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幕間劇
第106話 聖女教会にて
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【前書き】
今回は幕間劇なので少々普段とは趣が違います。
【本文】
そこは何も知らない人間の目には奇妙な場所だった。
飾り気のない広い部屋の中央に円形のテーブルが置かれ、その周囲には十二脚の椅子が並べられているのだ。
そしてその一つに一見すると二十代後半の金髪と青紫の瞳をした美女が険しい表情で腰掛けていた。
ここはアルコー王国首都グラマーの中心部に位置する聖女教会の救貧院である。
そして椅子に腰掛けているのは、このグラマー救貧院の院長であり、このアルコー王国国王の側室たるレシーラだ。
つまり『選ばれし者を見いだしたものの逃げられてしまった張本人』ということになる。
そしてしばしの後、円形に並べられた椅子には十人の人影、その全員が美しい女性 ―― 大半は金髪と青紫の瞳 ―― の半透明の姿が浮かび上がる。
つまりレシーラを含めると十一人がこの光景を見ているということだ。
十二脚ある椅子の中で一箇所だけ欠けがあり、それを加えると本来は十二人がここに姿を見せるものだと言うことが分る。
そしてここで厳かな声が静かに響く。
「それではこれより聖女教会緊急幹部会を開きます」
これは魔力を用いて遠隔地と連絡を取っているのだ。。
同様の魔術は他の組織でも使えるが、遠いところになると千キロ単位で離れた十箇所以上の地点で双方向の連絡を取り合うには、膨大な魔力を必要とする。
邪悪な神の場合は、生け贄に情報を吹き込み、それを儀式で殺害する事でその情報が司祭に啓示されるなどという手法もあるらしい。
当然ながらこの聖女教会の最高幹部会も煩雑に開かれるわけではなく、原則的に年に一回だけで後は緊急時に開かれるのみだ。
むろん今回の幹部会はその緊急時に該当する。
ここで議長役を務めている、最年長の支部長が声を発する。
見たところは三十代の半ばほどの妙齢の女性だが、実年齢がいかほどなのかは分らない。
もちろん聖女がいかに長命と言っても不老不死ではなく、せいぜい実年齢との乖離は二倍程度なので人間離れした高齢というわけではないはずだ ―― それでも十分に凄いが。
そして聖女の地位は本人の能力は当然としても、それ以外にはスポンサーとなる夫の地位や寄付が大きく影響する。
当然ながら国王など国のトップの側室となった聖女が、その国の教会のトップになることが殆どだ。
このため夫が死去したり引退すれば、その聖女もまた後進に道を譲って引退するのが慣例となっているため、この最高幹部会でも見た限りではさほど高齢の聖女は見当たらないのである。
「本日の緊急会議の議題はもう皆も聞いていると思いますが『選ばれし者』についてです」
この言葉で周囲には緊張が走り、またレシーラは表向きは無表情ながら、その手が固く握りしめられる。
「マニリア帝国よりの調査について報告が入ったのですが、どうやら『選ばれし者』が彼の地にて活動していたのは間違いないようです」
「ラマーリア王国首都コルストに続いての活躍ということですな。しかしマニリア帝国支部が壊滅していなければもっと早く事実がつかめたでしょうに残念です」
議長の言葉を受けて、別の一人が空席に視線を向ける。
円陣で一人だけ欠けているのは、内戦の煽りを受けて壊滅したマニリア帝国支部の支部長が未だに空席であるためだ。
「しかしその話は本当なのですか? にわかには信じがたいのですが」
「目撃した者も百人やそこらではありません。何より皇帝すらも目撃者となっています。前回のラマーリア王国の時と同じくまず間違いないでしょうね」
「僅か二ヶ月やそこらで二つの国の窮地を救うとは……驚くべき。いえ。目を見張るべき働きですね。歴代の『選ばれし者』の中でも群を抜く実績でございましょう」
「いや。あなたのその言葉は残念ながら正しくはない」
驚愕の声を挙げた幹部に対し、たしなめるようにもう一人が声をかける。
「どういうことですか?」
「つい先日、辺境の地であるファーゼストにて巻き起こった異変から人々と街を救ったとの報告も届いております。詳細はまだ不明ですが、それでも伝え聞く情報から、彼女であることはほぼ間違いないと思われます」
「なんと……」
「ここまでくると、凄まじいというべきでしょうか……」
幻影の参加者の中からも絶句する声が広まるようだ。
「庶民の間でも既に噂が広まっております。女神イロールの化身とも再来とも言われ『輝ける者』などと呼ぶ者もいるようです」
「なるほど。他の『選ばれし者』との区別も必要ですから、ここは我らも『輝ける者』でよろしいのではないでしょうか」
本人の元々の名前はもちろんのこと、偽名の『アルタシャ』も殆ど誰も口にしないのが、この会議の浮き世離れ具合を現しているというべきだろうか。
「しかし……困りましたな」
普通ならば短期間でそのような驚くべき業績を挙げた偉大な『英雄』が顕れたら、欣喜雀躍しそうなものだが、残念ながらこの『輝ける者』は聖女教会にとっては現在のところ深刻な『悩みの種』となっているのだ。
「その『輝ける者』については、噂を聞いた各国や大貴族、各神殿から問い合わせが殺到し、そのためにどこの寺院も返答に苦慮しているそうです」
「直接対面したラマーリア王国王太子やマニリア帝国皇帝はもちろん、他の国からも『是非とも我が国に迎え入れたい』との申し出が続々と来ております」
「しかしご当人が行方不明となると……」
ここで一同のとがめ立てするような視線がレシーラに注がれる。
「あなたが彼女を逃がしてしまうから、このような事態を招いたのですよ」
この批判に対し、レシーラは一瞬、眉をつり上げるがそこで自分を落ち着かせるように息を整える。
「確かに私が迂闊だったことは認めましょう。しかし彼女の行動が神命によるものだとすればそれもまた我らが女神の御意思ということになります」
「そのようないいわけで己の責任を逃れられるとお思いか?」
「別に責任逃れをしているわけではありません。もし処罰をお望みならば、この場にていかようにでも処分なされればよろしいでしょう」
「開き直りおって……」
アルコー国王の側室であるレシーラを解任ないし、それに準ずるような処分をするとなると、当然ながら夫にしてスポンサーである国王の機嫌を損ねるのは確実だ。
ただでさえ『輝ける者』を巡って苦慮している聖女教会としては、処分の理由を公表するワケにもいかない以上、レシーラの扱いは先送りにせねばならない。
もちろんレシーラもそれを分っていて、開き直っているのである。
「とりあえずレシーラの処遇については後回しにしなさい。今回の議題でもありません」
「分りました……」
不満げな様子がうかがえるものが何人かいたが、逆らうものもいなかった。
そしてここで議長はレシーラへと向き直る。
「とにかくこの中で『輝ける者』について直接対面した事があるのはレシーラだけです。あなたは彼女が何を考えて行動しているのか、分りますか?」
「申し訳ありませんが、僅かに会話しただけですので、迂闊な発言は差し控えさせてもらいます」
十一人いる中で誰ひとりとして『選ばれし者を無理矢理に性転換した』事に言及する者はいない。
この件は敢えて話題にするのを避けているのか、それとも当たり前過ぎて誰も気にしていないのか。
もっともレシーラが女に変えず、男のままでこのような偉業を成し遂げていたら、聖女教会の教義の根幹が揺らいでいたわけなので、だからこそレシーラを批判する側も敢えてそこには触れないようにしているのだろう。
「要するに何も分らないということですね。たまたま『選ばれし者』を見つけるだけなら誰でも出来ますのに――」
「おやめなさい」
あからさまな皮肉に対し、議長が改めて釘を刺す。
「問題は他にもあります。噂が広まるにつれて『輝ける者』を騙るものがあちこちに出没して、いかがわしい教団を設けたり、貴族達に取り入ったりしているそうです」
なにしろ聖女になれず脱落して、還俗した女性の多くは『輝ける者』と同じ金髪と青紫の瞳をしているし、未熟ながら回復魔法も使えるから、何も知らない人間を相手に正体を偽るのはそう難しくない。
だがそれは聖女教会にとってゆゆしき問題でもあった。
「騙された人間からの苦情も数多くの教会に来ております。恐らく今後もその数は増えると考えるべきでしょう」
「しかも我が聖女教会では公式に『輝ける者』について何の見解も示していません。このため本人がそう言い張っても否定する材料がないのです」
「既にあちこちで彼女を騙った者を極刑に処すという例も出ているようですが、それにも関わらず、我が教会が沈黙している事を怪訝に思っている者も少なく無いと思われます」
もちろん聖女教会が沈黙を余儀なくされているのは『輝ける者』の真意がまるでつかめないからだ。
現時点では少なくとも聖女教会と表だって敵対する意志はないようだが、協力する気も無いのは明らかである。
仮に『輝ける者』を公式に『選ばれし者』と認定したとして、そこで彼女が教会の教義に反する発言をすれば、それは教会の分裂を招くかも知れないのだ。
まさかその『輝ける者』がただ単に『自分が男に戻る方法』を探し回っていて、向かう先々でたまたま関わった騒動を解決しているに過ぎず、本人はもう聖女教会とは関わり合いになりたくないだけ、などと誰が想像するだろうか。
そんなわけで動くに動けない現在の聖女教会内部では『輝ける者』の扱いに苦慮するあまり、暗殺まで考えている者も一部にはいるらしい。
もっとも桁違いの能力を有する『輝ける者』を暗殺など出来るのか。またそんな事をして女神イロールの神命に逆らった事にならないのか。
何よりそれが失敗して『輝ける者』を完全に敵に回してしまったら、どうなるのか。
そう考えると実行に移すのは不可能である。
要するに今のような事態は聖女教会の千年の歴史においてもまったく前例がなく、どう対処してよいのかが分らないというのが、最高幹部達の偽らざる本音だった。
「とりあえず『輝ける者』については、現時点でその真意を確かめるより他にはありますまい。その上で改めて対応を決めましょう」
最古参というだけで名目上のトップに立っているに過ぎない事から、常に穏便で、当たり障り無く、そして大した事も言わない議長は、例によって先送りに過ぎない結論を出そうとする。
そしてそれに対して他の面々も正面切って、打開策を口に出来ない状況でもあった。
「それは仕方ありませんが、その『輝ける者』ご本人はいまどこにおられるのですか?」
「報告ではファーゼストを去ってから、西方に向かったとか……いったい何をお考えなのかは見当もつきません」
「ひょっとすると一神教などという、いかがわしい教えを信奉している西方の蛮人共を、正道に立ち返らせようとしているではありますまいか」
ここ数百年の間に一神教は勢力を拡大し、現在では大陸西部の大半をその勢力圏に組み入れている状況にある。
現時点では一神教も正面切って大陸中央部の多神教勢力圏と衝突する構えを見せてはいないが、何百年も渡る宗教間の不信感がそうそう簡単にぬぐい去れるモノで無いことは、ここにいる全員が理解していることだ。
実際には一神教徒と言っても一枚岩ではなく、いろいろとややこしい教義や勢力争いがあるのだが、この聖女教会でもそういう複雑な事情は四捨五入して、ひとまとめに『蛮人』と蔑むのが当たり前であった ―― もちろんそれはお互い様なのだが。
「ですが……そのような事が可能なのでしょうか?」
普通に考えればどれほどの力があろうと、たったひとりでそんな事はあり得ない。
しかしひょっとしたら、と思わせるところが『輝ける者』には存在した。
「とにかく西方におられることが確かならば、使者となるものを送ってどうにか連絡をつけましょう」
「それ以外にはないようですな……」
大陸中央において回復魔法を牛耳り、絶大な影響力を持つはずの聖女教会がたったひとりの『小娘』に四苦八苦しているとは何とも滑稽な話である。
そして大した実りもなく ―― おおかたの予想通りに ―― 最高幹部会はお開きとなった。
十人の幻影が消えたところで、レシーラは取り残されたかのごとくひとり部屋で座っていたが、唐突に立ち上がると己の髪をつかんで頭を激しく振る。
「ああ畜生!」
こんな羅刹のごとき姿を見たら、たぶん愛する夫たる国王でもどん引きは確定だろう。
「怒っていても仕方ない……とにかく何としても他の面々に先んじなければ……」
もともと聖女教会は中央集権的な組織ではなく、大寺院のトップ達によるゆるやかな集団指導体制をとっている。
彼女達は共通の利害 ―― つまり回復魔法の独占 ―― については一致結束するがそれ以外では決して仲良しというわけではない。
そして今回の一件は教会の危機であるが、同時に『輝ける者』を手中に収めたものが、次の教会のトップに立つ事が暗黙の了解事項でもあったのだ。
間違いなく最高幹部達はこぞって『輝ける者』に渡りをつけようとするだろう。
もちろん『西方に向かった』というだけの手がかりでは、そうそう簡単に見つける事は出来ないかもしれない。
だがそれについてはレシーラはもちろん、たぶん他の幹部達も誰ひとり心配はしていないはずだ。
「そうね。彼女だったらきっとどこにいても必ず見いだせるはずでしょう」
東方の諺に『袋に錐を入れたら必ず先が突き出てくるように、優れた人間はおのずと目立つ』と言われるそうだが、あの『輝ける者』ならば必ずや人の目にとまるだろう。
レシーラはそう確信すると、つい数瞬前の羅刹のごとき形相を一変させ、普段通り『慈悲深い聖女の鑑』たる表情で席を立った。
【後書き】
次回からまた本編です。
よろしくお願いします。
今回は幕間劇なので少々普段とは趣が違います。
【本文】
そこは何も知らない人間の目には奇妙な場所だった。
飾り気のない広い部屋の中央に円形のテーブルが置かれ、その周囲には十二脚の椅子が並べられているのだ。
そしてその一つに一見すると二十代後半の金髪と青紫の瞳をした美女が険しい表情で腰掛けていた。
ここはアルコー王国首都グラマーの中心部に位置する聖女教会の救貧院である。
そして椅子に腰掛けているのは、このグラマー救貧院の院長であり、このアルコー王国国王の側室たるレシーラだ。
つまり『選ばれし者を見いだしたものの逃げられてしまった張本人』ということになる。
そしてしばしの後、円形に並べられた椅子には十人の人影、その全員が美しい女性 ―― 大半は金髪と青紫の瞳 ―― の半透明の姿が浮かび上がる。
つまりレシーラを含めると十一人がこの光景を見ているということだ。
十二脚ある椅子の中で一箇所だけ欠けがあり、それを加えると本来は十二人がここに姿を見せるものだと言うことが分る。
そしてここで厳かな声が静かに響く。
「それではこれより聖女教会緊急幹部会を開きます」
これは魔力を用いて遠隔地と連絡を取っているのだ。。
同様の魔術は他の組織でも使えるが、遠いところになると千キロ単位で離れた十箇所以上の地点で双方向の連絡を取り合うには、膨大な魔力を必要とする。
邪悪な神の場合は、生け贄に情報を吹き込み、それを儀式で殺害する事でその情報が司祭に啓示されるなどという手法もあるらしい。
当然ながらこの聖女教会の最高幹部会も煩雑に開かれるわけではなく、原則的に年に一回だけで後は緊急時に開かれるのみだ。
むろん今回の幹部会はその緊急時に該当する。
ここで議長役を務めている、最年長の支部長が声を発する。
見たところは三十代の半ばほどの妙齢の女性だが、実年齢がいかほどなのかは分らない。
もちろん聖女がいかに長命と言っても不老不死ではなく、せいぜい実年齢との乖離は二倍程度なので人間離れした高齢というわけではないはずだ ―― それでも十分に凄いが。
そして聖女の地位は本人の能力は当然としても、それ以外にはスポンサーとなる夫の地位や寄付が大きく影響する。
当然ながら国王など国のトップの側室となった聖女が、その国の教会のトップになることが殆どだ。
このため夫が死去したり引退すれば、その聖女もまた後進に道を譲って引退するのが慣例となっているため、この最高幹部会でも見た限りではさほど高齢の聖女は見当たらないのである。
「本日の緊急会議の議題はもう皆も聞いていると思いますが『選ばれし者』についてです」
この言葉で周囲には緊張が走り、またレシーラは表向きは無表情ながら、その手が固く握りしめられる。
「マニリア帝国よりの調査について報告が入ったのですが、どうやら『選ばれし者』が彼の地にて活動していたのは間違いないようです」
「ラマーリア王国首都コルストに続いての活躍ということですな。しかしマニリア帝国支部が壊滅していなければもっと早く事実がつかめたでしょうに残念です」
議長の言葉を受けて、別の一人が空席に視線を向ける。
円陣で一人だけ欠けているのは、内戦の煽りを受けて壊滅したマニリア帝国支部の支部長が未だに空席であるためだ。
「しかしその話は本当なのですか? にわかには信じがたいのですが」
「目撃した者も百人やそこらではありません。何より皇帝すらも目撃者となっています。前回のラマーリア王国の時と同じくまず間違いないでしょうね」
「僅か二ヶ月やそこらで二つの国の窮地を救うとは……驚くべき。いえ。目を見張るべき働きですね。歴代の『選ばれし者』の中でも群を抜く実績でございましょう」
「いや。あなたのその言葉は残念ながら正しくはない」
驚愕の声を挙げた幹部に対し、たしなめるようにもう一人が声をかける。
「どういうことですか?」
「つい先日、辺境の地であるファーゼストにて巻き起こった異変から人々と街を救ったとの報告も届いております。詳細はまだ不明ですが、それでも伝え聞く情報から、彼女であることはほぼ間違いないと思われます」
「なんと……」
「ここまでくると、凄まじいというべきでしょうか……」
幻影の参加者の中からも絶句する声が広まるようだ。
「庶民の間でも既に噂が広まっております。女神イロールの化身とも再来とも言われ『輝ける者』などと呼ぶ者もいるようです」
「なるほど。他の『選ばれし者』との区別も必要ですから、ここは我らも『輝ける者』でよろしいのではないでしょうか」
本人の元々の名前はもちろんのこと、偽名の『アルタシャ』も殆ど誰も口にしないのが、この会議の浮き世離れ具合を現しているというべきだろうか。
「しかし……困りましたな」
普通ならば短期間でそのような驚くべき業績を挙げた偉大な『英雄』が顕れたら、欣喜雀躍しそうなものだが、残念ながらこの『輝ける者』は聖女教会にとっては現在のところ深刻な『悩みの種』となっているのだ。
「その『輝ける者』については、噂を聞いた各国や大貴族、各神殿から問い合わせが殺到し、そのためにどこの寺院も返答に苦慮しているそうです」
「直接対面したラマーリア王国王太子やマニリア帝国皇帝はもちろん、他の国からも『是非とも我が国に迎え入れたい』との申し出が続々と来ております」
「しかしご当人が行方不明となると……」
ここで一同のとがめ立てするような視線がレシーラに注がれる。
「あなたが彼女を逃がしてしまうから、このような事態を招いたのですよ」
この批判に対し、レシーラは一瞬、眉をつり上げるがそこで自分を落ち着かせるように息を整える。
「確かに私が迂闊だったことは認めましょう。しかし彼女の行動が神命によるものだとすればそれもまた我らが女神の御意思ということになります」
「そのようないいわけで己の責任を逃れられるとお思いか?」
「別に責任逃れをしているわけではありません。もし処罰をお望みならば、この場にていかようにでも処分なされればよろしいでしょう」
「開き直りおって……」
アルコー国王の側室であるレシーラを解任ないし、それに準ずるような処分をするとなると、当然ながら夫にしてスポンサーである国王の機嫌を損ねるのは確実だ。
ただでさえ『輝ける者』を巡って苦慮している聖女教会としては、処分の理由を公表するワケにもいかない以上、レシーラの扱いは先送りにせねばならない。
もちろんレシーラもそれを分っていて、開き直っているのである。
「とりあえずレシーラの処遇については後回しにしなさい。今回の議題でもありません」
「分りました……」
不満げな様子がうかがえるものが何人かいたが、逆らうものもいなかった。
そしてここで議長はレシーラへと向き直る。
「とにかくこの中で『輝ける者』について直接対面した事があるのはレシーラだけです。あなたは彼女が何を考えて行動しているのか、分りますか?」
「申し訳ありませんが、僅かに会話しただけですので、迂闊な発言は差し控えさせてもらいます」
十一人いる中で誰ひとりとして『選ばれし者を無理矢理に性転換した』事に言及する者はいない。
この件は敢えて話題にするのを避けているのか、それとも当たり前過ぎて誰も気にしていないのか。
もっともレシーラが女に変えず、男のままでこのような偉業を成し遂げていたら、聖女教会の教義の根幹が揺らいでいたわけなので、だからこそレシーラを批判する側も敢えてそこには触れないようにしているのだろう。
「要するに何も分らないということですね。たまたま『選ばれし者』を見つけるだけなら誰でも出来ますのに――」
「おやめなさい」
あからさまな皮肉に対し、議長が改めて釘を刺す。
「問題は他にもあります。噂が広まるにつれて『輝ける者』を騙るものがあちこちに出没して、いかがわしい教団を設けたり、貴族達に取り入ったりしているそうです」
なにしろ聖女になれず脱落して、還俗した女性の多くは『輝ける者』と同じ金髪と青紫の瞳をしているし、未熟ながら回復魔法も使えるから、何も知らない人間を相手に正体を偽るのはそう難しくない。
だがそれは聖女教会にとってゆゆしき問題でもあった。
「騙された人間からの苦情も数多くの教会に来ております。恐らく今後もその数は増えると考えるべきでしょう」
「しかも我が聖女教会では公式に『輝ける者』について何の見解も示していません。このため本人がそう言い張っても否定する材料がないのです」
「既にあちこちで彼女を騙った者を極刑に処すという例も出ているようですが、それにも関わらず、我が教会が沈黙している事を怪訝に思っている者も少なく無いと思われます」
もちろん聖女教会が沈黙を余儀なくされているのは『輝ける者』の真意がまるでつかめないからだ。
現時点では少なくとも聖女教会と表だって敵対する意志はないようだが、協力する気も無いのは明らかである。
仮に『輝ける者』を公式に『選ばれし者』と認定したとして、そこで彼女が教会の教義に反する発言をすれば、それは教会の分裂を招くかも知れないのだ。
まさかその『輝ける者』がただ単に『自分が男に戻る方法』を探し回っていて、向かう先々でたまたま関わった騒動を解決しているに過ぎず、本人はもう聖女教会とは関わり合いになりたくないだけ、などと誰が想像するだろうか。
そんなわけで動くに動けない現在の聖女教会内部では『輝ける者』の扱いに苦慮するあまり、暗殺まで考えている者も一部にはいるらしい。
もっとも桁違いの能力を有する『輝ける者』を暗殺など出来るのか。またそんな事をして女神イロールの神命に逆らった事にならないのか。
何よりそれが失敗して『輝ける者』を完全に敵に回してしまったら、どうなるのか。
そう考えると実行に移すのは不可能である。
要するに今のような事態は聖女教会の千年の歴史においてもまったく前例がなく、どう対処してよいのかが分らないというのが、最高幹部達の偽らざる本音だった。
「とりあえず『輝ける者』については、現時点でその真意を確かめるより他にはありますまい。その上で改めて対応を決めましょう」
最古参というだけで名目上のトップに立っているに過ぎない事から、常に穏便で、当たり障り無く、そして大した事も言わない議長は、例によって先送りに過ぎない結論を出そうとする。
そしてそれに対して他の面々も正面切って、打開策を口に出来ない状況でもあった。
「それは仕方ありませんが、その『輝ける者』ご本人はいまどこにおられるのですか?」
「報告ではファーゼストを去ってから、西方に向かったとか……いったい何をお考えなのかは見当もつきません」
「ひょっとすると一神教などという、いかがわしい教えを信奉している西方の蛮人共を、正道に立ち返らせようとしているではありますまいか」
ここ数百年の間に一神教は勢力を拡大し、現在では大陸西部の大半をその勢力圏に組み入れている状況にある。
現時点では一神教も正面切って大陸中央部の多神教勢力圏と衝突する構えを見せてはいないが、何百年も渡る宗教間の不信感がそうそう簡単にぬぐい去れるモノで無いことは、ここにいる全員が理解していることだ。
実際には一神教徒と言っても一枚岩ではなく、いろいろとややこしい教義や勢力争いがあるのだが、この聖女教会でもそういう複雑な事情は四捨五入して、ひとまとめに『蛮人』と蔑むのが当たり前であった ―― もちろんそれはお互い様なのだが。
「ですが……そのような事が可能なのでしょうか?」
普通に考えればどれほどの力があろうと、たったひとりでそんな事はあり得ない。
しかしひょっとしたら、と思わせるところが『輝ける者』には存在した。
「とにかく西方におられることが確かならば、使者となるものを送ってどうにか連絡をつけましょう」
「それ以外にはないようですな……」
大陸中央において回復魔法を牛耳り、絶大な影響力を持つはずの聖女教会がたったひとりの『小娘』に四苦八苦しているとは何とも滑稽な話である。
そして大した実りもなく ―― おおかたの予想通りに ―― 最高幹部会はお開きとなった。
十人の幻影が消えたところで、レシーラは取り残されたかのごとくひとり部屋で座っていたが、唐突に立ち上がると己の髪をつかんで頭を激しく振る。
「ああ畜生!」
こんな羅刹のごとき姿を見たら、たぶん愛する夫たる国王でもどん引きは確定だろう。
「怒っていても仕方ない……とにかく何としても他の面々に先んじなければ……」
もともと聖女教会は中央集権的な組織ではなく、大寺院のトップ達によるゆるやかな集団指導体制をとっている。
彼女達は共通の利害 ―― つまり回復魔法の独占 ―― については一致結束するがそれ以外では決して仲良しというわけではない。
そして今回の一件は教会の危機であるが、同時に『輝ける者』を手中に収めたものが、次の教会のトップに立つ事が暗黙の了解事項でもあったのだ。
間違いなく最高幹部達はこぞって『輝ける者』に渡りをつけようとするだろう。
もちろん『西方に向かった』というだけの手がかりでは、そうそう簡単に見つける事は出来ないかもしれない。
だがそれについてはレシーラはもちろん、たぶん他の幹部達も誰ひとり心配はしていないはずだ。
「そうね。彼女だったらきっとどこにいても必ず見いだせるはずでしょう」
東方の諺に『袋に錐を入れたら必ず先が突き出てくるように、優れた人間はおのずと目立つ』と言われるそうだが、あの『輝ける者』ならば必ずや人の目にとまるだろう。
レシーラはそう確信すると、つい数瞬前の羅刹のごとき形相を一変させ、普段通り『慈悲深い聖女の鑑』たる表情で席を立った。
【後書き】
次回からまた本編です。
よろしくお願いします。
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