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第9章 『思想の神』と『英雄』編

第212話 モラーニ達との別れ

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 院長室に姿を見せたモラーニはオレに向けて険しい表情で問いかけてくる。

「アルタシャ? なぜここにいるのです」
「そ、それは――」

 説明に窮したオレが振り向くとそこには『ガーランド』の姿は無かった。
 どうやら神であるウルハンガはともかく『無関係な人間』が踏み込んでくると、かの幻影は自動的に停止してしまう設定だったらしい。

 そりゃまあガーランドにしたら自分の遺志を誰にでも語りたくはないだろうから、当然の仕様なんだろうし、モラーニにすれば自分の院長室で話し声がしていれば気になるのは当たり前だ。
 それでもこの肝心なところで話を打ち切られたら、ついついモラーニを恨めしく思ってしまう。
 ただここでガーランドの姿をモラーニに見られていたら、説明がまたややこしくなるのは確実なので、助かった面もあるのは事実だ。

 しかしこれからどうする?
 モラーニが出て行ってから再度、ガーランドの幻影を呼び出すか?

 いや。さきほどのガーランドが千年前に自分がウルハンガを裏切った事を語ったのは、偶然その当人が姿を見せるという、特別な出来事があったからだ。
 仮にもう一度、呼び出したところで幻影はあくまでも遺志を伝えるためのものだから、ある程度の受け答えは出来ても、さっきの続きを語ってはくれないだろう。
 ウルハンガを消滅させる可能性について、聞く機会を失った事は残念なような、ホッとしたようないろいろとややこしい気分だ。

 いずれにせよ今はウルハンガを追わねばならないのだ。
 相手の行く先は分かっている。このフェルスター湖の中心にあって現在では人々の意識から消えているというタラスター島だ ―― どうやって後を追うかはこれから考えるが、いずれにせよ放置するわけにはいかない。

「どうしました? 何があったのですか?」

 目の前のモラーニは真剣にオレに問いかけてくる。
 黙ってこのまま逃げ出してもいいのだけど、それではどう考えてもモラーニに無用の心配をさせてしまうだけだ。
 仕方ない。ここはオレが出て行く事だけでも伝えるしかあるまい。

「すみません。モラーニ先生にはいろいろとお世話になりましたけど、行かねばならないところが出来ました」

 常識的に考えて、今のオレは外見年齢が五歳程度の幼女なのに、そんな事を口にしたところではいそうですかと了承してくれる方がどうかしている。
 ひょっとしたら怒ってオレをどこかの部屋に押し込めようとするかもしれないけど、その場合は、不本意だけどモラーニを魔法でどうにかするしかない。
 そしてオレの言葉を聞いたモラーニは、その顔を沈ませる。
 あれ? 怒らないの?

「そうですか……思っていたよりも随分と早いですが、それがあなたの意志ならば仕方ないでしょう」
「ええ?! いいんですか!」

 いくら何でもこうもあっさりと同意されるとは思ってもいなかったので、オレはちょっとどころではなく意表をつかれた。
 少なくともオレが彼女の立場だったら絶対にそんなこと認めないよ。

「あなたが我が女神の寵愛篤き存在であり、その身が見た目通りではないことは分かっていたつもりですよ」

 そういうことか。
 ウルハンガの事もあるし、この世界ではその手の『見た目通りでない存在』は珍しく無い ―― とまではいかなくとも神話ではしばしばある存在なのだろう。

「はじめはただの聖女見習いの少女かと思っていましたが、あなたの振る舞いや言葉の端々に尋常な子供とはかけ離れたものを感じていました」

 そういってモラーニは改めて真剣な眼差しをオレに注いでくる。

「この地域が危機にある事はわたしもうすうす感じていたところです。きっとあなたはそれを救うために、我が女神イロールより遣わされた御使いなのでしょう」

 全く違います。むしろ買いかぶりもいいところです。
 しかし今回はその勘違いにつけ込ませてもらうしかないな。

「ひょっとするとあなたは先ほど、我が女神と対話していたのですか?」

 説明したら話がややこしくなるだけなので、ここは敢えてスルーさせてもらいます。

「申し訳ありませんけど、今は詳しいことを説明はしていられません」
「そうですか……それは残念ですが仕方ありません」

 ちょっとばかりモラーニは落胆しているらしいな。
 いかに聖女でも自分が仕える女神とそうそうコンタクトなどとれない。
 以前、宮廷魔術師十数人分の力があった時点のオレでもチャラーラ・イロールの言葉が聞こえなかったぐらいなのだから、普通の聖女では一生に一度あるかないかぐらいの希な出来事なのだろう。
 モラーニは聖女教会が男子を性転換させている事を疑問に思って、一線から退いたそうだから、たぶんその件についても女神に直接問いたかったのだろうな。

「しかしこれで分かりました」

 あれ? ここでモラーニは晴れ晴れとしているように見えるぞ。

「今までわたしは、回復魔法の素養のある男子を女子にする事がひょっとしたら過ちだったのでは、女神の意志にそぐわない事だったのでは……今まではそう悩んでいましたけどどうやら勘違いだったようです」

 え? それはどういう意味なの?

「きっとあなたは我が女神がわたしの悩みを取り払うため、この地に送って下さったのでしょう」

 ああそうか。モラーニは最近、女子に変えられたオレが女神の寵愛篤い存在だと知って、自分のやってきた事が間違っていたわけではないと誤解してしまったのか。
 うう。複雑極まりない気分だけど、今は誤解でも何でもモラーニに納得してもらって助力を頼むしか無い。
 ガーランドやウルハンガもそうだけど、考えて見ればオレ自身、誤解と誇張の固まりのような評価をされている事にかわりはなかった事を思い知らされずにはいられなかった。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

 しばしの後、オレが孤児院から出て行くと聞いて、孤児達も玄関のとことにみんな集まってきている。

「せっかく仲良くなれたのに……」

 マーラはかなり悲しげに別れを惜しんでいるけど、そうだったっけ?
 あんまり仲良くしていた記憶はないんだけどな。
 まあ向こうの胸中に存在するのが『美しい思い出』であるならば、こっちもそれに水を差さない程度の分別はあるつもりですよ。
 そしてもっと悲しげなのは男性陣、特にハロリックだ。

「うう。アルタシャがもう行ってしまうなんて……せめてもう一度だけでも、一緒に風呂に入りたかったよ」
「このドスケベ! あんたは風呂どころか湖に沈んでなさい!」

 ハロリックのセクハラ発言にマーラは眉をつり上げつつがなる。
 本当にお前ら仲がいいな。一緒に風呂に入る程の幼なじみなんだから、将来は結婚した上でモラーニが引退した後でこの孤児院を受け継ぐぐらいはやってくれ。

「それでは失礼します。皆さんの事は忘れません」

 ハロリックやマーラ達にはちょっと申し訳ないのだが、今は別れを惜しんでいられる状態ではないのだ。
 この幼女の身のままここで暮らす場合の事もちょっとばかり脳裏をよぎったけど、やっぱりそういうわけにはいかないだろう。
 元の身体 ―― この言葉もいろいろとややこしいのだが ―― に戻るという事はもちろんだが、たぶんオレの行く先々できっとロクでもない事が起きるのだろうという悲しい確信だけはあった。
 それにしても『異世界で大冒険』などという夢は元の世界にいた頃から、ずっと憧れだったのだが、実際に直面して毎日が冒険になってもとてもワクワクはしないな。
 こんな『理想と現実のギャップ』もまたウルハンガの掲げる思想を信じたガーランドが直面したものと似たところがあるのかもしれない。

「それではアルタシャ。また来て下さいね。わたしはいつでも歓迎しますよ」
「俺もだよ!」
「もちろんあたしも!」

 モラーニの別れと再会を期する言葉を聞いて、孤児達も口々に叫ぶ。

「ええ……どうも」

 よくよく見るとモラーニは長年の悩みが解消されたらしく、晴れ晴れとした表情だ。
 こっちに対する完全な勘違いが理由だと分かっているので、オレとしては毎度のごとくいろいろと悩ましいのだが、まあモラーニが満足してくれているのならここで敢えてツッコミはすまい。
 むしろどこか後ろめたい空気をオレだけが一方的に発しつつ、短期間でいろいろな思い出を作りまくった孤児院をオレは後にする。
 せめてこの地が戦乱とは無縁で、モラーニは孤児達が今まで通り貧しとも平穏無事に生活出来る事を祈ってやまない ―― 祈るべき相手が誰なのかは自分でも分からないけど。

 しかし今のオレはやるべきことと目指す場所はハッキリしている ―― ウルハンガ生誕の地というフェルスター湖中央のタラスター島だ。
 問題なのはどうやってそこに行くのかだ ―― たどりついた後にどうするのかは、遙かに難題ではあるけど、仕方ないので後回しにしよう。
 オレの魔法を使えば地続きならば結構、簡単にどこにだって行けるのだけど、湖のど真ん中となるとそういうわけにはいかない。
 残念ながらこのオレには飛行系魔法などないし、水面歩行や水中呼吸魔法も持っていないのだ。
 そうすると船を使うしか手は無い。

 オレはいろいろと考えつつ、ひとまずフェルスター湖に面した小さな漁港を前にしていた。
 金はモラーニから返してもらった鞄に存分にあって、船の一隻や二隻は簡単に買えるだろうが、問題はそこにはない。
 だが困った事にオレは操船の技能など持ち合わせていない上に、この幼女の身ではオールを漕ぐ事すら無理だ。
 もちろん湖の事など全く知らないから、仮に船が扱えたとしてもそれでタラスター島を見つけ出すのは不可能だろう。
 つまり誰かに船を出してもらうしかないのだ。
 本来なら一番心配すべきところは、ガーランドが言うところによれば『千年に渡って隠された幻の島』を見つけ出す事なんだろうけど、自分で言うのもなんだけどそっちはあんまり心配していない。
 無責任だとは思うけど、このオレならどうにかなるつもりだ。
 しかしこの五歳程度の幼女の身で、湖の中心部に船で乗り出すように頼むのはちょっとどころではなく不安だ。
 オレが金を持っている事を知れば、相手が船から放り出して金を奪おうとか考える可能性は否定出来ない。
 しかしもっと困るのはそこに行くには危険が予想されることだ。
 自分自身は仕方ない。全部覚悟の上だ。
 一緒に連れて行ってくれる相手に危険を黙っているわけにはいかないけど、それを伝えたら同行してくれる相手はいないだろう。
 もちろん黙っているなど論外である。
 うう。これは思った以上の難関だ。
 これまで移動で苦労した事は殆ど無かったけど、こんなところで行き詰まってしまうとはつくづく人生はままならない。
 オレが頭を悩ませているところで、さわやかな若者の声が耳に飛び込んできた。

「おや。こんなところで何をしているのかな?」
「え?」

 振り向くとそこに立っていたのは、負傷がいまだに癒えていないエウスブスだった。
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