出して今頃は外の軍勢と合流してますよ」
「バカな……」
「嘘だと思うならもう少しお待ちなさい。すぐに皇帝陛下が軍を率いてここにまでやってきますよ。『反逆者』を討伐するために」
オレのこの宣言を受けて、周囲の兵士達はひそひそ話を始め、そして無意識のうちにだろうが、大公から離れるように動き出す。
どうやら兵士の多くはようやく自分たちが大公に騙されていた事を理解したらしい。
「そんなことが――」
「大公殿下! 大変です!」
大公が口を開こうとした瞬間、血相を変えた兵士がひとり飛び込んできた。
「こ、皇帝陛下が『反乱軍』と共にこの宮城に姿をお見せになり、兵士達に降参を命じています」
「なにぃ! それで兵士達は?」
「既に殆どの兵は武器を捨てて陛下の元に下り、反乱軍はこの後宮へと迫っています」
どうやらウァリウスが軍と合流し、この宮城の兵士に降伏を呼びかけるのは成功したようだな。
もうこれで一安心――となってくれるのなら、オレもどれだけ嬉しい事か。
だがそれを聞いた瞬間、大公は一人高笑いを始める。
「ふはははは! こうなった以上は仕方有るまい。ワシはここで宮女達全員と共に命を絶ち、この国を呪う悪鬼と化すぞ!」
やっぱりそうなるか!
オレは予想通りの最悪の事態に、一気に目が暗くなった。
「このワシが心血を注ぎ込んで作り上げたこの花園を、下劣な平民の血が混じったあやつに奪われてたまるか!」
ここで大公が口にしている『花園』とはこの庭園の事では無く、自分が集めた美少女達の事だろう。
しかしそんな事をさせるわけにはいかない!
オレは【調和】をかけて、大公や周囲の兵士を抑えようとする。だがその瞬間――後頭部に鈍い痛みが走り、オレは体勢を崩してたたらを踏む。
見上げると一人の兵士が、剣の柄でオレを殴りつけていたのだ。
しまった。こんな有様でもまだ大公に従う兵士が残っていたのか。
そして手を地面につけて、表面上ひざまずいた形になったオレに対し大公は笑顔で話しかけてくる。
「我が后よ先に逝くがいい。ワシもすぐに宮女達と共に後を追い、あの世で共に暮らそうでは無いか」
死ぬのもイヤだし、死んだ後でもあんたと付き合わされるのも真っ平だ!
しかし抗議の声をあげる間もなく、兵士の振り上げた剣の切っ先がオレの身体を貫かんと振り下ろされ、紅い液体が壮麗な中庭とオレの顔に飛び散った。
「ぐ、ぐう……」
「え……これは?」
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勇者アレクサンダー、癒し手エリーゼ、赤魔道士フェルノに、自身の黒髪黒目を忌避しないことから期待していた俺は大きなショックを受ける。
ヤツらは俺の外見を受け入れていたわけじゃない。ただ仲間と思っていなかっただけ、眼中になかっただけなのだ。
転生者は曾祖父だけどチートは隔世遺伝した「俺」にも受け継がれています。
勇者達は大富豪スタートで貧民窟の住人がゴールです(笑)
戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件
さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。
数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、
今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、
わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。
彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。
それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。
今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。
「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」
「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」
「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」
「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」
命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!?
順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場――
ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。
これは――
【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と
【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、
“甘くて逃げ場のない生活”の物語。
――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。
※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。
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