湿った夏の日の記憶~初体験の相手に再会した~

越智むう

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1章 中学生

10.受験

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 それからしばらくして、剛はサッカー部を辞めた。部長は呆気にとられた顔をしていたし、母親は「あんた他にすることあるの」と渋い顔をしたが、父親は「そうか」としか言わなかった。兄は「サボるよりいいよ」と笑った。自分でも、驚くほど気楽な気分になって、重い荷物をおろしたような感覚になった。

 代わりに仲の良かった友達に誘われてソフトテニス部に入った。ほとんどの男子は運動部に入っていたから、何もやらないのは格好悪いと思ったし、サッカー部より大分緩い部活で、活動も週3日だけで、しかも水曜日は休みだった。

 水曜日は何となくまりんの時間潰しに付き合うようになった。大抵は、神社の方まで海岸沿いに自転車で走った。

 まりんの母親は、神社より先に行った海沿いの老人ホームで働いてると彼女は言った。そちらの方には、ビーチもあって景観が良いからか、ホテルの様な新しい老人施設がいくつも建っていた。

「お爺ちゃんも、そのへんに入れとけばいいのに」

 まりんは面倒そうに言った。

「――誰かが面倒見てくれると思ってるんだよね。うざい」

 彼女の話や、母親や祖母や近所の噂話に耳を立てると、彼女の祖父は無職で遊び回っていて、先に亡くなった祖母がスナックのようなものをやって生計を立てていたらしい。

「お婆ちゃんのお店が、こっちの方だったみたいだけど」

 一緒に神社近くの住宅街に入り込んだ。しばらくうろうろしていたが、店の跡地は見つからず、結局コンビニでアイスを食べて帰った。

 気候も涼しくなり、長袖になったころ、いつものように海沿いの道を、自転車を押しながら歩いていると、まりんが聞いた。
 
「このへんて、高校、みんなどこ行くの?」

「大体、頭良いやつが南高校で、それ以外は第三高校で、あと工業と商業かな」

「剛くんはどこ行こうと思ってるの?」

 即答はできなかった。進学先については、みんなが行くところに行くだろうくらいで、特に難しく考えていなかった。

「俺は……、南は無理だから、第三かな」

「お兄さんは、私立なんだよね」

「そう。1時間半くらいかかってるから、朝早いし、帰り遅いし大変そうだよ」

 彼女は「ふーん」と言うと話題を変えた。

「このへん、図書館ある?」

 図書館に行くのは、小学生ぶりだった。何となく記憶のある館内に入る。しんとした雰囲気に思わず背筋が伸びた。まりんは、児童コーナーに設置された進学情報の棚で、県内の高校紹介雑誌を真剣に読んでいた。

「まりんは、どこ行くの?」

「……行けるところかな。私立は無理だし」

「そっか」と返して、剛は彼女が言葉を選んだことを感じた。彼女は成績が良かったし、彼女が熱心に見ていたのは南高校の紹介だった。

「おかーさん、塾行きたいんだけど」

 家に帰ると、母親にそう言う。「急に、どうしたの」と母親は突然の息子の申し出に目を丸くした。

「別に。部活少なくなったし、みんな塾行き始めたし」

 それから、テスト前になるとまりんと図書館に行って勉強することが増えた。

 年が明けて雪が散った水曜日、まりんと海沿いの道を歩いていると、見慣れた車が近くに停車した。『高梨電器』というロゴがある。剛は「げ」と声を出して、まりんと3歩ほど距離をおいた。

「剛?」

 顔を出したのは祖母だった。彼女はまりんに気がついて、しげしげと彼女を見た。

「……こんにちは、私、」

 まりんが名乗る前に祖母が口を開いた。親し気な口調だった。

「田中さんとこの、真由美ちゃんの娘さんだよね」

「はい」とまりんは答えたが、眉間に皺が寄っていた。

「――お祖父ちゃん、大変だねえ。お婆ちゃんが元気だったら良かったのにね。私より若かったのにね」

「いえ、」

 口ごもった彼女と祖母を見比べて、剛は口を挟んだ。

「祖母ちゃん、配送?」

「そうそう、高木さんのとこに」

「そっか。俺たち、図書館行くから」

「図書館? 最近、偉いね。塾も行き始めてどうしたの」

「ちょっとね、じゃあ」

 自転車を蹴って、先にその場を離れた。祖母の車が去って行くのを見送る。
 後ろからまりんの自転車が追いかけてきたので、また降りて歩き始めた。

「――塾、行ってたっけ?」

 彼女はじっと剛を見つめると、聞いた。あんまり勉強を頑張ってることを知られたくなかったので、彼女には言っていなかった。

「うん、まあ。週2だけど。そろそろ受験とかあるし。――それより、祖母ちゃんがごめん」

「――いいよ、別に」

 まりんは厳しい顔のまま答えた。

 家に帰ると珍しく祖母が夕食を食べにきていた。

「お祖父ちゃん、今日町内の飲み会だから」

 彼女はそう言って、もぐもぐと食事を食べている。兄はまだ帰ってきていない。母親がキッチンに立ったところで、祖母は声をひそめた。

「――真由美ちゃんが高校生くらいのときに、そっくりね。娘さん。昔、お父さんが高校生のときに真由美ちゃんといるの、お祖母ちゃん、見ちゃったことがあって、一瞬、剛が正文かと思ってびっくりしちゃった」

「え」

 正文は剛の父親の名前だ。聞いていない、と剛は思った。

(お父さんとまりんの母親? 高校の後輩だって言ってたけど)

「真由美ちゃんは色んな男の子と一緒にいたからねえ。正文といるの見た時はちょっとひやひやしたわ。それ以来何もなかったし、真由美ちゃんは高校卒業したらすぐ出てっちゃったけど」

 それから、心配そうな顔をして言った。

「あの子は、そういう噂とかはないわよね」

「――ないよ」

 ぶっきらぼうに答えると、祖母は「ならいいんだけど」とつまらなそうな顔をした。
 
 食後、部屋に戻ると枕に向かって「あー」と叫んだ。

(本当、嫌だな)

***

 3年生になって成績が上がってきた。南高校がB判定になった模試の結果をまりんに見せると、「すごいね」と言われたので気分が良かった。

「まりんは、どこの高校か決めた?」

 そう聞くと彼女は少し考えてから、「南高校」とぽつりと答えた。

 秋に彼女の祖父が死んだと祖母伝えで聞いた。学校ではなかなか話す機会がなかったので、帰り際、先に帰っていく彼女を追いかけて、「大変だったな」と言うと彼女はぼそっと言った。

「楽になって良かったよ」

 それからも、毎週水曜日はまりんと図書館で勉強するのが日課になっていた。

 年が明けて、受験をした。受験会場で、周りを見回して、剛はあれ?と思った。まりんの姿は見当たらなかった。事前に聞くと気まずいので、受験番号は聞かなかったし、願書を出しに行くときも別に確認はしなかったが。頭をひねりながらも、剛は南高校に合格した。母親は「すごいじゃない」と喜んで、寿司に連れて行ってくれた。担任にもクラスメイトにも「まさか剛が」と言われた。まりんに言うと、彼女は「良かったね」と笑った。
 
「――まりんは?」

 聞くと、彼女は気まずそうにうつむいて言った。

「――高専」

 それは、電車で2時間程のところにある、国立の高等専門学校だった。

「……、すごいな」

 剛はつぶやいた。この学校で他に受験したという人を聞いたことがない。
 高専は5年生の学校で、授業が厳しいことで有名で、大半が普通に3年の高校に進学する中で、珍しい選択肢だった。

「就職率いいし」

 まりんはうつむいたまま言った。
 剛は、彼女が中学とこの地元の関係を、自分を含め全部切ったことを悟った。

「そっか、良かったね」

 剛はつぶやいて笑った。
 それ以来まりんとは何となく距離ができて、一緒に出かけたり、話したりすることもなくなった。卒業式のときも、気がつくと彼女の姿は消えていた。
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